車輪
彼は昔、罪を犯した。
償おうとしても償いきれないほどの罪を犯した。
彼は、神様から孤独を与えられた。
彼は言う。
わたしの隣で。
幸せそうに笑って。
「この世のすべては回っているんだ。オレがたとえ孤独でも、オレのかわりに誰かが幸せになっていれば、それでいい」
本当に幸せそうに言うんだね。
わたしは幸せだよ。
短い間だけど、あなたがここにいてくれるって言ったから。
だから、あなたが人間じゃなくても気にしない。
世界中の誰もがあなたのことを嫌っても気にしない。
わたしだけは、あなたの味方。
そんな彼を、神様は遠くの空から見ていた。
今の彼は孤独ではない。
彼のことを愛する人がいる。
だから彼は孤独ではない。
彼は、孤独でなければならなかったのに。
彼が孤独だからこそ、世界はうまく回っているのに。
彼もそれをわかっていた。
自分が孤独だからこその世界だとわかっていた。
自分が孤独でなくなればどうなるのかも、予想はついていた。
だからこそ、自分が犠牲になっているとわかっていても、幸せでいられたのだ。
自分が孤独を我慢すれば、誰かが孤独から逃れられると。
それをわかっていたから。
「それをわかっていたから、関わるなと言ったのに」
あなたのことが大好きだった。
離れなければならないと何回も言われた。
でも離れられなかった。
だってあなた、ふとした瞬間にとっても悲しそうな顔するから。
幸せだって言ってるけれど。幸せそうに見えるけど。
でもあなたは、本当は孤独になんかなりたくなかったんじゃないの?
犯した罪の代償だってあなたは言うけれど。
そんなのはおかしいよ。
だってあなたの人生はあなたのものだから。
傷つけられた人のぶんまで幸せに生きなければといけないと思うんだ。
……わたしの考え、間違ってる?
彼女が手を伸ばす。
ゆっくりと。ゆっくりと。
彼は彼女の手が崩れ落ちる前に、その手を握りしめた。
「……間違ってなんかいない」
視界が霞む。まぶたの裏から、押さえきれずになにかが落ちる。
それは頬を伝って、口の中へと入った。
しょっぱかった。
「間違ってなんかいない」
そこで初めて、それが涙だと気付いた。
彼女がうっすらと目を開ける。
握りしめた手が、わずかに握り返される。
小さく、唇が動いた。
すきだよ。
確かにそう言った。
握りしめた手から力が抜ける。
「―――ッ」
名前を呼んだつもりだった。
声にはならなかった。
だから彼は、泣いた。
彼女の亡骸を抱きながら、いつまでも泣いていた。
彼は昔、罪を犯した。
償おうとしても償いきれないほどの罪を犯した。
彼は、神様から孤独を与えられた。
彼は、孤独を捨てることが出来ない。
神様から与えられたものを捨てることが出来ない。
たくさんの人々の孤独を背負った彼は、あるとき一瞬の幸せを手にする。
初めて心から愛することを知る。
しかし。だからこそ。
それを失ったときの彼の孤独は、計り知れないものとなってしまった。
神様はそんな彼を哀れに思った。
もしかしたら心のどこかに、彼の愛した人の言葉が届いていたのかもしれない。
神様は、彼の命を消した。
そして、新たに生まれてくる命にその魂を入れた。
その隣に、もうひとつの魂を並べながら。
世界は車輪のように回り続ける。