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恋は論理に非ず、剣に似たり。―考えすぎ令嬢と、押しに弱い騎士―

作者: 遠野 周

色んなジャンルを書きたいな、よし次は令嬢物だ!と書き始めたのですが

なぜか今回は婚約破棄コメディが生まれました。

婚約破棄から生まれた、令嬢とイケおじ騎士の恋愛を書いてみたかっただけなのに。

作者本人が一番びっくりしています。


「考えすぎる女は愛せぬ」という理由で破棄された令嬢が、

逆に“愛の哲学”を語りだしてサロンを人気にしてしまう、という

完全に勢いとノリで書いた短編です。


軽く読めて、ちょっと笑えて、

ほんのりと恋の余韻が残れば嬉しいです。


どうぞ気楽にお楽しみください。

 婚約破棄の理由は――「考えすぎる女は、愛せぬ」だった。

 第五王子フェルナン殿下は、ため息まじりにそう言ったという。


 ラヴォワ領の三女エリシア・ド・ラヴォワは、その言葉を聞いた瞬間、

 ひと呼吸置いてから、にっこりと微笑んだ。


「存じておりますわ、殿下。わたくしは考えることが生きがいですから」


 実に清々しい、開き直りである。


 ラヴォワ家にとっても王家にとっても、

 三女と第五王子の婚姻など、実務上さほど大きな意味はない。

 王家の五番目の息子は、ゆくゆくはどこかの領へ婿に出ればよい存在。

 ラヴォワ家の三番目の娘も、領地は潤っており、好きに生きても構わない。

 両家は互いに傷つかず、むしろ「まぁ、そういうこともある」と微笑み合う程度だった。


 問題は――エリシアだけだ。


 破棄されたその日の午後、彼女は言った。

「いいでしょう。では、愛を“考え尽くして”みせますわ!」


 そして翌日には庭園を開放し、哲学サロンを立ち上げた。

 『愛とは魂の幾何学』『恋は理性の試練』『感情は秩序を破るか?』

 気づけば、令嬢や若い貴族たちに大人気である。


 なぜ人気になってしまったのか、王家もラヴォワ家も理解していない。


 王家にとって気がかりなのは、

「そのうち第五王子批判が飛び出すのでは?」

 という一点だけだった。


 エリシア自身はまったく意図していないのだが、

 彼女の語る「恋と理性の矛盾」は、妙に人々の心を打つ。

 王都でも“変わった令嬢がいる”と噂になるほどだ。


 そこで、王家は静かに手を打った。

 ――騎士をひとり送り込んで、軽く監視させよう、と。


 選ばれたのは、隣領ヴァルド家の次男にして、

 王立騎士団の中堅班長、ロウラン・ヴァルド。

 真面目で穏やか、押しに弱く、何より面倒を起こさない性格が買われたらしい。


 かくして、エリシアのサロンに“お目付け役”が置かれることになった。

 本人は反発するどころか――


「まぁ! 新しい観客ですわね!」


 と喜んだのだから、やはり問題は彼女ではなく世界のほうだ。


 そして今日もまた、ラヴォワ邸の庭園には朝日が差し、

 哲学という名の嵐が巻き起ころうとしている――。




 ラヴォワ邸の庭園は、今日も穏やかに狂っていた。

 白い天幕の下、貴族子女たちが椅子に腰かけ、紅茶を手にしている。

 だがその中心――金髪の令嬢エリシア・ド・ラヴォワは、湯気の立つカップを片手に、もうひとつの熱を語っていた。


「リュトン派は申します――愛とは魂の幾何学である、と!」

 彼女は天を仰いだ。

「けれど、わたくしは思うのです。魂が円ならば、愛は接線! 一瞬ふれて、永遠に離れぬ、その一点こそ――」


 ところがこのサロン、破談後にもかかわらず、なぜか日毎に盛況になっていく。

 王子への批判を期待されているわけでも、特別な政治意図があるわけでもない。


 エリシアの語り口が、妙に巧かったのだ。


 難解な哲学を、まるで恋の物語のように語り、

 恋の揺らぎを、学説のように精密に示す。


 ロウランも初日に立ち会ったとき、思わず感心した。

 (なるほど……これは、人気になるわけだ)


 王家の懸念はさておき、

 人が吸い寄せられる理由としては、至極まっとうだった。


 とはいえ、ロウラン自身は納得していなかった。

 (なぜ俺がこの役目なのだ……)


 銀の肩章に手をやりながら、静かにため息をつく。

 紅茶をひと口――だが苦いのは茶葉ではない。


 任務書には簡潔に記されていた。

 『エリシア嬢、王子による婚約破棄後、思想的暴走の恐れあり。監視を命ず。』


 暴走とはなんだ。思想に速度でもあるというのか。

 彼は視線を戻し、令嬢の指先が空を切るのを見た。


「つまり、愛とは試練ですの! 理性という鎧を――脱がせてこそ、真の理解!」

「……誰の鎧を」

「あなたのです、ロウラン殿!」


 紅茶を吹いた。

 いや、むせた。いや、もうどちらでもよい。


 周囲の貴族たちは目を丸くしていたが、エリシア本人だけは満足げだ。

 その瞳は陽光を受けてきらめき、論理の名を借りた情熱が宿っている。


「……危険思想だな」

「危険こそ、恋の入口ですわ」


 さらりと返され、彼はほんの一瞬だけ、言葉を失った。

 (この令嬢は、論理ではなく剣だ。しかも刃を笑顔で振るう)


 午後の討論が終わり、貴族たちが去ったあとも、彼女は興奮の余韻を纏っていた。

「ねえロウラン殿。愛とは理性の敗北でしょうか、それとも勝利でしょうか?」

「騎士として申し上げるなら……敗北のあとが、戦の本番ですな」

「まあ!」


 彼女は頬を紅潮させ、胸を押さえた。

 心臓が跳ねる音が、耳の奥に響く。


 ――理性の鎧を脱がせるつもりが、どうやら自分の鎧が先に落ちたようだ。


 ロウランが視線をそらす。

 その仕草だけで、またひとつ鼓動が速くなる。

 哲学では説明できない鼓動。思考が形をなさない。


「……ロウラン殿」

「なんです」

「あなたを観察していると、実在論のエル=ファウが申した“見ることは愛すること”が正しい気がいたします」

「……それは観察ではなく、告白に聞こえますが」

「理性の範疇ですわ」


「ならば、私の沈黙も理性の範疇ということで」


 沈黙。

 やけに長い沈黙。

 風が花弁を散らし、白い衣の裾を揺らす。


 彼女はふと、唇をかすかに噛んだ。

 理性の範疇。――嘘です。

 本当は今、胸の奥で何かが危険な速度でまわっている。

 思考が熱を帯びる。語るほどに、理屈が遠ざかる。


 (どうしてこの人の前では、理性がこんなに不安定なのかしら)


 その問いの答えを、哲学はいまだ持たない。

 けれどエリシア・ド・ラヴォワは確信していた。

 ――恋とは、未知の理論である。


 そして今夜もまた、彼女は新たな命題を立てるのだ。


「ロウラン殿の沈黙に、意味はあるのか?」


 危険思想は、まだ始まったばかりである。



 夜の庭園には、昼とは違う理性が漂っていた。

 風は薔薇の香を冷やし、月明かりが石畳に幾何学のような影を落とす。


 ひとりごとのように、しかし世界に語りかけるように言う。


「リュトン派が言いました。愛は魂の幾何学――でも、永遠とはどんな図形なのかしら」


「……また理論が始まった」

 声は背後から。

 任務ゆえの夜警。


「警護のついでに哲学とは、贅沢な夜ですね」

「哲学は命を救うのです。恋に溺れぬための理性の浮き輪ですわ」


「それを語って溺れている人を、私は何人も見ましたが」


 軽く笑う彼の声に、夜の空気がわずかに波立った。

 彼女は手にしていた本を閉じ、振り向く。


「ロウラン殿。あなたは“愛が続く”と思われますか?」

「……続かぬ、と思います」


 即答。

 それがあまりに平然としていて、エリシアはまばたきした。


「では、なぜ人は愛するのです?」

「剣を握るのと同じ理由です。たとえ折れると知っていても、誰かを守りたいから」


 沈黙。

 月が、彼の横顔を照らした。

 その光を受けた輪郭は、静かで、理性的で――思わず、見惚れてしまうほどに整っていた。


「……ロウラン殿、いま、わたくしを見て“美しい”と仰りませんでした?」


「言ってません」

「けれど、目がそう仰っていました!」

「私の目は口ほどに喋らないつもりなのですが」

「では、心が喋ったのですわ!」


 庭に笑いがこぼれた。

 それは知の応酬のはずだったのに、いつしか息づかいが近づいていた。


「ロウラン殿」

「なんです」

「あなたの理性を、わたくしで試しても?」


 小さな声だった。

 風に紛れたはずなのに、彼の耳には届いた。


「……私は試験官ではありません」

「でも、合格かどうか知りたいのです」


 その目が、まっすぐだった。

 哲学のためでも、冗談でもなく――ただの、ひとりの娘の目だった。


 ロウランは息を整え、わずかに視線を逸らす。

「……理性の防壁が崩れる音がしました」

「それは、恋の音ですわ」


 薔薇がひとつ、月光の下で散った。

 香りがふたりの間に流れ、夜がやさしく包む。


 彼は小さく笑った。

「まったく、危険思想どころではない」

「ならば、わたくしを拘束なさいます?」

「できるものなら」


 そのとき、遠くで鐘が鳴った。

 夜番の合図。

 彼は剣を持ち直し、いつもの穏やかさに戻る。


「――お部屋へ戻りなさい、エリシア様」

「命令ですか?」

「お願いです」


 彼の声は、思ったよりもやさしかった。

 それだけで胸の奥がまた鳴る。

 哲学書にどれだけ理屈を求めても、いまの一言には敵わない。


 彼女は小さく頭を下げ、裾を翻した。

 歩き出しながら、そっと自分に問いかける。


 ――理性の防壁を崩したのは、わたくし? それとも、この人?


 答えはまだ出ない。

 けれど、その問いの中に、恋が息づいていた。




 朝靄のラヴォワ邸。

 空気にはまだ夜の冷たさが残っていた。

 庭の噴水に光が差し込み、雫がまるで理性のように、静かに整列している。


 ロウラン・ヴァルドは、その前で立ち尽くしていた。

 転任命令書を片手に。

 王都勤務への復帰――任務は完了、とのことらしい。


 (つまり、監視対象は無害と判断されたわけだ)

 淡々とそう思おうとしたが、胸の奥がやけに静かだった。

 静けさは理性の友だ。だが今日は、少しだけ寂しい。


 そのとき。

 背後から、少し息を弾ませた声がした。


「ロウラン殿!」


 振り向くと、白い朝光の中にエリシアがいた。

 寝癖を慌てて撫でつけたのか、髪が波のように揺れている。

 彼女はそのまま駆け寄ってきた。


「転任と聞きました!」

「……早いですね、情報が」

「女の勘は哲学より速いのです!」


 思わず笑みがこぼれる。

 彼女は真剣そのものの顔をしていた。


「お別れを言わねばと思って」

「ありがたいことです。おかげで、任務は退屈せずに済みました」

「退屈、ですか?」

「危険思想の講義を毎朝聞かされるのは、まあ、珍しい経験でしたから」


 その声は穏やかだった。

 けれど、エリシアの胸の奥に何かが詰まる。


 (本当に、それだけ?)


 沈黙。

 噴水の音だけが続いた。


 やがて彼女は小さく息を吸い、微笑んだ。


「ロウラン殿。わたくし、ひとつ確信しましたの」

「確信?」

「愛とは、わたくしがあなたを思う限り、わたくしが確かに存在するということです」


 それは哲学の言葉に似ていた。

 けれど、その声には理論ではなく、体温があった。


 ロウランはゆっくりと視線を上げた。

 朝日が彼の銀の肩章を照らし、金色の縁を描く。


「……では、私の理性はどうなりますか」

「わたくしが試し続けます」

「危険思想、再来ですね」

「恋の発展形ですわ」


 その返しに、ロウランは小さく息を洩らした。

 笑いとも、ため息ともつかぬ音。


「ならば、私は――あなたの存在を護るのが、私の理性です」


 それは、告白のようでもあり、誓いのようでもあった。

 エリシアは一瞬、言葉を失った。

 次の瞬間、胸の鼓動が爆発する。


「……ロウラン殿、それは哲学的な意味ですか? それとも――」

「勤務上の意味です」

 と言いながら、ロウランの声はどこか熱があった。

「今、すごくずるいこと仰いましたわね!」

「理性の範囲内です」


 二人の笑い声が、朝の空気に溶けていく。


 そして、彼は軽く頭を下げた。

「では、行ってまいります」

「はい。わたくし、哲学を続けますわ」

「……ほどほどに」


 馬が蹄を鳴らす。

 遠ざかる背中に、エリシアはそっと手を伸ばした。


 届かなくても、確かに感じた。

 思う限り、存在する――それが彼女の哲学の結論だった。


 風が吹き、薔薇が揺れた。

 花弁が舞い、朝日に光る。


「愛とは、理性の防壁に穴を開ける風ですわね」


 そう呟いて、エリシアは笑った。

 危険思想は、今日も美しく健在だった。

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