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公爵家の心臓  作者: 綾呑
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九話 決別

 十日後、アルタスは予定よりも早く視察から戻ってきた。しかしながら辺境伯として処理しなければならないことが山積みで、リネアでさえ落ち着いて話ができたのはその二日後のことである。


「話とは?」


 書類が山積みだった執務机の上は整理され、アルタスはソファに腰かけて優雅に座っていた。テーブルの上にはカップが二つ、一つはリネアのために用意されたものだ。


「まず、お父さまが望んだようにカルデロン公子とは友好的な関係を築けているかと思います」


 アルタスは特になにも言わず、足を組む。


「それで、本題はなんだ」


 アルタスは手先でゆるりと回すカップに視線を落としながら言った。


「夫人とアマリスさまを別邸にお戻しください」


 ぴくりと眉が動き、目線だけがこちらを向く。


「二人の行動は目にあまります。これ以上、この家を乱したくありません」

「もう商人は呼んでいないだろう」

「無駄な支出だけが問題だとお思いですか?」


 心当たりがあるのか、アルタスは眉間に深いしわを寄せた。執事長からも話を聞いているだろう。


「理不尽な折檻により優秀な人材がやめていきます。形では辞職となっていますが、二人の横暴な態度に追いこまれ、涙を飲んでバーニー家を去るものもいたでしょう」


 そのものたちにはリネアが退職金を出し、他家へ就職する際に困らないよう推薦状も書いている。


「執事長や侍女長から報告は上がっていませんか?」


 ただでさえアルタスは家を空ける時間が多い。二人を野放しにすればバーニーの格は下がり、やがて評判も落ちていくだろう。


「クラリッサとアマリスはまだ貴族としての暮らしに慣れていないのだ。大目に見てやりなさい」

「では、いつになったらまともに教養を身につけるのです。いつまで我慢すればよろしいのですか」

「アマリスにつける家庭教師の目星はつけているし、クラリッサにもよくよく言い聞かせておく」

「最初からそれができていたなら、こうしてお父さまと話をする機会を作らず済みました」


 このような話でなければ、目も合わせてくれないとは。


 ――どうしてお父さまが、苦しそうな顔をするの。


 アルタスが見せた思いがけない顔にリネアの涙腺が緩みそうになる。


「なにが不満なのだ」

「……はい?」

「後継者として育て、女主人としての権限も与えたままだろう。お前のほうがわがままを言っているのではないか?」

「なにを……おっしゃっているのですか」


 すう、と全身から血の気が引いていく。


「貴族としての生き方を知らないクラリッサとアマリスを導くのも、やめていったという使用人の手綱を握るのも、お前の手腕でどうにでもできただろう」


 アルタスの鋭い視線にリネアは開いた口がふさがらなかった。


「お前を信じているから、私が不在の家を任せているのだ。それをお前は……お前にも責任があるのではないか?」


 だめだ、とリネアは心のなかでつぶやいた。


「っ……理解、できません」

「泣くな。みっともない」


 もう、目を合わせてくれなくなった。見られていないのなら泣いてもいい。咎めるにはまた目を合わせなければならないのだから。


 リネアはぼろぼろとあふれてくる涙を止めようとせず、ただ、言葉をこぼす。


「お父さまの責任です」


 声に嗚咽が混じる。


「お母さまが死の淵をさまよっているとき、娼婦になど気をやったお父さまの責任です」


 それでもリネアは淡々と続ける。


「いずれ辺境伯になるべく励んできた私や生涯をバーニー家に捧げてきた執事長たちより、あんな……」

「いい加減にしないか。ああ、私も悪かったよ。配慮が足りていなかった。だがこれからは、家族なのだから、お前もいつまでも意地を張っていないで寛容に――」

「家族ではありません」


 リネアはアルタスの戯言を遮り、席を立つ。


「お父さまとあの方々は家族になったつもりかもしれませんが、そこに私を入れないでください」

「リネア」

「――無視、しないでください」


 アルタスが訝しげに眉を寄せた。その下でほんのわずか、藍色の目が揺らいだ。


「失礼しました。今後はどうぞ、ご家族で水入らずの日々をお過ごしください」

「リネア!」


 リネアは軽く礼をし、アルタスの呼びかけを無視して部屋を出た。


 ――もう、後戻りはできない。したくない。


 扉を閉じても、追ってきてはくれない。弁明もしてくれない。それどころかリネアに責任を問うた。


 そんな人間にこれ以上期待をし、そのたびに裏切られたような気持ちになりたくない。


「お嬢さま」

「辺境伯ならなかにいるわ。話ができるかは知らないけれど」


 部屋のそばにいた執事長は悲しげに眉を下げる。


「今後、私の食事は部屋に運んでちょうだい。今日だけは、仕方がないから食堂でいただくけれど」


 今日の夜はロデリックとサフィを招いての晩餐会が開かれる。


 娘だけでなく自分も有力な貴族に売りこみたいのか、クラリッサは張りきって身支度をしているそうだ。


 アマリスも最初はロデリックと顔を合わせたくないと拒否をしていたのだが、母親に説得されて出席することにしたらしい。


 なんとも面の皮が厚い母娘だが、ロデリックも二人の同席を望んでいたため、リネアから言うことはなにもなかった。


「私が別邸へ移ろうかしら?」

「冗談でもそのようなことをおっしゃらないでください。お嬢さまがいなければ、この家は……」


 ふ、と軽い笑いがもれる。


「辺境伯はもとに戻ったのでしょう? だったら、この家にとって最善を選ぶはずよ。だって、それが国を守ることにつながるのだから」


 執事長の顔がくもり、嫌味な自分に嫌気がさす。


「私もそろそろ部屋に戻ってお客さまをもてなす準備をするわ。食事の件、くれぐれもよろしくね」

「承知しました」


 リネアの装いが整ったのはまさに日が暮れるころだ。屋敷内の情勢が不安定なこともあり、アマリスたちに負けないようにと侍女たちが張りきってしまい、かなり時間を要すこととなった。


「こんなに着飾ったのは久しぶりね」


 ゆるりと巻いた金色の髪には水晶と花の飾りをあしらい、ドレスにはリネアの目を淡くした色合いのドレスを選んだ。


 胸元には母からもらったネックレスが輝いている。


「奥さまに……いえ、先代夫人の若いお姿にそっくりです」


 ぽつりと母の名を口にしながら年長の侍女が目を潤ませていた。


 リネアは鏡にそっと指を添えたが、すぐに手を引いた。感傷に浸ってはつられて泣いてしまいそうで、小さく深呼吸してから視線も外す。


 食堂への道のりは普段よりも重く、長く感じた。今日で最後にすると決めたのだから、そう錯覚しても不思議ではない。


 ――そろいもそろって、ひどい顔。


 食堂へやってきたリネアは、すでに着席している三人の様相に呆れてしまった。


 アルタスは浮かない顔をして、クラリッサは目をぎらつかせ、アマリスは心底つまらなそうにしていた。


「カルデロン公子とマーキーソン子爵がお見えになりました」


 リネアが席について間もなく、執事長の声が扉の向こうから響いた。

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