戦争
何秒、何分経ったのか。
瞼に感じる光が消えたのを感じた俺は目を開いた。
目を開けた瞬間、飛び込んできた景色は予想もしていなかったものだった。
人が人を銃で撃ち殺している姿が目に入った。火の手が上がっている民家から火傷だらけの子どもが出てきたのが目に入った。
耳を澄ますと聞こえてくるのは銃声と爆発音。悲鳴、そしてうめき声。
充満する煙でむせ返りそうになるのを懸命に堪えた。
「何が起こってるんだ・・・?」
目の前の光景は彼の中では明らかに普通ではなかった。
俺が無意識に発声した声も、銃声によってまたかき消される。
数秒間、呆然とその場に立ち尽くしていた。
その間にも事態は時間に逆らわずに進んでいく。
「?!」
すぐ横で焼けた家屋が崩れ、火の粉が頬をかすめた。
崩れ落ちた家屋からは火が燃え盛っている。
「あ、あぶねぇ・・・・」
倒壊した家屋は目の前の出来事に意識を呼び戻すためには充分だった。
冷静になった頭で、ふたたび辺りを見回す。
周囲で建物が今にも燃え尽きようとしていた。遠くからは途切れ途切れに銃声も聞こえ、しばらくすると「索敵!」という掛け声が聞こえてきた。
・・・第一にやるべきことは、この危険な状況からまずは逃げ出すこと。黙っていればここにも武装した人間が来るのは明らかだし、何が起きているかは、それから考えればいい。
そう考えた所で、俺はすぐに走り出していた。
* * *
転がっている死体を避け、倒壊した家屋を避け、必死に走る。
火の粉が身体に当たろうがどこかで銃声が鳴ろうが気にしている場合ではない。
早くこの状況から抜け出さないと危険なことはわかっていた。
路地を走り、ひたすら逃げ続ける。
敵・・というより、武装した人間と出会うことだけは避けたかったため、できるだけ狭い道を進んだ。
10分くらい走り続けた気がするが、たぶんそこまでは走っていないだろう。
何度目か分からない曲がり角を曲がると、大きな広場に出た。
(うっ・・・なんだ・・・ここ・・・?)
ぼさぼさの髪の男が地べたにうずくまっている。子どもを抱いた女が地べたで下を向いて座っている。
広場の中にはそんな人間ばかりで、皆寄り添うようにして中央に集まっている。
明らかに異常な雰囲気を感じた。広場の中を覗いていると、突然広場の周辺を歩き回っていた男が突然大声を発した。
「お前ら妙な真似はするなよ。怪しい行動を取ったやつは問答無用に撃ち殺すからな!」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「ひっく・・・ぐすっ・・・」
男は銃を掲げると、満足したように広場の隅のほうで酒を飲みにいった。
俺はしゃがみ歩きで広場の中央へと行った。
彼らから話を聞ければ今の状況がどういったものかがわかるし、それに今はあの男も酒を飲んでいるから簡単にはバレない。
何より武装していない人間に出会えるのはこれを逃せばいつになるか分からないことから、聞いておくには今しかなかった。
「すいません、ちょっといいですか?」
「・・・・・なんだ?」
中央から少し外れた場所で座っている男に話しかけた。
声もかすれているし、あまり生気は感じられない。
「今って戦争か何かでも起きているんですか?」
「見れば分かるだろ。何を今更そんなことを・・・」
「いやぁすいません。僕、今までずっと旅を続けていて、ようやく戻ってきたらこんな有様だったんで驚いてしまって・・・」
辻褄をあわせようとして、とっさに思いついたのが旅人だったが、正直これで通じるかはわからない。
しかし男は特に驚いた様子もなく、返答をしてきた。
「あんた、旅人だったのか。でもその割には随分と荷物が少ないんだな」
「途中で兵士が追いかけてきて、逃げるために荷物を置いてきたんです」
「なるほどな。だがあんた、さっさとここからは逃げたほうがいい。見つかればあんたも俺たちみたいに捕虜にされるぞ。」
言われて人溜まりを見ると、皆虚ろ気に下を向いている。
確かに捕虜といわれても違和感は感じない。戦争中なんだから、捕虜も確かに出る。
視線を戻して話を続ける。
「今はまだ大丈夫だと思います。僕もここの出身ですから故郷がこんなことになっていれば、市民を置いて逃げることなんて出来ません」
「そうか。あんたパラミド出身か。・・・まぁいいけど、でもあんたはこれからどうするんだ?」
「敵と戦おうと思います。実は短剣を隠し持ってるんで、まずはこの広場にいる見張りから倒そうかな・・と」
「おお!それは本当かっ」
「しー・・・。それで、まずは帰ってきたばかりで分からないことだらけなんで・・・色々と聞きたいことがあるんです」
「ああ、わかることなら何でも言うよ。どんどん聞いてくれ」
上手い具合に辻褄を合わし、俺は男から話しを聞くことに成功した。
この街はフィランシア王国に属するパラミド市というらしく、現在戦争中とのこと。
戦っているのはフィランシア王国とリバリア帝国という2国。現在はフィランシアが劣勢、リバリアが優勢である。何でも、進んだ機械技術による巨大兵器が脅威となり、フィランシアは魔法で何とか食い止めているが、フィランシア軍もそう長くは持たないらしい。
自分は逃げ遅れてリバリア兵に見つかり、捕虜になってしまったと男は言っていた。
「ひでぇもんだよ。奴らは耐熱とか耐電とかいう兵器ばっか揃えやがって、こっちの魔法は通らないんだ。為す術なしってところだな」
「そうでしたか・・・」
「アンタも気をつけな。奴らの銃の威力は半端じゃないし、装備も硬い。短剣一本じゃちと厳しいだろう」
「そうですね。・・・それじゃ、色々とありがとうございました」
「おう、頑張れよ」
男に別れを告げ、いそいそと離れた。
それから見張りの兵士へと視線を向けると、兵士は仲間達とまだのんきに酒を飲んでいた。
またとない絶好の機会。やるなら今しかない。
(逃げるなら今しかないだろ!)
鼻から戦うつもりなどなかった。そもそも短剣など隠し持ってもいない丸腰の俺が銃を持った人間に勝てるはずなどないため、迷わず逃げることを選択できた。
しゃがみながら早足で広場の出口へと向かう。
後方へちらりと振り向くと、先ほど会話を交わした男がこっちを訝しげに見ていた。
(おい!戦うんじゃなかったのか!)
(無理無理、できません。ごめんなさい)
口ぱくで短い会話を交わす。もちろん、向こうも怒っていたが大声を出せば危険というのはわかっているようで、特に騒がれはしなかった。
出口まであと20メートルを残したところで、不意に目の前の地面が何かに抉られた。
「脱走者だっ!!」
(まずい、見つかった・・・・!)
見張りの兵の大きな声が広場に響き、辺りに緊張が生まれる。
2人の兵士は銃を手に、俺に向かって発砲した。
走りながらも地面を横に転がり、兵士の発砲をぎりぎりで避けてみるが、兵士は確実に近づいてくる。
4発目の銃声がなったところで、遂に弾丸がわき腹を抉った。
「うぐっ!」
燃えるような痛みが、わき腹を襲う。生まれて初めて味わう苦痛に、動きを止めてしまった。
ほんのわずかな間、痛みを堪えて再び動こうとした時、兵士は俺の目の前に立っていた。
手に持っている銃の銃口が顔を捉えている。
「うっ・・・・・」
「残念、脱走失敗だな」
この距離だと絶対に逃げられない。ましてや自分は手負いである。
なら命乞いをするか?・・・いや、たぶん無駄に終わるだけだろう。
兵士はにやにやと笑いながら、引き金に手を掛けた。
まさに万事休す。覚悟を決める間もないまま、俺は反射的に目をつぶった。
「一つ目」
「うぐっ?!」
誰かの声が聞こえた。そして直後、地面に何かが倒れる音。
何事かと目を開けると、兵士は頭から何か棒のようなものが突き刺さったまま地面に倒れていた。
俺が何かを考え始める前に、すぐに広場で怒号が飛び交った。
「敵襲だ!!」
「どこから攻撃している?!」
「わからん、警備は何をしている!!」
「周辺警備隊、音信不通です!!」
(な、何だ?どうかしたのか?)
広場にいた4人ほどの兵士は銃を手に広場を駆け回っている。
目の前で倒れている兵士を見れば、何か向こうで問題が起きたということはわかる。
しかし、あんな状況で自分が生きていられるほどのことが起きたというのか。
思考の途中で、兵士の声が聞こえた。
「いたぞ!あの木の上だ!」
「かかれ、敵は一人だ!」
「4人いれば楽に殺せるぞ!」
兵士の声につられ、とっさに木の方へと視線を移す。
「・・・・・・」
視線の先の木にはフードを被った青いローブ姿の人影が身じろぎ一つせず立っていた。
フードのせいで顔は見えないが、背は中くらいで身体の線が細い。
左手に真っ白な弓を握り締めていた。
その時、近くで銃声が響いた。見ると木のそばにいた兵士の銃から煙が上がっている。
おそらく木の上にいるローブ人間に向かって撃ったようだが、木の上にはもう誰も居なかった。
「やったか?!」との兵士達の声が聞こえる中、不意に聞こえる声。
「二つ目」
「うああ?!」
その声が聞こえた瞬間、二人目があっさりと血を噴いて倒れた。
胸には一人目と同じく、棒が突き刺さっている。先ほどのローブの人物の仕業なら、これはきっと矢であろう。
広がる沈黙の中、また同じ声が聞こえた。
「次は・・・誰がいいかしら?」
「ど、どこだ!!」
「やめてくれっ!殺さないでくれ!!」
「おいおい冗談じゃないぞ!こんな奴に勝てるわけない、俺は逃げるぞ!」
成す術もなく仲間が次々と殺されていく。
次は自分かもしれないという恐怖に直面した彼らはもはや戦う気力も失われていた。
そんな彼らに対しても、声は冷徹に言い放つ。
「決定。三人一緒でいいわ」
「「「うあああああ!!」」」
耐えられなくなった兵士三人は銃を捨てて逃げ出した。
そして数メートル進んだところで三人一緒にうつ伏せに倒れ、動かなくなった。
背中にはそれぞれ、光り輝く矢が突き刺さっている。
今この瞬間、広場にいるリバリア兵は結果として全員骸と化した。
(・・・・・・・)
俺といえば、撃たれた腹の痛みも忘れてただ目の前で次々と人が死んでいく様子を見ていた。
今心の中で渦巻いている感情は悲しみでも憎しみでも恐れでもない、ただの無だった。
死に慣れてしまったのだろうか。だとしたら、それはとても恐ろしいことに違いないだろう。
それから何事もなかったように俺は広場の出口へと歩き出した。
しかし、思うように足が動かずにもつれて転んでしまった。
起き上がろうとしても、身体に思ったように力が入らない。指先が凍るほどに冷たい。
(そうだ・・・撃たれてたんだっけ・・・)
傷口に触れば、痛みも感じずにただぬめりとした気持ちが悪い感触があった。
指先からだんだんと身体が冷えていく。身体から大切な何かが流れ出ていく。
ついには瞼まで重くなり、眠気と似たような感覚が俺を襲った。
『・・・・・が・・・ね』
(ん・・・?)
頭上から誰かの声が聞こえた。
今にも眠りに落ちそうだった頭を必死に覚醒させ、やっとのことで俺は目を開いた。
頭を上へ向けると、見覚えのある青ローブ服が俺を見下ろしていた。
フードを深く被っているため、顔はよく見えない。
「まだ生きているのね。意外にタフ?」
「・・・・誰だ・・?」
「ああ、喋らなくて結構。死にかけているのは目に見えているし」
「・・・・・・・・・」
喋らなくていいのなら、なぜ話しかけているのか。
そんな皮肉も今は俺の口からは出なかった。
代わりに黙ってローブ服を眺めていると、不意に傷口に手がかざされた。
「・・・確かに不思議な魔力を感じる。セフィーラ様の命令がなければ放っておいたけど」
「・・・・」
「だからといって苦手な回復魔術を私にさせるなんていいご身分ね。逆に死んでも私は責任を取らないからそれだけは言っておくわ」
「え?」
ローブ服が意味深なことを言い出したと同時に、かざされた手が青い光を帯び始め、光は傷口へと吸い込まれていった。
身体に暖かいものが溢れていく感覚が、冷え切った身体を包む。
徐々に、身体から何かが流れ出るのが止まっていくのを感じた。
「成功、あなた運がいいわね。傷口は完全に塞がったわ」
その言葉の通り、腹の傷口は完全にふさがれていた。見事に傷跡一つ残っていない。
ただ、身体が重くて瞼が重いのは変わらなかった。
俺はまわらない舌を何とか動かしてお礼を言った。
「ありがとう・・・」
「ああ、まだ喋らなくて結構。流れ出た血液の量からしてまだ危険だから」
「・・・・・」
「まずは睡魔に任せてお休みなさい。目が覚めれば死んでいるか、どこかの部屋の中にいるわ。それじゃ・・・」
そこまで言うと、ローブ服は涼の顔に黒い布を掛けた。
閉ざされた視界に襲う睡魔。これに抗う術はない。
俺は静かに目を閉じて眠りに付くことにした。
死んだ先でまた死ぬのか、それとも生き延びるのか。
それすら、どうでもいいというばかりに深い夢の中へと落ちていった。