一話 この母にして娘あり
「リネア、見てちょうだい! この宝石、とっても素敵だと思わない? ドレスにもよく似合っているでしょう?」
鼻歌まじりにノックもせず部屋へ入ってきた義姉のアマリスはドレスの裾を持ちあげてくるりと回った。ふわりと花開くように踊るドレスはもちろん美しい。
けれど、彼女の持つ黒い髪と翡翠の目や身にまとう真っ赤なドレス、胸元を飾る青い宝石と色がばらばらで、お世辞にも素敵だとも似合っているとも言いにくい。
ただただ派手でまとまりがなく、今の装いでは取っ散らかっているという印象を持つ人がほとんどだろう。
「……ええ、綺麗ですね」
リネアは素直な感想を飲み、にこりと笑んだ。
複雑に結いあげられた黒髪に珍しい異国の目、職人たちが丹精込めて仕立てた上等な宝飾品など、彼女の容姿やそれを彩る衣装たちが美しいことは間違っていないから。
「そうだわ! リネアもお母さまにお願いしてみたらどうかしら? 流行の廃れたドレスばかり持っていても恥ずかしいし、みすぼらしい姿を哀れに思ってくれるはずよ」
リネアが着用しているドレスはレースの少ないシンプルなものだが、決してみすぼらしくなどない。
むしろ、社交用の豪奢なドレスを普段着としているアマリスのほうがおかしいのだ。
――貴族に憧れがあるのはわかるけれど。
アマリスはほんの数か月前までは平民であった。父の再婚を機に辺境伯家へと迎え入れられて貴族の仲間入りを果たしたが、今にいたっても二人の存在は異質なままである。
「私はしばらくパーティーには出ないことにしていますので、新しいドレスは必要ありません。必要になったらそろえますわ」
リネアは笑顔を保ったまま毅然と答える。
その反応が気に入らなかったのか、アマリスはむっとしたように目を細めて不躾に室内を見回した。
「そうだわ!」
「アマリスさま?」
ずかずかと入ってきたアマリスはドレッサーの上に出ていたネックレスケースをぱっと手にとった。
――あ、あれは……っ。
リネアは不用心にそこへ置いていたことを後悔する。
「こんなちっぽけな宝石しか持ってないなんて、なんてかわいそうなの?」
「触らないでください!」
声を荒げるリネアにアマリスは眉をひそめ、怒りをあらわにした。
「ひどいわ、リネア。私の宝石と交換してあげようと思っただけなのに、触ることも許してくれないなんて。なんて浅ましいのかしら」
わざとらしい演技にリネアはふつふつとわいてくる怒りを必死に抑えた。
「……それは、そのネックレスは……私のお母さまが、私に初めて買ってくださった思い出のものです。あなたが軽々しく触っていいものではありません」
「なによ!? 上から目線に偉そうに……こんなものいらないわよ!」
「っ」
アマリスが床へと投げつけたケースが床を転がる。カーペットがクッションになったことで中身は無事だが、それでもとうてい許せる行為ではない。
「ふん。あんたはそうやって這いつくばってる姿がお似合いよ」
このネックレスについているダイヤがどれほどの価値があるかもわからないくせに。リネアは言いたいことをぐっと飲みこむ。
「いったい、なにを騒いでいるの?」
騒ぎを聞きつけ、こちらも挨拶もなしに口を挟んできたのはクラリッサだ。アマリスの実母であり、リネアの継母となった女性である。
「ああ、お母さま! リネアったらひどいのよ。私はもうバーニー家の一員になったのに、リネアはまだ認めてくれないの。それどころか私に高価なものに触る資格はないって。盗みを働くわけがないのに……っ」
大げさに被害者ぶるアマリス。リネアはその態度に呆れて小さく息を吐き、静かに立ちあがった。
「リネア」
ケースをしまいにいこうとしていたリネアが振り返った瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
「姉に口答えするなんて、生意気よ」
クラリッサが手にしている扇子でぶたれたのだと気づくのにそう時間はかからない。
――母親に、女主人にでもなったつもり?
勝ち誇ったように嘲笑するアマリスも横柄な態度を崩さないクラリッサも、実のところ屋敷のなかでは微妙な立ち位置にいる。
二人は辺境伯夫人、辺境伯令嬢とたいそうな肩書きを手に入れたものの、昔からバーニー辺境伯家に仕えるものたちからは主人として認められていない。
そのもっとも大きな要因は、クラリッサが女主人としての権限を持っていないからである。
先代辺境伯夫人の死後にその権限はリネアが有したが、新しく妻を迎えても父はそれをクラリッサに譲らせる気は意外にもないらしかった。
「だめよ、お母さま。顔に傷が残ったら大変じゃない」
「あら、私の娘はなんて優しい子なのかしら。こんな心の狭い妹を気遣ってあげるなんて。母として鼻が高いわ」
そんな茶番をうんざりと聞きながら、リネアは今度こそケースを鍵のかかる引き出しに戻した。
「アルタスさまが私たちをお呼びよ」
「お父さまが?」
「ええ。大事な話があるそうだけど、詳しいことは全員がそろったら教えてくれるんだとか」
「それじゃあ、お母さまと私は先に行くから。リネアも早くいらっしゃい」
嵐のように去っていった二人にリネアはほっと息をつく。
「あ……」
鏡に映る自分の頬はぶたれたとわかるように赤くなっていた。
「っ」
太陽のようにきらめく金色の髪、宝石のように美しい紫紺の目。陶磁器のように白い肌に浮いた赤いあとをリネアはそっと撫でる。
鏡のなかで悲しげに眉を下げる母そっくりの容姿は、まるで母にまで傷をつけてしまったかのような罪悪感が生まれた。
「……泣きたくない……泣かないで、リネア」
目の奥が熱くなり、リネアは言い聞かせるように何度も繰り返した。
リネアの母であり、先代辺境伯夫人であったフィルティア・バーニー。彼女は病で亡くなった。医療大国ともうたわれる隣国の病院に入院していたが、治療の甲斐もむなしく虹の橋を渡ったのが数か月前。
父が愛人とその連れ子を辺境伯家に迎え入れたのとほぼ同時期である。
「お母さまは最後まで、お父さまを待っていたのに」
フィルティアが病と闘っているさなか、アルタスはあろうことか愛人を囲っていた。どうしてそんな人たちを受け入れることができようか。
――あなたがしっかりしないでどうするの。弱音なんて吐いていられないわ。
あんな人たちにバーニー家を掌握されてはたまらない。万が一にもそのようなことがあれば、国防の要ともなるこの領はたちまち崩れ去るだろう。
「お父さまは今、なにを考えているのかしら」
戦争で指揮を執ることもある父への尊敬は、母を見捨てたことで薄れてしまった。
「あんな見た目だけの女性を迎え入れるなんて」
不幸中の幸いは、彼女たちが人の上に立てるような器を持ちあわせていなかったことだ。改めてそれだけに感謝しながら、リネアはアルタスの応接室へ向かった。