かの日の契りを
清太郎さま、お元気でいらっしゃいますでしょうか?
南方の戦地とは、どのようなところなのでしょう。
清太郎さまが無事で、お元気でいらっしゃるとよいのですが……。
そうして、もうすぐにもこの戦いに日本国が勝ちまして、喜久乃の元へ帰ってきてくださると、よいのに。
喜久乃は今も、待ち続けております。これからも、ずっと待ち続けたい。
でも、清太郎さま。もう喜久乃は、お約束を守れそうもないのです。
この体は、情けないほどに思うようになりません。最近では自分の力で立ち上がることもままならないのです。
一人で立ち上がることが出来なければ、空襲警報が鳴りましても、防空壕まで歩くことも出来ません。そこで、今日から喜久乃は防空壕の中で一人で寝ているのです。
目を開いても暗闇しか見えません。
ときどき、おなかがよじれるほどに咳が出て、骨までばらばらになってしまうのではないかと思うのです。
お医者様に見て頂いても、お薬もなく、もう少しの辛抱だからと言われるのですが、喜久乃はもう少しも生きていくことは出来ないように思います。
清太郎さまとは、ほんの数日の夫婦でございました。
結納を交わした直後に召集令状が来て、慌てて夫婦になりましたね。思い返すと少し笑ってしまいます。家族だけの小さな祝言でございました。伸二郎叔父が「高砂」を謡ってくださったこと、今では懐かしいような気さえします。
生きていたかった。生きてもう一度あなたに触れて頂きたかった……。
「ずっと待っているから……」
かの日、契りおきました約束を果たせないこと、どうか許してくださいね……。
※
すぐ近くで着弾したらしい。
日本とは違う、照りつける太陽が心を蝕む。
もう、心身ともに麻痺しているのだろう、銃声がどこか遠くに感じる。
塹壕の中から銃を構える。
隣の男は、死んだのか?
仰向けに倒れたまま、動かない。
今まで生きていることの方が奇跡なんじゃないか。
直接戦闘で傷ついた者もいる。飢え、痩せ衰えていく者もいる。
マラリア、下痢。傷口から、そして眼球から、体力のないものは蛆に食はれ、まるで朽ちるように死んでいく。小さくしぼんで、死んでいく。
敵兵と戦って、勇敢に死んでいければ幸運だ。
「ちくしょう……」
土壁に背を預けて心の中でつぶやく。
ちくしょう、ちくしょう。そう思っているうちは死なないのではないかと思う。根拠などないのに。
その時だった。
死んでいるのかと思っていた隣の男が、くわっと目を見開いた。
「たい……ちょう!」
空を見つめる男に「なんだ?」と、問うた。
「妻が、迎えに来ているのですが、自分はもう帰ってもよろしいでしょうか!」
隣を見ると、男はものすごい形相で空を睨んでいる。
「許す! 帰れ!」
俺はそう言ってやった。
一瞬、男の口元が笑むように緩み、そして、ぎらぎらと見開かれた瞳から力が消えた。
<了>