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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

孤島の漂流者

作者: さば缶

 濃い群青色の空が水平線と溶け合い、永遠の孤独を思わせるように広がっていた。

波打ち際に立つと、その広さが不気味なほどに心を圧迫してくる。

ここはどこなのか、どこまでが海でどこからが空なのか、見分けがつかないほど世界がひとつの色に染まっていた。


 男は、白く砕ける波の先に伸びる砂浜を見つめ、唇をかみしめて座り込んだ。

辺りには貝殻が無数に転がっている。

密林へとつながる場所には大きなヤシの木がいくつも聳え立ち、その先に広がるうっそうとした緑の向こう側には、人の形をした影すら見当たらなかった。

乾いた風が頬をかすめるたびに、身体がむなしいほど軽く感じる。

「ここは……本当に俺しかいないのか。」

男は自分自身に問いかけるようにつぶやいた。


 視線を落とすと、波とともに何かが打ち上げられているのに気がついた。

最初はただの流木かと思ったが、そこに小さな羽毛がこびりついているのが見えた。

近づいてみると、それは小鳥の死骸だった。

「……こんな所に、小鳥……?」

男は恐る恐るそれを手に取ろうとして、ふと恐怖に襲われる。

「違う……これは……俺が……」

男の声が震えた。

かすかに覚えている光景が脳裏をかすめる。

まだ幼かった頃、自分の苛立ちをぶつけるように、小さな小鳥の首を絞めてしまった、あの罪の記憶。

まるでそれを思い出させるかのように、泡立つ波の中からその死骸が押し寄せられてきたのだ。


 男はぐっと目をつむり、後ずさるように砂の上へ尻もちをつく。

すると、また別のものが海から運ばれてくるのが見えた。

ゲームソフトのパッケージだった。

擦り切れているが、見覚えのあるタイトルの文字。

昔、親友と呼べるほど仲の良かった友達の部屋から盗んだ、大切なゲームソフトだ。

あの日、欲しさに駆られて手を伸ばしてしまった自分の行いが、こうして形をもって追いかけてくる。

「なんでこんな物が……。」

男は震える手で砂を掴み、遠ざけようとするように海へ投げ返そうとしたが、まるで意志を持つかのように波が何度でもそれを引き戻してくる。


 「あれはちょっとした軽い気持ちだったんだ……あいつなら気づかないだろうって……。」

それは本当に一瞬の過ちだったかもしれない。

しかしそれが“盗み”であることに変わりはない。

その罪はどれだけ時間が経っても、男の心の奥底に突き刺さっていたのだ。


 さらに、不可解なほど多くの紙片の束までもが海面に漂い始めた。

男の胸がぎゅっと締めつけられる。

封筒から半分はみ出したまま、黒々とした文字が脈打つように主張している。

かつて自分が友達を陥れるために書いた怪文書。

「あいつは裏切り者だ、汚いことをして金を集めている……。」

そんなありもしない噂を男が自作し、周囲を混乱させるためにばらまいたものだ。

「なんでそんなのまで……どうして……。」

男は声を震わせ、次から次へと自分を苦しめる“罪”が押し寄せてくる現実に目を背けたくなった。


 海岸を見回すと、まだ他にもさまざまな断片があることに気づく。

子どもの頃、幼馴染の飼っていた小動物をこっそり傷つけたときに握りしめていたナイフの刃先。

あの日、金に困り友人から盗んだ財布。

さらには、カンニングして高得点を取ったテスト答案の切れ端らしきものまで。

「これらは全部、俺が捨ててきたもの……俺の罪……。」男はごくりと唾を飲み込みながらつぶやく。

どこかで隠し通せると思っていた負の記憶たちが、形をもって彼を追い詰めるかのように押し寄せているのだ。


 そして、いちばん恐ろしいものが流れてきたのは、突然のことだった。

海のささやきが急に押し黙ったかのように静まり、次の波でそれは砂浜へと打ち上げられた。

それは女の遺体だった。

白いワンピースのようなものを着ているが、ところどころ泥と海草に汚れ、髪は海水を含んで重たげに頬に張り付いている。

なにより、ぎょろりと見開いたままの瞳が恨みがましそうに男を見据えていた。


 男は心臓を鷲掴みにされたような恐怖に叫び声をあげる。

「いや……やめろ……! 来るな……!」

まるで遺体が今にも動き出し、彼の足首を掴もうとしているような錯覚に襲われる。

女の唇には微かに血の滲んだ痕があり、首には絞められたような痣が残っている。

その姿を見た瞬間、男の中で崩れかけていた記憶の壁が一気に崩れ去った。


 自分がやったのだ。

やってはならないことを、取り返しのつかないことをしたのは、この自分だった。

「嘘だろ……そんな、違う……違うんだ……。」

男は頭を抱え、悲鳴を上げるようにうめく。

目を背けようとしても、あの瞳が追いかけてくる。

「ごめん……ごめん……。」

思わず涙がこぼれ落ちる。

しかし遺体は、まるで裁きの象徴かのように海岸に横たわり、男の絶望をさらに深めていく。


 世界が暗転するように視界がぼんやりと歪んだ。

ふと気がつくと、男は薄暗い部屋に座っていた。

白い壁と鉄格子の嵌った窓がある、小さな部屋。

青白い光を放つ蛍光灯が頭上で揺れている。

呼吸が苦しくなり、胸の奥が冷たくなる。

見ると、自分の腕には拘束具の痕が生々しく残っていた。


 「ここ……どこだ……?」

男は震える声で問いかけるが、応える者はいない。

ただ、遠くから誰かが「薬の時間だよ」と声をかけてくるのが聞こえる。

足元を見ると、くしゃくしゃになった診断書の切れ端が転がっていた。

そこには“心神耗弱状態により精神科病院に入院”と書かれている。

男の頭の中にはまだ、潮騒の音と女の怨みを帯びたまなざしがまとわりついて離れない。


 あの無人島は幻か現実か。

しかし、そこに浮かび上がっていた罪の数々は確かに男の中に存在していたものだ。

「俺は……どうして……殺して……。」

男のうめき声とともに、扉の向こうから足音が近づいてくる。

カタン、と開いた扉のすき間から白衣の人影がのぞき、何かを注射器に移すような音がする。

やがて柔らかな声が、男の耳に届いた。

「大丈夫よ、今は少し休みましょう。」


 男はその声にかすかにうなずきながら、なおも幻の海の気配を感じていた。

あの永遠にも思える孤独の海岸で、終わりのない罪を突きつけられる悪夢のような光景。

そして、見開いたままの瞳で恨みを訴える女。

すべては、自分が犯してしまった許されざる行為の報い。

時は停止したまま、男は閉じられた病室の窓の外にある闇夜をただ見つめ続ける。

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