空想夜 第一部 後編
——旅人は、かつての砂の都へ放り出されました。当然、すぐに親友を探しました。今がいつなのか分からない以上、できるだけ早く見つける必要がありました。しかし旅人は考えたのです。ここは花の惑星が見せる夢の中。この世界で親友を助けても、それは自分の自己満足でしかない。助けてどうする。旅人は迷いました。迷って迷って、散々迷った末に、やはり親友を探すことにしたのです。
まずは家に行ってみました。木を継ぎ接いでできた簡素な扉を叩きますが、返事はありません。旅人は十秒だけ待って、他を探すことにしました。
次に、街の大きな泉の所に行ってみました。もしかすると様々な人が集まるこの場所に居るのかもしれないと、そう思って探しました。知り合いの顔はたくさん見つけました。しかし親友はどこにも居ません。旅人は他を探すことにしました。
最後に立ち寄ったのは親友といつも酒を飲んでいた酒場でした。彼は扉を押し開け中に入ります。すると、そこには探し求めた人が確かに座っていました。
「よう、どうした、忘れ物でもしたか?」
親友は酒を片手に語り掛けます。旅人はそのまま親友の隣の椅子に座ります。
「おいおい、さっき今日は飲まないって言ってただろう」
「気が変わったんだよ」
旅人は親友の横で酒を飲みながら、何をどう話そうか考えていました。一杯目が無くなる頃、彼はようやく答えを出しました。
「この星から出て、私と一緒に来る気は無いかな」
「いや、無いね。おまえは旅人だが、おれはここの住人だ」
親友はすました顔で答えました。そして酒を呷りました。
「星間戦争でここが無くなるとしてもか」
旅人は恐る恐る訊ねました。過去に見た光景が蘇り、視線を机に落とします。木目に血の赤が染み付いているような気がして、彼はすぐに目を逸らしました。
「戦争? だったら尚更出る気は無いね。故郷を、それだけじゃないな、おれの好きな人たちを放って生き残るのは、どんだけ幸せになったとしても自分を許せない」
「そうか」
二人はしばらく黙って酒を飲んでいました。どちらも、どう話を切り出せば良いのかが分からなかったのです。風が緩く留められた窓枠を軽く揺らしましたが、その音すら二人には重く聞こえました。
「おまえ、空に出るんだろう。ここに来た時みたいに他の星に行くから、一緒に来ないかなんて言うんだ」
旅人は、黙って聞いているしかありませんでした。親友は続けます。
「おれは行かないが、そんなに悲しんだり惜しんだりするなよ。おまえがここのことを憶えてくれていれば、またここに来てくれれば会えるんだ。だからおまえはもう空に出ろ。おれに何があっても気にするな。おまえはおれの親友だからな、ここじゃなくても上手くやっていけるよ」
ずっと黙って聞いている旅人に、親友は話し続けます。
「寂しくないかって聞かれたら、そりゃ寂しいさ。おまえに二度と会えないかもしれないんだ、寂しくないわけがないだろう。けどな。おまえがおれの親友だって言えるだけで、おれはこの星の、いやこの宇宙の誰よりも幸運で誇らしいと思っているんだ」
旅人は静かに涙を流しました。声も出さず泣いて、泣いて、泣いて、止まらない涙を袖で拭い、立ち上がりました。
「ありがとう。きみに出会えて、きみと親友になれて私もきみと同じくらい幸運で誇らしい。また会おう友よ。私は明日空に出る。見送りには来なくていい。決意が鈍るからね。さあ、私はもう戻って寝るよ」
最も親しき友は、最後に抱擁しました。旅人の迷いや苦しみは明日を生きる決意に変わり、彼は夢から醒めることを選びました。
この日を終えれば砂の都は戦禍に消える。明日にはもう親友は帰らぬ人となる。親友が夢だとしても、旅人は話せてよかったと思いました。
酒場を出る直前、扉に体重を掛けた時。後方からすすり泣く声が聞こえた気がして旅人は振り返りました。しかしそこにはもう酒場の影すら残っていませんでした。底無しの黒と所々を照らす小さな街灯、石の煉瓦の道。この先を辿れば夢が醒める。旅人は一歩ずつゆっくりと歩きます。遠くの方から、花の香りがした気がしました。旅人は歩みを止めません。遠くに青い空がちらついた気がしました。まっすぐに伸びた道を旅人は一気に駆け抜けます。だんだん視界が白で塗り潰されて、そして。
目が醒めました。体を起こすとそこは最初に降り立った花畑でした。地平の果てまで続く花々がゆるりと吹く風に揺れ、香りと花弁が一気に舞い上がります。旅人の手には、手記の切れ端が確かに握られておりました——
「これが旅人の、花の惑星のお話でした」
車掌は少し寂しそうな笑顔で話し終えた。私はカップに残った一滴を飲み干して車掌に訊ねた。
「車掌さん。あなたはどうして、炭酸香草茶を作れるのですか?」
「さて、何故でしょうか」
彼は眉の一つも動かさずに応えた。しかしその声色は、その笑顔と同じで寂しげだった。私はカップに視線を落とし、数秒黙り込んだ。訊くべきではない問いをしてしまったのかもしれないと少し後悔した。
車掌はシュガーポットから角砂糖を一つ取り出してしばらく眺め、やがて指先で砕いてしまった。粉末に戻った砂糖は机の上に疎らに散らばったが、車掌がそれを気にする様子はなかった。
「あの星は一体何だったのですか?」
「あの場所は来訪者の歓喜の記憶、即ち嬉しかったことを映す鏡のような星です。大昔は嬉しい思い出を追体験できる娯楽施設のような星でした。しかし、あの悪魔が支配するようになってから全てが変わりました。来訪者の記憶に潜り込み、星の住人として取り込もうとするのです」
襲われた時の情景が蘇る。全身の力が抜け、意識が消えていく。そして私に仮面を着けようとしてきた。車掌の説明を聞いて、あの仮面の意味が分かった気がした。あれはつまり、来訪者の感情を固定して星に縛り付けるための物なのだろう。
それと、と車掌は続ける。
「あの星の住人に決められた姿はありません。あなたにはご友人に見えたあの方も、私には別の姿に見えておりました」
あれはどうやら私の親友ではなかったようだ。それは私も薄々感じてはいたが、面と向かって言われるとやはり受け入れ難い。何故あの時助けてくれたのか、何故一緒に来てくれなかったのか、理解できない部分を車掌はゆっくりと教えてくれた。
「あの方は悪魔に取り込まれた元来訪者だったのでしょう。あなたを助けたのは恐らく、あなたがまだ助かる、逃げられると思ったからではないかと思います。この列車に乗らなかったのは、自分があなたの親友ではないことを分かっていたからでしょうね」
そうだ。あの星は私の記憶を映していただけで、そこに居た住人もそう。私の記憶の中から姿を真似ただけだ。だからあれは私の親友ではない。一緒に来てくれても、それは私の友人ではない。しかし、あの時あの瞬間だけは私の親友だったとそう思う。それを車掌に言おうとした時、それを遮るように列車が大きく揺れた。
「後ろの車両ですね。少し見てきます」
「私も行きます」
空のカップをそのままに、私たちは後ろの車両に向かって歩く。揺れて明滅する照明、いつもより音が大きい窓枠、相変わらず規則正しい天鵞絨の椅子。車掌と共にどこかに異常が無いか見ながら、通り過ぎていく。そしてとうとう、私たちは最後尾の展望車までやって来た。入ってすぐはどこにも変わったところなど無いように見えた。しかしすぐに、見つけた。壁面から飛び出した棒状の物に私は見覚えがあった。歓喜の都市で道化師が持っていた杖だ。それが壁面に突き刺さっていた。
「これが外側で何かに引っかかったようですね」
「どうするのですか?」
車掌は困ったように杖を眺める。そしてそれを引っ張ったり押したりしたが、杖が動く様子はなかった。想像より強く突き刺さったそれは、見るだけで私の心を曇らせる。車掌は諦めたように言った。
「車両ごと切り離します。このまま走行すると危険ですから」
悲しそうな笑顔を浮かべる車掌を見て私も少し悲しくなる。あまり長く居たわけではない展望車だが、ここから見える景色はかなり気に入っていた。それが無くなるのは寂しい。
車掌は私に展望車から出るように指示した。彼もその後に続く。その手には展望車の片隅に置かれていた観葉植物が鉢ごと持たれていた。そしてそれを振りかぶって連結部に叩き付けた。鉢と連結部双方が砕ける音が響く。進む列車に置いて行かれる形で、展望車が遠ざかっていく。車掌は衝撃に耐えられずに折れた植物を投げ捨て、最後尾になった客車の扉を閉めた。
「あとで鍵をかけておきます。戻りましょう」
車掌は前方に向かって歩き始めた。私もそれに続いた。
ラウンジに戻った車掌は思い出したかのようにテーブルまで駆けて行った。そして大急ぎでカップやシュガーポットを片付け始めた。その様子がなんだか面白おかしく感じて口元が綻ぶ。ふとこちらを見た車掌は照れ臭そうに頭を掻いた。
「何か手伝いましょうか?」
「では、シュガーポットとトレイの収納をお願いします。似たような物が並んでいると思うので、そこへ」
言われた通りの場所にシュガーポットとトレイを納める。食器同士が軽くぶつかって軽い音を立てた。車内に漂う珈琲の香りが少しずつ薄くなって、洗剤の香りが濃くなっていく。収納を終えた私はカウンターの席に座り、車掌がカップを拭き上げるのを待った。どこか楽しげに手入れをする車掌を見ているとこちらまで楽しい気持ちになって来る。
「さて、次の駅まで少し時間があるわけですが」
車掌は厚紙の品書きを取り出して差し出してくる。そこには以前は無かった食べ物の欄ができていた。
「何か飲み物でもいかがですか? 今度は食べ物もありで」
汽笛。暗い気分を吹き飛ばすには十分な音が響く。列車は次の駅を目指して未だ進み続ける。かたかたと小さく揺れる車窓からは遠く広がる夜空が見え、私の手元には新しい飲み物と、今度は菓子まで用意されている。甘い砂糖と飲み物の香りが車内と私の心を満たした。次の駅まではまだ時間がある。それまでに、今回私が負った傷は癒されていくのだろう。列車は走る。夜空の果てまで続く線路を駆け抜けていく。