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公爵家の心臓  作者: 綾呑
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十九話 ワルツ

 ――不思議。


 人々の輪に混ざり、ぎこちなくステップを踏む。


 ――それと、少し怖い。


 ロデリックに誘われ、胸は高鳴った。だが、いざ人々と肩を並べると緊張で体が強張る。


 周囲では年齢も性別も関係なく、みなが笑いながら跳ねていた。誰もが自分のリズムを持ち、正解も形式もない。


 ただ、心と体を存分に解放しているようだった。


「リネア」


 重ねる手から緊張が伝わったのか、ロデリックの力が強くなる。


「面倒な型はないと言ったが、それをしてはいけないというわけではない」


 ロデリックがふと視線を端に向ける。見れば、席を譲ってくれた老夫婦がワルツを踊っていた。


 二人の背筋は年齢を感じさせないほどまっすぐで、陽気な音楽にもかかわらず気品をまとい、まるで舞踏会での一幕を垣間見ているようだった。


 軽やかなステップは技量というより、長い年月が作りあげた二人だけのダンスのようだ。


「ロデリック、私やっぱり……っ」


 やめる、と言おうとしたとき、背中になにかがぶつかった。


「おっとと」


 青年はぶつかってきたというのに謝罪もなく、軽快に笑い声を響かせた。そしてリネアには一瞥もくれず、人々のなかに消えていった。


「いくら無礼講とはいえ、あれは人間性に欠ける」


 冷ややかな目をしたロデリックは青年の背中を最後まで睨んでいた。


「ロデリック……私は、大丈夫だから」


 ぶつかったとき、ロデリックの手は素早く伸び、リネアの腰を抱きよせていた。それは驚くほど自然で、距離がぐっと近づいたことに気づくのが遅れたほどだ。


「なにが、大丈夫だって?」


 耳元でささやくような声にどきりと心臓が跳ねる。そして、ふ、と笑うような息がかかった直後、ロデリックが足を動かした。


「えっ」


 曲はやや速く、跳ねるように陽気だ。


「ろ、ロデリック……!」


 堂々とした一歩、けれど優雅な三拍子のステップ。その所作に抗う暇もなく、リネアの足も自然と動き出した。


 このワルツなら、パーティーで何度も踊ってきた。しかし、こんなにも軽快な音楽のなかで踊るのは初めてだ。


 ――もうしばらく踊っていないのに。


 母を亡くしてから、友人たちの誘いを幾度と断ってきた。レッスンもしなくなり、華やかなことからは一線を引くようになっていた。


 でも、体はしっかり覚えている。ロデリックについていける。


 ――ヒールが低いからいつもより踊りやすい。でも、それだけじゃない。


 ロデリックのリードが完璧だった。曲調など些細なことで、小石や落ち葉が落ちるこの空間を、まるで王宮の大広間のように使いこなしている。


 しかしそれでもまだ、リネアの足取りには戸惑いが残る。


 ――テンポが。


 音楽に合わせようとしてしまい、そうするとロデリックとの息が合わなくなる。


「合わせなくていい」

「わ、わかっているけど」


 とっさのことでうまく対応できない。


「あなたは、自由でいい」


 低い声がするりと耳に入った。


「あなたは今、なにを考えている?」


 ランタンに照らされるロデリックは本当に美しい。こんなにもときめいてしまうなんて、以前の自分に教えたらきっと信じてはくれないだろう。


「とても、不思議な気分よ」

「ああ、そうだな」

「ロデリックも?」


 返事の代わりに、ロデリックはわずかに口角を上げる。


「生涯、こうして誰かと踊ることなどないと思っていた」

「え? まさか結婚しない気だったの?」

「そういうわけではない。いつか、家門のためにてきとうな令嬢を夫人に据えるつもりでいた」

「じゃあ、夫人とも踊らないつもりだったの? パーティーでも踊らないで、放っておくつもりだったってことよね?」


 責めるような口調に、ロデリックは苦い顔をする。


「怒っているのか?」

「当然よ! 夫人が社交界でどんな思いをするか……想像しただけでつらくなるわ。あなたは最低よ。考えを改めるべきだわ」


 ついつい言葉が強くなってしまった。


「だが、あなたとはこうして踊っているだろう」

「わ、私は夫人じゃな……っ」


 ぐいっと腰を引きよせられ、くるりと世界が回る。ターンの前、ロデリックの目が細くなったように見えたのは、気のせいだろうか。


「――」


 いつの間にか、音楽が変わっていた。


 透き通るような笛の音に、ゆったりとした弦の響きが重なる。旋律はときおり高くなり、また沈む。


 いつかの舞踏会を彷彿とさせ、音楽ともロデリックとも息が合っていた。控えめだった動きも大胆になり、広場に大きく円を描くように舞う。


「――」


 やがて、音楽が風に溶けこむように遠ざかっていく。弦が最後の一息のように、低く、深く、長い響きを残した。


 リネアとロデリックの足も自然に止まる。二人で息を整え、向かい合い、礼をした。


 音楽の終わりとともに、広場は静寂に包まれていた。しかしそれもつかの間、わっと歓声が上げられ、拍手が響いた。


 リネアははっとして周囲に視線を向ける。あんなにもたくさんの人が踊っていたのに、いつの間にかリネアとロデリックだけになっていた。


「リネア」


 ロデリックがなにか言いかけたとき、人々が興奮気味に集まってきた。


「なんて美しいの」

「どこかの貴族じゃないか?」

「そんなまさか! でも、二人ともお似合いだわ」


 リネアは笑顔を浮かべ、褒めてくれる人たちに礼を言う。まだどきどきしていて、夢心地のようだった。


「お兄さん、次は私と踊って!」

「ちょっと待って、私と踊るのよ!」


 ひときわ黄色い声のほうを見れば、ロデリックが女性に囲まれていた。


 ――どこにいても注目の的ね。


 ロデリックと熱視線を注ぐ女性たちのやりとり――というか一方通行のそれを視界の端に映しながら、高ぶっていた感情に波紋を感じた。


 不安、あるいはこれは。


「お嬢さん!」

「は、はい?」

「次は、僕と踊ってください!」


 誰よりも大きな声でダンスを申しこまれる。深く頭を下げながら差し出された手に、リネアは目を瞬かせた。


「あの――あっ」

「行くぞ」


 すっと現れたロデリックに手を引かれる。


 かわいそうに、声をかけてきた男性はリネアがいなくなったことに気づかずまだ頭を下げていた。


「ロデリック、どこに行くの? 買ったものも置いてきてしまったから、戻らないと」

「……」

「ロデリックってば」


 ぐっと腕を引いて立ち止まる。


「置いてきたものなら、騎士が回収しただろう」

「騎士がいたの?」

「今しがたまいたがな」


 本当に騎士がいたのなら、きっと今ごろ大慌てだろう。


 祭りの中心である広場からずいぶんと離れた。そこからの灯りがやっと届くほどの場所で、あたりは寝静まっている。


「……怒っているの?」

「怒ってなどいない」


 そう言われてもロデリックはむすっとしているように見えた。


 ――まだ、間に合うかしら?


 今しかない、とリネアはロデリックの赤い目をまっすぐに見つめる。


「あなたは今、なにを考えているの?」

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