第1章 第7話 "蒼の戦団"
「あ・・・・ネ、ロ・・・?」
信じ、られない。
本当に、本当にネロなの?
だって、ヴァンさんは私のことをこいつ等に報告した悪い人なのに・・・なんで?
頭がぐるぐるとまわってしまう。
何を考えていいのか、そもそも何を信じていいのかわからなくなってくる。
「なんだてめえ? いい年こいて正義の味方ごっこか、あ?」
「君の眼は節穴みたいだな? 僕がいくつに見えているんだか・・・そもそも、こんなわかりやすい目印に真っ先に気づけないなんて・・・三流以下だな」
そういって、左胸につけていた空色のバッチを親指でトントン、と叩いて見せた。
そういえば、ヴァンさんも同じバッチを胸につけていたっけ・・・あれって、なんなんだろう?
「蒼空をかける翼の紋・・・てめえ、まさか・・・!!?」
「やっと気づいたか? 僕はネロ 蒼の戦団所属の騎士見習いだ!」
叫び声に合わせて、ネロは腰に下げた剣をすらりと抜き放った。
その剣は、今までお父さんが作っていたどの剣よりも綺麗で、でも、どこか怖かった。
「蒼の戦団だと・・・バカな!? 俺たちの動きは察知されていないはず・・・!!?」
「あれだけ派手に動いておきながら、よくもそんなことが言えるな? それほどに黒師団の連中は間抜けだっていうことかな?」
『蒼の戦団』と『黒師団』。
両方とも、この世界にたくさんあるギルドの一つだ。
蒼の戦団はおもに傭兵の派遣や各国の正規騎士団の補佐、時には要人の保護なんかもやったりする、いわゆる正義の団体。
対して黒師団の主な仕事は暗殺や魔獣の討伐といった暗い仕事ばかりを引き受ける悪の団体。
そんなふうな認識しかしてなかったけど・・・どうも、犬猿の仲みたい。
「見習い風情が咆えてんじゃねーぞ? たった一人で何ができるってんだ」
「やってやろうか? 少なくとも、咆えるしか能のないお前よりはマシなことができると思うよ?」
うっわぁ・・・ネロ、すっごい挑発してるよ。
なんか、私の髪の毛つかんでる男、もう私なんか眼中にないよコレ?
「上等だ! まずはてめえからぶっ殺し」
・・・・・え?
赤い。
視界が、真っ赤だ。
何、これ?
水を頭からかけられてるのに、寒いどころかむしろ、熱い。
「遅いよ・・・本当に、咆えるしか能がないんだね?」
「・・・・・っ、が、あぁ・・・」
アアアアアアアアアアアアァァァァァッァァァァァアアアア!!!?
叫び声が、聞こえる。
ゴトリって、重い何かが地面に落ちる音が聞こえる。
今まで髪だけで支えられていた私の体が、支えを失って
紅くて、生温かくて、鉄臭い海に、落ちた。
「あ、ああぁ・・・あ・・・・っ」
プツリ、と何かが切れたみたいな音がした気がした。
「ゲホッ、ゴホッ・・・ゴッ、エェェ・・・!!!」
咳が止まらない。
何かがこみあげてくるのが抑えられない。
手で口元を押さえても、そんなのじゃ到底抑えられなくて
苦しくて息を吸いたくても、体がそれを拒絶する。
あの鉄臭いにおいをかいでしまうことを、本能が拒絶している。
目をつぶればあの光景が、見えていなかったはずの光景が頭の中で反芻される。
眼を開けば、真っ紅な世界を目の当たりにしてしまう。
意識を失えば夢の世界で今の光景を見てしまえそうで。
意識を失わなければ目の当たりにしている光景に押しつぶされてしまいそうで。
私の心は、閉じようとしたのかもしれない。
なんて、他人行儀だなぁ 私。
自分のことのはずなのに・・・なんだか、心と体が離れてしまったみたいだ。
「心を閉じたまま、ゆっくりと体を起こしてください」
・・・今の、誰ダッケ?
「心を開くのは、ここから離れてからでいい・・・今は、とにかく足を動かしてください」
足ヲ動カス? 簡単ダヨ、コウデショ?
「ええ、それでいい・・・・・・・・・さあ、もう大丈夫」
大丈夫? 何ガダロウ?
「もう、あなたの心を脅かすものは何もない 安心してください・・・私が、ついています」
「・・・あなた、誰?」
言葉ガ出た 少シずつ、思考ガハッキりしてきた。
「お忘れですか? ヴァン・エル・フェンネル・・・ネロの師匠です」
「・・・・・ヴァン、さん? ヴァンさん!!?」
はっ!!? 今まで私は何をしていたんだろう?
なんだか、ひどく頭がガンガンと重い。
おまけに、ひどい胸やけだ 油断したら、乙女にあるまじきことになってしまいそうだ。
「私、何してたんだろう・・・・・なんだか、すごく気持ち悪いです・・・」
「・・・落ち着いてくださいね あなたにとっては、非日常の光景ですから」
非・・・日常?
その言葉を聞いた途端、脳裏をかすめたイメージは・・・紅
「・・・・・ッ!!? ぐっ・・・うぅ・・・!!!」
「ゆっくりと、大きく息を吸ってください ここなら、大丈夫」
吐き気はどんどんひどくなっていく。
油断すれば、本当に吐きそうだ。
でも、それとは裏腹に、頭はどんどん冴えていく。
ぐちゃぐちゃだった頭の中が、どんどんと整理されていく、すべて思い出していく。
ネロは・・・私を、助けてくれた
・・・・・あの男の腕を、切り落として。
「------------ッはあ!?・・・はっ・・・っはぁ・・・ふぅ・・・」
呼吸を何とか整える。
冴えた頭は、全く余計な結論まで思い出させてくれちゃったみたいだね。
いいじゃんか、ネロに助けられたまでで。
みんながあこがれる、王子様に助けられるヒロインで私をいさせてくれたって。
なんだって、汚れた王子様まで見せるんだろ?
「落ち着きましたか?」
「・・・ええ、何とか 正直、また何かあれば発狂しそうですけどね」
未だに前髪からぽたぽたと滴り落ちる赤い液体とか、頬を伝う赤い液体の感触とかがあまりにうっとおしくて
私はそれらを、右手で拭い取り、払い落とす。
「一つだけ確認させてください ヴァンさんは、あいつ等・・・黒師団の連中とは関係はないんですね?」
「ええ、ありませんよ 誓ってもいい、あんな奴らとは関係ありません」
とりあえず、確認ができた。
すると、それに合わせてネロたちのほうも終わったみたいだ。
「・・・あの子を、責めないであげてくれませんか?」
「・・・え?」
ぼそり、とヴァンさんはつぶやいた。
とても小さくて、油断したら聞き取れないほどの声なのに・・・今の私にははっきりと聞き取れた。
「・・・歯を、食いしばりなさい」
ヴァンさんは、思い切りネロを殴り飛ばした。
ネロは一瞬頬を押さえ、呆けたような顔をしたが、すぐに顔を引き締め立ち上がった。
「・・・あなたが悪いわけではありません。ですが、それでもあなたは間違えたんです・・・」
ヴァンさんがそこまで言ったところで、今度はネロがヴァンを思い切り殴り飛ばした・・・!!?
「・・・すみません、先生 また僕は間違えてしまったんですね?」
ゆっくりと頭を下げるネロに対し、ヴァンさんはつらそうに顔をしかめると、今度は自身の腰に下げた剣を抜いた。
「あなたはここで待機 クーアを守りつつ、外部からの増援に備えてください」
「了解 先生はあの船を叩くんですね?」
「ええ ただ、いいですか? 誰一人殺してはなりません 理由は・・・クーアに教えてもらいなさい」
・・・え?
なんで、私に? 私には、何も教えてあげられるはずなんてないよ
だって私は先生じゃないもの なんで人を殺しちゃいけないかなんて・・・道徳の先生じゃないんだよ?
「クーア 気負わないでください 私はあなたに教師になってほしいのではありません」
ヴァンさんの言葉は、今までにないほどの重みをもっていた
持って・・・いたのに
なんでだろう、今までで一番、弱弱しかった。
「今だけでもいい ただ、この子と一緒に歩む友達になってもらいたいのです」
そして、ヴァンさんは走って行ってしまった。
あとに残されたのは、何も言えないままの私と
何も言わないままのネロだけだった。