ジャハーヌとの出会い その11
「で、あいつは暗殺者ですらなかったわけだけど……」
「……かなり強引な方法で聞きだしたが、嘘を言われた可能性は?」
「ないわね、本物の暗殺者なら、安易に共同体を紹介しようとはしないわ……仮に本物の暗殺者だとしても、簡単に首元に刃を押し付けられてる時点で新人以下だし、『禁忌の業』を取り扱えるような実力はないわね」
とても説得力のある返答だ。
しかし参ったな。これで振り出しに戻った。
「で、他に心当たりは?」
ジャハーヌに促され、俺はまた記憶を呼び戻す作業に戻った。
あいつ以外で、俺が出会った後にペンテと接触して、ペンテに恨みを持っているエルフ種……ダメだ、思い浮かばない。
やっぱりビルギッドの関係者か? ギルドは天涯孤独の身だと言っていたが、もしかしたらその情報自体が間違いだった可能性もなくはないし……いや、そこら辺を疑いだすときりがないだろう。
「本当に手がかりみたいなのはないわけ?」
「手がかり……手がかり……か」
ビルギッド以外では……ジェーンも一度疑ったが、あいつは完璧にシロだしな……いや、待てよ、そもそも俺はなぜ一度ジェーンを疑ったんだっけか?
「……腕の傷」
「え?」
「ビルギッドを殺したあの日、俺たちはこの街に戻ってきたんだ、それでこの店によって……そこからホームに帰る途中で、暗殺者に襲われた」
「それで?」
「その時に、ペンテが投げた剣が、その暗殺者の腕を傷つけた、一昨日の事だ」
「ふーん」
「多分傷はまだ癒えていないと思うが……」
「……」
「……聞いているか?」
ジャハーヌの方を見ると、顔こそこちらに向けているが、目だけは左を向けていた。
「ジャハーヌ?」
「その腕の傷って右腕?」
「そうだが……」
「ここの店、あんた行きつけって言ってたわよね? あのオークもこの一週間以内に来た?」
「一週間も何も、昨日来たばかりだが……」
ジャハーヌは一体何を見ているんだ、と思いながら彼女の視線の先を見る。
そこには、この店の看板娘の一人……エルフのウエイトレスがいた。
「……まさか、あの子か?」
この世界にきて一週間、この店には毎日通っているし、あの子とも毎日顔を合わせている。向こうもこちらも顔を憶える程度の仲にはなった。この前はサービスでリンゴを貰ったし、良好な関係ではあったはずだ。
確かにペンテが失礼な言動を取ることはあったが、それでも生物兵器を使われるレベルで憎まれているとは思えない。
それに彼女が暗殺者ならば毎日暗殺対象と顔を合わせているようなもので、とても平静ではいられないと思うのだが。
「……ちょっと、考えにくいんだが」
「でも、さっきからあの子、右腕を使ってないわよ」
「え?」
「あんた、露骨に見すぎ、目だけ向けなさない、私みたいに」
俺は言われた通り、目でエルフの看板娘を追う。
彼女の格好は黒を基調とした長袖の給仕服で、怪我をしているかどうかは外目からでは判断できない。
しかし、トレイを持つ腕は左腕だし、テーブルに皿を置く時はわざわざトレイをそのテーブルに置いてから左手で皿を置いている。
「……」
「どうする? 確かめようと思えば確かめられるけど?」
「暗殺者かどうかをか?」
「というか、腕に怪我をしているかどうかをね」
「……そうだな、そこを確かめるくらいなら……」
ここのお店には世話になっている。とくにこのお店を切り盛りしているおかみさんはペンテの数少ない理解者だ。そこの従業員を疑うことはなるべくなら避けたい。とにかくまずは証拠固めからだろう。
「ねえそこの店員さん、ちょっといい?」
「はい、なんですか?」
ジャハーヌがエルフの看板娘に直接声をかけた。
看板娘は笑顔を向けてこちらに来る。
やはり、この子が暗殺者だとは思えない。『禁忌の業』によって俺も暗殺対象になっているはずだし、そんな暗殺対象相手に笑顔で対応するなんてありえないだろう。
「そっちの彼があなたに言いたいことがあるみたいよ」
「え?」
「え?」
俺と看板娘の目が合う。
お互いに驚いた顔をしたまま。
問い詰める気なんてまだない。ジャハーヌは一体どういうつもりだ。
「ジャハーヌ、俺は別に……何やってるんだ、お前?」
ジャハーヌはいつの間にか、右手で看板娘の右腕を握っていた。
しかもかなり強く握っているようで、ジャハーヌの指は給仕服を食いこんでいる。
「あの、お客さん、困るんですけど……」
看板娘は困り顔でやんわりと注意するが、ジャハーヌはニコリと笑うばかりだ。
「……」
「……」
困り顔の看板娘と笑顔のジャハーヌ。対照的なエルフ種とダークエルフ種の無言の睨みあい。
「……」
「……」
「……ジャハーヌ、もういいんじゃないか?」
三十秒ほどそうしていただろうか。
おそらくは腕を握ることで、看板娘のリアクションを見ようとしたのだろうが、看板娘の表情に変化はない。
いつまでもこうしているわけにはいかないし、ここら辺が止め時だ。
ジャハーヌが手を放す。
「それで……話ってなんですか?」
「ああ……話っていうか、注文だ、酒のお代わりを頼む」
「わかりました」
笑顔を浮かべて看板娘が引っ込む。
「……ジャハーヌ、やっぱりあの子は違うんじゃないか?」
腕を怪我した状態で、あそこまで強く腕を握られれば表情の一つを変えるものだが、そんなことは全くなかった。
「バカね、あの子で決まりよ」
「なんでだ? お前に腕を握られても無反応だったんだぞ?」
「無反応だからよ、普通、あそこまで腕を握られたら怪我しなくても反応するでしょ?」
「……あ」
確かにそうだ。彼女は腕を握られっぱなしだった。いきなり初対面のダークエルフ種に腕を握られれば、ふり払うなりなんなりしてもおかしくないのに。というか、そもそも怪我をしていなくても強く握られれば痛がるだろう。
だが、彼女はまったく動じている様子がなかった。
「痛みに耐える訓練は詰んだみたいだけど、それが逆効果になったわね、自然な反応をしようとして不自然な反応をしてしまう……未熟な暗殺者が良くやる失敗ね」
「……」
「まあ、自分が殺そうとしている相手を目の前にして自然な反応をするっていうのも相当難易度高いんだけど」
「俺に話を振ったのは、そのためか」
「ええ、あとはあの子の腕を掴むための一瞬の隙を作るためね」
ジャハーヌは自分の右の手の平を嗅いだ。
そして、こちらにその手を向けてくる。
「嗅いでみなさい」
「……」
俺は鼻を近づけた。
ジャハーヌの手の平からは、ほのかに血の匂いが漂っている。
恐らくは強く握ったことで、傷口が開いて血がにじんだのだろう。給仕服は黒色の服なので血がにじんでも目立たないが、血液特有の強い匂いまでは誤魔化せなかったようだ。
これは……信じたくないが、ほぼクロだ。
「……あの子が暗殺者……たしかにこの店のウエイトレスならペンテに『禁忌の業』を仕掛けるのも簡単だが……食べ物に仕込めばいいわけだし……あ」
そこで思い至った。
確か、彼女の持ってきたサービスのリンゴを食べた次の日からペンテが調子を崩した、という事実を。
あの日だけあったサービス。そしてあの日、あのリンゴだけは俺は食わなかった。もしあのリンゴに『禁忌の業』が使われていたとしたら……ペンテだけが『禁忌』に侵されているこの状況に説明がつく。
「そういうことね、動機に関してはわからないけど、状況的には彼女が限りなくクロよ」
そう、確かに状況証拠は揃っている。
「で、どうするの? 向こうもこっちに正体がばれたことを察してるわよ」
「……」
ここまでくれば、もはや躊躇する余地はない。俺は立ち上がった。
おかみさんは顔をしかめながらこちらを見ている。
「おかみさん、本当なんです」
「……」
「あのエルフは、うちのペンテを殺そうとしている、証拠もあるんですよ」
「……」
いきなりあの看板娘に迫るようなことはしない。
まずはおかみさんに事情を説明してからだ。この店とは今後とも円満な関係を続けたいと思っているし、まずは筋を通さなくてはならない。
「……エリスがそんなことをするような子には思えないけどね」
おかみさんは首を横に振った。
あの看板娘はエリスというらしい。
ここの看板娘たちは全員名前が似通っていて覚えにくい。確か他にもアリスとアリッサとかいたはずだ。
「実際、暗殺者なのは間違いなくて……だろう、ジャハーヌ?」
俺の後ろで腕を組んでいるダークエルフが無言でコクリと頷いた。
おかみさんは目をつぶる。
「……その証拠ってのはなんなんだい?」
「エリスの右腕ですよ、怪我してるでしょ?」
「そうだね、本人は隠しているみたいだけど」
「あの傷は一昨日の夜に負ったもの、違いますか?」
「……」
「一昨日の夜、この店から出た時に暗殺者に襲われました、その時ペンテがブン投げた大剣が暗殺者の右手に当たったんです」
「それがその時の物だって言いたいのかい?」
「ええ」
おかみさんが目を開けた。
「それは証拠にならないね、全く関係なく怪我をしただけかもしれない」
「でも血が出るほどの怪我をそんな都合よくしますかね? エリスは傭兵でもないし……しかもおかみさんにも怪我したことを隠さなきゃいけない理由は?」
「……」
俺の反論におかみさんは再び目をつむる。
「おかみさん、自分のところの従業員を疑いたくない気持ちはわかりますが、でも疑うには十分な状況なんです」
「……」
「エリスがペンテを襲撃した犯人かどうかを確かめる方法があります、エリスが住んでいる部屋に案内してくれませんか? そこに証拠となるものがあるはずなんです」
「……」
探すのは当然『禁忌の業』の特効薬、『毒』だ。
ジャハーヌ曰く、『毒』は常に肌身離さず持ち運べるような代物ではないらしい。
詳しくは教えてくれなかったが、恐らく『禁忌の業』と同じくらい管理が難しいものなのだろう。
それならば下宿している部屋に置いてあるはずだ。それを見つけ出せればペンテを治すことができる。
「……案内はできないよ」
おかみさんが再び目を開けて、俺の眼を見ながらはっきりと言った。
「いや、おかみさん、本当に限りなくエリスは怪しいんですよ、それにもし何もでなかったらその時は俺を出禁にでも何でもしてくれても構いません」
この店における最大の『罰』それは『出禁』だ。ペンテほどの狼藉者ですら受け入れるこの店から出禁にされることは、ある意味都市法の厳罰を超える罪だといえる。
「……ダメだね、あんたの話は分かったけど、あの子はそんなことをする子じゃない」
ここまで説得しても、おかみさんは首を縦に振る気配すらない。どうしてもエリスを疑いたくないようだ。
しかし、おかみさんの断り文句は完全に情によるものだ。理屈とか理論じゃない。
それならば、こちらも情に訴えるまでだ。
「おかみさん、このままだとペンテシレイアが死ぬ」
おかみさんの眉がピクリと動いた。
「ペンテはいまホームのベッドで苦しんでます、気が付いていたかは知らないけど、ペンテは全然飯を食えなくなってるんです」
「……」
「原因は暗殺者に毒を盛られたせいです、『暁の獅子』のジェーンに診てもらって、そこははっきりしてます……この毒は解毒薬がない限り確実に死んでしまうような強力なもので……ジャハーヌ、あとだいたいどれくらいまでペンテは保つと思う?」
「あんたの話を聞く限りだと明日までは持つかもね、それ以降は保証しないわ」
聞こえたような、おかみさんに目を向ける。
ぶっちゃけ俺も初めて具体的なタイムリミットを聞いて、内心その短さにかなり動揺しているが、その感情は心の奥底に押し込めた。
「……」
「エリスがペンテを襲撃した暗殺者であるならば、当然ペンテに毒を盛った暗殺者もエリスなんです、おかみさん、ペンテを見殺しにしないでくれ、頼む……」
「……」
おかみさんはこの街で数少ない『ペンテシレイアのこと気にかけている人物』だ。ペンテの命の危機を引き合いに出せば、きっと心が動くはず……
「……」
しかし、おかみさんは首を横に振る。
「おかみさん……! なんでだ!?」
「……」
その表情こそ苦悩に満ちて苦しそうだが、それでもおかみさんは答えない。
ここまで言ってもまだ納得してもらえないとなると、もはや何を言っても無駄だろう。
……これは方針を変更する必要がありそうだ。
「……ジャハーヌ、来てくれ」
「どこ行くの?」
「俺のホームに案内する」
ここは一旦引く。
俺とジャハーヌは『ドラゴンの前足亭』を出た。




