ジャハーヌとの出会い その8
「ペンテ、医者を連れてきたぞ」
「……あん?」
ベッドで寝ていたペンテは上半身だけおこし、しかめっ面でこちらを睨む。
その顔色はかなり悪い。
「医者?」
「ああ、お前の調子が悪い原因を突き止めてやる」
「……言っとくけど、必ずしもわかるわけじゃないからね、私、専門は外傷だから」
「分かってる」
俺の横からジェーンが付け加えた。
「あと、薬とかも処方しないから」
「それも分かってる」
改めて確認しなくても、その辺りはここに来るまでの道中に再三念を押されたことだ。
薬はなんとかこちらの方で手に入れてみせる。
「じゃあ頼むぞ、ジェーン」
ジェーンがペンテのベッドの前に立った。
「……なんだ、お前」
「……あなたの診察するだけよ、腕を出しなさい」
「ふざけんな、触んな」
ジェーンがペンテの手を取ろうとしたが、ペンテはその手を払う。
ジェーンは顔をしかめて、俺に向き直った。
「帰るわ」
「……待て、待ってくれ」
「いったわよね、不愉快になったら帰るって」
「確かに言った、だがちょっと待ってくれ」
土下座して、足にまですがりついてやっと来てもらったんだ。ここで何もせずに返せるわけがない。俺の尊厳は安いものだが、決してタダではないのだ。
「ペンテ……お前、自分が調子が悪い事は自覚してるな?」
「……ああ」
「だったら治さなきゃダメだろう? ジェーンは医者の心得がある、診てもらって、それで……」
「なんで俺がエルフみたいな雑魚に助けられなきゃいけないんだよ」
「……! あなたねえ……」
ジェーンが剣呑な声を出すが、それを手で制して、俺はペンテのベッドに上がり込んだ。
罵倒されたのはジェーンだが、ペンテの言葉に頭にきたのは俺も同じだった。
「おい、ペンテ……」
「……なんだ?」
「お前な、いい加減にしろよ」
「あん?」
俺はペンテの胸ぐらを掴み、そのまま引きよせた。
「な、何だよ……」
「……好き勝手なことばっかり言いやがって」
「え? あ? え?」
ジェーンがここに来たのは、俺が土下座までして、さらにはリチャードたちの説得してくれたおかげだ。その辺りの事情を知らないとはいえ、さすがにペンテの言葉は我がままが過ぎる。
ペンテシレイアという少女は、自分がどれだけ他人に迷惑をかけ、そして他人に心配されているかを理解していない。
そのことが、とにかく腹が立ったのだ。
「いいか、お前は……」
「は、放せよ……」
ゴツン!
ペンテのでこに向かって思い切り頭突きをした。
「痛ってえな! この野郎!」
痛いのは俺も同じだ。なんだったらさっきまでジェーンに頭を踏みつけられた分、前頭部と後頭部の両方が痛い。
「少しはな!」
「ぐがっ!?」
二回目の頭突き。
「他人の気持ちを!」
「い、痛って……」
三回目の頭突き。
「考えろ!」
「……うぐぅ」
四回目の頭突き。
「こっちがどんだけ心配してやったと思ってるんだよ!」
五回目の頭突き。
五回目の頭突きは思い切り、ペンテの頭蓋骨を折るつもりでかましてやった。
ペンテの頑丈さは俺がよくわかっている。俺が思い切り頭突きしたくらいじゃ怪我なんかしない。
「……うぅ……」
ペンテはうめき声を上げた。
本調子のペンテが相手なら、こんな頭突きなんて出来ないだろう。多分一回目の頭突きで頭突きをされ返して俺がノックアウトされる。今、弱っているからこそできる無茶だ。
「わかったか? わかったのなら大人しく診察されろ」
「……」
「わかったな!?」
俺は六回目の頭突きをかました。
超至近距離にあるペンテの顔。ペンテはこちらを睨むが、その眼はいつもよりも弱弱しい。
「……」
「……」
「……わかったよ」
ペンテが白旗を上げた。
勝った。初めてこいつに力技で勝てた気がする。
俺はペンテの胸ぐらを放して、ジェーンの方を見た。
「待たせて悪かったな、それじゃあ頼む」
「……診察の前に、まずは怪我を治すわよ」
「え?」
俺がペンテの方を見ると、その額に真っ赤な血の跡があった。
なんと、俺の頭突きで怪我をしてしまったらしい。
「そうだな、頼む」
「……じゃなくて、あなたの」
「え? 俺の?」
ジェーンが自分の額に手を当てた。
俺も自分の額に手を当てる。
真っ赤な血が自分の指についてた。どうやら、先ほどの頭突きで俺の方が怪我をしてしまったらしい。どうりで痛かったわけだ。
「この子は無傷よ、多分ね」
「……すまん、まず俺の治療を頼む」
「まったく……それが終わったら、この子を診てすぐ帰るからね」
ジェーンはため息をつくと、肩掛けのカバンから包帯を取り出した。
俺の額に包帯を巻き終えると、ジェーンはベッドの上に乗り、ペンテの腕をとった。
脈を計り、腕を擦るようにして触診をしている。
「口を開けて」
ペンテが言われた通り、口を開けた。
「もっと大きく」
ペンテは少しムッとした顔をしながらも、言うことを聞いてさらに大きく口を開く。
ジェーンはその口の中を覗き込む。
こうしてみると、完全に俺の時代にいた医者のような医療行為だ。内科は専門外とは言っていたが、その動きはよどみないし様になっている。
「服を脱いで」
ペンテが服の裾に手をかけた。
……おっと、これはいけない。
俺はペンテに背を向けた。
布のこすれる音が止み、しばらくして、
「……なるほどね」
ジェーンの得心したようなつぶやきが聞こえた。
どうやら、ペンテの調子を崩した原因を突き止めらしい。
「ちょっと、これ見て……え、なんであなた後ろ向いてるの?」
「ペンテが裸だからな」
「え? ……あなたまさか、こんなのを女だと思ってるの?」
「ペンテは女だぞ」
これが赤ん坊とか、年端もいかない女の子とかだったら、俺も気にせずに裸を見ているだろう。しかし、少なくともペンテは思春期の女子の体つきをしている。男の俺は見ない方が良い。
「……とりあえず見なさい、今は背中向いてるから」
振り返ると、確かにペンテは背中を向けていた。
「で、どこを見るんだ?」
「ここよ」
ジェーンが指差す先、ペンテの背中の肩甲骨の間の辺りに、黒い斑点のようなシミがあった。
「……ほくろ?」
「じゃないわよ」
「……何なんだ? これが何か……」
「まず一つ質問ね、この子の事を深く恨んでいるエルフ種に心当たりは?」
なんだその愚問は。
俺はジェーンをじっと見つめた。
「……私以外でよ」
ペンテに復讐すると公言していたジェーン以外で、ペンテに深い恨みを持っているエルフ種か……ちょうど最近、エルフの暗殺者に襲撃されたばかりだ。
名もしらないそいつはペンテに恨みを持っているかもしれない。
「ただの恨みじゃないわ、かなり深い恨みよ、それこそ目の前で親、兄弟、子供、親友を殺されたとかそんなレベルの」
「……ペンテ、今までエルフ種を殺したことはあるか?」
「この前も一匹殺しただろうが、雑魚の魔法使いの」
狂霊付きの魔法使い、ビルギッドか。確かにアイツはエルフ種の男だった。
しかし、あいつは天涯孤独の身。ジェーンの言うような人物がいるとは思えない。そういえば、ビルギッドを殺した時に別のダークエルフ種に襲われたが……いや、アイツは関係ないな。その口ぶりからビルギッドとは無関係であったようだし。まあ、いきなりペンテに襲われて驚いていた様子はあったが。
「ビルギッド以外で心当たりはあるか?」
「殺したことのやつなんかいちいち覚えてねえよ、エルフ種なんざ枯れ木を折るよりも簡単に殺せる」
「……ちっ」
ペンテの言い草にジェーンが舌打ちをした。
なぜペンテはいちいちジェーンの神経を逆なでるようなことを言うのか。根本的に他種を見下しているこいつの価値観をどうにかしないと、この社会に馴染むのは難しいかもしれない。
「……それでジェーン、そのエルフ種の恨みがどうかしたのか?」
「……この子が体調を崩した原因はそれだからよ」
「エルフ種の恨み……? エルフ種の呪いによってペンテが体調を崩したのか? それとも魔法か何かか?」
「違うわよ、エルフ種っていっても全員が全員魔法をつかえるわけじゃないし、そんなに便利なものはないわ」
「魔法じゃないってないってなると何なんだ?」
「あなたには想像しにくいことかもしれないけど、今この子の身体の中には私たちの目では見えないような小さな生き物がいるのよ、それがこの子の体をむしばんでいるの」
身体をむしばむ目に見えないような小さな生き物……つまりは細菌やウィルスのことだろうか。
「そして、この小さな生き物をエルフ種の暗殺者たちは飼っているの、暗殺対象の体内に入れて暗殺するために」
「……え? ちょっと待て、それって……」
「あら、あなたも知ってるの? まあ噂くらいには聞いたことあるかもだけど」
細菌やウィルスを培養して対象の人物に罹患させる、つまりは……
「生物兵器か……!?」
「セイブツヘイキ? なにそれ? これは『禁忌の業』って呼ばれているのよ」
「……俺の故郷では生物兵器って呼ばれてるんだよ」
「そうなの? まあいいわ、とにかく、この子の背中に浮かんだ黒い斑点がその『禁忌の業』を使った証しね」
「……その斑点が」
「ええ、『禁忌の業』特有のものよ、普通の病気じゃまずでない症状だもの」
「……」
なんてこった、かなりペンテはかなりえげつない事をされていたらしい。まさか生物兵器まで使われるとは。
しかも待て、生物兵器ということはつまり、暗殺の対象はペンテだけじゃない。
「……これ、つまり俺も狙われてるってことか?」
「あら、『禁忌の業』の特徴をよく知っているじゃない、これは対象者とその親しい人物をまとめて殺すものよ、例えばこの子とあなたがキスでもしたのなら、あなたにも斑点が浮かび上がっているはずだわ」
「いや、粘膜接触はしていない」
「……ネンマクセッショク?」
「ああ、つまりキスはしていないし当然セックスとかもしてない」
「……そう、なら平気かもね、小さな生き物は直接体の中に入らないと暴れることができないの、この子の体液があなたの身体の中に入っていないのなら、あなたは感染してないわ」
なるほど、空気感染してしまうようなとんでもなく感染力が高いものじゃないってことか。
まあ、あまり感染力が高すぎても、この世界の技術では管理しきれないだろう。
「……しかし、生物兵器……いや禁忌の業か、そんなヤバいものがあるなんてな……」
「そうよ、だから聞いたの、エルフ種に恨みを買ってないかって……エルフ種の暗殺者の間でもこれは『まず使わないもの』もしくは『使ってはいけないもの』だから」
「……まあ、禁忌、何て名前がついてるくらいだし」
「ええ、暗殺対象を確実に殺せるし、その仲間たちも道連れで殺せる、でも下手をすると関係ない他人まで巻きこんで殺しかねない……だから『禁忌』よ、ターゲット以外を殺すなんて暗殺者にとってはご法度だもの」
「普通の毒と違って、一度ばらまいたら容易に回収も出来ないしな」
「そうね……というか、あなたずいぶん理解が早いのね、禁忌の業はエルフ種の間でも暗殺者以外にはあまり知られてないんだけど……もしかしてあなた、エルフの暗殺者の関係者?」
「いや……この程度俺の故郷なら一般的な知識のうちの一つだ」
「あなたどんな街で生まれ育ったわけ?」
「俺の話はいいだろ、それよりも問題はどうやってペンテを治すかだ、これは風邪と違って自然に治るものじゃないんだろ?」
「自然治癒じゃ治らないわ、治癒魔法を使えば延命くらいはできるかもだけと、根本的な解決にはならないわね」
「だよな……それで、その『禁忌の業』ってのは、罹ったらどれくらいで死んでしまうものなんだ?」
「私も詳しくは知らないわ、ただ、黒い斑点が出たら長くないって噂よ、そこから様態が急変するって」
まずいぞ、だとすれば全然時間がない。
ただの体調不良から一気にペンテの死が差し迫る重大な病となってしまった。
「……どうしてやればいいんだ? このままペンテを殺されるわけにはいかない」
「治すのなら、専用の毒が必要ね」
「毒……?」
治すのにさらに毒が必要……? この世界に薬はないのか?
「ええ、身体に入ってきた小さな生き物だけを殺す毒よ」
なるほど、ウィルス専用の毒、つまりはワクチン、特効薬のことだ。
「その毒はどうやれば手に入る?」
「禁忌の業を使った張本人が持ってるわ、扱いを間違えれば自分が業に犯されるかもしれないし、常に毒は常備しているものよ」
「……一応聞くんだが、ジェーンのエルフ種だよな? ということは……」
「持ってるわけないじゃない」
俺の言わんとすることを察してジェーンが先んじて答えた。
「……知り合いの暗殺者に頼んで、その毒を貰うってわけには……」
「無駄よ、存在自体が『禁忌』なんだもの、毒だって誰でも持ってるわけじゃないだろうし、それに持っていたとしても、あげられるようなものじゃないわ」
「そうだよな、すまん、聞いただけだ」
「……で、誰がやったか、心当たりとかあるの?」
心当たり……明確に誰とは言えないが、薄らとした心当たりはある。
すなわち、この前の夜、ペンテを襲撃してきた暗殺者だ。
しかし、あの暗殺者が犯人だとして、一つの疑問も残る。
「……最近、俺たちを闇討ちしてきた暗殺者がいた」
「ならそいつじゃないかしら……言っとくけど、そいつを捕まえるところまでは協力できないわよ、ただでさえ専門外の診察なんてやって、それ以上に専門外のことなんかやるつもりはないわ」
「いや、さすがにそこまでは頼まない、ただ、ちょっと気になることがある」
「なに?」
「『禁忌の業』ってやつをどうやってペンテに仕込んだのかってことだ」
ジェーンが言うには『禁忌の業』は感染力自体そんなに高くないらしい。それならば、何か直接的な投与なり摂取なりがあったはずだが……あの暗殺者からの矢の攻撃は防いだし、他にそれらしいものが思い当たらない。
「その辺りはわからないわね、ただ相手は暗殺者なんだから、逆に『禁忌の業』を仕込んだって気づかれないようにする技術くらいはあるんじゃない?」
確かに、俺たちの気づかない間にやられてしまった可能性はある。ペンテが見せる鋭い勘も発せられるのは戦闘の時のみだしな。
とりあえず、ジェーンのおかげで、俺のとるべき行動がはっきりした。
まだ容疑者である暗殺者が誰なのかまるで分らないが、行動を起こすための指針を明確にしてくれたことには感謝しかない。
「そう、じゃあ私はもう用済みね、それじゃあ……」
「待ってくれ」
帰ろうとするジェーンの手を握って止めた。
「……何よ?」
「ありがとう、ジェーン、ペンテが良くなったら一緒にお礼をしにいく」
「……別にいらないわ、あなたはともかく、あの子に感謝されるなんて鳥肌が立つだけよ」
ジェーンはそう言うと、俺の手を振りほどいて部屋から出て行った。
「……ペンテ、聞いていたな?」
「ああ」
「理解はできたか?」
「まったくわからん」
本当に聞いていただけか。
まあ、こいつが説明を理解できないタイプなのはよくわかっている。
「いいか、ペンテ、お前が調子を崩しているのは、エルフの暗殺者に……毒を盛られたせいだ」
禁忌の業とか、生物兵器とか言ってもこいつには伝わらないだろう。多少言葉が違っても、ニュアンスが伝わればいい。
「雑魚のエルフのせいか、ぶっ殺してやる」
「ただ、どのエルフがお前に毒を盛ったかはわからない」
「関係ねえよ、かたっぱしから殺していけばいいんだ」
「アホかお前は」
殺したら特効薬が手に入らないだろうが。そもそも99%のエルフが無関係だし。
単細胞すぎる発想だが、ここでペンテの顔が真っ赤であることに気が付いた。
体温が上がって、いつも以上にハイ……おそらく戦闘時に近い状態なのだろう。
「とにかく、俺は何とかしてお前を狙うエルフを探し出して、特効薬を手に入れる、それまで大人しく待っていろ」
ただの風邪ではない。自然治癒が出来ない以上、ペンテに待ち受けるのは確実な死だ。なんとしてでも特効薬を手に入れなければならない。
ジェーンからも死期が近い事を宣告されている以上、こちらも急いで動かなければ。
「……お前に何ができるんだよ」
「うん?」
「お前はそのエルフよりも雑魚だ、殺されるだけだろうが」
「……」
それは否定できない。直接戦闘になれば、俺は暗殺者になす術がなく殺されるだろう。
だが、だからといってなにもしないわけにはいかない。
「だから俺が直接ぶっ殺す」
ペンテがベッドから出て、立ち上がった。
しかし、その顔は真っ赤で、すぐにフラッとよろけた。
確かに俺は戦闘要員ではない。だが、まともに立つ事も出来ない今のペンテにとやかく言われる筋合いもないだろう。
「寝てろ、ペンテ」
「うるせえ……お前じゃ殺されるから、俺が行くんだよ」
「……」
……まさか、ペンテのやつ、俺のこと心配しているのか?
人間種を含めてオーク種以外を平等に見下しているあのペンテが?
俺は、自分の胸に何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「ペンテ……寝てるんだ」
「うるせえ……!」
ふらつきながら凄まれても怖くはない。
「……ペンテ、俺を信用しろ」
「……あん?」
「お前を助ける、そして俺も死なない、必ずな」
「……」
ペンテは顔をしかめた。
「だから寝ててくれ」
「……」
「寝ていろ、ペンテシレイア」
「……」
ペンテは不服そうな顔を隠しもしないが、それでものっそりと、ベッドの上に戻って寝転んだ。
納得はしきれていないが、それでも俺のこと信じてくれる気になったらしい。
……待っていろ、ペンテシレイア。俺がお前を救ってやる。
俺は決意を胸に部屋を飛び出した。




