チーズケーキ
提出期限の切れた宿題を握りしめて、校舎から外に出る。
空も泣いてて神様も泣いてるのだろうか。
傘も忘れた。最悪な日だ。
しばらく何もしたくない。
スマホを見ると残り5%もなく何もできない。
気晴らしにお菓子でも食べよう。
確か前に親からの土産の菓子を入れてたはずだ。
名前も見ずにカバンに入れてたそれはチーズケーキの個包装のお菓子だった。
硬いしクッキーかと思ったが違うのか、柔らかいほうが好きなんだけどな。
仕方なしに包装を破いて中身を改める。
「ひとくちちょうだいな」
ふと横の廊下の先から声がした。
見ると、いじめられっ子の・・・なんだったか?
彼女は目に光のない、あどけない表情で語りかけてきた。
夢でもみているのか?彼女の話す姿を初めてみた。
「あげないよ、これは俺のお菓子だから」
「でも私はお腹が空いているの」
彼女は満足に飯も食えてないのか?
噂で聞いたがこの子たしかお嬢様じゃなかったか?
「うちでいくらでも食えるだろ」
「ううん。まったく」
ハッとして彼女を見ると、骨ばった手と首元が目につく。
これは断りづらい。
嘘はない。たった数十年しか生きていない俺でもわかる。彼女は本当のことを言っている。
だとしても、なんだって自分のことでも精一杯なのに、自分より弱い人まで気にかけなきゃならないんだ。
ここで意固地になって断ったら後味が悪すぎる。
「ひとくちだけな」
「ありがとう」
そうして彼女は無邪気に笑顔を浮かべた。
見惚れてなんかない。少し目についただけだ。
「明日、お礼にお菓子持ってくるね」
「いや、気にしなくていいぞ」
興味なさげにそっぽを向いた彼は雨の中そのまま走って帰ってしまった。
ひとくちだけなんて、ひとつそのまんま渡して。
しばらく見てたら立ち止まってカバンから折りたたみ傘を出して、こちらを向いたかと思うとまた走って帰っていった。
おかしな人。けど優しくて偏見のない、普通の人。
それからはたまに2人で会うことが多くなった。
いじめは止まらないし、彼に及ぶことはないけれど、全てなくなった人形みたいな私にも、色がついたみたいに楽しい日々を送ってる。
一緒の帰り道に少し寄り道したら猫集会に参加しちゃったり、勉強を教えてもらったり。
お菓子のお裾分けもするようになった。
「なんだこれ?まんまチーズだけどお菓子か?」
「レアチーズケーキってやつで歴としたお菓子だよ?」
他にも放置するタイプの猫の可愛いゲームを教えてもらった。
花火大会とかテーマパークにだって一緒に行って、お揃いのかぶりものをつけて遊んだりした。
「お揃いの被り物で双子みたいで、私たち、かわいいね」
「かわいいか?」
幸せ。幸せだよ。
この幸せのためにまた、やりたくもない、強いられる勉強をして、周囲に否定される時間を過ごさないといけない。
いじめだってやまない。止めたくても何もできない。どうしたらいいかわからない。
全部全部を投げ出して彼と一緒にいたい。
一緒に地獄の釜の底までついてきてほしい。
助けて、助けてよ。
弱い私を助けてよ。
でも、そうだとしても、普通の生活をしてる彼を巻き込んじゃいけない。
彼がいじめに巻き込まれないのは幸いだった。
だって彼も彼で周囲の期待と焦燥感に押しつぶされそうなんだよ。
私の勝手な気持ちで巻き込めない。
けど叶うなら、彼が気がついてくれるなら。
「今起きてる?」
「なんだ?」
「声かけただけだよ」
「なんだ、いつものか。俺は眠いから寝るぞ」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
「いつもありがとう」
「脈絡もなくなんだよ」
「なんでもないよ、おやすみ」
そんなわけがない。
静かな水面に広がる、胸のざわめきを頼りに、電話をかけた。
「おい、だからどうしたって」
「なんでもないよ、なんでもないって言ってるじゃん」
震える声に気がつかないふりをしていられない。
喉奥が詰まって声が出なくなりそうでも堪えて声を出す。
「動くな。待て。今どこにいる?」
「どこ、にも、いないよ。」
「わかった、今からそっちに向かう。だから落ち着け。大丈夫だ。」
「だめだよ。来たらだめ。君も明日を楽に生きたいでしょ?私なんか助けたら」
「そのほうがよっぽど苦しいんだ。今助けなかったら俺は一生後悔をして、地獄の方がいいなんて嘆きながら過ごしてしまうんだ。
弱い俺でも助けさせてくれ。」
「うん。お願い」
絞り出したようなか細い声を手にとって彼女の元に向かう。
だめだ。大切な人は守らなければだめだ。
守ることの恐怖を振り払わなければいけない。
ここで無視をして、怠惰に無為に過ごすだけだと命がいくつあっても足りない。
彼女からたくさん貰ったんだ。
当然のように隣にいた幸せを失うわけにはいかない。
例えくだらないと言われても、ただ隣にいて、声をかけることがかけがえのないものと知っているのに。
弱い自分のままじゃいられない。
あれからずいぶん時間が経ってしまった。
今でもふと、夢に見てしまう。
自身の弱さにあぐらをかいて燻っていた時のこと。
弱さを捨てる必要さを教えてくれた彼女のことはどうしても忘れられない。
それほどに花火みたいに鮮烈な彼女なんだ。
作業用に流していた音楽から彼女のことをまた考えてしまった。
世の中には大切な人を失った悲しみの歌が多すぎる。
集中力が切れてしまった。在宅とはいえこれじゃあ仕事にならない。
美味しいものにありつこう。そうしたら考えも冴え渡るだろう。
進まない作業をぱたりと端に置いて、お菓子棚の前に立ち向かう。
適当に積まれた箱の中から見つけたお土産のチーズケーキを手に取り、どんな味だろうかと夢想しながら小さい包装を解く。
「ひとくちちょうだい」
いたずらっ子で少し後ろめたさを感じる眼差しでこちらを見つめる彼女は、どうにも可愛すぎる。
「自分で取れよ」
「君からもらうのがいいの」
「仕方ねーなあ」
そう不満そうなまま言いながら、私に輝く甘味を簡単に渡してくれる。
少し照れくさそうな耳に思わずにんまりしてしまった。
チーズケーキはふわふわで甘い。