ジャハーヌとの出会い その13
「エリスはまだ15歳くらいなんだ」
ホームへ行く道すがら、おかみさんが口を開いた。
「ずいぶん若いですね」
エリスの容姿を思い浮かべた。
見た目からは落ち着いた雰囲気で20歳くらい。ただ、エルフは20歳前後で成長と老化が著しく鈍化するので、少なくとも俺よりも年上だと思っていたのに。
というか、実年齢が見た目よりも若いエルフというのを初めて見た。
「エルフは年齢が分かりにくいからね……私と初めて会った時は、まだこれくらいだったよ」
おかみさんが自分の腰くらいに手をかざした。
「もう、十年くらい前の話かね……」
「……」
「エリスはいつの間にかこの街に住みついていた子供でね、どこから流れてきたのはわからない、本人も話したがらなかったし……物心つく前だから単純に覚えていないのかもしれないけど」
「……」
「店の前で物乞いまがいになっているところを見つけてね、言葉はわかるみたいだし、まずは皿洗いとして拾ったのさ」
ペンテとともにこの店に来た時のおかみさんの話を思い出す。
あの時、おかみさんは行き場のないペンテを心配し、あいつのために出来る限りのことをしてやろうしていた。
あの時は「手一杯」と言っていたが、どうやらエリスの事だったらしい。
いや、おかみさんの性格からいってエリスだけでない可能性がある。もしかしたら『ドラゴンの前足亭』で働いている従業員は大体エリスと同じような境遇なのかもしれない。
「子供の頃からおかみさんの世話になってったことは……エリスはどこで暗殺者の技術を学んだ?」
「学ぶも何も生まれた時から暗殺者よ」
俺の疑問に、当然じゃないと言わんばかりの声色でジャハーヌが答えた。
「え? でもエリスは小さいころに流れ着いてきたって……」
「これを持ち出せるってことは少なくとも暗殺者として仕込まれてるはずだし」
ジャハーヌが『毒』の入った木箱を見る。
「それに話から察するに暗殺を終えた後、雇い主から捨てられるか逃げ出したかして、そっちのおかみさんに拾われたってところじゃないの?」
「……待て、暗殺を終えた後ってどういうことだ? おかみさんと出会ったころはまだ子供なんだぞ?」
「子供の暗殺者なんてよくいるじゃない、特にエルフの子供は油断されやすいのよね、見た目通りの年齢だから」
確かに二十歳以下のエルフは、不老長寿の特性とは関係がない。相対的に警戒感が薄まりやすいだろう。
しかし、ジャハーヌは平然と言うが、これはおかみさんにとっては結構衝撃的な事ではないだろうか。
おかみさんの方を見た。しかし予想に反して、おかみさんは特に驚いた様子はない。
「おかみさん、エリスが暗殺者だって知っていたんですか?」
「……そうじゃないかとは思っていたよ」
「でも、エリスが暗殺者だって説明した時、頑なに否定していたのは……」
「あの子が暗殺者であることを否定したかったわけじゃないよ、あの子がオークの娘……ペンテシレイアを殺そうとしたことを認めたくなかっただけさ」
「……それは、つまり……」
「あの子は心の優しい子、似たような境遇だったペンテシレイアを殺すはずがない……と思いたかった」
おかみさんは肩を落とした。
普段みせる肝っ玉母さんの様相は鳴りを潜め、いま俺の隣に歩いているのは疲れ切った妙齢の女性にしか見えなかった。
「……まだ、エリスの意思って決まったわけじゃないんじゃないですよ、誰かにペンテを暗殺するように依頼されたとか……」
「違うさ、あの子が自分の意思でペンテシレイアを殺そうとしたんだよ、本人から聞いたから間違いない」
「本人から……聞いた?」
「……エリスがペンテシレイアに何をしたのか、どうしてそんなことをしたのか、あの子から直接聞いたのさ」
おかみさんは、ジャハーヌの持つ『毒』に向かって顎をしゃくる。
「それが何なのかもね」
「……」
ジャハーヌの顔が曇る。彼女としては『禁忌の業』を知る人物は少ない方が良いのだろう。
「……よくわからないんですけど、エリスから聞いたってどういうことです?」
「あんたから話を聞いた後、直接本人に聞いたのさ」
「それで本人が喋った?」
「多分、私に聞かれたら全部話すつもりだったんだろうね」
「……なるほど、それでエリスがペンテに『禁忌の業』を仕掛けた理由は?」
「……憎んでいたんだとさ」
「憎しみ……確かに、ペンテは『ドラゴンの前足亭』で色々やったが、殺されるほどの事をしでかしたんですか?」
おかみさんが無言で首を横に振った。
「あの子がしたことは食い逃げと暴れて机を壊したことくらいかね……嫌われるだろうけど、その程度ならうちの店じゃそう珍しい事でもない」
「憎まれるようなことじゃないってことですか」
「それなら少なくとも『禁忌の業』を使うようなレベルの話じゃないわね、許可が下りるわけないし」
ジャハーヌも横から付け加えた。
「許可?」
「あー……今の私の発言は忘れなさい、まったくちょっと口数多いのが私の悪いところなのよね」
決して「ちょっと」どころじゃないと思うが。どうやらジャハーヌは自分がどれだけおしゃべりなのかを自覚していないようだ。
「……しかしそうなると……やっぱりあいつが原因よね、あの女の子の話……まったく教主長にばれた殺されるわよ……」
ジャハーヌはなにやら小声でブツブツ言っている。つぶやきすらもおしゃべりだな。
「で、その肝心のエリスは?」
「もういないよ、この街には」
「逃げたってことですか?」
「逃げた……そうだね、逃げたんだろうね……」
おかみさんは大きくため息をついた。
「最後の最後で私はあの子がわからなくなったよ……あの子は一体なんでこんなことをしたんだろうね」
おかみさんは遠くを見つめている。
おかみさんとしては、信じていた娘に裏切られたという気持ちなのだろう。少し同情の気持ちもわかなくはない。
「おかみさんがその『毒』を持ってきてくれたのは……」
「自分の子供がやらかしたのなら、親が責任をとるものさ、あんたも似たようなことやってるだろ?」
確かに似たようなことはやっている。ペンテの親になった覚えはないが。
「ちなみに聞きたいんだけど、エリスはなんであなたに『毒』を渡したのかしら、オークのことを殺したいほど憎んでいたのに」
「私が『よこしな』っていったら素直に渡してくれたよ」
「意味が分からないわね、そんなにあっさり毒を渡すなんて、エリスは一体何をしたかったのかしら?」
「いや、なんとなくだが意味は分かるだろ」
「あら、そうなの?」
「おかみさんのことを親だと思ってたからじゃないか」
少なくとも、おかみさんはエリスの事を愛していただろうし、娘として扱っていたはずだ。エリスだって、その事を全く理解できないほど若くはないだろう。
そんな親から「よこせ」と言われたのだ。言葉自体はぶっきら棒だが、おかみさんの娘ならば、その意味は理解できるだろう。
おかみさんの方を見た。
おかみさんは俺の言葉に否定も肯定もしないが、その雰囲気はより悲しみの色を濃くしたような気がする。
「親……? 親と娘ってそういうものなの? やっぱりよくわからないわ」
ジャハーヌは首をかしげた。
そういえば、ジャハーヌは「母親の形見」と表現を使っていた気がする。もしかしたら早いうちに親を亡くしているのかもしれない。
「着いたぞ」
街の中心地から外れた寂れた洋館、ペンテが寝込んでいる俺たちの傭兵団のホームに。
ここで待ってなさい、とジャハーヌに言われ、おかみさんと俺はペンテの部屋の前で待つ。
俺は壁にもたれかかって床のシミを見つめ、おかみさんはドアの前で仁王立ちになり、ただドアを見つめている。
手術室の前でひたすら待つ家族、というのはドラマとかで見たことがあるが、実際俺とおかみさんはそんな感じだ。お互いに喋らないし、空気も重い。
ジャハーヌがペンテの部屋に入ってから十分ほど経ち、ドアが開いた。
「……ジャハーヌ、どうだ?」
「『毒』は投与したわ、禁忌の生物たちはこれで死滅するでしょうね」
俺とおかみさんが同時にホッと息を吐く。
「あの子は助かるんだね?」
「多分ね」
「多分……なのか?」
「体力はかなり消耗しているし、普通ならそのまま死ぬ可能性もあるわ……ただオークだからあんまり心配しなくても大丈夫よ」
確かにオークは熊と殴り合いをして勝ってしまうレベルの、生命力の塊のような生物だ。そのまま逝ってしまうことはあるまい。
「部屋に入っても大丈夫かい?」
「どうぞ」
おかみさんは急いで部屋に入ると、ベッドで寝ているペンテの枕元に座り込んだ。
「……穏やかな寝顔をしてるね」
「おかみさん、ペンテはもう大丈夫です、もうかなり夜も遅い、『ドラゴンの前足亭』まで送っていきますよ」
「……ここに居させておくれ」
「え?」
「この子が目を覚ますまでは……ここに居させてほしいのさ、頼むよ」
おかみさんがすがるような目をしながら懇願してきた。
そんな風に頼まれて断れるわけがない。
「好きにしてください、ただ、目を覚ますまでなら俺もこの部屋にいます」
俺は椅子に座った。ペンテが起きたら色々と説明してやらなければいけない事もある。
「そう、じゃあ私は行ってくるわね」
「うん? どこにだ?」
「最後の仕事をしにね」
最後の仕事? まだ何かやることがあるのか。
ジャハーヌが部屋を出て行くその時、おかみさんが声をかけた。
「……事を終えたら場所だけ教えてくれ」
ジャハーヌが立ち止って振り返る。
「悪いけど、無理な相談ね、死体は回収されるだろうし」
「……そうかい」
おかみさんは目を強くつぶった。その目尻が光った気がした。
「……死体? まさか、エリスを……」
「何驚いているの? 始めからそのつもりで協力してたんだけど」
ジャハーヌはさらりと言うと、今度こそ部屋を出る。
静寂に包まれた。おかみさんを見るともう目尻に涙はない。拭ったのだろう。
「……娘がいなくなるのは慣れないものだね」
「……」
「全てのエリスの自業自得なのはわかっているさ、それでも、ね……」
おかみさんの声がかすれ、拭ったはずの目尻から、また雫が垂れそうになっている。
「……おかみさん、俺は少し仮眠をとるよ、自分の部屋に行ってるから」
おかみさんには一人になる時間が必要だと思う。俺は部屋から出た。




