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公爵家の心臓  作者: 綾呑
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十六話 欲

「ロデリック」

「なんだ」

「どうしてここにいるの?」


 敬語を外してから早一週間、リネアは書斎にこもることが多かった。カルデロンの歴史を学ぶために入り浸っているのだが、どういうわけか必ずロデリックも顔を出すのだ。


 ――一時間くらい居座るのよね。


 忙しいはずなのに、ロデリックは涼しい顔をして本を読んでいる。


「一人では退屈だろう」

「そんなことはないって前にも言ったじゃない」

「わからないことがあれば俺に聞けばいいと言っただろう」

「そしたら本を読む必要がないじゃない、ってことも言ったわよね?」

「そうだが」


 リネアは口をへの字に曲げる。


 何度同じやりとりをしたか。けれど、不思議とこの時間が嫌いではなかった。


「邪魔しないでください、お兄さま?」


 当てつけのように言ってやるとロデリックはわかりやすく顔をしかめた。


「兄と呼ぶなと言ったはずだ」

「呼ばれたくないと言われただけで、呼ぶなとは言っていなかったわ」


 この一週間でロデリックは意外と表情豊かだということを知った。


 ――統率者として気を張っていたのね。


 年相応とまではいかないが、幾分かは子どもらしさが残っているようだ。


 ちらりとロデリックを見やると不服そうに眉を寄せていた。少しからかいすぎてしまったかもしれない。


「呼ぶな」


 いつもより低く、けれど切なさがにじむような声だった。


「も、もう言わないわ」


 普段とは違う雰囲気にリネアはさっと顔をそらす。


「――もとは」


 ロデリックはさらりと指先でリネアの髪をすくった。指先にもてあそばれる毛束にとくとくと鼓動が速くなる。


「あなたは養子として迎えられるはずではなかった」


 反射的に顔を上げれば、細められた目は怒りではなく不服を訴えているように見えた。


「……余計なことを言った」

「あっ」


 ロデリックはくるりと踵を返して書斎を出ていった。


「な、なんなの?」


 頬が熱い。


 ――養子としてでないのなら。


 リネアはぎゅっと目をつむる。そうするとますます心臓の音が大きく聞こえた。


 ――この、感情は。


 はく、とリネアは唇を震わせる。


「許された……?」


 ロデリックを好きになってしまったことを自覚する。それと同時に、これは失恋でもあった。


 リネアはカルデロン家に家族として迎え入れられたのだ。ロデリックへの感情は許されるものではない。


 まだ潤んだだけの目をごしごしと拭う。


「――諦めることばかりね」


 それから数日、ロデリックはぱたりと姿を見せなくなった。書斎へ顔を出すこともなくなり、それどころか食事の時間さえずらされている。


 思わせぶりな言動の数々から「もしかしてロデリックも」なんて淡い期待は砕け散った。


「集中できないわ」


 リネアは呼んでいた本を閉じ、机の上に重ねていた本たちを棚へと戻した。


「そろそろ慣れてきたし、一人でも部屋へ帰れるかしら」


 いつもなら備えつけのベルで人を呼び、自室まで送ってもらっていた。


「……あれ?」


 意気揚々と書斎を出たリネアだったが、一向に部屋に辿りつかない。というより、違いがわからず、どこが自分の部屋か判別できなくなってしまった。


「ど、どうしよう」


 周囲に人の気配はない。


「誰か、いませんか」


 廊下の先に問いかけても返事はなく、リネアは足を止めた。書斎へ戻るにももう何度角を曲がったか覚えていない。


 ――まさか私、迷子に!?


 カルデロン邸の内部がいくら迷路のように設計されていたとしても、この歳になって迷子になるなど恥ずかしい。


「令嬢?」

「きゃあ!?」

「えっ。すみません、驚かせてしまいましたか? サフィです」


 振り返ると申し訳なさそうに眉を下げるサフィと目が合った。聞き覚えのある声、見知った顔。安堵の息がもれるのは必然だった。


「公爵さまと王都へ行かれたと聞いていましたが、帰ってきたのですね」

「はい、つい先ほど帰還いたしました。公爵さまは近隣の村を見てくるとのことで、帰ってすぐ馬に乗って駆けていってしまわれましたが」


 やれやれといったふうにサフィは肩をすくめた。


「ところで、こんなところでなにをしているのですか?」

「こんなところ、って……?」


 ふいとサフィは廊下の奥へ視線を向けた。


「この先は尖塔ですが」

「尖塔が、あるのですか」

「ええ。カルデロン領が一望できるのですが、よく掃除されているわけではないので令嬢にはあまりおすすめできません」

「そうなのですね」


 カルデロンの景色には興味があるが、ここで押し通すほどおてんばではないし、なによりただ迷っていただけで向かっていたわけではない。


 迷子だとばれないようどうにかして案内してもらおうと思案するリネアだが、先にサフィが口を開いた。


「もう令嬢とお呼びするには適切ではありませんね」

「え?」

「これからはお嬢さまとお呼びしたほうがよろしいですか?」

「い、いえ……リネアで構いません」


 やはり、ここでお嬢さまと呼ばれるのはまだ慣れない。


「ではリネアさま。こちらは肌寒いですから、どこかお送りいたしましょうか?」

「そしたら、部屋までお願いします。あ、場所は……」

「聞いているので大丈夫ですよ」


 くすりと笑ったサフィにはすべて見透かされているような気がした。


「ああ、そうだ。私はカルデロンに仕えておりますので、家門の一員となられるリネアさまもどうか私のことはサフィとお呼びください」

「わかりました」

「……リネアさま?」


 名前を呼ぶサフィの表情は怪訝そうで、どきりと心臓が跳ねる。


「その……私が、養子として迎えられるはずではなかったという話を聞いたのです」

「っ……いったい誰がそのようなことを?」

「ロデリックです。どういうことなのか、わからなくて。サフィさまは知っていますか?」

「ロデリックさまが……?」


 サフィは目を瞬かせる。


「よろしければ、どのような状況でおっしゃっていたのか教えていただけませんか?」

「――」


 すくわれた髪がロデリックの指先であそばれる光景が思い起こされ、リネアは顔が熱くなった。


「リネアさま?」

「ふ、不満が、ありそうでした」


 サフィに顔をのぞきこまれ、リネアはとっさに顔を両手でおおった。


 ――こんなに顔が熱いのだもの。きっと赤くなっているわ!


 視界をふさいでしまったせいでサフィがどんな顔をしているかわからない。だから、なおさら焦ってリネアはまくしたてるように続けてしまった。


「サフィさま、教えてください。私はそもそも迎えられるはずではなかったのですか? それとも、養子ではなく別の形で声がかかったはずなのですか?」


 ど、ど、と心臓が早鐘を打つ。


 ――諦めなくてよかったなら。


 迎えられることが決まっていて、それが養子という肩書きでないのなら。世間一般的に考えても思い当たる肩書きは一つしかない。


「失礼を承知でうかがいますが……やはり、リネアさまは……その、ロデリックさまを……」


 声の大きさを落としたサフィに、リネアはこくりと小さくうなずいた。

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