三話 とどまることを知らない
ちょうど馬から下りる二人の姿が目に入った。一人は騎士団の制服に身を包み、もう一人はその上にローブを羽織っている。さらにフードを深く被っていることもあり顔はよく見えない。
「こちらに大人数で押しかけるわけにもいかず、代表して挨拶に参りました。兵士たちは外で待機させております」
頭を下げたのは黒髪に紺色の目を持つ男性だ。歳は二十代後半だろう。鼻筋の通ったはっきりとした顔立ちをしているが、凛とした表情には隠しきれない疲れが滲んでいる。
「お待ちしておりました!」
リネアが挨拶を返そうとする前に、背後から元気な声が聞こえた。
「ロデリックさまがいらっしゃるとお聞きしてから、胸の高鳴りが落ち着かなくて……」
艶やかな表情を浮かべ、とんでもないことを口走ったアマリスにリネアはぽかんとしてしまう。
――な……なにを言っているの!?
開いた口が塞がらないとはまさにこのことで、我に返った瞬間に全身から汗が噴き出した。
「も、申し訳ございません!」
リネアはアマリスと反対に顔を青くして騎士の二人に頭を下げた。さすが娼婦の娘、などと最悪の形で感心している場合ではない。
「い、いえ、お気になさらず……」
確実に引いている。フードの御仁の表情はわからないが、こちらからもいたたまれない空気が伝わってきた。
「ゆっくりお茶でもしながらお話はどうですか? ロデリックさまは特別に本邸へ案内しますから」
すべてを無視し、踏みつけていくアマリスにリネアはめまいがした。
アマリスからの熱烈な視線にあてられた男性はしばらく言葉を探していたが、やがてわざとらしく咳を落とした。
「ごほん。勘違いなさっているようですが、私はロデリック・カルデロンではありませんよ。レディ」
「は?」
とどまることを知らない不遜な態度に卒倒しかけたリネアだが、アマリスの失言をものともしないまっすぐな声音で名乗りを上げてくれた男性のおかげでなんとか持ちこたえる。
「私はサフィ・マーキーソンと申します。此度の戦ではロデリックさまの副官を務めておりました」
「マーキーソン卿は子爵家の当主です。度重なる無礼への謝罪をしてください、アマリスさま」
「いえ、構いませんよ。バーニー令嬢も心労が絶えないことお察しいたします。そんななか我々の安息を受け入れてくださったこと、改めて感謝申し上げます」
下げられた頭にリネアは言葉を返さず、微笑むだけにとどめた。
「ちょっと!」
「なんでしょう?」
アマリスにぐいっと肩を引かれ、リネアは声を潜める。
「その人がロデリックさまじゃなければ、肝心のロデリックさまはどこにいるの?」
「……いい加減に――」
「こちらにいらっしゃるではありませんか」
「え?」
アマリスの問いかけに答えたのはサフィだ。サフィは一歩下がり、フードの人物を前に立たせた。
フードを取り、浅く一礼される。おぼつかない足取りに不安を覚えるが、それよりも目を引くのは彼をおおう包帯だ。
「――」
「ひっ!」
リネアはわずかに目を見張り、アマリスは小さく悲鳴を上げた。
「ロデリックさまは現在話せる状態ではないため私が代弁いたします。ご理解いただきたく」
ロデリック・カルデロンは顔から首まで、肌が見えるところすべてが包帯で巻かれていた。
かろうじてのぞく右の目はまるで血のように赤い。カルデロンを象徴するその赤にみなが恐怖するのだと納得すると同時に、リネアはなんて綺麗なのだろうと思った。
「なんて、醜いの」
口からこぼれおちたようにささやかれたアマリスの発言に、ロデリックは目を伏せ、サフィは頬を固くした。
リネアの心が、急速に冷えていく。
「話が違うわ!」
「あなた……っ」
地団太を踏んだかと思えば、アマリスはくるりと踵を返して屋敷のなかへと走り去ってしまった。
リネアはぐっと奥歯を噛み、手のひらに爪が食いこむほどこぶしを握りしめた。
――ありえない。
わなわなと震える体を律し、ロデリックに向きなおって深く頭を下げる。
「度重なる無礼を謝罪申し上げます。すべては教育を怠ったバーニー家の責任です。弁明のしようもございません」
しばしの沈黙。二人に合わせる顔もない。
「顔を上げてください」
リネアは吸った息を止め、ゆっくりと頭を上げた。
「バーニー令嬢が責任を感じる必要はありません。互いに、聞かなかったことにいたしましょう」
サフィに続いてロデリックも首をふるりと振った。柔らかな、けれどくすんでしまっているベージュの髪が揺れる。
「――みなさまにはバーニー家の兵舎を一棟、お貸しいたします。医者や使用人が常に常駐しておりますが、不便などございましたら遠慮なく私にお申しつけください」
「ありがとうございます」
外に待機していた兵士たちも一緒に兵舎へと移動する。
老朽化を理由に改築したばかりの兵舎は居心地も悪くないはずだ。改築の際には、実際にバーニーの騎士団に所属するものからの意見も取り入れ、より利便性や快適さを追求したと聞いている。
「マーキーソン子爵さま、少しよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。どうされましたか?」
一通りの案内を済ませ、リネアはサフィに時間を設けてもらう。
「カルデロン公子の状態をお聞きしたく存じます。あの包帯は……かなりひどいけがを負っているのでしょうか」
「口外しないでいただきたいのですが、先の戦でロデリックさまは深手を負いました。文字通り、刺し違えるようにして敵将を討ったのです」
包帯だらけの痛ましい姿が脳裏に浮かぶ。
「ですが、優秀な軍医のおかげで今は命に別状はありません。見た目のほど状態が悪いといったことはないのでご安心ください」
「そうでしたか。バーニー家の主治医にも診てもらったほうがいいのではないかと思い、声をかけさせていただきましたが……いらぬ心配でしたね」
「そんなことはありませんよ。ぜひその方にもロデリックさまの経過を確認していただきたいです。バーニー領には優秀な医者がそろっていると聞きおよんでおりますので、とてもありがたいです」
「ええ。バーニー家もカルデロン家のように前線へ赴くことがあり、彼らもそういった治療が得意ですから。きっとお力になれると思います」
サフィと話を終えたリネアは本邸へと戻り、逃げだしたアマリスを探す。道すがらのメイドに尋ねれば、私室にこもっていることがすぐにわかった。
「うるさい! なにしに来たのよ」
何度目かの呼びかけに応じたアマリスの顔は険しく、反省の色などみじんも感じられなかった。
「カルデロンはあなたの失言の数々をなかったことにしてくださいました。もう、謝罪も必要ないでしょう」
「はあ? どうして私が謝らなければならないの?」
「ええ。ですから、もういいです」
にこりと微笑むと、アマリスは怯んだように息を呑んだ。
「お父さまは私たち二人にカルデロン公子をもてなすように命じましたが、これからも放棄なさるということで――」
「あんな包帯だらけの、おぞましい人の世話なんてできるわけがないでしょ!? 公爵家の令息だから期待してたのに……そうよ、謝ってほしいのは私のほうだわ。期待を裏切られたんだから!」
「そうですか。でしたら私から話すことはなにもありません」
「話すことなんか最初からないわよ!」
勢いよく閉じられた扉にリネアは息を吐く。
耳障りな金切り声や花瓶かなにかが割れる音が、遠ざかる部屋から響いてきていた。