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空想夜 第一部 前編

人は生まれたその日から

長い長い旅に出る

旅が終わるその日まで

前へ前へと進み続ける

【空想】

  ①現実にはあり得るはずのないことをいろいろと思いめぐらすこと。

  ②想像の一種で、観念または心象としてあらわれる精神活動

                        またはその所産をいう。

                           広辞苑第六版より


 汽笛。意識を覚醒させるには十分すぎる音が鳴る。それを合図に閉じていた瞼をゆっくりと上げる。揺れる灯りの下で私は茫然と立ち尽くしていた。均等に並べられた紅い天鵞絨の椅子に人影は無く、窓枠が震える音が微かに聞こえる。体が軽い。足が動く。腕も動く。指の一本一本まで私が思い描いたままに動く。先程まで感じていた全身に走る痛みと倦怠感が嘘のようだ。

 その感触を噛み締めるように体を動かしていると車両前方の引き戸が開き、その向こうから制服をきっちりと着た、私と同じくらいの背丈の少年が姿を見せた。右肩から斜めに小さな鞄を提げ、左の上腕部に臙脂色の腕章を着けている。整列した紅色に異常がないか軽く調べながら歩くその姿はまさしく車掌であった。

「おや、起きていらっしゃったのですか」

 歩いてきた少年はこちらを見てにこりと微笑んだ。

「はい、さっき起きたばかりです。これはどこに行くのですか」

 車掌は微笑んだまま答えた。

「夜空の果てでございます」

 続けて車掌は話す。訊ねたい事もあったが、軽いはずの体が言うことを聞かない。喉がひゅうと鳴るだけで、頭に浮かんだ問いは空気に溶けていった。

「途中、休憩のために四つの星に停まります。着く頃には必ずお知らせしますので、それまではどうぞごゆっくり、ご自由にお過ごしください」

 車掌が軽くお辞儀をする。それが何か合図のようなものになって、体は主人を思い出したかのように言うことを聞き始めた。私はほんの少しの冒険心から、車掌に問いかけた。

「列車を見て回ってもいいのですか?」

 車掌は表情を変えないまま答える。顔に笑顔が貼り付いたように見えて、少しおそろしい。息を、呑む。

「ええ、もちろんですとも。ただ、危険ですので走行中に窓から身を乗り出したりはしないでください」

 続けて話す。笑顔は剥がれなかった。

「それでは、私は先頭の客車へ行きますので、これで失礼します」

 言い終わるとお辞儀をして、前の車両へと姿を消した。私はその背中を見送って、車掌が向かったのとは逆の車両に好奇心を向けた。濃紺を写す車窓、明るい車内に並んだ紅色の天鵞絨、なんと素敵なのだろう。興奮を隠せずに私は一番後ろの車両まで駆けてみた。

 一番後ろは展望車になっていた。他の車両より広く作られた窓と、外を向くように置かれた木製の椅子が不規則に並んでいる。少しだけ開けられた窓から入り込む風が心地良い。椅子の一つに腰かけてみた。全面を夜で塗り潰したような景色が続く。時折大きな星を近くに見ることがあった。しかし列車は止まらない。何処までも進んでいく。

 景色を見始めて少し経つ頃には、私はすっかり飽きてしまっていた。もっと面白いものはないか、珍しいものはないか。もと来た車両を辿るが、寝台車や個室車両が並ぶだけで特に面白いと感じる物は無かった。

 興味をそそられる何かを探して前の車両へと歩みを進める。そうしていると私はいつの間にか、先頭車両のラウンジまで来ていた。観葉植物が空間の隅に置かれ、車両の右側には紅で統一されたソファと広いテーブルが三組。左側、カウンターの奥には棚があり、中は飲み物の瓶と食器で埋められていた。私が飲めるものもあるのだろうか。

 車掌はカウンターの奥で食器の手入れをしていた。白い陶器のカップを丁寧に拭き上げる姿は彼の背丈には似合っていなかった。

「似合っていないでしょう?」

 車掌は私に訊いた。それはもう、と言おうとした私はその口を噤んだ。事実とはいえ、それを口にするのはどうにも失礼であるような気がして、私は誤魔化した。

「きっと似合うようになりますよ」

 私は車掌の目の前の席に腰かけた。椅子の背が高いからか、座っても私と彼の背丈はあまり変わらなかった。車掌は拭き上がったカップを棚に仕舞い、私の方に向き直った。

「なにか飲みますか? それと一緒に、少しお話でも」

 どこからか、厚紙でできた品書きを差し出してくる。そこに載っているのはどれも飲んだことのない面白い名前のものばかりだった。迷う私の目をいっそう強く引き付けたのは、花の惑星の炭酸香草茶だった。

「かしこまりました。少し待っていてくださいね」

 車掌は棚からグラスを取り出し、手際よく香草茶を注いでゆく。車両内に広がる花のような甘く爽やかな香りと、ぱちぱちと炭酸の泡が弾ける音が私の心を大きく弾ませた。最後にグラスに綺麗な花を添えて、完成。色付いたグラスは私の前に置かれた。

「それでは、飲み物にちなんで花の惑星のお話などはいかがでしょうか。もちろん、他のお話がよければ他でも構いませんが」

 私は頷いて手元の茶を一口。口内に花の香りと炭酸の刺激が広がる。美味しい。

「では、話しましょう」


 ——これは、夜空の旅人のお話です。彼は夜空を駆ける乗り物に乗って、様々な星を旅していました。今まで旅してきたのは、甘味の銀河、凍った海の星、など多くありますが、それはまた別の機会にでも。今回は花の惑星のお話です。

 旅人が花の惑星を訪れたのは、彼が旅に出て十年が経とうとしていた頃でした。一度故郷に帰ろうと土産物を探しているときに立ち寄った、と。そう聞いています。旅人はこれまでの旅と、その中にあった幾つもの冒険に疲れてしまっていたのです。花の惑星では何も起きずに、ただ土産物が見つかってくれればそれでいい。そう思っていたそうです。

 さて、まだ明るいうちに花の惑星に到着した彼を最初に出迎えたのは、辺り一面に広がる花畑でした。乗り物を降りたときは、住人は一人も見えなかったのだとか。彼は畦道をずっと行った先に見える、小さな街のような場所を目指しました。花畑の真ん中をたった一人で歩いて、街に着いた頃には日はすっかり落ちて、辺りは暗くなっていました。街の住人は皆家に帰り、暖かい光が街をぽつぽつと照らしていたそうです。

 旅人は街を歩くうちに小さな宿舎を見つけ、そこに泊まることにしました。通された部屋には大きなベッドと収納棚、隅の机の花瓶には花畑でも見た花が活けられていました。彼はすぐにベッドに横になり眠ろうとしたそうです。

 暫くして。彼は少しも眠くならないことに気が付きました。このまま夜が明けるまで部屋の中で過ごすことも考えましたが、花の惑星のことがどうしても気になった彼は宿舎の主に話を聞きに行くことにしました。

 軽く身支度を整え部屋の扉を開けた旅人を待っていたのは、部屋に着くまでに通った廊下ではありませんでした。そこは美しく整えられた花壇や街路灯が並ぶ街の一角でした。空には満天の星が輝き、その夜空はむしろ明るく感じるほどでした。

 何が起こったのか理解が追い付かない旅人に、あとから出てきた主人が言いました。

「ここはこの星の夢の中さ。驚いたかい?」

 旅人は答えます。

「ええ、とても」

 街を往く人々、四輪車、風と植物、土の匂いに至るまで、旅人には全てが現実のように思えました。今立っている道も感じている肌寒さも、全てが夢だ、と。信じられないでしょう。しかし旅人は今までたくさん旅をしてきましたから、疑うことはありませんでした。

「ここが夢なら、あなたはどうなのですか」

 旅人は主人に訊ねました。

「おれはこの星の住人だよ。言い方を変えれば、この夢の住人さ」

 主人は答えます。主人はこの夢に住んでいる、夢の世界の人間なのです。旅人はもう一つ訊ねました。いったいいつから夢だったのか、と。

 主人は愉快そうに答えます。「あの花畑に降りたところから」だと。

 花の惑星で旅人がどんなことをしたのか、そのお話はここから始まります——


「少し休憩しましょうか」

 車掌は空になった私のグラスを見て付け加えた。

「もう一杯飲まれますか?」

 私は首を縦に振り、グラスを差し出した。車両内が再び花の香りで満たされる。手元から微かに聞こえる泡の音が二杯目の香草茶の完成を知らせてくれている。

 私は自由に動く腕を天上に向けて大きく伸ばした。硬く固まっていた背筋が解されていく気がして、数秒間、軽く体を動かしていた。

「本当はお菓子か何かあればよかったのですが、生憎と切らしていまして。申し訳ない」

「いえ、お気になさらず。このお茶だけで十分ですよ」

 そう言って、香草茶を一口。口の中で弾ける泡の刺激が私の目を覚ます。

「今までのお話、退屈ではありませんか?」

 車掌は話しながら、棚からもう一つグラスを取り出した。そして私の手元にあるのと同じものを作り始めた。車掌の手元に置かれた香草茶に、花は添えられなかった。

「話していると、なんだか私も飲みたくなりました」

 私はもう一口香草茶を口に含んだ。

「旅人がその後どうなったのか、気になります。続きを聞かせてください」

 私がそう言うと、車掌はゆっくりと頷き、話し始めた。


 ——続きから話しましょう。旅人は宿舎の主人の案内のもと、ある喫茶店にやってきました。彼はそこで主人と別れ、一人で喫茶店に入ります。そこはどこにでもあるような、一般的な喫茶店でした。いくつもの席と珈琲の香り、或いは爽やかな花の香り。旅人が心を落ち着かせるには十分な空間でした。店に入った旅人は、カウンターの真ん中の席に座ったそうです。カウンターの向こう側では店主がカップやグラスの手入れをしていたそうです。丁度、今の私たちのような感じですね。

 旅人が座ったのを見て、店主は声を掛けました。

「何か飲みますか?」

 旅人は答えます。

「はい。では、ここのおすすめをお願いします」

 そう言われて店主が用意した飲み物が、今私たちが飲んでいる炭酸香草茶なのだそうです。

 店主は旅人に問いました。

「この星へは、どうやって来られたのですか?」

「空を駆ける乗り物です。砂の都から故郷に帰る途中でした」

 旅人は香草茶を一口。そして砂の都で起こった出来事を思い起こしました。砂で覆われた小さなあの街に、どれだけ滞在していたでしょうか。滞在して住人と交流するうちに、いつしか旅人には友人ができ、その友人は親友になり、なんでも話せる仲になったそうです。

 しかし、奪われるのは一瞬でした。星間戦争、いえ、あれはもはや一方的な虐殺でした。砂の街が、血と炎と悲鳴で埋め尽くされました。旅人は親友を助けるため、乗り物を街のすぐ傍に着けました。そして急いで親友を探しに戻りました。けれど、もう遅かった。悲鳴は止み、炎は風で吹き飛ばされ、血は照り付ける陽のせいですっかり乾いていました。かつて交流を深めた肉塊の中から、ついぞ親友は見つかりませんでした。そんなわけで、旅人は心に深い傷を負っていたのです。それを思い出し、暗い顔をしていた彼を記憶から連れ戻したのは、店主でした。

「お話、聞きますよ」

 旅人は、少しずつ話し始めました。彼の身に起こったこと、砂の都の現在、喪失の記憶、話せるだけ話しました。苦しかった胸の内をただぶつけるように、話しました。旅人は泣いていました。流した涙は宝石のように輝く塊となり、カウンターの上に数個、転がりました。

「旅人さん。ここは、夢の世界です。ここでなら、この世界の中だけでなら、あなたはもう一度ご友人に逢うことができる」

 いつの間にかお店の扉の前に立っていた店主はふわりと微笑み、手を差し出した。旅人は立ち上がり、一歩、一歩と歩いて行く。扉が近づくにつれて砂の匂いが、乾いた陽の暖かさが強くなっていくように感じました。この向こう側は確かにあの街に繋がっている、もう一度親友に逢えるかもしれない。

 しかし、旅人は恐れました。もし再び逢えたとして、彼はどんな顔をすればいいのか分からなかったのです。手を震わせる旅人を見て、店主は思いついたように話しました。

「そうだ。あなたがここを発たれるのであれば、手土産があった方がよいでしょう。ここにあるもので気に入ったものを、どれでも一つ差し上げます」

「どれでも、一つですか」

 旅人の声は震えていました。体が恐怖に震えているのです、当然でしょう。しかし、彼は迷いませんでした。彼は空になったグラスを指さしました。そしてこう言ったのです。

「あれの作り方を、手土産として教えてください」

 店主は柔らかな笑顔のまま頷きました。扉の前に立っていたはずの店主は、いつの間にかカウンターの奥にいました。そして店の奥の方から手記の切れ端を持って戻ってくると、それを旅人に手渡しながら言いました。

「あなたの未来が苦難で溢れていても、道が途絶えないことを祈ります」

 旅人は店主に別れを告げ、扉を開けました。砂の都へ足を踏み入れた旅人は思わず後ろを振り返ります。しかしそこにあったのは乾いた青色の空と砂の地平線だけで、夢の喫茶店への扉はどこにもありませんでした——


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