魔王討伐から帰ったら聖女→魔女に呼び名が変わっていたので、お望み通り魔族落ちしてあげる
「聖女様」
それは私のための呼び名だった。
国王陛下も、婚約者の王太子殿下も、父たる公爵様も、屋敷の使用人たちも、一般の民衆たちさえも。みんなみんな、私のことをそう呼んだ。
というのも、私は生まれた時から全属性の魔法を使えたからだ。
炎を灯すこともも、水を喚ぶことも、風を起こすことも、地面を整備することも。私にとっては呼吸をするのと同じくらい、簡単にできる。希少とされる回復魔法さえ例外じゃない。日照りが続けば水を呼び、怪我をした人は治療する。時々、領民に混じって田畑を耕すのを手伝ったりもしたっけ。
そんな私をみんなは「聖女」と呼び、敬ってくれた。
ある日、王城へと呼び出されるまでは。
「聖女よ。勇者の供をし、魔王を討伐してほしい」
貴族の、それも公爵家の令嬢に言う言葉じゃない、と思った。しかも私はすでに王太子の婚約者だったのよ? 魔王討伐なんて生きて帰れるかどうかもわからないこと、普通は命令しないでしょ。
なのに陛下は、言葉を止めない。
「我が娘、マリアンヌも同行する。公爵も本人の意思に任せると言っていた」
……つまり、私に子供の世話をしろ、ということね。
マリアンヌ王女殿下はまだ10歳を過ぎたくらいのはず。私よりも5歳ほど幼い子供で、一応魔法は使えるらしいけど、その才は平凡だったはず。王家の血筋だし、これからに期待……ということはもちろんできるけど、それでも、危険な旅に同行させる必要なんてないよ。
これは脅しだわ。王家の幼い姫が供をするのだから、聖女とまで呼ばれる公爵家の娘が断れるはずがないだろう、という。
そして陛下は、トドメの一言を告げる。
「魔王討伐の聖女が妻となれば、我が息子も鼻が高かろう」
……ずるい。本当にずるい。
公爵家の娘にして、聖女。そんな肩書を持った私を、王家が放っておかなかった。全属性の魔力適性があるとわかった時から、私は殿下の婚約者だった。政略結婚。誰もがそう見えたでしょうね。
でも、殿下は素晴らしい人だった。博識で、優しい、理想の王太子。もちろん私にも常に優しくて、私はそんな殿下のことを愛していた。
愛しいルーファス殿下。貴方の力になれるというのであれば。
「謹んでお受けいたします」
それ以外の返事なんてできなかった。
それからは怒涛の毎日だった。
勇者の迎えに行ったのは、私と国から派遣された数名の兵士だけ。勇者候補とされた人は、私にはまだ子供にしか見えなかった。マリアンヌ殿下よりも幼いんじゃないの、これ。
それでも、彼が触れた途端、聖剣は眩いばかりの光を放った。
あの眩しさは、忘れようと思っても忘れられない。聖女なんて呼ばれる私なんかより、もっとずっと神聖で尊いと思った。
村人と勇者の家族を説得して、幼い勇者と一緒に王城に帰る。勇者の家族の泣き顔も、私はきっと一生忘れないと思う。この時になって、私はやっと憎まれ役を押し付けられたのだと理解した。
一方で、家族と引き離されて命がけの旅をする、と勇者は理解しているのかいないのか……おそらく、村から出たこともなかったんだろう。王城へと戻る道中もずっとキラキラと目を輝かせていて……この子は私が守らなくては、と強く思った。
そして国王陛下への謁見の後、私たちはいつ終わるともわからない旅に出た。出発時のパーティーメンバーは5人。
勇者、ロジャー。
王女、マリアンヌ。
その護衛として、騎士のアーレック。
王女殿下の世話兼記録係として、文官のドロシー。
そして聖女と呼ばれる魔法使いの私、メアリー。
基本的に戦闘に出るのは、私とロジャー、アーレックだけ。後に格闘家のサイモン、弓使いのジョニーも仲間になってくれたけど、マリアンヌ殿下とドロシーは戦いには同行しない。戦闘前にサポート魔法だけかけて、後方待機することが多かった。
まぁ、旅にはお金が必要だもの。マリアンヌ殿下のおかげで金銭的な苦労はまったくしなかったから、その点だけは感謝している。ドロシーがいたおかげで、料理も困らなかったしね。必要なサポートメンバーだった。そう思っているわ。
いろんな人と出会い、別れ、応援してもらった。魔族と戦い、時には喧嘩もしながら、私たちは数年間をかけて旅をした。
そして……ついに魔王の討伐に成功したのだ。
「メアリー!! 俺たちついにやったんだ!!」
「うん……うん!!」
「魔王討伐、おめでとーー!!」
そうやって仲間たちと喜んだのが、もう遠い昔のことみたい。
魔王との戦いで傷ついた体を魔法で治し、私たちは来た道を引き返した。物理的な距離のおかげで時間はかかったけど、行きと違って進路を阻む敵はいない。最後の旅を楽しむつもりで、私たちは急ぐこともなく帰ってきた。
サイモンとジョニーは「柄じゃない」って途中で去ってしまった。自由でいいな。けど、私は公爵家の令嬢でもあるし、ルーファス殿下も待っている。王都以外に帰る場所なんてない。
ロジャーも陛下への報告があったしね。王都を発った時と同じメンバーで、私たちは王都への凱旋を果たした。
陛下への報告を終え、数日間の休みを取っている間……私は、違和感に気が付いた。
あんなにも優しかったお父様が、私のことを避けている。お父様だけじゃない。お母様も、兄弟たちも、使用人たちも。みんながみんな、腫れ物でも扱うみたいに私に接してきた。
数年間の不在は、そんなにも大きかったの? それとも、他に理由があるの?
わからない。わからないけど、きっと時間が解決してくれると思った。優しい人たちだもの。数日一緒に過ごせば、また昔のように笑い合えると信じていた。
私たちの帰還を祝う、祝勝パーティーまでは。
「聞いたか? 魔女はどれだけ怪我をしても瞬時に治して、撤退を許さなかったらしい」
「癒し魔法のなんと恐ろしいことか」
「それだけじゃない。勇者たちが前線で戦っている間、彼らに構わず攻撃魔法を放っていたそうだ」
「まさしく魔女だな」
「聖女の呼び名は、王女殿下のためにあるものさ」
いたるところから聞こえてくる噂話は、誰のことか確認するまでもない。ちらりと視線を噂の主たちへと向ければ、慌てて視線を反らして体を震わせた。そんな反応をするくらいなら、私に聞こえるような噂話なんてしないでほしいのだけど。
今の人たちは全員知っている人だった。私が旅に出る前は「聖女様」と呼んでくれていた人たちのはずなのに、今はこんなにも敵意を隠そうとしない。
正直なところ、何が起きているのかさっぱりわからない。彼らも、家の人たちも。私がいない数年の間に、いったい何があったというの? 全然わからない。
「メアリー、大丈夫か?」
そう声をかけられて、私ははっと我に返った。
危ない。今日はパーティーが初めてのロジャーも一緒なんだった。しっかりしないと。
でもロジャーは人の感情の機微に敏感だ。一瞬だけ迷ったものの、誤魔化すことではないと判断して眉根を下げた。
「大丈夫ではないかな」
「だよな。あいつら、斬ってこようか?」
なんて物騒なことを。あんなに無垢で可愛かった子供が、今はこんなこと言えるくらいに成長したのね。不本意だわ。
ちらりと上を見上げれば、ずいぶんと高いところに顔がある。出会った頃は私よりも小さかったのに、ここ数年ですっかり立派な青年に成長してしまった。顔立ちも整っているからかな。会場の可憐なお嬢様たちの視線を独り占めしてるみたいで、感慨深いわ。
ただ、彼は田舎の小さな村出身で、貴族の世界には慣れていない。勇者として見出されてから、すぐに旅に放り出されたからね。貴族流のお誘いは、絶対に気が付かないんでしょうね。勿体ないわ。
でも、旅に出た頃から一緒にいる私のことは、姉のように慕ってくれてる。今日だって、
「一人は絶対に無理!!」
っていうものだから、私がエスコート役よ。男性貴族だったら、笑われるところだからね。
でも今はそんなことを言っている場合じゃない。今日のパーティーで、唯一帯刀を許された勇者ですもの。腰に輝く聖剣が、私には物騒にしか見えなかった。
「やめてちょうだい。今日はおめでたい場なんだから」
物騒な言葉を咎めれば、少しだけ不服そうな顔をする。まったく。自分の立場が分かってないんだから。
手にした飲み物を少しだけ口に含めば、温くて思わず凝視してしまった。きょろきょろと周囲を見渡して、気付かれないようにそっと氷魔法を使う。
「……俺は駄目なのに、メアリーの魔法はいいの?」
「人を傷つけてるわけじゃないからね」
うん、冷たい。こっちのほうがおいしいわ。
そう思うと同時に、目の前にグラスがそっと突きつけられる。ふふ、ロジャーも冷たい方がいいんじゃない。つぅとグラスを撫でれば、それだけで冷たくなった。
途端に、ロジャーはぱっと表情を輝かせる。
「さんきゅ!」
「どういたしまして」
軽い感謝とともに、ロジャーもグラスに口をつける。途端にへにゃりと笑う姿は、まだまだ子供ね。
「これに慣れちゃうと、普通の料理じゃ物足りないんだよなぁ」
「滅多なこと言わないの。今日のは王城の料理人たちが作ってるんだから、庶民は絶対に食べられないのよ?」
「そうかもしれないけど、俺は温度を感じる料理のほうがいい」
「……まぁ、わからないではないけどね」
使われている食材も、調理方法も、きっと勇者になる前のロジャーは絶対に食べれないものばかりのはず。たぶん、食材一つをとっても普通の人の数日分の稼ぎになるようなものもあると思う。
ここは王城で、今日は勇者の帰還をお祝いするパーティー。国の威信がかかってるんだから、手を抜くはずがないものね。
それでも、ここにある料理はすべて冷めている。これだけの量を作るのは大変だろうし、毒見もされているんでしょう。生まれてからずっと、それこそ旅の間も作ったものをすぐに食べていたロジャーが、受け入れられないのも無理はないわ。
現に、最初に一つ食べてからは、一切手を付けていなかった。飲み物は私が何とでもできるけど、流石に料理はねぇ……熱すぎたら食べられないだろうから、加減がちょっと難しいのよ。
ということで、豪華な料理を楽しむこともなく、二人で飲み物片手に談笑する。そんな旅の時みたいな穏やかな時間を過ごしていたら。
「国王陛下のご入場でございます!!」
そんな宣言と共に、けたたましいファンファーレが鳴り響いた。
貴族たちの視線が、一斉に階段へと向かう。みんなが手にしていたグラスを回収する給仕も忙しそう。私たちが持っていたグラスも近くの給仕が回収してくれた。と同時に、隣でごくりと息を飲む音が聞こえて、私はそっとロジャーの背中に手を置いた。
ロジャーにとっては、出立の時と、討伐報告の時の2回しか会ったことのない国王陛下だもの。緊張するのは仕方ないわ。
だから少しでもリラックスできればいいと回復魔法をかけたのだけど。ロジャーはすぐに気付いて、「ありがとう」と小さく言ってくれた。こういうところが可愛いのよね。
顔を上げれば、階段の上から国王陛下と、愛娘でありパーティーメンバーだったマリアンヌ王女殿下が腕を組んで入ってきた。そしてその後ろから……ルーファス王太子殿下も、やってきた。
「……殿下」
ああ……数年ぶりにお会いするけど、全然変わっていない。相変わらずかっこいいな。そう思うだけで、知らずに熱が上がった。
魔王討伐の報告の際にはいらっしゃらなかったから、旅に出てから会うのはこれが初めてだ。久しぶりに会う殿下。目が合っただけで高鳴る鼓動に、私は思わず両手を組んでしまう。
が、いつまでもそうしてはいられない。御三方が私たちのほうへと歩み寄ってきたのだから。
「ロジャー」
慌ててロジャーを小突いてから、ドレスの裾を持ってお辞儀をする。ロジャーもぺこりとぎこちなく頭を下げれば、陛下が笑う声がした。
「よい。頭を上げよ」
静かな、だけど厳かな声だ。二人揃って顔を上げれば、マリアンヌ殿下がぴょんとロジャーに抱き着いてきた。
「ロジャー! 久しぶりですわ!」
「あ、うん」
相変わらずねぇ、この子は。全身からロジャーへの好意が滲み出てるわ。旅をしている時からこうだったから、今更驚くことでもないけれど。
でも会場中のお嬢様たちからは、悲鳴のような声がこぼれ出てた。さっきまで憧れの目を向けていたものね。流石に王女殿下には敵対できないのでしょう。陛下が何も言わない、ということは、王家としても勇者を見逃すつもりはないのでしょうね。頑張れ、ロジャー。
いつもならロジャーを庇うけど、今はそれどころではない。陛下の後ろにいる婚約者。愛しい人の変わらない姿に、胸がいっぱいになる。緊張でドクドクと早鐘を打つ心臓に気付かれないように、必死に冷静を取り繕って、
「ご無沙汰しております、ルーファス殿下」
と声をかけたのだけど。
「気安く私を呼ぶな、魔女」
………………………………え? 今、殿下はなんて?
空耳だろうか。確かに愛しい人の声が聞こえた気がしたのに、内容がまったく入ってこない。
絶句していたら、再び信じられない言葉が聞こえてきた。
「衛兵! 魔女を捕らえよ!」
その言葉とともに、私の周りを騎士の服装をした人たちが取り囲む。そしてガチャンという音がしたと思ったら、一気に体から力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
なにこれ? 魔力封じの鎖? どうしてそんなものが、私に巻き付いているの?
「メアリー!?」
「駄目よ、ロジャー!」
私だけじゃない。どうしてロジャーまでマリアンヌ殿下や騎士たちに抑えられているの?
わからない。なにも。
愕然とするしかない私の前に、影ができる。顔を上げれば、そこには国王陛下が立っていた。
「残念だ、メアリー。お前を反逆罪で拘束する」
「はん、ぎゃく……?」
なに、それ。知らない。私が、何故。
何も理解できない私を放置して、陛下の言葉は続いた。
「第一に、勇者・ロジャーを魅了して思い通りに操った罪。第二に、私や我が息子・ルーファスを魅了して、婚約者として名乗り出た罪。第三に、魔王討伐の道中、勇者を捨て駒のように扱った罪。第四に……」
まだまだ続く言葉の意味が、全く分からない。魅了? 捨て駒? 何の話をしているの?
朗々と語られた罪状は、一つも身に覚えがない。だって私は、ずっとこの国のために頑張ってきたのよ。国のために、殿下のために、人々のために、命を懸けて戦った。裏切ろうと思ったことなんて一度もない。
なのに、どうして……
「何かの間違いです、陛下!!」
ロジャーが大声で叫んでるけど、陛下が私を見る目は変わらない。それだけじゃない。ロジャーのことさえ、憐れむような眼で見ている。
「マリアンヌの言う通り、深く魅了されておるようだな」
「……はは」
なるほど、そういうことか。
マリアンヌ殿下を反射的に見れば、ばちりと目が合った。そしてゆっくりと上がる口角に、私は自分の予想が当たっていることを確信した。
殿下がロジャーを好きなのは一目瞭然。旅をしている時からわかっていたことよ。
ロジャーは興味がなさそうだったし、お目付け役のアーレックやドロシーも何も言わなかったから、私も放置していたのだけど。ロジャーがたまに助けを求めてきたから助けたけど、それくらい。魔王を倒すための旅路なのに、サポート役とはいえ呑気な人ね、と思ってたけど……
ロジャーが頼る私のことが、気に入らなかったのね。
気付いてしまえば、他のことも全部納得できる。私が魔女と呼ばれるようになったこと。さっきから陰口で聞こえてくる内容。
全部全部、記録係だったドロシーが殿下の命令で、王都に伝えていたのだわ。旅中の私が弁明出来ないことをいいことに、あることないことをすべて。それを信じた陛下やルーファス殿下、私の家族たちですら、もう私のことを信じてくれなくなったのね。
心がすっと冷えていく。つい今まで燃え滾っていた愛情とか、達成感とか、そういうものがすべて消えていく感覚だわ。
ああ…………なんて、馬鹿馬鹿しい。
そう思った時だった。
「だから言っただろう。人間なんて、尽くすだけ無駄だと」
ガシャンと天窓が割れて、ガラスの破片が会場中に降り注ぐ。いたるところから聞こえる悲鳴を聞きながら、私はゆっくりと顔を上げた。
綺麗な三日月。空の浮かぶ二つの月に挟まれるように…………漆黒の羽をもつ男が、浮いていた。
「魔王!?」
ロジャーの叫んだ言葉に、参加貴族たちは彼が誰なのか理解したのだろう。更なる悲鳴がいたるところから上がり始めた。
「魔王ですって!?」
「滅んだんじゃなかったのか!?」
「ああ、ドレスがボロボロ! どうなっているの!?」
「騎士団は何をしているんだ!!」
阿鼻叫喚、ってこういう光景なのかしら。
会場中の悲鳴と注目を浴びながら、魔王はまっすぐ私のところまで降りてきた。
「賭けは俺の勝ちだな?」
……本当にね。悔しいけど、貴方の言うとおりだった。
魔王との最終決戦。そのほとんどは、私と彼の魔法戦だった。彼の操る巨大な攻撃魔法を、私の魔法で相殺する。何度も何度も。その隙をついてロジャーたちが魔王に切りかかり、少しずつダメージを与えていった。
あの戦い。魔王はロジャーに興味を示さなかった。彼が真っ直ぐに見てきたのは……私だった。
そして戦いに決着が着く頃。彼は炎に焼かれながら、こう言った。
『予言してやろう! 人の身に非ざる力を持つ女! お前は人の世界で受け入れられない! お前を受け入れられるのは、俺たちだけだ!!』
笑いながら紡がれた言葉はそこまでだった。ロジャーが首を切り落としたから。ごとりと首が落ちたのを、あの場にいた誰もが見ていたのに……
私の前に降り立った魔王が、パチンと指を鳴らす。それだけで、私の手にはめられていた魔力封じの鎖は、跡形もなく崩れ去ってしまった。気が付けば、私を取り押さえていた騎士たちも、彼に圧倒されてすっかりと役目も忘れてしまったみたい。
だけど私はまだ立ち上がれない。茫然と彼を見つめたまま、当然の疑問を口にした。
「……どうして、まだ生きてるの?」
念入りに、本当に念入りに焼いたのよ。ロジャーが首を落とした後。普通の炎では足りないかと思って、光属性の炎でも焼いた。塵の一つさえ残さないように。
だというのに、目の前の男は楽しそうに笑ってる。
「俺はあの剣の真の力を使わないと死なないのさ。お前が念入りに手を出してくれたおかげで、回復に時間はかかったがな」
なん、ですって? じゃあ、ロジャーは……まだ聖剣の力を使いこなせていないと、そういうの?
愕然とする私。そんな私から視線を外して、魔王はロジャーのことを見た。
「メアリーが強すぎたな。ま、お陰で俺は助かったが」
……私の、せい? ……ああ、もしかして。私がロジャーの成長を阻んでしまったの?
だって、まだまだ子供だったのよ。ロジャーと出会った時、彼は幼すぎて、剣を腰に差すことさえできなかった。両手で聖剣を抱えて歩くので精一杯。そんな子供に、何を期待しろというの? アーレックが稽古をしてくれたおかげで、1年もすれば立派な剣士になったけど……それだけでは、足りなかったということ? 幼い子供にあれ以上の苦労をさせるなんて……そんな方法のほうが間違っている。
そう思うのに。魔王を倒す、という役目を果たせなかった、という現実のほうが、重く私にのしかかる。
「お前は真面目だなぁ」
魔王が笑う。私の目の前で。
そしてその大きな手を、私の前に差し出してきた。
「さあ、メアリー。こんな奴ら、もういいだろう。一緒に行くぞ」
一緒に行く。その言葉の意味を、分からない私じゃない。
「……嫌。私は、」
この手を取れば、私は本当の魔女だ。確かに王族はもう嫌だけど……人間すべてを、嫌いになったわけじゃない。
この人は魔王。付いていけば、私は人間の敵になる。
「私は……」
なのに。なのに。
ここに私の居場所はあるのだろうか? そう、思って、しまった。
王城に、貴族の世界に、私の居場所はない。婚約者の傍にも、実家にも。勇者パーティーももう解散した。ロジャーがマリアンヌ殿下の手を取るのであれば、彼の姉役ももう終わりでしょう。
ならば私はどこに行けばいい? 生まれてからずっと、聖女として、公爵家の娘として生きてきた。それ以外の生き方なんて、私は知らない。
知らないの…………
「この手を取れ。お前に相応しい生き方を、俺が教えてやる」
その言葉に。私の中の、何かが壊れた音がした。
与えることにはもう疲れたの。与えすぎて、もう自分には何が残っているかもわからない。自分がこんなにも弱い生き物だったなんて、想いもしなかったくらいに。
だから、こんな私に、何かをくれるのであれば――
差し出された手に、自分の手を重ねる。それだけで魔王は嬉しそうに笑って、私の体を抱き寄せた。
「いい子だ」
耳元で囁かれた言葉は、初めて言われた言葉だ。たった四文字。たった四文字なのに。貴方の手を取っただけなのに。
その短い言葉が、涙が出るほど嬉しかった。
「反逆だ!! 魔女は魔王と手を組んだ!!」
誰かの叫び声が聞こえる。気が付けば、騎士団の顔ぶれも揃っていた。その中にはアーレックもいて、驚きの顔で私を見ている。
でももう、全部どうでもいい。
「連れて行って。人間のいないところへ」
ぎゅっと魔王に抱き着きながら言えば、魔王が楽しそうに笑った。
「手始めに皆殺しにしてやろうか?」
「いらないわ。今は早くこんな場所を立ち去りたい」
「仰せのままに。お姫様」
お姫様、って。私はそんなキャラじゃないんだけど。でも、なんとなく心地よかったから、私は素直に身を任せることにした。
浮遊感が体を包む。魔王が私を抱いたまま空に飛んだのだとわかっても、恐怖はない。
ああ、私は本当にこのままいくのね。
そう思った時だった。
「メアリー!!」
聞こえてきたのは、ロジャーの声。今までに聞いたことがないような、逼迫したような声。戦場でも聞いたことない声だわ。
なんだろうと思って視線を落とせば、ロジャーとばちっと目が合った。
「行かないで!! 俺は、あなたが……」
続きは聞こえなかった。魔王がばさりと翼を羽ばたかせれば、風切り音に全てがかき消されてしまったから。
そしてさっきまでいたはずのお城は、もう眼下に見えるだけになっている。
ロジャーは最後に何を言いかけたのかしら? わからないけど、ごめんなさい。今は貴方のことを考えるのも億劫なの。
顔を上げれば、今度は楽しそうに笑う魔王と目が合った。
「このまま飛んでいくのと、ワープ、どっちがいい?」
「……人間の世界なのに、ワープできるの?」
「出来るさ。俺だって元は人間だ」
「え?」
今、とんでもない爆弾発言をしなかった?
疑問を口にする暇はない。今度は急な圧迫感というか、重力が体にのしかかってきた。思わず目を閉じれば、魔王が私を抱く腕に力を込めたのが分かった。
ワープ……瞬間移動の魔法は、高等な魔法よ。私だって怖くて使ったことはない。その上この人は魔族。人間の世界では、一定のデバフがかかると聞いていたのに……
「目を開けていいぞ」
そう言われた時には、確かに壊したはずの魔王城が目の前にそびえたっていた。
「……さっきから、信じられないことばかり起きているのだけど」
「はは。だろうな」
魔王が下ろしてくれたので、私は自分の足で、以前は決死の想いで戦った場所に立った。
城に近付いて手を伸ばす。これ、門よね? 以前は魔法で吹っ飛ばしてしまったけど、今度はちゃんと触れてみた。
……冷たい。押してもびくともしない、しっかりした門だわ。細工までしっかりと施されているのを見ると、どうしても信じられない。
「……あなたが戻したの?」
「ああ。復元の魔法があってな。魔力さえ戻れば、城くらい造作もない」
復元の魔法。初めて聞く魔法だわ。壊れたものを直せるのだとしたら、すごく便利そう。
でも、どうしてそんなものを魔王が使えるの?
答えを求めるようにじっと魔王を見るけれど、どうやら教えてくれる気はないみたい。
「中に入ろう。みんなお前を待っている」
「……みんな?」
魔王以外の魔族は、私たちが倒したはずよ。みんなも何もないんじゃ……?
魔王がパチンと指を鳴らす。それだけで門は重い音を立てて開いていく。
その瞬間。
「魔王様、お帰りなさーい!!」
「「「「お帰りーー!」」」」
甲高い声。低い声。聞き取りづらい濁音の声。
いろいろな声が、いろいろな方向から聞こえてきた。上から、下から、真横から。本当にいろんな方向から聞こえてきて、私は目を丸くする。
そんな私を置き去りに、魔王はさっさとお城の中へと入っていった。
「ただいま。お前らのお姫様、連れて帰ってきたぞ」
「「「「え!!」」」」
「!?」
魔王が私のことを指差したから、全員の視線が私に集まった。
すごい。スライムにウルフドック、スケルトンにアンデット、オーク、リザードマン……旅の中で倒してきた魔族が、勢揃いしていた。
そして気付く。そうよ。私は彼らを倒してきた。彼らにとっては、私は敵にしか映らないんじゃ……
思わず一歩後退ったら、魔王がぱちんと指を鳴らした。それだけで私の体は引き寄せられ、魔王の隣に到着してしまう。
と同時に、一斉に私の回りに人だかり……ううん、魔族だかり?ができてしまった。
「本当だ、お姫様だ!」
「ドレス着てる。可愛いね!」
「相変わらずいい魔力だぁ」
「魔王様、花嫁の強奪でもしてきたんですか?」
「似たようなものかもな」
「え? え?」
私たちを取り囲む魔族に、私だけが付いていけない。彼ら……いや、彼女ら? 性別はちょっとわからないけど、とにかくみんなキラキラと目を輝かせて、私のことを見つめている。
こんなの、敵を見る目じゃないよね……?
説明を求めるように魔王を見れば、今度は答えを教えてくれた。
「お前、こいつらのこと見逃してただろ。向かってくる奴には容赦しなかったみたいだが」
…………あ、そういえば。そんなこともあった気がする。
ロジャーはまだ子供だったし、移動中はマリアンヌ殿下も同行してるんだもの。戦闘は極力避けてきた。もちろん、正面から挑んでくる人は倒して進んだけど…………ここにいる魔族たちは、私とは戦っていないってこと?
いや、そんなはずはない。現に目の前にいる魔王は、私と生死をかけて戦った。その結果、私はこの人を灰になるまで燃やしてる。
私のことを恨んでいる、というならこの人が一番だと思ったんだけど。
魔王はにっと笑って。
「改めて自己紹介だ。魔王、改め、千年ほど前は聖者と呼ばれていた元人間のリューディガーだ」
なんていうものだから。私は数秒間、言われた言葉の意味が分からなかった。
「………………ええええええ!!!!」
そんな、そんなことある!? そんなことあるの!?
聖者・リューディガー。私でも知ってる。というか、知らない人なんている!? その功績も、最後も、あまりにも有名だもの!! 子供用の絵本にだってなってる。そんな人が、この人だって言うの!?
私の疑問は、正しく伝わったのだと思う。彼は悪戯が成功した子供みたいに笑って、
「いろいろあってな。今は魔王をやってる。人間たちからの爪弾き者の集まる城へようこそ、元聖女」
――ああ、この笑顔を見ればわかる。この人は私に対する恨みも、同情も、何もない。
ただ当たり前に、手を伸ばしてくれただけなのね。
聞きたいことはいろいろある。本当にいろいろと、たぶん一日や二日問い詰めたところで尽きないくらいにあるんだけど、それと同時に納得したこともたくさんあった。
だけど、そんなことは全部後回しでいい。とりあえず今は。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
これからはここが私の家になる。家にするために。
私は言葉にならないほどの感謝を告げるために、ぺこりと頭を下げた。
頭を下げてしまったから、この時の魔王がどんな顔をしていたのか、私は知らない。代わりに、私たちを囲んでいた子たちが、また一斉に話しかけてきた。
「やったー!」
「よろしくお姫様!!」
「お姫様、お腹空いてない?」
「その前に着替える? その服、動きにくい?」
「お前ら、俺も気遣え」
「魔王様は一人で何でもできるでしょー」
「「「でしょー」」」
交わされる会話は、とても魔族を統べる魔王とその部下の会話に聞こえない。思わず「ふふ」と笑えば、魔王が目を丸くするのがわかった。
それだけじゃない。
「お前、そっちのほうがずっといいぞ。可愛い」
なんて言ってくるものだから。一瞬何を言われたのかわからなかったけど、すぐに顔中に熱が上がった。
「な? なっ!?」
「お姫様真っ赤!」
「お熱? 疲れちゃった?」
「大変大変! 早くお部屋に案内します」
絶句していたら、周りにいた子たちが私に手を伸ばしてきた。そのまま私の手を握って歩き始めるものだから、私も釣られて歩くことになる。
彼らに連れていかれることに不安はない。でも、魔王がどうするのかも気になって彼を見れば、気付いた子が彼の元に戻っていった。
「魔王様、お姫様連れて行くね」
「ああ。ゆっくり休ませてやれ」
魔王がひらひらと手を振ってる。私は相変わらず手を引かれて歩きながら……
これからのどんな生活が待っているのか、心から楽しみになっていた。
数年後。
私はリューディガーと一緒に、気が付けば魔王夫婦と呼ばれるようになったけど……
優しい人たちに囲まれて、のんびりと楽しく過ごしている。
補足
◆メアリー
歴代最高峰の魔法使い。
その力を使って、幼いころから「聖女」として貴族や領民の力になってきた。
根が優しく、魔王討伐の旅に出ていたこともあり、陰謀には弱い。
そのためマリアンヌが何を画策しているのか、全く気付くことができなかった。
陰謀も裏工作もなく、感情の赴くままに生きる魔族たちとの相性は良い。
彼らを守り、リューディガーに様々な魔法を教わりながら、幸せに過ごしている。
◆魔王:リューディガー
元人間。歴代どころか、人間の歴史上最強の魔法使い。
不死ではないが、絶大すぎる魔力のお陰で不老。
その力故に恐れられ、辺境に住み着くようになった。
人間に迫害された人外の種族が彼の力を頼って住み着くようになり、魔族・魔王と呼ばれるようになった。
メアリーが自分に比肩するほどの魔法使いだと気付き、人間の様子を見るためにわざと負けた。
(メアリーたちが倒したのは魔法で作った影)
自分と同じ境遇に陥るメアリーのことが、どうしても放っておけなかった。
◆勇者:ロジャー
何もわからなかった自分を見捨てなかったメアリーに懐いている。
それが恋心に変わっていることも自覚済み。
聖剣に相応しい勇者になり、魔王討伐の功績を手にして、告白するつもりだった。
この後再びメアリーを取り戻すために魔王討伐の旅に出て、自分がいかにメアリーに守られていたかを痛感する。




