二十五話 再会
「どちらのご子息かしら?」
夫人の声は柔らかいが、その奥には慎重さが含まれている。貴婦人たちが壁となるよう、リネアと青年の間にさっと立った。
「キトラ・バーニーと申します。リネアのいとこにあたります」
キトラは礼儀正しく、深く礼をした。
「思わぬ再会に心がはやり、香り高きワインの余韻に水を差すようなまねをしてしまいました。どうか無礼をお許しください」
口元にかすかな弧を描いたキトラは紳士然としている。幼いころはリネアとともに庭を走り回るおてんばだったのに、すっかり成長したようだ。
「驚いた。久しぶりね、キトラ」
「うん、久しぶり。元気そうでよかった。少し、話があるんだけど……」
声を潜めるキトラにこくりとうなずき、貴婦人たちにそっと会釈をする。
「少し、彼と話をしてまいります。みなさまにはまた、母の話をうかがいたく存じます」
「ええ。あなたに会えてよかったわ」
「お茶会にも招待するわね」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
リネアはキトラとともにその場を離れた。
大広間の華やかなざわめきのなか、二人の歩く道筋だけが少し静かに感じられる。
「なにか言いにくいこと?」
横から視線を感じ、リネアはキトラに目を向ける。
ブロンドの髪は子どものころからふわふわで昔から変わらない。その柔らかい顔立ちは誰もが話しかけやすい空気をまとっている。けれどその穏やかな静けさのなかに、なにかを見つめるような深い藍色の目。以前会ったときよりも少しだけ大人びた気がした。
「いや……綺麗になったね」
ふわりと微笑むキトラに口を尖らせる。
「前は綺麗じゃなかったってこと?」
「まさか。より磨きがかかったって感じかな?」
キトラがくるりと回り、正面から向き合う。
「そんなことを言うためにわざわざ呼び出したわけじゃないでしょ? 本題を聞いているのよ」
「あれ、照れてる?」
「照れていないわ! あなたがこのパーティーに来ていることと、関係があるの?」
「まあ、そうだね」
軽く肩をすくめたキトラは素直にうなずいた。
「どうして僕が、ここにいると思う?」
「え? どうしてって言われても……」
「じゃあ僕は誰と来たと思う?」
キトラは寂しげに目じりを下げた。
「ねえ、リネア。バーニーに戻ってくる気はない?」
力なく笑うキトラにリネアはたじろぐ。
「ずっと、がんばってきたじゃないか。伯母さまが亡くなってから……いや、それよりもずっと前から」
「……やめて」
「僕は、リネアに報われてほしいんだ。やっぱりおかしいと思うんだよね。リネアじゃなくて僕が――」
「失礼」
割って入ってきた人影に、リネアとキトラは同じように目を見開いた。
「ロデリック」
「困ったことはないか?」
「ええ、大丈夫よ」
「ところで……このものは? ずいぶんと親しげに見えたが」
キトラに向けられる視線は冷たい。
先ほども貴婦人たちに警戒をあらわにされ、ついには若き英雄に邪険にされることになるとは。
災難と笑いとばすにはいたたまれなく、さすがに同情してしまう。
「彼はキトラ・バーニー、私のいとこの一人よ。小さいころはよく一緒に遊んでいたの」
「ご挨拶が遅れました、キトラと申します。リネアと仲よくしてくださっているようで、僕もうれしいです」
キトラは敵意を向けられても爽やかな顔を崩さなかった。
「そうか」
少しだけロデリックのまとう空気が柔らかくなるが、視線は外そうとしない。
「リネア。さっきの答えを聞かせてくれないかな」
「答え……?」
再び険を帯びるロデリックは声を低くしてリネアとキトラを交互に見やる。その赤い目には不安がにじんでいた。
「キトラが誰と来ていようが、私には関係のないことよ。あそこはもう、私の居場所ではないから」
自分でも驚くほどまっすぐで澄んだ声が出た。
「私は、私を愛してくれる人を愛すの」
リネアはロデリックを見上げ、ふわりと微笑む。
「と、いうことらしい。なにをリネアに求めたかは聞かないでやるが、用が済んだなら消えてくれ」
「え、え? それって……?」
キトラは状況が飲みこめず、目を丸くした。
「私ね、養子じゃなくて……ロデリックと婚約したの。正式にはまだだけど、いずれ結婚もするわ」
「そ、そうなの!?」
キトラの頬がわずかに赤く染まる。
「じゃあ、え? 叔父さまは嘘を? いや、そんな嘘をついたって意味が……」
「キトラが私についてどう聞かされているかは知らないけれど、私のことはそっとしておいてほしいの。今はまだ、少し複雑だから」
「そう、なんだ?」
見つめ合う二人に、キトラはふっと息を抜くように笑った。
「……そっか。リネアが幸せなら、もう大丈夫だよ。僕が言ったことは忘れて。リネアが辺境伯を継ぐことを目標に努力していたことを知っていたから……でも、うん。それなら僕も、心置きなくがんばれる」
「ごめんなさい、なんの話をしているの?」
「行こう、リネア。挨拶は十分できただろう?」
「あ、待って!」
ロデリックがリネアの背にそっと手を添えると、キトラに慌てて止められる。
「まだなにかあるの?」
「実はまだ、本題には入っていないんだよ」
「え?」
「今の話は、僕の独断。まずはリネアの気持ちをたしかめたかったから」
キトラはふいに視線をどこかに向けた。先には、厚く垂れたカーテンが静かに揺れるバルコニーがあった。
「僕が誰と来て、そもそもなぜ僕がこのパーティーに出られたか……僕がリネアに知ってほしい」
キトラは申し訳なさそうに笑う。
「自分がなにを言っているのかわかっているのか」
「――」
「リネアを傷つけた人間のもとに行けと?」
キトラを詰めようとするロデリックの腕を掴み、リネアはゆるりと首を横に振る。
「話をしなくちゃいけないと、思っていたから」
「だが」
「大丈夫だから。私を信じて」
名前を出さずとも、誰がいるのか察しはつく。ロデリックもすぐに気づいたし、なによりキトラが否定しない。
「行ってくるわ」
「なにかあれば、すぐに逃げるんだ。大声を出したっていい」
「心配性ね。王室が主催するパーティーで騒ぎを起こすほどほだされていないと思うわ」
ロデリックとキトラを一緒に残すことに不安はあるが、リネアは深呼吸してからすっとカーテンをめくる。
「――」
月光にきらめく金の髪に深い藍色の目。精悍な顔立ちの男が背筋を伸ばし、静かに佇んでいる。
人の気配はとうに感じとっていただろうに、ゆっくりとこちらを向く。
――どうして……?
たしかに、目が合っていた。