十四話 戸惑っている
いくつかの街を経由しながら、リネアを乗せた馬車はカルデロン邸へと到着した。
「ここが、カルデロン……」
見晴らしのいい小高い丘の上、城といっても遜色ない石造りの豪邸に迎えられて緊張が高まる。そして次に、玄関前にずらりと並んでいる大勢にリネアは目を疑った。
「も、もしかしてあれ……カルデロン家の使用人たち?」
メイドや騎士にとどまらず、さまざまな制服に身を包んだ人たちが整列しており、その壮観さにごくりとのどが鳴る。
「――」
玄関の前、ロデリックと公爵であろう男性が見えた。
ロデリックの顔立ちや髪色は母親に似たのだろう。公爵は赤い目に艶やかな黒髪を持っていた。
「ようこそ。はるばるカルデロンまで来てくれたことに感謝する。歓迎しよう」
「リネア・バーニーと申します。これからお世話になります」
リネアは深々と頭を下げた。
「家族になるのだから、そう硬くならないでくれ」
「公爵さまのご配慮に感謝いたします」
顔を上げると、公爵は困ったように眉を寄せていた。
――あ……他人行儀すぎたわ。
ばくばくと動く心臓はまだ、落ち着いてはくれないらしい。
――これが戦争の英雄の存在感。
公爵は身長が高く、肩幅もある。柔和な表情を心がけてくれていると思われるのだが、威圧感がすさまじい。
「リネア」
「公子、ご無沙汰しております」
詰まりかける息を吐きながら、リネアは隣のロデリックへと顔を向ける。
「名前で呼んでいいと言っただろう」
「も、申し訳ありません」
「謝罪を求めているのではないんだが」
戦いと隣り合わせで育ってきたのに、こうも度胸がなかったのか。公爵に圧倒されて雰囲気にのまれてしまう自分が情けない。
「長旅で疲れていることだろう。夕食にはまだ時間があるから、部屋で休むといい」
「ありがとうございます」
顔合わせの食事やカルデロン邸の案内は明日に改めてということで、リネアは与えられる私室に向かった。
どんな要塞かと密かに身構えていたリネアだったが、内装は冷たさを感じさせない配色に整えられていた。
迷路のような廊下をリネアはちらちらと観察しながら進む。誰かに案内されなければ絶対に迷ってしまうだろう。
――以前、カルデロン領には商人が多いと言っていたから、いい品も集まるのね。
調度品や家具の数々はどれも一級品ばかりで、よく手入れされているのが一目でわかる。
「もし部屋が気に入らなければお申しつけください。すぐに新しい部屋を用意いたします」
「とても気に入りました。もしかして、私のために用意してくださったのですか?」
用意された部屋は淡い色合いの家具で統一されている。どことなく、バーニーの私室と似ているように思えた。
「はい。お嬢さまを迎えると決めてから、公爵さまはたいそう浮かれて……いえ、喜んでおられました」
お嬢さまという響きにむずがゆくなる。
「奥さまから返事も来ていないのに手紙を何通も送られて……と、長居しすぎてはいけませんね。では、荷物を運びこんでください」
リネアがバーニーから持ってきたものの大半は母の遺品である。アマリスとクラリッサの浪費を補うため、自分のドレスや装飾品はかなり売ってしまった。
「本日のお食事はこちらにお運びいたします。十分な休息が必要と思われますので、部屋には誰も来させないようにしております。もし命令がございましたら、こちらのベルを鳴らしてください」
扉のそばに備えつけられたベルには管がつながっているという。ほとんどの部屋から人を呼べるようになっているそうだ。
「それでは失礼いたします」
荷物を運びこんでいた使用人たちも撤収し、リネアは一人部屋に残される。
今までのこと、これからのことを考えているうちに眠ってしまったようだ。窓の外はすっかり暗くなっていて、枕元の柔らかな灯りだけがつけられていた。
「起こさないでくれたのね」
ぐう、と小さく腹が音を立てた。思えば、昼食もとっておらず、夕食も寝過ごしてしまった。
ぼんやりとベルが見えるが、もう遅い時間に誰かを呼ぶのは忍びない。リネアは深く布団を被りなおし、再び眠りについた。
翌日、しっかりと朝食をとったあと、カルデロン邸の案内をしてもらう。すべてを回るころには太陽が高く昇っていた。
「公爵さまは急用ができましたので、夜に予定されていた顔合わせを昼食の時間に変更願えないかと言付けをいただいております」
「公爵さまの都合に合わせます」
この養子縁組に、リネアはまだ戸惑っている。だから時間を作ってくれるだけでもありがたかった。
――聞きたいことが山ほどあるもの。
昼食会は温室で催されるとのことだった。じんわりと温かで、冬にもかかわらず色とりどりの花々が咲きほこっていた。
「――」
開けた場所にテーブルと椅子が並べられ、すでに公爵が座っていた。戦争の英雄という名には似合わず、紅茶を飲む所作が優雅で見惚れてしまった。
「公爵さま。本日はこのような場を用意してくださりありがとうございます」
「都合をつけてもらってすまない。夜には王都へ立たなくてはならなくてな。ロデリックも呼びたかったのだが、珍しく朝からふもとの街に出かけているそうだ」
公爵にうながされるままにリネアは向かいの席に座る。紅茶を注いだ侍従が席を外し、この空間には二人だけとなった。
「まず、急な申し出に応えてくれて感謝する。突拍子もなく、戸惑わせてしまっただろう。なるべく早急に君の不安を解消したいと思い、この場を用意させてもらった」
リネアは少し考え、率直に尋ねることにした。
「なぜ、私を養子にとお考えになったのですか? 私には、公爵さまが私を望んだ理由がわかりません」
公爵はしばらく閉口していた。言葉を選んでいるようだった。
「悪く思わないでほしいのだが、バーニー家での様子を耳にした」
ばつの悪い顔をしている。
「君は、私たちの恩人だ。不当な扱いを受けていることも耐えがたく、あの家にいては君がつぶれてしまうと思った」
――また、恩人。
以前、サフィもそれを口にしていた。
「人違いではありませんか? 私には心当たりがありません」
「いずれ、すべてを話したいと思っている。しかしそれにはまだ時間が足りない」
「いつごろ、お話しいただけるのですか?」
「妻がオルニクスから帰ってきたら話すつもりだ」
そういえば、公爵夫人の姿を一度も見ていない。
「まだ数か月はかかるが、けっして悪いようにしないと誓おう。家族が全員そろってから、話したいのだ」
「もしかして、公爵夫人はオルニクスの病院で治療を受けられているのですか?」
「なぜ、そう思う?」
公爵の表情がわずかに固くなる。
「以前、公子からそのようなことをうかがいました。名前を出されてはいなかったのでお二人の話から推測したのですが、不愉快に思われたのなら申し訳ありません」
「不愉快など。ただ、夫人のことは公表していなかったゆえ、出所が知りたかったのだ。しかし、そうか……ロデリックが」
険しかった顔がふっと緩む。どことなくロデリックの面影を感じられた。