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公爵家の心臓  作者: 綾呑
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十八話 お祭り

「リネア、ここでの生活には慣れたか?」


 翌朝、初めて三人がそろっての朝食となった。


「それが、まだちゃんと道を覚えられなくて……一人で歩くには不安が大きいです」

「そうか。地図を作成してもいいかもしれないな」

「探検みたいで楽しそうですね」


 和気あいあいとした穏やかな雰囲気。


 ――ロデリックがこちらを見てこなければ。


 どういうわけか、ロデリックからの視線を強く感じる。向いてしまえば目が合いそうで、リネアは向かいの席に座るロデリックを視界の中心にとらえないよう、公爵のほうへと体の向きを若干寄せていた。


「そういえば、今日からふもとの街で祭りが開かれている」

「お祭りですか?」

「ああ。王国の勝利を、我々の勝利を祝うため、領民たちが催してくれたようだ」


 そわそわと胸が高鳴る。


 幼いころは領地での祭りに出かけていたが、母が体調を崩してからは行かなくなった。苦しむ母をよそに自分だけが楽しみたくはなかったから。


「ロデリック。案内してやりなさい。夜は冷えるから、暖かくしていくように」

「はい、父上」


 ロデリックを見やれば、ふいと顔をそらされた。


 ――あれ?


 先ほどまでずっとこちらを見ていたと思ったのに、いざ視線を外されると胸の奥がちくりと痛んだ。


 ――私が意識しすぎていたのかしら……?


 夕刻、カルデロン邸から街まで馬車で向かう。服装もドレスから動きやすいワンピースに着替え、街に溶け込むようにした。


「それではここで待機しておりますので、お帰りの際は声をかけてください」


 ふもとの街はにぎやかの一言に尽きる。祭りだからというのもあるだろうが、どの通りも人であふれている。


「俺から離れないように」


 御者とわかれ、いよいよロデリックと二人きりになる。公爵やサフィも来ればよかったのだが、断られてしまった。


 ――公爵さまはともかく、サフィさまは意図的よね?


 昨日のこともあり、気を回してくれたのだろう。


「なにを考えている?」

「えっ……いえ、なにをすればいいか、わからなくなってしまって」


 自分はもう目先のものすべてに目を輝かせて感情のままにはしゃぐ子どもではない。祭りの楽しみかたなど忘れてしまった。


「そうか」


 祭りから取り残されたように沈黙が生まれる。


「――」


 そっと差し出された手にリネアは顔を上げる。


「はぐれたら危険だ。祭りといえど、喧騒に紛れてよからぬことを企てるものもいるかもしれない」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 手を重ねればほどよい力に包まれた。


 空は暗くなりつつあるが、まだまだ人の波は激しい。むしろ、酒が入ったものが増えて盛りあがりも増しているのではないか。


「とても、楽しそう」


 子どもたちのはしゃぐ声や大人たちに笑い声を耳にしながら、リネアはぽつりともらす。


「リネアは楽しくないのか」

「そういうわけではなく、なんて言えばいいのか」


 言葉につまってしまう。


「ふむ」


 少し強く手を引かれる。ロデリックはするすると人混みを抜けながらいくつかの屋台を回っていく。


 たまに店員と和やかな会話を交わすロデリックは新鮮で、その横顔についつい見入ってしまった。


「ロデリック、ロデリック!」

「なんだ」

「まだなにか買うつもり? これ以上はもう持てないわ」


 リネアの左手もロデリックの右手も、もう包みや紙袋で埋まっている。それでいてつないだ手は決して離そうとはしないのだから、これ以上はキャパオーバーだ。


「わかった」

「どこか休める場所はない?」

「その前に……」


 ロデリックはあたりをきょろきょろと見回し、なにかを探す。視線がぴたりと止まり、その方向に歩き出した。


「ジュースを二つ」

「はいよ!」


 道すがらの天幕の前、いくつかの大きな樽がまるで塔のように積み重ねられている。一番上の樽には金属製の蛇口が取りつけられていた。


 ――これは、なに?


 ロデリックから注文を受けた女性が蛇口をひねると、下にかざされたカップが瞬く間に紫色の液体で満たされていく。


 ――香りからして、ぶどうジュースかしら?


 ロデリックはつないでいた手を離し、二人分のカップを器用に片手で受けとる。


「こぼして染みにならないようにするんだよ。ここらは酔っ払いが多いからね」

「どこもだと思うが」

「ははっ、そうだね」


 そのまま女性に背を向けたロデリックに、リネアはとっさに尋ねる。


「だ、代金は?」

「これは無料だ」

「え、ええ?」


 広場の一角にはテーブルが並べられ、飲食スペースが用意されていた。席は空いていなかったが、親切な老夫婦が譲ってくれて一息つくことができた。


 どこかの店から貸し出されているのか、テーブルや椅子の種類が豊富で、年季の入ったものが多い。


「疲れてはいないか」

「靴もヒールの低いものを選んでもらったから、大丈夫よ」


 それより、気になるのはやはり先ほど代金を支払わなかったジュースのことだ。


「本当によかったの?」

「ああ。これはこの街の祭りでは定番なんだ」


 そう言いながら、ロデリックはカップを一つリネアの前に置く。


「定番?」

「ある酒屋が、客引きのためにワインをふるまったことが始まりだ。アルコールを受けつけないものや未成年にはぶどうジュースが用意されている」


 ずいぶんとサービス精神が旺盛だ。


「いい気になった酔っ払いが二杯目、三杯目とあおるから宣伝や利益はもちろんのこと――」


 ふいにロデリックは周囲に目を向けた。視線を追えば、自分たちと同じカップを持った子供たちがおいしそうにジュースを飲んでいた。


「ああも喜んでもらえるなら、商人冥利に尽きるんだろう」


 ロデリックの顔が優しくなる。


「とても素敵なことね」


 カップに口を近づけると、わずかに木の香りがした。一口と飲めばふわりとした果実の甘みと柔らかな渋みが口のなかに広がる。


「おいしい」

「あそこはそれなりの老舗だからな」

「ロデリックは以前も飲んだことがあるの?」

「ああ、母上と」


 気づけば、夕日は沈んでいた。広場のいたるところに吊るされたランタンが眩しさを放ち、夜も更けようという街を明るく照らす。


 ――いつ、伝えようかしら?


 帰りが遅くなってはいけない。屋台を一通り見てまわり、一息ついた今が帰りどきだろう。それこそこのぶどうジュースがなくなれば、帰ることになるかもしれない。


 ――伝えなきゃ、伝えたい……けど。


 いざ想いを口にするとなるとやはり緊張する。


「……音楽?」


 ふいに軽やかなリズムが空気を弾ませた。陽気な笛の音や柔らかな弦楽器の音が重なり、広場に人々が集まってくる。


「なにが始まったの?」

「見ればわかるだろう」


 ある人は勢いよく飛び跳ね、ある人はスカートをふわりと翻しながらくるくると回っている。そのすぐ傍で老夫婦は静かに手を取り合い、ゆったりとした足運びで微笑みを交わしていた。


 なかには手拍子を打ちながら歌を歌っているものもいる。


「ダンスを、しているの? でも……めちゃくちゃよ」

「ああ、それがいいんだ。ここには面倒な型もなければ、誰かに品定めをされることもない」


 そこには決まった振りつけも恥じらいもない。誰もかれもがただ音に身を任せ、思い思いに体を動かしている。


 その光景に目を奪われていると、ふっと視界に影が差した。


「俺と、踊っていただけますか?」


 これが、日常の一部だったはずだ。けれど貴族然とするロデリックがこの場では不自然に思えて、リネアは思わず笑みをこぼす。


「謹んでお受けいたします」


 差し出された手に、リネアは迷わず触れていた。

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