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或いはこんなクリスマス

作者: 金釘亮

 ケーキを買ってきた。

 別に、俺としては今日という日付に対する思い入れなど特にはないのだが、世の中が祝い事をやっているのだからそれに便乗して美味いものを食う事にするというのも悪くはないだろうと思う。

 身が震えるような寒さだ。これからもっと気温が下がると考えるとうんざりする。首に巻きつけたマフラーに口をうずめた。

 しかし、中々気分がいい。帰り際に唐突に思い立って買ったケーキだが、こんなものを食べる機会などそうそうないからと奮発したから随分と美味そうだ。いや、美味そうだから奮発したんだが。順序が逆だった。

 足の運びも自然と少し速くなった。

 そういえば今日はこの地域でも雪が降るとか言っていたな、と思い出す。天気のお姉さんが、ホワイトクリスマスがどうとか要らないことを言っていた記憶がある。しかし今なら許せそうだ。

 顔を上げた。首元に入り込む冷気に耐えつつ、空を見上げる。一面雲だが、雨や雪が降るほどの厚い雲には見えない。予報は外れか。

 再び口をマフラーに埋めて、アパートまでの道を急ぐ。そろそろ「着られている」という感覚が抜けてきたスーツと、その上に羽織ったコートの襟元をまとめて握る。顔を上げたことで入り込んだ寒さが、俺の背中を撫でていた。畜生、あんなことするんじゃなかった。


 アパートの前に着くと、俺の部屋の前に人影が見えた。

 嫌な予感がする。こういう時にアポなしで来る阿呆の心当たりは何人かあるが、あれはどう見ても女のシルエットだ。となると、可能性があるのは一人しかいない。

 逃げようか悩んでいるうちに、あちらに見つかってしまった。軽く手を振っている。

 白い溜め息を吐き出して、諦めて階段を登った。顔を見て、再び嘆息する。予想通りだ。

「遅いよ、凍え死んじゃうかと思った」

 うるさい何で居るんだとか、うるさい人間はそう簡単には死なんとか、うるさいそんなに寒かったなら早々に帰っておけとか、言いたい事は色々と思い付いたが呑み込んだ。取り敢えずは黙って家の鍵を開ける。そいつの鼻の頭が赤くなっていた。余程長い間待っていたらしい。

 この女、恋人が居ないのはいいが、こんな日にわざわざ来なくてもいいだろうと思う。

 ストーブを点けると、そいつはすぐ近くに張り付いて身体を暖め始めた。

 それから、俺が冷蔵庫にケーキを仕舞うのを目敏く見つけてストーブの前で騒ぎ出す。

「あっ、今の箱、高い奴だよね、デパ地下の」

「……やらんぞ」

「えー、なんでよ。一口だけ」

「……コーヒーを淹れるまで待ってろ」

「やたっ」

 ダメだ、どうにもこいつには弱い。やかんに火をかけた。

「何しに来たんだ」

「んー? 暇だったから」

 少し目を離した隙に床に座り込んでいる。コートはいつ脱いだんだ。全く油断も隙もない。

「……あったかー」

「ストーブにそれだけ近けりゃ暖かいだろう」

 こちとらコンロの火で我慢しているというのに。

 当然嫌味は流される。意味が解った上で無視しているのか、それともただの天然か。

 まあ、どっちでもいいか。

 かたかたと震えだしたやかんを火から上げて、挽いた状態で保存されている豆をフィルタに入れてポットにはめる。インスタントは許容できないがわざわざ挽くほど余裕がないが故の折衷案である。

 湯を注ぐと、コーヒーに独特の苦み走ったいい匂いが漂い始めた。

「牛乳はいつも通りでいいか」

「うん」

 俺が冷蔵庫から牛乳とケーキを取り出すと、そいつはのそのそと立ち上がって食器棚からフォークと小皿を取り、ケーキと一緒に持っていった。後を追って俺もコーヒーを運ぶ。

 小さい卓袱台を二人で挟む。

 俺が一人で食べようと買ってきた小さいケーキを半分に切り分けた。もともと小さかったから、味見程度の量になってしまった。

「メリークリスマス、だね」

「そうだな」

 日本人らしく、イベントとしてこの日を祝う。コーヒーを一口飲んで、俺は少し顔をしかめた。

「苦いな」


「それじゃ」

 とそいつは言い出した。ケーキを平らげ、カップの中のコーヒーも温くなって来てからの話だ。

「ケーキも頂いたし、帰ろうかな」

「結局、何しに来たんだよ」

「ん? いつも通りだよ」

「だろうな。――振った男の家に定期的に遊びに来るなんて、厭な女だ」

 そいつは振り返って、満面の笑みを浮かべる。ああ畜生、やっぱり可愛いなあ。

「その厭な女を諦めきれずに家にあげちゃうのは君だよ。――楽しかったから、また来るね」

「ちっ、いつでも来やがれ」

 悪態を吐き、見送ろうと立ち上がって――不意に頬に柔らかい感触。

「はい、クリスマスプレゼント。じゃあねっ」

 そいつは帰っていった。


 ――硬直から立ち直って、食器を片付けてから家の外にでると、先程よりも更に寒くなっていた。

 手を目の前に掲げる。


 ふわりと手のひらに雪が乗って、来年からは天気予報をもう少し信じてみようと思った。

 

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