二十話 まだ
「なにを、か」
とく、とく、と心臓の音が頭のなかで響いているようだ。
「本当に……なにを考えているんだろうな」
無表情で、声音にも色がない。それでもリネアは期待せずにはいられなかった。
――だって、こんなにも。
目の奥を揺らすロデリックは見たことがないから。
「――」
こつ、と靴音が鳴り、ロデリックとの距離が縮まる。
「約束してほしいことがある」
「約束?」
じっとロデリックに見下ろされる。
「これから先、あなたが躍る相手は俺だけでいい。でなければ……」
「でなければ……?」
リネアははやる気持ちを抑える。
「相手の手足を切り落とす」
「急に怖い!」
違う意味でどきどきしてしまう。
「こんなときに冗談を言うなんて」
「……冗談ではない」
耳元に落ちたその声は低く、たしかな熱を帯びていた。ぞくりと背筋が震え、リネアは思わず息を止める。
ロデリックの手が背中を撫で、ぐっと抱きよせられた。
「それって、どうして?」
「……」
「嫉妬……するから?」
顔が熱くなり、声も震える。まっすぐとロデリックの顔を見られなくて、リネアは首のあたりに視線をやった。
「ああ、そうか……そうだ」
腑に落ちたように、ロデリックはうなずいた。
「あなたに触れるものがいたなら、嫉妬では済まないかもしれない」
ささやくように、ロデリックは言葉を紡ぐ。
「俺は今まで、他人のことなど気にかけたことがなかった。だからこの感情がなんなのか、わからなかった。今でも、わからないでいる」
でも、とロデリックは深く息を吐いた。
「きっとこれは、恋だった。あなたに、どうしようもなく焦がれている。……本当に、どうしようもなく」
切なさをにじませ、けれどはっきりとした告白にリネアは胸がつまる。
「――恋だと、思う」
絞り出すような、けれど重みを帯びるその一言が空気に溶けた。
リネアは勇気を出して、そっと顔を上げる。ロデリックは少しだけ顔を強張らせ、緊張しているようだった。
「手を、離して」
「……離さない」
拒否するようにロデリックは顔を歪ませ、両手に力を入れる。
「許されないとわかっている。だが、離せない。離したら――」
「離してもらわなくちゃ」
リネアは掴まれていないほうの手をロデリックの背中に回す。
「あなたをちゃんと、抱きしめることができないわ」
綺麗な赤い目が見開かれた。それと同時に力が抜けた手からするりと抜け出して、リネアは両腕でロデリックを抱きしめる。
「なっ」
胸元に顔をうずめると、ロデリックの慌てた声が耳を撫でた。
「私も、あなたに恋をしているの。同じね」
ロデリックの心臓をすぐそこに感じる。自分の鼓動も、同じように伝わっているかもしれない。
「あなたも俺に、恋を……?」
「私はまだカルデロンの籍に入っていないそうよ。だから私たちは、まだ、許されるの」
一拍遅れ、ロデリックに強く抱きしめられる。
「そうか……まだ、間に合うのか」
リネアはあふれそうになる涙をこらえ、笑みをこぼす。
――あきらめなくて、よかった。
それから、二人は公爵に報告するためにもカルデロン邸へ帰ることにした。馬車にはリネアたちが広場に置いてきた紙袋などが先に乗っていて、本当に騎士たちがいたのだと驚いた。
――ロデリックが護衛はいらないと断っていたのに、こっそり守っていてくれたのね。
姿を見たことのない騎士たちに心のなかで感謝しながら、リネアは馬車の揺れに身を任せた。
祭りの喧騒が遠のいていき、馬車を降りると眼下にきらびやかな風景が目に入り、少しだけ寂しさを感じる。
「ここを越えたら、もう後戻りはできない。いや、させない。本当にいいんだな?」
「願ってもいないことよ。でも公爵さまは、許してくれるかしら」
「阻むというなら、切り捨てるまでだ」
差し出されたロデリックの手に、リネアは手を重ね、先にぎゅっと力を入れる。ロデリックはわずかに口角を上げ、玄関扉をくぐった。
「おかえりなさいませ!」
「……ここでなにをしている?」
にこやかなサフィがそこにいた。訝しげにするロデリックからすっと視線を下げ、二人のつなぐ手を見てさらに笑みを深める。
「もちろん、二人のことをお待ちしておりました」
「チッ」
明らかな舌打ちにリネアは目を見張る。
――常に冷静沈着だと思っていたけれど、ロデリックも舌打ちをするのね。
別に恐れおののいたわけではないだろうが、サフィが一歩下がり、道を開けた。
「公爵さまなら、食堂におられます」
「食堂に?」
「やはりお探しでしたか」
「チッ」
また綺麗な舌打ちである。
今日だけでいろんなロデリックの一面を知り、いろんなどきどきが止まらない。
「そろそろ、ちょうどいい頃合いではないでしょうか」
サフィは意味ありげにそう言った。
「父上」
食堂には公爵がぽつんと一人、席に座っていた。テーブルの上にはなにも用意されていない。
「ロデリック、と……リネアも、帰ってきたのか。祭りはどうだった?」
「とても楽しめました」
「父上とサフィが配慮してくださいましたので」
「ああ。忘れものも無事に届けられている」
広場に置いてきてしまった紙袋のことを言っているのだろう。
「ここでなにをしているのですか?」
「あるものを、待っているところだ」
もしかしたら、これから夜食を食べるのかもしれない。
「そうですか。場所を移すことはできますか? そう長く時間は……いえ、かかるかもしれませんが」
「ふむ。リネアもか?」
公爵の視線がこちらを向く。
「はい。とても大事な話を、させてほしいのです」
玄関から手はつないだままだ。公爵とは距離があり、その赤い目になにをとらえているかはわからない。
だからこそ、怖かった。
「ではなおさら、ここで話そう。二人とも、座りなさい」
リネアとロデリックは顔を見合わせ、こくりとうなずいた。
それぞれ公爵のはす向かいに座り、一息つく。けれど緊張状態は続いたままで、自然と背筋が伸びる。
「それで、話とは?」
「リネアの養子縁組を、取りやめてほしいんです」
「――それはできない」
れっきとした否定の言葉に焦りを覚えるが、リネアは心のなかで大丈夫だと言い聞かせるように繰り返す。
――だって、サフィさまにお願いしたもの。
時間を稼いでほしいという頼みに、サフィは了承した。まだ、間に合うはずなのだ。
「なぜですか?」
公爵は組んでいた足を解き、やや前のめりになってテーブルに肘をつく。しなやかに組まれた両の指に、やけに目がいった。
「お前たちが出かけてからほどなくして、リネアの養子縁組に関する書類を陛下のもとへ届けさせたからだ」