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3話 一抹の希望

「どなたですか?」


 リディアが警戒しながらも、扉に向かって鋭く尋ねた。

 その声には、見知らぬ者への警戒と、この屋敷で長年培ってきた用心深さが滲み出ている。



「ローラ前公爵夫人の侍女、メアリーでございます。公爵様より、奥様へ伝言を預かりました」



 侍女のメアリーが扉越しにそう告げると、リディアは私を見た。

 私は面倒事になるのを避けるために、彼女が部屋に入る許可を出すことにした。



「そう。入ってちょうだい、メアリー」



 私の声は、平静を装ってはいるものの、どこか諦めにも似た響きを含んでいた。


 私が許可を出すとメアリーは勢いよく扉を開け、黙って部屋の中に入ってくる。

 彼女の無礼な態度に怒りがこみ上げるが、ここで感情的に動いても事態が悪化するだけだと悟り、冷静を装い彼女の言葉をじっと待つ。



「……奥様、来週のドワイト公爵主催の夜会に、公爵様とご出席していただきたいとのことです。これはお願いではなく、公爵様からの命令ですので当日までに準備をお願いいたします。こちら、ドレスコードと出席者の書かれたリストになりますので、必ず目を通しておくようにお願いいたします」



 侍女メアリーは言い終えると、小さく一礼して部屋を後にする。


 彼女が消えてから、私は肩の力を抜いて脱力した。

 まるで、張り詰めていた糸がプツンと切れたかのように、全身から力が抜けていくのを感じる。



「……ドワイト公爵の夜会?また面倒なイベントね。それどころじゃないっていうのに」



 私は小さく呟いた。

 目の前には、エレノアのこと、屋敷のこと、そしてこれからどうなってしまうのかという不安が渦巻いている。


 ドワイト公爵は、原作では主人公メリーと関わりのない、養子先の子爵の知人として名前が出てくるだけの脇役だ。


 私にとって、彼は物語の進行にはほとんど影響のない、取るに足らない人物のはずだった。

 私と同じ、名ばかりの登場人物である。

 しかし、その脇役であるはずの公爵が主催するパーティーが、今、私の運命を大きく左右しようとしている


 私と同じ、名ばかりの登場人物である。



「……ねぇ、リディア。ドワイト公爵について説明してもらえないかしら?」



 彼に関する知識は不足しているので、私はリディアに彼についての情報を尋ねることにした。



「え、よろしいですが……しかし、奥様の方がよくご存じだと思いますが?」



「え、どうして?」



「だって、ドワイト公爵様は奥様がアカデミーの卒業パーティーでパートナーとなった方ですよ?」



「え?」



私はリディアの言葉に固まってしまった。


 ドワイト公爵はアカデミー時代の知り合いで、卒業パーティーでパートナーになった人だなんて、一体どういうことなのだ。


 この体の持ち主であれば分かるのだろうが、生憎私は転生しただけのただの女子大生。

 彼についての知識は皆無だ。


 ここは何がなんでも彼女から情報を引き出さなければいけない。



「え、あー、まあそうだったわね。でもほら、彼についての公的な評価は友人である私じゃできないでしょ?だから、改めて教えてちょうだい」



「わ、分かりました」



 何とかリディアを丸め込み、ドワイト公爵に関する情報を聞き出すことができそうで、一安心だ。



「ドワイト公爵様──ルイス・ロベルト・ドワイト公爵様は、皇帝陛下の幼馴染で、代々学者や魔法使いを排出してきたドワイト公爵家の次男でした。王立アカデミーを主席で卒業し、皇帝陛下の主席補佐官として勤務し、公爵位を授かってからは、この国の宰相として行政を執りまとめているそうですよ」



 リディアは、淀みない口調でドワイト公爵について説明し始めた。

 その言葉の一つ一つが、彼の持つ地位と能力の高さを物語っている。


 リディアの説明を聞いていて、私はとある疑問が浮かんだ。

 彼の輝かしい経歴を聞けば聞くほど、なぜ私が彼との関係を覚えていないのかという疑問が、頭の中で大きくなっていく。



「ねぇ、ドワイト公爵は次男なのよね?どうして長男が家を継がなかったのかしら?」



 私は、核心に触れるかもしれない質問を投げかけた。

 生まれた順により継承順位を得る、この貴族社会で、次男が公爵位を継ぐというのは、何か特別な理由があるはずだ。



「奥様、本当にどうされたのですか?ドワイト公爵家の御長男は、並外れた魔力をお持ちで、魔塔主になられたじゃありませんか。奥様は魔塔主就任記念のパーティーにも参加されていたはずですが……それに、魔塔主様は奥様の兄であられる、フレデリック様の御友人ですよ?奥様もアカデミー入学前から、何度もお会いしているはずですが」


 リディアは、私の質問に驚きを隠せない様子で、立て続けに信じられない事実を告げた。

 魔塔主?私の兄?エレノアが何度も会っている?それは一体どういうことだろうか。


 少なくとも、原作にそんな設定は出てきていないため、リディアの言葉をすぐには受け入れられない。


 しかし、ここで狼狽えても何も解決しないので、私は話題を変えることにした。



「あ、あはは、そうだったわね。今回のパーティー、参加しないわけにはいかないわよね?正直行きたくないのだけど……」



 私は、取り繕うように笑ってみせたが、内心は完全に混乱していた。

 次々と明らかになる事実は、私の理解を遥かに超えている。



(いやいや、そんなの初耳よ?というか、そもそもアメジストに兄なんていたなんて、原作には出てきていない情報なんだけど?!)



 魔塔主は、原作では世界観の説明の時に軽く触れられただけで、名前すら出てこないモブキャラ以下の存在だ。


 当然私が知るわけがない。

 転生したばかりの私にとって、この世界のことはまだ謎だらけだ。


 そして、アメジストの兄なんて存在すら明かされていないのだから、知っているのなんて作者だけだ。


 正直、卒業パーティーでパートナーだったという、ドワイト公爵と会うのは気が進まない。

 過去のアメジストが彼に対してどんな感情を抱いていたのか、彼とどんな言葉を交わしたのか、今の私には全く想像もつかない。


 私はアメジストに転生したばかりで、まだ彼女のことをよく知らないため、彼女の知人に話しかけられても、上手く対応できる自信が全くなかった。


 まるで、他人の日記の一部分を突然渡され、その内容について語らなければならないような心境だ。

 言葉を選び間違えれば、全てが露呈してしまうかもしれないという焦燥感に駆られる。


 しかし、私はそう思いながらも今旦那であるブレンシュタイン公爵の命令に逆らって夜会に出席しなければ、どうなるか分からないため、素直に従うことしかできない。


 メアリーが置いていった、ドレスコードと出席者の書かれたリストに目を通していく。



「今回のパーティーは、ドワイト公爵の主催で、ドレスコードは青ね。出席者には見たところ、王族はいないみたい。そこまでお堅いパーティーではなさそうだけれど……」


パーティーの出席者を上から順に見ていくと、その中に見知った名前の者を見つけた。


「クラウス・ファウスト・エーデルシュタイン伯爵……ねぇ、この名前ってもしかして!」



 私がリディアを見つめながらそう言うと、彼女もパァッと瞳を輝かせて私の目を真っ直ぐと見つめ力強く頷いた。



「はい!この夜会にはどうやら奥様のお父上……エーデルシュタイン伯爵様も御参加されるようですね!」



 手紙や使いを介しての連絡は難しく、このまま八方塞がりかと思いきや、夜会を通して自然に会うことは可能だ。


「この夜会でお父様とお会いして、現状をお伝えしましょう。今私たちにできることは、それしかないわ。だけど、公爵様にバレずに接触できるかしら?夜会の途中で公爵と離れるとなれば、何かしらの口実が必要だけれど」


 私が心配そうに呟くと、リディアも同意を示すように頷く。


 そしてまた唸りながら考え、数分後にエレノアが描いた絵を見て口を開いた。



「……口実、と言えるかは分かりません。ですが、1つ口実に成り得そうなものを思い付きました」



「それは何?」



 私が問い掛けると、リディアはエレノアが描いた絵を私に向けて話し始めた。



「お嬢様は生まれてから一度も外部の人間と会ったことがありません。それは当然、奥様の御実家であるエーデルシュタイン家の方々ともです。ですから、会ったことのない伯爵様と伯爵夫人の似顔絵をエレノア様に描いていただいて、それを渡すという口実で自然に伯爵様たちとお会いすることができるのではないでしょうか?」



「……なるほどね」



 エレノアは母方の実家の祖父母にすら会ったことがない。


 そして、公爵家では冷遇され、辛い目に遭ってきた。


 そんな彼女が、顔を見たこともない祖父母の絵を描き、それを夜会で私が父に手渡すのは自然だ。


 何故なら、孫が祖父母のために描いた絵を渡すのは世間一般的なことだからだ。



「……いかがですか?奥様」



「……良い案だわ。さっそく、エレノアに私の両親の絵を描かせてちょうだい。両親の特徴はあなたが教えてあげて、リディア」



 私はアメジストの両親の姿はさっぱり分からないため、早々にリディアに絵のことを押し付けた。


「かしこまりました!では、お嬢様の元へ行って参ります。何かあればすぐにお呼び下さい」



 リディアはそう言い部屋を去って行った。


 私は彼女が出て行った後、軽いめまいがしてまたベッドに倒れ込む。


 この世界にやって来てから、私は原作が始まる前に死んでしまう公爵夫人に転生したと気付いて、必死だった。


 初めは自分がすぐに死んでしまう名ばかりの脇役だと知って落胆したが、それ以上にこの体の持ち主の記憶が頭の中に流れ、心底エレノアに同情した。


 前世の私と同じように、家族に虐待され信じられる人もおらず、幼くして唯一の家族である母を失う。

 そして、最終的に悪女として母親殺しの罪で処刑されてしまうのだから、同情しない方がおかしい。


 原作の中でのエレノアは主人公であるメリーをいじめ、暴力を振るい、彼女を孤立させた。


 しかし、彼女が何故そんなことをしたのかと考えれば、今は彼女は同じことをされてきたからだと今ならば言える。

 虐待を受けてきたから同じことを自分より立場の低い者に対して行ったのだ。

 彼女は弱者をいじめることしか知らなかったから。


 しかし、今のエレノアは違う。


 まだ幼いながらも聡明で優しく、大人しい少女だ。

 そして彼女には、私がいる。


 私は物語の中で病死したと描写されているが、今の私は少し体が弱いだけの貴夫人だが、それでも原作のアメジストとは違う。


 このまま何もしないわけにはいかない。


 そして、実家の援助が得られればこの家から出ることも夢じゃない。


 つまり、今行動すれば運命は変えられるかもしれないのだ。



「……前世の私は、死んじゃった。苦しみながら、息絶えた。せっかく得た自由も一睡の夢で、今度は病死する悪女の母よ。だけど、私は諦めたりしない。私の死の運命も、エレノアの運命も変えてみせるわ」



 私はエレノアから貰った絵をじっと見つめる。絵には花や木々も描かれており、まだ彼女が純粋な少女であることが感じられた。



(絶対にエレノア守って、この物語の結末をハッピーエンドに変えてみせるわ)



 前世の自分が手に入れられなかった自由を、今度こそ手に入れ、謳歌するのだと私はそう決意を固めた。

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