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公爵家の心臓  作者: 綾呑
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四話 傷

 村々に一泊したり野営をしたり、長い道のりを帰ってきたカルデロンの一行は安全が約束された地でよほど安堵したのだろう。張りつめていた緊張がとかれ、発熱したものが多くいた。


 一度は感染症を疑われたものの、医者は口をそろえて疲れからくるものだと診断した。


「まさか私まで熱を出してしまうとは……お恥ずかしい限りです」


 熱を出したのはサフィも例外ではない。だというのに、ロデリックのそばを離れるわけにはいかないと、副官としての務めを果たそうとする姿にはみなが手を焼いた。


 それも結局、騒ぎを聞いて顔をのぞかせたロデリックの無言の圧によってベッドで眠ることを余儀なくされていたが。


「なにはともあれ、大事なくて本当によかったです。一時は人手が足りずどうなることかと思いましたが」

「はい。これもすべて令嬢のおかげです。ところで……後ろの方はどなたでしょうか? 見ない顔ですね」

「彼がバーニー家の主治医であるヨーランです。今日はカルデロン公子の容態を診ていただこうとお連れしました」


 ヨーランは七十歳を超えており、リネアが生まれるずっと前からバーニー家で働いている。リネアも母も、何度も世話になった。


「お嬢さまは外でお待ちください」

「私も入ってはいけないかしら?」

「身体も診ますので」

「あ……部屋の外で待つわ」


 リネアは腕を組み、顔を大きくそらした。熱を帯びたこの頬は赤らんでいるだろう。


「もう訓練を再開した人たちがいるのね」


 気を紛らわせるため、リネアは気合いの入った声が響く窓の向こうを見やる。軽傷だったものたちはすでに木剣で打ちあったり走りこみをしたりしているようだ。


「令嬢。ロデリックさまと顔を合わせられますか?」

「カルデロン公子がよろしければ、ぜひ」


 ヨーランと入れ替わりで部屋に入る。つんとしたにおいが鼻をついた。


 ――このきついにおいはたぶん、軟膏かしら?


 真新しい包帯を見るに、ヨーランは薬を処方したようだ。


「お体の具合はどうですか? なにか不便があればお申しつけください」

「今のところ不便はない。部下たちにもよくしてくれて感謝する」


 抑揚のないくぐもった声。話せるようになったのだとほっとしたのもつかの間、赤い目がすっと細くなる。


「今後は令嬢がここへ来る必要はない」

「いえ……そういうわけには、いきません。みなさまが安心して過ごせる環境を提供するためにも、私はみなさまの元へ足を運びます」

「――そうか」


 ロデリックの言葉は短く、会話は終わる。けれど、ロデリックがじっと目を見てくるため、リネアも下がるタイミングを見失ってしまった。


「では、令嬢は私がお見送りします。ロデリックさまはご安静に」

「わかっている」

「失礼いたします」


 サフィの助け舟に乗り、リネアは部屋をあとにする。


「包帯のせいもあり、まだ口を動かしづらいようです」

「傷が残らないといいのですが……あ、申し訳ありません」

「なにがですか?」


 リネアが謝罪した理由がわからず、サフィは目を丸くした。


「うちの騎士がよく言っていたんです。傷は勲章で、誇るべきものだと。剣を握るカルデロン公子からしたら、傷は残ったほうがいいのかと思いまして」

「ふっ」

「……どうして笑うのですか?」


 口元を押さえていたサフィは表情を整える。


「令嬢があまりに真剣なもので」


 ふうと息をついたサフィは言葉を続ける。


「傷はたしかに勲章かもしれませんが、よほど名誉でなければ……少なくとも私は残したくありません」


 その言葉に、自分を心配させないよう安心させるために騎士たちが口にしていたのだといまさらながらにはっとさせられる。それをこの歳になるまで純粋に信じていたとは。


「ヨーランの作る薬は素晴らしいですから、きっとカルデロン公子の傷も残らないと思います」


 その質はリネアが保証する。幼い頃はリネアも剣を握り、騎士団に混じって稽古をしていた。稽古といっても、興味本位で遊びの一環ではあったが。


 ――才能もなかったし、そのうち飽きてほかに興味がうつったけれど。


 何度もできた擦り傷はヨーランの薬のおかげで綺麗さっぱり消えてくれた。


「先ほど、ロデリックさまがおっしゃったことですが」

「はい?」


 首筋に手をやったサフィはばつの悪い顔をしていた。


「令嬢がここへ来る必要はないとおっしゃったのは、決して令嬢を怪訝にしているからではないと私から弁明させていただきたくて」

「ああ、気にしておりませんよ」


 初日にあんなことがあったのだから、拒絶されてもおかしくはない。


「その、辺境伯家に生まれた令嬢は傷や血に慣れているかもしれませんが、ロデリックさまからすれば女性はみな同じようなもので……」


 つまり、ロデリックなりに気を遣ってくれたらしい。


「カルデロンにとってバーニー家は特別ですから、どうか令嬢には誤解しないでいただきたく……」

「特別?」


 リネアはふっとサフィの顔を見上げ、首を傾げた。


 バーニー家とカルデロン家にこれといった親交はない。ごくまれに兵の要請をしあうだけの、あくまで国のために助けあう関係性でしかないはずだ。


 だからこそ、アルタスも婚約にこぎつけないかの采配を下したわけで。


「あ……あ! そういえば、力仕事などなにかお手伝いできることはありませんか?」

「マーキーソン子爵さま?」

「使用人の方々がよくしてくださるのは大変ありがたいのですが、ほら、我々は人数が多いではありませんか。薪割りや水くみなど手伝いたいと申し出るものもおりまして。ほら、人手はありますから」


 まくしたてるサフィにリネアはじとっとした目を向けてしまう。


 ――聞かなかったことにしてほしいのね。


 それならそうと言ってくれたらいいのにとリネアは思うが、焦るあまり頭よりも先に口が動いてしまうようだ。


「狩りや採集なんかも手伝えます」

「わかりました。一度、執事長にも確認してみます」


 とはいえ、秋になろうとするこの季節にその申し出はありがたい。すぐにやってくる冬に備える必要があり、動員できる人数が増えれば近隣の村にも手を回すことができるだろうから。


 ――カルデロンという客人にそんな雑用をしてもらうのはちょっと気が引けるけれど。


 咄嗟の話題転換にすぎなかったとしても、口に出したのなら責任はとってもらおう。


 ――そうね、口止め料とでもしておきましょうか。


 リネアはちらとサフィの顔色をうかがう。追及されなかったことにほっとしているようだった。


「見送りはここまでで大丈夫です。マーキーソン子爵さまも病み上がりの身ですから、どうかご自愛ください」

「痛み入ります。……令嬢」


 兵舎をあとにしようとしていたリネアは振り返る。その瞬間、ぶわりと強い風が吹き、髪の毛が視界をおおうように舞いあがった。


「これからもどうか、カルデロンを……ロデリックさまを気にかけていただけませんか?」


 風の音で全貌を聞きとれなかった。かろうじて耳に入ったのは「どうか」と「カルデロン」、「気にかけて」くらいだ。


「よろしくお願いします」

「え、ええ? わかり、ました」


 リネアは乱れた髪をぱぱっと整えながら、耳にかけた。

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