1 真夏の客には気をつけろ
丈の部屋の冷房は、効きが悪い。加えて、現在人口密度が上昇中のため、体感温度もぐんぐん上がる。なぜ、狭い上に涼しくもなんともない部屋に人が集まっているのだろう、と丈は疑問に、というか不満に思う。
「丈ー、麦茶ぁ」
空になったグラスを揺らして、ずうずうしくもお代わりを要求するのは、幼馴染の真壁阿澄だ。涼しげなノースリーブのワンピースは可愛らしい感じだが、盛大に胡坐をかいておっさんみたいに脚をがりがり引っ掻いているせいですべてが台無しになっている。丈はグラスを受け取り、渋々麦茶を注ぎに、キッチンスペースに立った。
「白雪さん、なんかこう、涼しくなるような魔法使えないの? いかにも氷の魔法を使いそうな名前だけど」
阿澄の無茶な要求に、茣蓙の上で読書中だった白雪吹雪は、肩を竦めた。確かに、名前だけ見れば雪だの氷だのを自由自在に扱いそうな雰囲気だが、残念ながらそんなことはない。夏でも構わず相変わらずの黒いワンピースという装いが暑苦しい白雪は、溜息交じりに告げる。
「知ってのとおり、私は『毒殺の魔女』です。毒を操ることに長けているんです」
「逆に言うと、毒を操る以外は能無しなのよね。この真夏の勉強会の中ではなんの役にも立たなそうね」
「あぁら、そんなことありませんよ? たとえば私の目の前にいる、蝉みたいにかまびすしい女の麦茶に毒をぶち込んで黙らせることくらいならできますのよ」
「あらあら大変、暑さのせいで頭がやられちゃったのかしら? 蝉の幻覚を見ちゃうなんて。医者に行った方がいいんじゃないかしら。お帰りはあちら」
バチバチと、阿澄と白雪の間で火花が散った。人の家に来てまで女の泥沼戦争を繰り広げるな、と丈はよほど言ってやりたい気分だった。ただでさえ暑い部屋の温度が、また一度上がった気がした。
「喧嘩するならよそでやれ。何しに来たんだお前ら」
阿澄の前に麦茶のグラスを置いて、丈は億劫がりながらも仲裁に入る。
阿澄がここへ勉強をしに来たことは知っている。わざわざこの冷房が効きにくい部屋に押しかけてきたことについて釈然としないものがあるのは確かだが、「一人だと宿題を後回しにしちゃうから」という理由で、一緒に宿題をしたいという阿澄の提案には納得した。いつも宿題を忘れては放課後の宿題六十分一本勝負に挑んでいた過去を考えると、格段の進歩である。
丈は部屋に阿澄を招いたのだ。なぜか白雪がくっついてきたときは、露骨に嫌な顔をした。
白雪曰く、「抜け駆けはさせませんのよ、おほほ」ということらしいが、丈に理解できなかった。そして、急に押しかけてきた白雪は、しかし別に宿題に追われているわけでもないので、丈と阿澄が四苦八苦している間、丈の部屋の本棚を勝手にあさって、茣蓙の上で涼みながら読書に勤しんでいた。
「やっぱりさぁ、この部屋って、暑いよね」
不意に阿澄が呟いた。
「言っただろう、俺の部屋は涼しくないぞって。冷房が……」
「ううん、この際冷房の効きがどうとかじゃなくて、人口密度の問題だと思うの」
ぎろり、と阿澄は白雪を睨んだ。次に阿澄が何を言うのか、丈には予想がついた。
「白雪さん、用がないなら、帰ったら?」
女の泥沼の戦いはまだ続いていたらしい。丈は頭を抱える。対する白雪は、にやりと笑って、徹底的に抗戦する意思を見せた。
「あなたこそ、お帰りになったら、阿澄さん? 一人だと宿題を後回しにしてしまう、なんて上手いことを言ったつもりかもしれませんが、あわよくば面倒な課題を桐島君に押しつけようとしている下心、私にはお見通しですよ」
「し、下心なんかないわ!」
若干、阿澄の声が裏返ったが、すぐに態勢を立て直す。
「白雪さんこそ、下心があるんじゃない? その辺の本棚をあされば『教科書』とかが出てきて、丈の好みを探れるんじゃないかと思っていることは、解ってるんだからね」
「私、男の参考書になど興味はありませんっ!」
「ねえよ。うちにそんなもんねえよ」
丈は断固否定した。
女同士の野蛮で醜い争いは続いた。鬱陶しくてかなわない、と丈はげんなりする。
そんな時、部屋のチャイムが鳴り響いた。阿澄と白雪はぱちくりと瞬きをし、一瞬大人しくなった。
今年に入ってから、部屋に姉が訪ねてくることが増えた。今回も姉の誰かだろうか、だとしたら現在の部屋の状況はひじょうに説明が面倒だな、と思いながら、丈は玄関に立った。
その日は丈も暑さで少し冷静ではなかったのかもしれない。どうせ姉の誰かだろうと思って、ドアスコープで確認しないままに、扉を開けたのだ。
外に立っていた見知らぬ二人組を見て、丈は目を丸くする。
中学生くらいの二人組が、人懐こい笑みを浮かべて、告げた。
「はじめまして。僕は『ヘンゼル』樫原真樹」
「私は『グレーテル』樫原美咲」
「二人そろって、グリムの魔、」
ばたん!
言い果てないうちに、丈は乱暴にドアを閉めて鍵をかけてチェーンをかけた。




