第2話:動き出す獲物(01)
「むぐむぐ~むぐむぐ~♪」
一般的なイメージだと、女の子の食欲ってそんなに大きくない。油っこい食べ物もあんまり得意じゃないってのが普通だ。
「むぐむぐ~むぐむぐ~……」
だから、女友達と焼肉屋に行くときは、食事そのものよりおしゃべりがメインになることが多い。
「むおっ!?ガプッ!ガツガツ――」
だが、この理論、どうやら俺の愚妹には全く通用しないらしい……。
「むぐむぐ~むぐ――うっ!?ゴクゴク~ぷはっ!」
愛乃はジュージューと油が弾けるサムギョプサルを豪快に頬張ったかと思うと、食べすぎて喉に詰まらせやがった。慌てて横にあったコーラをガブ飲みし、満足げにゲップまでした。
おい……お前、本当に女子高生か?どっかのおっさんだろ?
まったく、こんな楽しそうに食う姿を見てたら、俺の食欲まで刺激されてきたぞ。
「愛乃ちゃん、女の子はそんなガサツじゃダメだよ?」
愛乃の隣に座る桜海は苦笑しながらティッシュを取り、彼女の口元のタレを優しく拭いてやった。
「~~~!」
愛乃は一瞬で顔を真っ赤にし、もじもじと体をくねらせた。
恋人同士というより、桜海は完全に年上のお姉さんって感じだな。
俺が選んだこの焼肉屋はビュッフェ形式だ。新規オープン記念で期間限定の割引キャンペーンもやってるから、財布の薄い学生にはこれ以上ないくらい最高の店だ。
ビュッフェってのは、要するに食えば食うほどお得ってこと。
だから、食の細い女の子を連れてくる奴なんて普通いない。桜海みたいなタイプがまさにそれだ。彼女は一般的な女子より少し多めに食べるけど、半分くらいで満腹になってしまう。
で、愛乃は……例外だ。いや、むしろ「規格外」と呼ぶべきか?俺がもう腹いっぱいでギブアップしてるのに、こいつはまだガツガツ食ってる。それも炭酸ジュースをガブ飲みしながらだ。
……愚妹よ、お前の胃はブラックホールか?
俺はテーブルに残った食材を一瞥し、深いため息をついた。
すまん、我が妹――これからの戦いは、お前一人に任せた。
この不甲斐ない賢兄を許してくれ……。
「うおっ!?熱っ――!」
愛乃は俺の意思を完全に無視し、焼きたての牛カルビを俺の口に突っ込んできた。
「にいさん、サボるな!まさかこれ全部私一人で食べろって言うんじゃないよね!?」
いや、俺はお前なら余裕でやれると思うぞ。
「うう……無理じゃないけど、これ以上食べたらカロリーやばいよぉ……」
――今さらカロリーを気にするのか?お前、すでにどんだけ食ったと思ってんだ?
愛乃が不満げに眉をひそめる姿を見て、俺はなんだか疲れを感じた。
俺は仕返しとばかりに焼き上がったエビをまるごと愛乃の口に放り込んだ。最初は不満そうに睨まれたけど、エビの旨味が口に広がると、彼女の表情はみるみる柔らかくなった。
が、隣の桜海の慈愛に満ちた視線に気づいた瞬間、愛乃は慌てて手をブンブン振った。
「に、にいさん、ふざけないでよ!縁ちゃんが見てるんだから!私のレディなイメージ、ちょっとくらい気遣ってよ!」
……存在しないものをどうやって気遣うんだよ?愚妹、頼むから俺を困らせないでくれ。
つか、今さらイメージとか気にしてどうすんだ?お前の本性、とうの昔にバレてるだろ?
桜海は俺たち兄妹のやり取りを静かに眺め、ふわっと柔らかい笑みを浮かべた。
「学校じゃ『氷の美人』なんて呼ばれてる愛乃ちゃんが、こうやってお兄さんに甘える一面もあるなんて。ふふっ、めっちゃ可愛い~」
「ち、違うよ、縁ちゃん!何!?私がこんなバカにいさんに甘えるわけないじゃん!」
愛乃は慌てて手を振って否定。どうやら兄控だと思われるのは嫌らしい。
ほぉ~愚妹よ、桜海に嫉妬されるのが怖いのか?可愛いじゃん。
俺はついニヤッと笑ってしまい、それを見た愛乃はムスッと顔を背けた。
もうちょっとからかってやりたいけど、あんまり長引くと帰りが遅くなる。うちは俺と愛乃の二人暮らしだから遅くても問題ないが、桜海に門限を破らせるわけにはいかない。
---
激戦の末、俺たちは焼肉屋を後にし、帰路についた。
外はすっかり暗くなっていたので、俺は桜海を家まで送ることにした。
で、愛乃は――
「うぇ……気持ち悪い……」
食べすぎて動けなくなり、今は大人しく俺の背中に乗っかってる。
胸は貧相だけど、肌は弾力があって、なんとも女らしい。特に引き締まった太ももの感触は最高で、触ってるとクセになりそうだ。ついでに、つい触ってしまった丸いお尻も――
いやいやいや、こいつは『妹』って名前の生き物だろ!?俺、何考えてんだ……。
そういえば、こいつ18歳なのに身長が全然変わらないな。どう見ても中学生だろ。
「先輩、一人で大丈夫ですか?」
俺が愛乃をおんぶしてるのを見て、隣を歩く桜海が心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫だ。こいつ、食う量はすごいけど、背負うと意外と軽いんだよ」
腹がパンパンになるまで食ったのに、背中の愛乃は羽みたいに軽い。理不尽すぎる。栄養、ちゃんと吸収されてねえんじゃねえか?
そう思った俺の視線は、つい隣の桜海に……正確には、彼女の圧倒的な胸元に移動してしまった。
すげえ存在感……少なくともF、いや、Gはあるんじゃね?
「ん?」
俺の視線に気づいたのか、前を見ていた桜海が急に振り返った。慌てて視線を上にずらしたら、ちょうど彼女と目が合ってしまった。
紫紺色の瞳は深くて静かな美しさを放っていて、一瞬、吸い込まれそうな錯覚に陥った。
「綺麗……」
「え?」
「――あ」
やべ、つい口に出ちまった!
俺は自分のミスを心の中で罵倒。褒められた桜海は美しい瞳を少し見開いた。
「えっと……先輩、すみませんでした。いま、何か言いました?ちょっと聞き取れなくて」
「い、いや、何でもない……気にしないでくれ」
「ふふっ、そっか、了解です~」
彼女が何を「了解」したのか、聞く勇気はなかった。
「先輩、ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか?」
少し歩いた後、桜海が急にそんなことを聞いてきた。
何を聞きたいのか気になったけど、俺は迷わず頷いた。
「先輩って……大学、楽しいですか?」
「どうだろ……めっちゃ楽しいってほどじゃないけど、自由な時間は増えた。授業以外にも、いろんな新しいことに挑戦できるし、俺は結構面白いと思ってるよ」
俺は不思議そうに彼女を見た。急にこんな話、なんでだ?
桜海は俺の反応を読み取ったのか、ちょっと気まずそうな笑みを浮かべた。
「実は、大学の生活ってちょっと気になってて。ほら、私、来年は高3で、進路を本気で考える時期じゃないですか」
「なるほどな……」
そういうことか。俺も昔、同じことを考えた。高校卒業後にすぐ働く人もいれば、大学に進む人もいる。
早く社会に出れば経験が積める。一方で、大学に行けば視野が広がり、学歴も手に入る。どっちもメリットがある。
悩む人が多いのも無理ないよな。
桜海の場合……まだ答えが見つかってないんだろうな。
「……あくまで俺個人の意見だけど」
少し迷ったけど、俺は思い切って口に出した。
「将来の目標がまだハッキリしてないなら、進学する方が無難かもしれない」
桜海は黙って俺を見つめ、まるで一言一句を記憶するかのように真剣に聞いてた。
「大学って、単に学位を取るだけじゃない。自分をじっくり見つめ直すための猶予期間みたいなもんだ」
「猶予期間?」
「そう。大学時代にいろんなことに触れて、自分を知るんだ。好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なこと……ちょっとカッコ悪い言い方だけど、勉強より、自分が本当にやりたいことや人脈を作る方が大事だと思う」
「まあ、これ、親に言われたことの受け売りなんだけどな」って付け加えると、桜海はくすっと笑った。その笑顔が甘くて、なんかドキッとした。
「学生時代の人脈って、シンプルで作りやすい。社会に出ると、上下関係とかでややこしくなるから……あ、なんか退屈な話してごめんな」
「ううん、こういう話、聞けて嬉しいです。ありがとう、先輩~」
彼女は恥ずかしそうに笑って、小さくお礼を言った。その真摯な態度に、俺はちょっと面食らった。
彼女の笑顔は心臓を掴まれるくらい美しくて、息を忘れそうになる。だからこそ、これからやろうとしてることを考えると、罪悪感がどんどん膨らんでくる。
気分が重くなり、俺は次の言葉が見つからなかった。
俺と桜海の間に、短い沈黙が広がった。
「むにゃむにゃ――スースー」
その時、背中の愛乃がのんびりした寝息を立て始め、俺たちは思わず顔を見合わせて笑った。
愚妹、ナイスだ。
「先輩、ちょっと静かにしないと。起こしたら大変ですよ」
「だな。眠り姫が美夢を邪魔されたら、一瞬で野獣に変身するからな」
「ふふっ、野獣ってより、愛乃ちゃんは寝ぼすけな子猫って感じですよね」
「その子猫がもっと大人しかったら、なおいいんだけどな」
「愛乃ちゃん、実はすっごく優しいんですよ。ただ……先輩に対しては、ちょっと素直じゃないだけかも」
マジかよ?俺の愚妹にそんな繊細な一面があったなんて。
愛乃を起こさないよう、うちに着くまでは桜海とほとんど話さなかった。
愛乃をおんぶしてるから手が使えず、桜海にポケットから鍵を出して開けてもらった。
「よいしょっと」
桜海のおかげで無事に家に入れた。俺は愛乃の部屋に行き、そっとベッドに下ろした。
こんなに動いても起きないって、どんだけ寝れるんだ、こいつ……。
「むにゃむにゃ……バカ、にいさん……縁ちゃんに、手ぇ出すな……――」
何の夢話だよ……いや、ある意味バッチリ当てられてるな。これが野生の勘ってやつか?
俺はため息をつきながらドアを閉め、桜海と合流した。
もう遅い時間だ。女の子を一人で帰らせるわけにはいかない。特に桜海みたいな美少女だと、変な奴に絡まれる可能性もある……まあ、俺自身がその変な奴なんだけど。
「ありがとう、桜海。遅くなったし、俺が家まで送るよ」
「うん、お願いします、先輩」
彼女は笑顔で頷いた。俺の動機が善意じゃないなんて、微塵も気づいてない。
桜海の家はうちからそんなに遠くない。数本の通りを抜ければ着く。
なのに、なぜか俺の足取りは重くなり、額に汗が滲んできた。
沈黙に耐えきれず、俺はちょっと硬い声で話しかけた。
「な、なあ、桜海……将来、やりたいこととか考えたことある?」
突然の質問に、彼女は驚いたように目を丸くしたけど、真剣に答えてくれた。
「専業主婦になれたらいいなって思うけど……でも、経済的にもパートナーを支えたいって気持ちもあるんです」
彼女は胸の前で手を組み、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
ただの錯覚かもしれないけど、その笑顔――
まるで俺の反応を楽しんでるみたいだった。