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公爵家の心臓  作者: 綾呑
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七話 包帯

「傷も目立たなくなってきましたので本日から薬を変えます。今まではべたべたしていたため包帯を巻いておりましたが、この薬はさらりとしているのでその必要もないでしょう」


 柔らかい口調でバーニー家の主治医は容赦なく薬を塗りこんでくる。


「そう、か」

「喋らないでください」


 むにりと頬を引っぱられた。相変わらずこの主治医はずいぶんと肝が据わっているとロデリックは感心する。


「本日から包帯を外されますか?」

「都合がいいから包帯を頼む」

「承知しました」


 医療鞄を漁っていた主治医が首を傾げる。


「おや?」

「なにか問題があったか」

「ええ、そのようです。包帯が足りないので取ってまいります」

「その手に持っているものは包帯ではないのか?」


 主治医の左手には包帯がある。けれど、右手はまだ医療鞄をがさごそとしていた。


「これだけでは足りません。多めに入れていたつもりでしたが……これだから歳には抗えない」


 ため息をつき、「それではしばしお待ちください」と主治医はゆったりとした足取りで部屋を出ていった。


 窓辺には昨日の花束がまだ置かれている。水もやらず飾っていたため、昨日よりも萎れてしまっていた。


「香り……」


 主治医が薬を変えたと言っていたが、軟膏のにおいも弱くなっているように感じる。これなら、あの侍女が持ってくる花の香りも以前より楽しめるだろうか。


 ――いや、待て。


 それはまるで期待しているようで、ロデリックは己が抱いた感情に戸惑う。


 ――はじめは、変わっている女性だと思ったが。


 高位貴族の侍女ともなれば貴族子女がほとんどだ。


 傷だらけであり、疲弊した兵士たちに悲鳴を上げられても不愉快である。だから遠ざけようとしたのに、彼女は顔を歪めることなく定期的に足を運んでいた。


 あまつさえ兵士たち一人一人を気にかけてくれるものだから、彼女の来訪を心待ちにしているものまでいるほどだ。


「バーニー領はたくましいものも多いんだな。……帰還したら、バーニー領への郵便物が増えそうだ」


 ロデリックは、すう、と花束に顔をうずめるようにして息を吸った。


「噂をすれば、か」


 花束をもとの場所に戻したとき、窓下に彼女の姿が見えた。話をしているのはカルデロンの騎士たちだ。


「――」


 ロデリックは静かに窓を開ける。今日は無風のようで風は吹いてこなかったが、代わりに外にいるものたちの声が届いた。


 なにを話しているのか詳細はわからないが、楽しそうであるということは伝わってくる。


 ――そろそろ帰還の準備をしなくては。あと十数日もすれば辺境伯が視察から戻ってくるらしいが、待つべきか。


 もう何日も世話になっている。兵士たちも領地へ戻る気力は十分すぎるほどに取り戻しているだろう。


 父であるカルデロン公爵からはバーニー家には敬意を払うようによく言い聞かせられているため、あと十数日くらい待って顔を合わせて感謝を述べたほうがいいかもしれない。


 ――母上が気にかけていた辺境伯の令嬢の顔くらいは見ておきたいが……彼女に聞いてみようか。


 そうして視線を下にやったとき、遠くから黒髪の女性が歩いてくるのが見えた。身なりからして辺境伯が新たに娶った妻だろう。


 先代夫人が亡くなられてからそう時間は経っていないが、辺境伯は節操がないようだ。


 現夫人がにこやかに兵士たちを離れさせ、姿が見えなくなったころに一人残った彼女を見下ろした。


「は」


 何度か言葉を交わしたのち、彼女が夫人に扇子でぶたれる。かなりの勢いであったが、彼女は抱えていた花瓶を離してはいなかった。だが、花は数本、地面に落ちる。


 ――折檻にしても限度がある。


 他家のことに首をつっこむつもりはないが、仮にも人の目に着く場所でするのはいかがなものか。


「――アマリスに家を出ていけと言ったそうね!?」

「夫人、声を抑えてください。ここにはたくさんの客人がおられるのですから」

「話をそらさないでちょうだい!」


 またも頬を打たれる。力任せのようなあの加減のなさでは血が出ていてもおかしくはない。


「アマリスさまは辺境伯家での生活に不満があるようですので、提案して差しあげたにすぎません」


 なおも毅然とした態度を崩さない彼女の姿勢に、ロデリックは前のめりになって見入っていた。


「なんて薄情な子なの!? ああ、かわいそうなアマリス。これだからお高くとまった貴族は――」


 わざとらしく天を仰いだ夫人と目が合う。人がいるとは思っていなかったであろう夫人はわかりやすく狼狽した。


「いい? こんな場所で油を売ってる暇があったら、アマリスに誠心誠意謝るのよ! わかったわね!?」


 八つ当たりのつもりか、落ちた花を踏みつける。最後にこちらにまで一睨みをきかせ、本邸へと帰っていった。


 ――後妻を娶ったという話は聞いていたが、優秀な軍師として名高い辺境伯も見誤るらしい。


 夫人が去ったあと、彼女はしばらく顔を伏せて佇んでいた。


「お待たせいたしました」

「ああ」


 包帯を片手に戻ってきた主治医にロデリックは振り返る。


「なにをそんなに熱心にご覧になっていたのですか?」

「先ほど、辺境伯夫人の姿があった」

「それは珍しいですね」


 ロデリックのように窓の外をのぞいた主治医は頬を固くした。


「……夫人とお嬢さまはご一緒に?」

「そうだが……お嬢さま?」


 主治医は不思議そうな顔をした。


「公子はリネアお嬢さまと顔を合わせたことがあるでしょう」

「何度もあるが、彼女は侍女ではないのか?」

「はい?」


 主治医は目を丸くした。


「侍女って、まさか。ご冗談を。……冗談、ですよね?」


 いたって真剣な面持ちで、けれど戸惑いを隠せないロデリックに主治医は絶句している。


「な、なぜ公子がお嬢さまを侍女と思っていたかはわかりませんが……彼女こそが辺境伯のご令嬢、リネア・バーニーにございますよ」


「令嬢が、なぜ兵舎に足繁く通う……?」

「辺境伯代理としての責務を果たされているのもありますが、ひとえにお嬢さまが慈悲深い心をお持ちだからでしょうか」


 兵士たちに分け隔てなく接する彼女の姿は鮮明に思い出せる。きっと、幼いころから騎士たちに優しさを分け与えるように、そうして育ってきたのだろう。


「それなら、もう一人、いないか?」


 初日、誰よりも前に出てきた令嬢がいたはずだ。


「……アマリスさまですね。夫人の連れ子です」


 記憶が断片的に思い起こされ、ロデリックは頭が痛くなる。


 派手な様相をしていた令嬢がバーニー家の一人娘で、その後ろにいた令嬢を侍女だと思いこんでいた。


 辺境伯令嬢の侍女だからこんな場所に足繁く通うのであり、だからこそ花瓶を用意するように雑務を頼んだのだ。


 ――いくら朦朧としていたからとはいえ、間違えるとは。


 ロデリックはすっと片手で顔をおおった。


「公子?」

「自分の愚かさに失望しているところだ。気にしないでくれ」

「はあ」


 辺境伯令嬢に、しかもバーニー家の令嬢に侍女のまねごとをさせたことを一刻も早く謝罪しなくてはならない。


「さあ、包帯を巻くのでじっとしていてください」

「いや」


 伸びてきた手をロデリックは片手で制する。案の定、主治医に怪訝な目を向けられた。


「包帯はもう、巻かなくていい」


 窓の外にはもう、彼女の姿はなかった。

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