1話 転生
「残念ですが、北川遥さん。あなたはもう長くはもたないでしょう」
「え、どういうことですか?先生」
突然の医者からの余命宣告に、私は固まった。
高校を卒業し、何とかあの地獄のような家から出られると思ったのも束の間、私はどうやらもうすぐ死ぬらしい。
私は教育熱心な母により、優秀な兄と比べられながら育った。
テストで兄が100点をとるのに対して、私はいつも90点をとる。
満点をとれない私に母はヒステリックな声で叫び、私の頬を叩く。そして極めつけには決まってこう言うのだ。
『アンタなんて産まなければ良かった』
その言葉を物心着く前から幾度となく浴びせられ、私の心は少しずつ崩壊していった。
滅多に家に帰って来ない父、何をするにも優秀で完璧な兄は私が母に虐待されていても、気にする素振りも見せない。
私が助けてと叫んでも、彼らが手を差し伸べてくれることはなかった。
だから私はこの地獄のような日々をひたすら耐えるしかなかった。
だが、そんな日々ももう終わる。
私は遠く離れた名門大学に合格した。
4月からは大学生になる。
大学では、寮で生活するため、もうここに帰ってくることはないだろう。
私は18年生きてきて、ようやく自由を手にした。
しかし、そんな私は入学前の健康診断で不治の病にかかっていると宣告を受けた。
治療法も確立されていない、世界でも症例が数える程しかない病だ。
できることと言えば、痛み止めを飲んで苦しみを緩和することだけ。
「……私は、死ぬんですか?」
「……お力になれず、申し訳ありません」
「そ、そんな!」
医者の言葉に、私は言葉を失った。そして見開かれた瞳から涙が溢れ出た。
こんなのはあんまりだ。私が一体何をしたと言うのだろうか。
母から虐待を受け、父や兄からは空気のように扱われ、それでも尚必死に勉強をし続け、ようやく自由が手に入ると、初めて喜びを感じただけなのに。
もうすぐ死ぬだなんて、いくらなんでも酷過ぎる。
それから、私は病については家族に話さず、何も言わず大学に通った。
せめて、少しの間だけでも自由を謳歌したいとそう思ったから。
今まで禁止されていた漫画を読み、テレビドラマを観た。
今まで食べたことの無いケーキをおなかいっぱい食べ、休日には朝から晩までゲームをした。
こんな自由な生活をしても尚、心は満たされなかった。
講義が休校になった日のこと、私は寮の自室で『没落令嬢は星に選ばれる』という、大好きな恋愛小説の続きを読んでいた。
この物語は、辛い過去を持つ主人公が皇太子と結ばれるまでの内容を綴ったシンデレラストーリーである。
主人公のメリーは没落貴族の家に産まれ、家族に蔑まれながらも明るく前向きに生きてきた。
しかし、ある日家に借金取りがやって来て、返済の催促をする。
そこで家族はメリーを奴隷商に売り飛ばすことにした。
そしてメリーは借金取りに荷馬車に押し込まれてしまう。
しかし、彼女は諦めなかった。
彼女は馬車が橋を通るタイミングで身を投げ、川に飛び込んだ。
その後、近くの孤児院で保護され、最終的に9歳の誕生日の日に南部の貴族であるブラントン子爵家に引き取られるのだ。
その後、紆余曲折を経て皇太子と結ばれるのだが、皇太子と結ばれるまでの間、彼女は悪女エレノアにいじめられてしまう。
ドレスに飲み物をかけられたり、彼女の出自についてあらぬ噂を流したり、社交界で孤立させたりと散々な目に遭わされる。
それでも彼女はいつも前を向き、凛とした態度で接した。
だからこそ、冷酷な皇太子の心と彼にかけられた呪いを解くことができたのだ。
物語のラスト、悪女の罪は全て暴かれ、母親殺しまでしていたエレノアは断罪され、ギロチン刑に処される。
しかし、死ぬ寸前で闇の魔女として覚醒し、広場にいる多くの人々を殺そうとした。
しかし、神聖力を持つメリーが聖女として覚醒し、皇太子共にエレノアを倒し世界に平和が訪れる。
そして今まで辛い人生を歩んできた主人公は、皇太子と結ばれ、末永く幸せに過ごしたとされている。
確か、来月この物語の続編が出るらしく、私はそれを早く読みたいと常日頃思っていた。
元気な内にできることは全てしておきたいから。
そんなことを考えていると、突然心臓が大きくドクンと鼓動した。
そして、突然胸が痛みだし、呼吸が上手くできない。
「ぐ、ぐるしい……ハアッ、ハアッ」
助けを呼ぼうと、携帯に手を伸ばすがあと一歩というところで私は意識を手放した。
(嫌だ、こんなところで、死にたくないよ……)
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
次に私が目を覚ますと、そこは自室でも病院でもない、全く知らない場所だった。
「え、ここどこ?!」
私がそう叫ぶと、ガチャリとドアが開いた。
そして扉の向こうには『没落令嬢は星に選ばれる』の登場人物で、悪女の父親とされていた男──クリスチャン・レナード・ブレンシュタイン公爵が立っていた。
(ど、どうしてブレンシュタイン公爵が?え何これ?夢?それとも……まさか、転生?)
彼は愛妻家と有名だったが、悪女が妻を殺したと知り、娘の罪を皇太子に密告した。
悪女の悪行を見ぬふりをしていた加害者でありながら、妻を娘に殺された被害者でもある男だった。
「ようやく目が覚めたか。相変わらず、辛気臭い顔をしていますねぇ?」
「え?い、いきなりなんなんですか?こ、ここはどこなんですか?」
私がそう呟くと、彼はニヤリと口角を上げて笑い出す。
「アハハハ、今度は記憶喪失のフリか?息子もまともに産めないような、無能な女だから、本当にボケてしまったのかもしれないな。貴方は本当に救いようがないですね。また母を困らせたそうじゃないか、アメジスト」
「アメジスト?」
そう呼ばれた時、私は慌てて近くに置かれた鏡を見る。
するとそこには、黒髪に茶色の瞳をした、地味で目立たない北川遥の姿はなく、桃色の長い髪にアメジストのような紫色の瞳を持つ美しい女性の姿があった。
「……アメジスト、俺はもうお前の顔を二度とみたくない。だから、お前には今日から離れに移ってもらうことにしたんだ」
「え?」
その後、私はわけもわからぬまま使用人に案内され離れへと連れて行かれる。
離れの屋敷に着くと、そこには草が生い茂っており、長い間放置されていたことが分かる。
(な、何ここ?!こんなボロ屋敷で暮らせって言うの?!)
玄関の扉を開き、中に入るとそこには絹のように美しい金色の髪に公爵と同じサファイアのような青い瞳を持つ少女が、ところどころ糸のほつれたドレスを着て立っていた。
彼女を見た瞬間、私はあの小説の内容とは全く違う見知らぬ記憶が頭の中に流れ込んできた。
『オギャーオギャー』
元気な産声をあげる赤子を取上げた医師は、暗い面持ちでこう言った。
『……奥様、この子は元気な女の子です。残念でございましたね、公爵様は男児を望まれていたと言うのに』
医者は心底同情しているといった様子で、公爵夫人アメジストに頭を下げる。
そして数秒後、バンッと大きな音を立てて部屋の扉が開いた。
『産まれたのね?私の可愛い可愛い跡継ぎが!』
そう言い、夫の母である前公爵夫人は嬉しそうな顔でアメジストの横を通り過ぎ、ベビーベッドに眠る我が子の元へ向かう。
『……これは、どういうこと?どうして、女を産んだの?何の役にも立たない女だなんて、公爵家の恥だわ!どうして、男児を産まなかったの?まさかあなた、お祈りを毎日しなかったの?あれほど、毎日男児が産まれるよう祈るようにと言ってきたのに、この役たたずが!』
『……申し訳ありません、お義母様』
前公爵夫人、義母は鬼のような形相で私に詰め寄り、アメジストの頬を叩いた。
そして悲痛な声を上げながら、部屋を出て行った。
『ごめんね、ごめんねエレノア……男の子に産んであげられなくて、ごめんね』
アメジストはそう繰り返し呟き、涙を流し続ける。
場面は切り替わり、赤子は7歳の少女に成長した。
しかし、彼女は草の生い茂った離れで生活しており、まともな食事を与えられていないせいか、随分痩せ細っている。
アメジストが実家から連れて来た侍女も半年前に公爵家から追い出され、2人の味方は誰もいなくなってしまった。
『エレノア、食事の時間よ』
アメジストに呼ばれ、エレノアはフラつきながらも広間に向かい、食事をする。
今日の食事はじゃがいものポタージュと、小さなパン一切れだった。
貧相な食事ではあるが、食べられるだけマシだと思い、エレノアは食事に手を伸ばす。
『……冷たいわ』
スープを1口飲み、エレノアがそう零すとアメジストは悲しそうに笑い、エレノアの頭を撫でた。
そしてアメジストもスープに口を付ける。
しかし、次の瞬間突如アメジストは吐血し、苦しそうに胸を抑え、倒れてしまう。
『うぅっ、うぐっ、うぁ……』
ヒューヒューと苦しそうに呼吸をするアメジストに、エレノアは慌てて駆け寄る。
『お母様!お母様、しっかりしてください!お母様!誰か、誰か医者を!』
エレノアが近くにいる使用人に必死に頼み込むが、彼女たちはエレノアの言葉を無視して、その場を去っていってしまう。
そして母親は倒れ込み、意識が戻ることはなかった。
それからアメジストは床に伏せてしまう。
彼女が意識を失ってから数日後、公爵家の専属医がやって来て流行病にかかっていると診断を下した。
専属医は薬を処方したが、その薬を飲んでも回復することはなく、日に日に体調は悪化していくばかりだ。
そして、そのままアメジストは衰弱し、苦しみながら息絶えてしまった。