24話 アルテミス美術館襲撃事件
ここまでの登場人物を、まとめさせていただきます。
■アメジスト・メイベル・ブレンシュタイン(主人公)
前世は北川遥という日本人女性。
恋愛小説『没落令嬢は星に選ばれる』の悪役令嬢の母親に転生。
娘のエレノアを救い、自身の運命を変えるために奮闘。
過去のトラウマから、家族愛に飢えている。
聡明で芯が強いが、娘と過去のトラウマが関わると感情的になる。
■エレノア・ブレンシュタイン
アメジストの娘。
原作では悪役令嬢として処刑される運命にあった。
内気で優しいが、芯の強い少女。
絵を描くことが得意。
■ルイス・ロベルト・ドワイト公爵
南部の支配者と呼ばれる大貴族。
アメジストの学園時代の友人。
兄は現魔塔主。
■ ジークヴェルト・エリス・ベイ・アドラー大公殿下
現皇帝の弟で、皇太子の叔父。
絵を描くことが好きな、芸術肌。
アメジストのアカデミーの後輩で、彼女を慕っている。
■ステラ・オリアナ・ハリエット侯爵令嬢
名門、ハリエット家の令嬢。
明るく天真爛漫で、美しい容姿をしている。
アメジストとドワイト公爵の同級生。
アメジストの親友。
■クリスチャン・レナード・ブレンシュタイン
アメジストの夫でブレンシュタイン公爵。
冷酷で自己中心的。
アメジストとエレノアを冷遇している。
体面を気にするが、本性は傲慢なDV旦那。
■エミリー・シェスタ
クリスチャンの内縁の妻。
ブレンシュタイン公爵家の家臣の娘。
クリスチャンとの間に隠し子がいる。
■ローラ・ブレンシュタイン
前公爵夫人。
クリスチャンの母でアメジストの義母。
アメジストとエレノアに暴力を振るい、精神的に追い詰める。
孫にも暴力を振るう最悪の義母。
■クラウス・ファウスト・エーデルシュタイン伯爵
西部を支配する大貴族。
アメジストの実父。
国内有数の大商団の長で、莫大な富を持つ。
■エレナ・フィール・エーデルシュタイン
伯爵夫人。
アメジストの実母。
実家は、代々高位神官や聖女を排出してきた名家。
心優しい貴婦人で、強い神聖力を持つ。
■リディア・アイリーン・シャトリゼ
アメジストの侍女。
アメジストとエレノアに忠実に仕え、献身的にサポートする。
エーデルシュタイン家から、アメジストの嫁入りに着いてきた。
■アンナ
エーデルシュタイン家の中級メイドから、エレノア付きの侍女に昇格した。
■エリック・ハドア・ブラントン子爵
南部の貴族。
原作の主人公、メリーの養父。
過去に幼い娘を亡くしている。
アメジストの父、クラウスと面識がある。
■トム・バスター
ブレンシュタイン公爵家の御者。
アメジストに同情的で、彼女を助ける。
心優しい青年。
■ローガン
ブレンシュタイン公爵の専属医。
元々は、専属薬剤師だったが、前任の専属医が解雇された為、新たに専属医の地位を賜った。
皇都の医療アカデミー出身のエリート。
煙が充満する美術館を、アドラー大公はひたすら走り続けた。
視界は白く濁り、下の階からは張り裂けそうなほど悲痛な叫び声が響いてくる。
「早く、早く行かなければ……もし、聖杯が狙いだとしたら、とんでもないことになる!」
"聖杯"
それは最近アドラー大公の領地で発見された、女神様が与えた聖物の1つだ。
聖杯は、どんな魔気も呪いも浄化することができる、特別な聖水を生み出す聖物だ。
かつて、邪悪な闇の魔女はこの国と皇家に滅びの呪いをかけた。
そんな時、女神ルーナは初代聖女に特別な聖杯を授け、この中に純度の高い聖水を注ぐと、魔気と呪いを浄化する特別な聖水が生み出されると告げた。
そのお告げは、民の心に希望の光を灯し、絶望に打ちひしがれていた人々に立ち上がる力を与えた。
女神のお告げを信じた聖女は、不純物のない純度の高い強い神聖力を宿した聖水を生成する。
そして、その聖水を聖杯に注ぎ、特別な浄化の聖水が生み出された。
そして、聖女は邪悪な闇の魔女からこの国を守るため、5人の協力者と共に立ち上がる。
彼らはそれぞれ異なる才能を持ち、聖女の強い意志と信仰心に導かれ、闇に立ち向かった。
その後闇の魔女は封印されたが、封印される直前、彼女は皇家に対して呪いの言葉を吐いた。
その呪いは、皇家の長男は20歳を迎える前に死ぬという呪いがかけられた。
その呪いだけは、聖杯で生み出される聖水を使っても浄化できず、当然初代聖女や魔塔主、偉大な錬金術師、精霊使いですら解呪することは不可能だった。
多くの著名な学者や魔塔の賢者たちが、その謎に挑んだが、誰もがその強大な呪いの前に膝折り屈した。
しかし、聖杯で作る聖水は浄化できないだけで、呪いによる苦しみを緩和することはできる。
だからこそ、神殿で聖女と大神官が神聖力を使い厳重に保管していたのだが、現皇帝の戴冠式の日、聖杯が紛失する事件が起きた。
あれから7年間、聖杯は見つからず、亡き皇后の忘れ形見である皇太子は呪いに苦しみ続けた。
大神官を呼び、呪いを緩和させたとしてもそれは一瞬でほぼ効果はない。
皇太子の衰弱していく姿は、国の未来に暗い影を落とし、父である皇帝は愛する女性の残したたった1人の息子の運命に、嘆き悲しんだ。
(……ようやく、ようやく見つけた聖杯。この聖杯は明日大神殿に持って行って、鑑定に出す手筈となっていた。もし、聖杯が狙いならまた大変なことになる!)
つい最近、北部のアドラー大公領で古い遺跡が発見された。
そして、その遺跡に不自然に転がっていた聖杯。
長きにわたり失われていた聖杯の再発見は、皇帝に一筋の希望の光をもたらした。
この聖杯には、歴代の聖女の名前がそこに刻まれており、本物だと直ぐに確信が持てた。
しかし、聖物は神殿で保管される前に必ず鑑定を受けなければいけない。
鑑定が始まるまでは、厳重な警備のもと、発見者か専門の鑑定士が保管しなければならない。
だから、アドラー大公は自分が出資する首都で最も大きく歴史ある、このアルテミス美術館のVIPルームで保管することにした。
この美術館では盗難事件は発生しておらず、皇城、大神殿、ドゥミナ銀行に次いで、安全だとされる場所だから、安心して任せられたのだ。
まさか、その安全神話が崩れ去る日が来るとは、この時のアドラー大公は夢にも思っていなかった。
(……他の美術品を狙っている可能性もあるが、何にせよこの美術館に保管されている物を狙っていることには違いない。勘違いで済めば良いが、早く、早く聖杯の無事を確かめなければ!)
アドラー大公は階段を駆け上がると、迷うことなく、真っ直ぐ1番奥にあるVIPルームへと向かう。
彼の心臓は激しく高鳴り、嫌な予感が全身を支配していた。
彼は意を決して、扉を開ける。
「やはり……狙いはこの聖杯だったか!」
そこには、全身黒ずくめの深くフードを被り、顔を隠した武装集団の姿があった。
「おやおや、北部の偉大な守護者……アドラー大公殿下。あなたともあろう御方が、随分取り乱し、焦っておられるようですねぇ?」
主犯格と思われる男はそう言い、アドラー大公に向かってニタリと口角を上げ、下品な笑みを浮かべてケタケタと笑い始める。
◇◇◇
その頃、素早く階段を駆け上がっていくアドラー大公の後を追って、エレノアは必死に走っていた。
上の階から感じる嫌な気配は、階段を一段上がるごとに強さが増していき、火災が発生しているせいで熱いはずなのに、背筋には冷たい空気が感じられる。
まるで死神の吐息のような、禍々しい気配がエレノアの肌を粟立たせる。
この感覚を不気味だと感じつつも、彼女はアドラー大公が危険な目に遭うような気がして、彼を止めるために足を動かし前へと進む。
「……はあ、はあ。どうして、こんなに嫌な感じがするのかしら?」
何とか階段を1番上まで上がった時、階段脇の部屋から、子供のすすり泣くような声が聞こえた。
「うっ……ひっぐ」
部屋の前に立つと、中から小さな鳴き声がかすかに聞こえる。
「だ、大丈夫ですか?」
エレノアはその扉を開けようとドアノブに手をかけ、くるりと回すが、大きな棚が壁にもたれ掛かるようにして倒れており、中の状況は分からない。
「ねぇ、誰かいますか?」
エレノアが大きな声で話しかけると、中でカタンと物音が聞こえる。
「……あっ、助けて!助けて!お願いだよ!」
バタバタと足音が響き、倒れた棚の前までやってきたのか、隙間から少しだけ姿が見える。
そこに居たのは、エレノアと同じくらいの歳の幼い少年だった。
彼の顔は煤で汚れ、恐怖に引きつっていた。
「……って、あなた!怪我をしているけれど、大丈夫?」
エレノアは少年の腕から流れる真っ赤な血を見て、心配そうな声で尋ねると、少年は苦笑しながらも弱々しく返事をする。
「ぼ、僕は大丈夫……でも、僕と一緒にいた侍女のリリスが倒れてしまったんだ!さっき、突然この建物が揺れたでしょ?あの時に机に置かれていた花瓶がリリスの頭に当たって、血を流したまま倒れてしまったんだ。何度呼びかけても返事をしてくれなくて」
そう泣きそうな顔をする少年に、エレノアは驚き目を見開く。
「そ、そんな!……この棚が邪魔なのよね?ちょっと待って、押してみるわ!」
エレノアは棚を持ち上げようと力を込めるが、自分の2倍以上の大きさの棚はビクともしない。
「……ごめんなさい、無理みたい。他に、他に何か方法はないかしら?」
エレノアが申し訳なさそうな顔でそう告げると、少年は少し考え込むように俯いてから、口を開いた。
「……じゃ、じゃあ!誰でも良いから、助けを呼んできてくれないかな?大人の、力がある人を呼んできて欲しいんだ!」
少年の冷静な提案に、エレノアは感心する。
こんな状況にもかかわらず、彼の頭は冷静に状況を分析していた。
「そっか、大人を呼べば良いのね!……分かったわ!なるべく早く来るから、それまで気を確かにね?」
「……う、うん。分かったよ」
エレノアは少年に必ず助けを呼んでくると約束し、その場を走り出す。
彼女はアドラー大公殿下を探して、濃い煙の中を口元を手で抑えながら、真っ直ぐ突き進んでいく。
1番奥の部屋の前までやって来ると、中からアドラー大公殿下の声が聞こえた。
そしてその扉の向こうからは、今までの比じゃない、不吉で嫌な気が溢れていた。
彼女はこの不気味な感覚に一瞬手を止めるが、少年との約束が頭を過ぎり、すぐに扉に手をかける。
しかし、鍵が掛かっているのか、扉は全く開かない。
(……どうして開かないの?早くしないと!あの子たちを助けなきゃいけないのに!)
ガチャガチャとドアノブを回すが当然効果はなく、八方塞がりだ。
そんな時、エレノアは少年の言葉を思い出した。
『……じゃ、じゃあ!誰でも良いから、助けを呼んできてくれないかな?大人の、力がある人を呼んできて欲しいんだ!』
少年は、誰でも良いから力がある大人を呼んできて欲しいと言っていた。
ならば、アドラー大公に限らずとも、別の大人を呼んできたって問題は無いはずだ。
それに今はむしろ、アドラー大公にも危険が迫っている。
ならば、別の力がある大人を呼ぶべきだ。
「……ドワイト公爵様、ドワイト公爵ならこの状況を何とかして下さるかも!」
母の友人で、自分にも優しくしてくれた、魔法使いの強いお兄さん。
エレノアは、ドワイト公爵のことをそんな風に感じていた。
彼の顔がエレノアの脳裏に浮かび、希望の光が差した。
それに、先程置いてきてしまったステラ様もドワイト公爵たちと合流している可能性が高い。
エレノアは直感がそう告げていると感じ、来た道を戻り、階段を駆け下りていく。
「早く、早く助けを呼ばなきゃ!」
アドラー大公、そして先程出会った少年を助けるため、必死に走り続ける。
嫌な空気は、少しずつ美術館全体に広がりつつあり、エレノアの不安は少しずつ積もっていく。
不安が大きくなるに連れて、前へ進む足は速くなり、普段部屋の中で過ごすエレノアは、走ることに慣れていないせいで、足を滑らせて浮遊感がし、あと少しで階段の踊り場というところで、足を踏み外し落ちそうになってしまう。
「きゃあっ!」
エレノアの甲高い悲鳴が、2階のフロアに響き渡る。
痛みと恐怖に目をぎゅっと閉じ、やって来るであろう衝撃と苦痛に身構える。
◇◇◇
休憩室の中で、アメジストとドワイト公爵の距離は少しずつ縮まっていく。
「……」
アメジストは、顔に集まる熱のせいで頬は紅潮し、あまりの恥ずかしさに目を閉じる。
熱い吐息が触れ合い、唇が重なるまであと数センチというところで、大きな爆発音が響き、美術館の建物全体が揺れ始める。
「きゃっ、何これ?」
「な、なんなんだ、これは……?」
2人の間を邪魔するように美術館は激しく揺れ、部屋に置かれた花瓶が床に落ち、ガシャンと大きな音を立てて割れる。
アメジストはドワイト公爵に引き寄せられ、庇われるかのように強く抱き締められる。
そして揺れが収まるまで、彼の腕の中で先程の光景を打ち消すように目をぎゅっと閉じる。
それから少しして、揺れは完全に収まる。
私は彼の体をそっと押し、距離をとるように離れる。
「……い、今のはなんだったのでしょうか?地震ではないですよね?」
私が顔を顰め、恐怖心を隠すように腕を押えながらそう言うと、ドワイト公爵は真剣な表情で頷き、話し始める。
「……ええ。揺れが始まる前に聞こえた爆発音。あれは人為的に引き起こされたものでしょうね。嫌な、闇の魔力のようなものを感じましたから」
「ば、爆発?……って、まさか!」
そこで私は思い出した。
これは、原作開始前に起こる一大事件なのだということに。
原作では、現皇帝の戴冠式で突如消えた女神の聖杯が、7年の歳月を経て大公領地にある古い遺跡で発見される。
そして、その聖杯を大神殿で保管するには本物かどうかを鑑定しなければならない。
鑑定の準備には時間がかかる為、その間に首都にある一度も作品を盗難されたことがない、帝国で4番目に安全な場所とされている美術館で保管していたらしい。
しかし、大神殿での鑑定を翌日に控えたある日、美術館は襲撃され、女神の聖杯は奪われてしまう。
そしてそれから約3年後、原作主人公メリーがブラントン子爵に引き取られてから、巻き込まれた阪神殿派の事件で主犯格のリーダーを暴き、聖杯を取り戻す。
そしてこの事件を機に、彼女は本格的に聖女候補として帝国中に彼女の名が知れ渡り、皇太子の侍女に推薦されるのだ。
(……これ、絶対に原作の美術館襲撃事件じゃない!どうして私が来館した時に、こんな事件が起きるのよ?!)
私は原作の重要イベントに巻き込まれていることに気付き、頭を抱える。
しかし、そんなことよりも今はエレノアたちの無事を確かめる方が先だ。
「……ドワイト公爵様。こうしてはいられません!急いで、エレノアたちの無事を確かめなければ!」
私は切実な声で彼にそう言うと、扉に手をかけ外に出ようとする。
しかし、その手はドワイト公爵に優しく、それでいて解けないように掴まれてしまう。
「……そうですね。しかし、とても不吉な魔力を感じます。ブレンシュタイン公爵夫人は、美術館の外でお待ちください。公女様たちは、私が必ずお連れしますから」
そう淡々と言い放つドワイト公爵の声音には、不安と優しさが入り交じっていた。
彼は、心から本気で私の身を案じているようだった。
その眼差しは、アメジストの心を深く揺さぶった。
しかし、それでも私はエレノアの母親だ。
そして、アドラー大公の友人であり、ステラの親友でもある。
彼らの無事を確認せずに、安全なところで待っている訳にはいかない。
だから、当然答えは──
「いいえ、ドワイト公爵様。それは出来ません、私は自らの手でエレノアを探し、抱き締めてあげたいのです。あの子は私の……世界で一番大切な宝物ですから」
私がそう言うと、ドワイト公爵はキュッと口元をへの字に結び、何も言わずに私を見つめる。
そして数秒後、観念した様に私に手を差し伸べる。
「……では、絶対に手を離さないと約束してください。私は、貴方を二度と失いたくないのです」
彼の切なげな表情に、私の心は大きく揺れる。
その甘く切ない声に、優しい眼差しに、心からの心配に、私の閉ざされた心は、まだ光を知らぬ蕾のように少しずつ開花していく。
私は当初、この身体の持ち主であるアメジストが彼を強く愛し、求めているからこんなに彼を見ていて感情を揺さぶられるのだと思っていた。
しかし、それは違ったのだ。
(……私は、ドワイト公爵に惹かれているんだわ。愛を知らない私が、恋なんてしたことない私が、初めて異性に対して切なさを募らせている。これが恋なのか、それとも単なる愛を欲する故の低俗な欲なのかは分からないけれど、でも私は彼が嫌いじゃない)
私は、そんなことを思いながら彼の手に手を重ねる。
そして彼に強く手を握られ、私たちは部屋を出て廊下を突き進んで行く。
廊下には煙が充満しており、ハンカチで手を押えながら煙を吸いすぎないように気を付けて、走り続ける。
「アドラー大公の個展スペースは2階でしたよね、そちらにいると良いのだけれど……」
逃げ惑う多くの貴族たちの波を掻き分け、ドワイト公爵に強く手を引かれ、前へと進む。
そして2階に続く階段のところで、私は見知った人物の姿を見つける。
「ステラ!」
「あっ、アメジスト!それにドワイト公爵様も!良かった、無事だったのね!」
ステラを発見したことで安堵するが、彼女の傍にエレノアとアドラー大公の姿がないことに、大きな不安を感じる。
「大変よ!アドラー大公が3階に向かって走って行ってしまったの!その後をエレノア様が着いて行って!煙は3階から流れ込んできていたから、あの2人が危険よ!早くあの2人を連れ戻さないと!」
早口でそう捲し立てるステラに、私は顔から血の気が引いていく。
もし、エレノアに何かがあったらと、彼女のことを考えるだけで胸が激しく鼓動する。
大切な娘の安否が、アメジストの心を締め付けた。
「大丈夫です……あの2人はきっと無事です。さあ、行きましょう」
「そ、そうよ!何かあったとしてもアドラー大公が何とかしてくれる……はずよ!」
私を慰めるようにそう話す2人の言葉に、私は力なく頷いた。
「私もあなたたち2人に着いて行きたいところだけど、少し煙を吸いすぎたみたいで」
「ま、まあ、そうなの?大丈夫?」
私がステラの手を掴み、そう言うと彼女は眉を下げて困り顔で笑った。
「悪いけど、私は外で待っているわ。その代わり、必ず助けを呼んでくるから!気を付けてね?アメジスト、ドワイト公爵様。必ず無事でみんなで戻って来てちょうだいね?」
真剣な表情で、私たちの目をじっと見つめてそう言う彼女に、私は深く頷いて約束する。
「ええ、分かったわ。必ず戻ってくるから」
「……ハリエット嬢もお気を付けて」
その後、私たちはステラに3階までの行き方を教えて貰い、彼女に説明された通りに館内を移動し、3階を目指して走り続ける。
「はあ、はあ……エレノア、アドラー大公。どうか、どうか無事でいて」
階段を軸が細いヒールの靴で駆け上がるのは大変だっが、弱音なんて吐いていられない。
何故なら、人の命がかかっているのだから。
ただでさえ弱いアメジストの身体で走り続ければ、すぐに息切れしてしまう。
呼吸する度にゼェゼェと苦しげな声が漏れ、ドワイト公爵は心配そうに私を見つめるが、決して手を離さず、先導するように手を引いて走り続ける。
彼のリードのおかげで、何とか私は2階の階段の前までやって来た。
「ケホケホッ……煙がここから濃くなっているわ」
「大丈夫ですか?ブレンシュタイン公爵夫人。今ならまだ引き返せますが?」
彼が心配そうな顔でそう告げるが、私は首を横に振る。
「……いいえ、ここまで来たのですから必ずあの2人を連れ戻さないと」
そう言い、微笑むと彼は私の意思を尊重してか、何も言わずに手を引き、階段を一段、また一段と上がっていく。
私は彼のリードによって階段を上がり、肩で呼吸をしながらも、何とか足を動かす。
肺が焼け付くように痛み、足は鉛のように重かったが、エレノアへたちへの思いが、アメジストを突き動かしていた。
そして、階段の踊り場が見えてきた時、私たちは思わず目を見開き、私は思いもよらない状態に、大きな声で叫んだ。
「エ、エレノア?!」
「お母様!」
私は慌ててエレノアに駆け寄り、彼女の体を強く抱き締める。
転んだのか、膝には黒い男性ものと思われる緑色のハンカチが巻かれているが、血が滲んでおり、非常に痛々しい。
「大丈夫?エレノア」
「……ちょっと痛いけど、大丈夫です!」
そう言うエレノアに私は胸をそっと撫で下ろし、彼女を安心させるように、優しく頭を撫でてやる。
するとエレノアは嬉しそうに私の胸に頭を押し付け、ぎゅっと抱き着いてくる。
彼女から伝わる温もりに、エレノアが無事だと改めて実感した。
愛する娘が無事で良かったと心底ほっとした。
そんな私の横で、ドワイト公爵はエレノアの横に立つ人物を見て目を見開き、僅かに怒りのような感情を滲ませた表情で彼をじっと睨み付けていた。




