二十三話 開会
王都での時間はあっという間にすぎていき、戦勝パーティーの日がやってきた。
「公爵さま、私のわがままを許してくださりありがとうございます」
王宮へ向かう馬車の窓に王都の街並みが緩やかに流れていく。
「わがままなど。先代夫人もそのドレスが選ばれたこと、心から喜んでいることだろう」
今日という日のためにリネアが選んだ衣装は、かつて母が着ていたというドレスだ。流行がすぎているものの、それがかえって気品と気高さを際立たせていた。
蒼銀の生地は角度によって紫紺を帯び、ふわりと広がるプリンセスラインの裾には小さな薔薇の刺繍が散りばめられている。足元から胸元に流れる銀糸は職人の意匠を感じられる施しだ。
手首までおおう長袖、けれど襟ぐりはゆるりと開かれ、肩を包むオフショルダーの仕立てとなっている。その縁に小さな布花、三輪の薔薇が寄り添うように飾られていた。
「なにを考えている?」
隣から静かに声をかけられる。ロデリックがこちらを見つめていた。
リネアは胸の奥に感じる小さなとげを打ち明けた。
「公爵夫人が贈ってくれたドレスはどれも本当に素敵だったから。私のために選んでくれた夫人の気持ちを、無碍にしてしまったと思うと……」
王都にあるカルデロンの別邸には、リネアのためにドレスが何着か用意されていた。夫人が帝国から送ってくれたものであり、自分に宛てた手紙もあった。
自分を想い、穏やかで温かな文面になおさら胸が痛んだ。最初から、リネアは着るドレスを決めていたから。
「母上が用意したドレスは母上の前で着ればいい。機会はこれから、いつだってあるのだから」
「ロデリックの言うとおりだ。今日、リネアが先代夫人のドレスを着ていることを知ったら、それもまた喜ぶだろう」
リネアは少しだけ目を伏せる。そして、胸元のネックレスをそっと握った。
ダイヤのネックレスは母からの初めての贈りもの。たとえドレスに合わせるには弱くても、これだけは絶対につけていきたかった。
申し訳なさと感謝、そして温かさに小さなとげが抜けていく。
「それに、私がこの伝え方しか知らなかったゆえ、夫人も……ロデリックもそれに染まってしまったようだ」
「どういうことですか?」
「なにかと贈りものが多いだろう?」
公爵はロデリックのほうを向き、ふっと目を細めた。
「ドレスも、装飾品も、花も……与えられるものはなんでも与えたい。大切に思えば思うほど、その手になにか持たせたくなる」
たしかに、ロデリックは特別でないときでも花を贈ってくれることがある。正直、受けとるたびにそれが柄ではないと思ってしまっていた。
しかし、それはロデリックなりの愛情の伝え方であり、愛し方だったのだと、今、わかった。
「与えるだけが愛ではないと夫人には何度も注意されたが、与えることもまた紛れもない愛なのだと私は信じている」
身にあまると、自分には受けとる価値がないと卑下することは、愛情を注いでくれる人たちに失礼だ。
その愛情を受け入れる覚悟が、リネアにはまだできていなかったのかもしれない。
「世の恋人たちが愛の言葉をささやくように、私たちはものを贈ることがそれと同等だ」
決して声高に語られるものではなく、けれど確信をたたえたものだった。
「言葉を持たぬ鳥が歌をさえずるように、花が香りを放つように。私たちは『愛している』を小綺麗に整えて渡しているにすぎない」
公爵の輪郭が夕日に縁どられる。
「受けとるも突き返すも、リネアの自由にするといい。ただ私たちは、やめるつもりはないがな」
ふ、いたずらっぽい微笑みをこぼす公爵。それは、愛することをやめないというたしかな宣言でもあるように聞こえた。
「なんともぜいたくな愛し方ですね」
リネアもお手上げだというように目元を緩める。
「気に入ってもらえるまで贈りものを続けるのは、恋人たちの常套手段だろう」
ロデリックのあっけらかんとした物言いに、馬車のなかの空気がふっと和らいだ。
夕暮れのなか、王宮の門に近づく馬車が速度を落とした。出席者を乗せた馬車の多さと警備の関係だろう。
「公爵閣下、ご令息並びにご令嬢。陛下より特別に別室をご用意しております」
身元確認ののち、係に連れられて王宮内の足を踏み入れる。絢爛豪華な回廊には王家の紋章が刻まれたタペストリーや歴代の皇室関係者の肖像が飾られていた。
「開会までまだ時間がございますので、こちらでおくつろぎください」
華やかすぎず、けれど細部まで美しく整えられた一室だ。
「緊張しているか?」
「少しだけ。私が主役ではないのに」
「王室が主催するパーティーは戦勝を祝うものだが、私たちはそれだけとは考えていない」
「え?」
公爵の説明にロデリックがこくりとうなずいた。
「俺の婚約を広める場でもある」
今まで、浮ついた話が一度も出なかったロデリック。令嬢たちは誰が婚約者に収まるか興味津々で、それでいて自分にスポットライトが当たることを夢見たに違いない。
「ただ、気負う必要もない。あなたはあなたらしくいればいい」
緊張をほぐすための会話が静かに響く。
「間もなく開会となります」
しばらくして扉の向こうからかけられた声は、訓練された穏やかさのなかに一抹の緊張を含んでいた。
公爵が静かに立ちあがり、ロデリックとリネアはそれに続く。
ふいにロデリックが腕を差し出した。言葉はなくともその所作は雄弁で、リネアは息をついてからそれに応じる。
再び回廊を進み、やがて多くの騎士と侍従が控える重厚な扉の前に立つ。その瞬間、空気がすっと引きしまったのを感じた。
「ロデリック、リネア。堂々としていなさい」
なかから聞こえていた音楽も止み、その静けさをやぶるように高らかに口上が述べられた。
「本日の主賓であらせられる、カルデロン家ご一行の入場です」
扉が開かれ、シャンデリアの眩しさが目に入る。
各所のざわめきがぴたりと落ち着き、全員がこちらに顔を向けた。その視線はどこか優雅で、どこか品定めをするようで、好奇心に目をぎらつかせていた。
「――」
赤絨毯が続く先の玉座には王族が鎮座している。
公爵が一足先を行き、その背中を追うようにロデリックとリネアが並んだ。
――お父さまは……。
リネアは前をまっすぐ見つつも目の動きだけで父の姿を探す。しかし、大勢のなかにその姿を見つけることはできなかった。
玉座の前で、ロデリックと公爵の位置が入れ替わる。
「ロデリック・カルデロン」
「はい」
ロデリックは片膝をつき、頭を垂れた。
「若くして戦場を制し、王国の危機を退けたその才と胆力は称賛に値する。みなも英雄の姿を目に焼きつけるがよい」
「光栄のいたりにございます」
その短い返答に陛下はふっと口角を上げ、後ろにひかえる公爵に視線を流す。
「この動じない態度、相変わらず公爵にそっくりだな」
からかうように目を細めた陛下が片手をあげ、貴族たちを見渡した。
「忠義なるものたちよ。今日ばかりは剣を鞘に、ペンを机に――杯を掲げよ!」
大広間を揺らす陛下の声に歓声が上がり、あちこちで銀の杯が掲げられた。