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やり直した彼らだけが後悔します。私は幸せになりますが。【電子書籍化・コミカライズ】  作者: 川崎悠
第二章 乙女ゲームのヒロインと、やり直した攻略対象たち
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【09】フリード・マルコットの鍛え直し(フリードside)

「……最悪だ」


 フリードの口を突いて出たのは、そんな感想だった。


 彼が、この事態を受け入れるのには、少し時間が掛かった。

 時間が巻き戻る、己が過去の自分になっているなど、簡単に受け入れる事が出来なかったのだ。

 何より彼を憂鬱にさせたこと、それは。


「……また、鍛え直し(・・・・)か」


 フリードの意識は、何故か四年から五年ほど前の自分のものへ移っていた。

 自分には『未来』の記憶がある。

 そんな事を誰かに聞かせても受け入れられるはずもない。

 フリードは、この事態を一人で受け止めるしか出来なかった。


 彼が『最悪』だと思ったのは、自身の『肉体』のことだった。

 いくら未来の知識があったとしても。

 己の身体は、五年も前の、貧弱なものに変えられてしまったのだ。


 記憶を持っているだけでは、肉体の強さに繋がらない。

 肉体の強さは時間を掛けて鍛えなければ手に入らない。

 それに反射神経だって『頭だけ』では反応しないのだ。

 相応の経験を積み直さなければ、フリードはかつての己にすら辿り着けない。


「くそっ……! 何故、こんな」


 五年分の自身の鍛錬がなかった事にされてしまった。

 気持ちが萎え、日々の鍛錬でも精彩を欠く自分。


 諦念と共にある恐怖がフリードに湧き起こった。

 それは『このままでは自分は何もかもを失うのでは?』という恐怖だ。


 フリードには、騎士としての実力があった。鍛え上げ、練り上げてきた自信があった。

 だが、それらは『未来の肉体』ありきのものだった。


 かつてより細くなった腕と足。体力の落ちた身体。反射神経が上手く働かない全身。

 まるで重い枷を背負わせられながら、日々を過ごしているかのようだ。


 かつての実力を取り戻さない限り、栄えある近衛騎士になどなれるはずもない。

 そして、そのためには日々の鍛錬を再び繰り返す必要があった。


 そうしなければ……自分は、ただの弱い落ちこぼれになってしまうだけ。


「くっ……!」


 だからこそ『最悪』の一言だった。鍛錬がそれほどの苦であるとは思っていない。

 だが、辛く厳しくなければ鍛錬足りえない。いくら己に才覚があろうと、それは変わらないのだ。


「なぜ、こんな……!」


 だが、だとしても簡単に、この不可思議な現象を受け入れることは出来なかった。

 己の努力が、何を理由にしてか分からぬまま、ただ無にされた。

 こんな事があっていいものか。許されるのか、と。


 フリードは、出来ることなら戻りたかった。前の時間に。

 二度目の人生などフリードは求めた事はない。

 己の過去に、やり直しが必要なほどの『後悔』など、一つも……。


「…………、……ある」


 そうして考え、悩み、思い至る事があった。

 フリードが抱えた、ただ一つの後悔は、ある一人の女のことだ。


 メルク・シュリーゲン。出会った時には既に他の男のものだった女性。

 いや、ものだった、というのは正確ではない。

 ただ、彼女の心はレオンハルトにのみ向けられていたのは確かだ。

 それでも、自身に渦巻いた恋慕の情もまた確かなもので。


 衝撃的にも感じる出会い。彼女の微笑み。言葉。

 そのすべてがフリードの心を動かした。まさしく運命の出会いのようで。

 だが、同時にその『花』は、けして自分に手折れることのない花だった。

 彼女が、自身の主を慕っていることは明らかだったからだ。


 メルクのそれは、報われない恋だと、最初は思っていた。

 何故ならレオンハルトには婚約者が居たのだから。

 だが、彼女。アンジェリーナ・シュタイゼンは、それを自ら手放すように間違いを犯した。


「……今、この時ならば」


 メルクとレオンハルトは、出会う前だろうか。

 彼より先に自分が出会っていれば、もしかしたら。

 だが、それは超常現象を用いて、主君の女を奪うような真似ではないか。

 いや、誰も自身を罪には問えないはずだ。何故なら、時間は巻き戻っているのだから。

 だが、しかし、それでも。


「……メルク」


 先に出会えば、運命は変わるのだろうか。

 口に出すことすら許されなかった、前の時間での想いは報われていいものなのか。

 もしかしたら、この時間は、そのためにこそあるのではないのか……。


「くそ! とにかく鍛え直しだ!」


 今すぐに駆け出したい衝動に囚われるが、フリードには今、メルクが居る場所が分からなかった。

 元は孤児だったと聞いている。だが、出会った時点でメルクは既にシュリーゲン男爵令嬢だった。

 だから領地の孤児院に、今の彼女は? それとも既に引き取られた後か。

 それならば、今の内に婚約の打診でも男爵家に送れば、侯爵家の自分なら或いは。


「……ダメだ」


 今の自分は弱い男だった。かつての力を取り戻さなければ、近衛騎士という華々しさすらない。

 無骨な騎士でも好む女性は居るかもしれないが、それはメルクの笑顔には似合わない。


 それにメルクの正体は、アルストロメリア前王家の末裔だ。

 つまり『ただの騎士』では、彼女に釣り合わないのだ。

 であれば男爵令嬢に過ぎない、孤児出身に過ぎない彼女を、今の内に囲い込むなど許されるはずもない。


 それは、やがて彼女の望まぬことに繋がるだろう。もっと、華やかな場所へ行けた女性なのに。

 その出自に付け込み、手足をもぐように囲い込んで、など。フリードには出来なかった。


 だから、騎士の道を歩むしか思いつかないフリードにとって、せめて『近衛騎士』にでもならなければ、到底メルクの下へは行けないと思ったのだ。


 それに今の自分は、鍛え上げる前の弱い身体しかない五年前の自分だ。

 ただの一介の騎士風情が、たとえ彼女の心を得たとしても、それでは彼女に苦労させるだけ。


「……鍛え直し、だ」


 フリードは願う。今度こそは彼女が自分の運命になってくれはしないかと。

 だが同時にフリードは諦念を抱えている。それは前の時間と同じように。


 かの貴い女性は、自分では釣り合わないと。

 あの瞳に映されていたのは、やはり自分ではなかった、と。


 期待と諦めを内に秘めながら、とにかくフリードは……己の力を磨いた。

 かつては、もっと『未来』で成し遂げたはずの兄を打ち倒す戦いも、一年早く成し遂げることが出来た。


 『頭だけ』の逆行など無意味と断じていたフリードだったが、この時間に残ったものもあるようだ。

 また彼は、やはり王太子レオンハルトの側近、近衛騎士の『候補』として王宮に足を運ぶことになる。


 恋敵ではあるが、レオンハルトに害を為す気などはない。フリードには忠誠心が確かにあった。


 そして、やはり『運命』を知ることになる。

 王立学園。自分と同じ年齢で入学することになる『特待生』メルク。この時間で再び出会った彼女は。


「レオンハルト様……」


 既に恋に落ちていた。その瞳には己の主君が映っている。

 自身に向けられるものがあったとしても、それはただの優しさに過ぎない。


(ああ……、やはり。運命とはあるもの、か)


 では、何のために自分は時間など繰り返したのか。やはり、何の意味もなかったのだ。

 ただ、己の努力が奪われただけ。もしかしたら、また同じ事が起きるかもしれない。


「はは……」


 途端にすべてへの気力が尽きていく。無意味。無駄。無為。己の人生は何のためにある。

 何のために剣を握ってきた。

 時間が巻き戻ってから、もう二年。やはり同じ運命を繰り返すことになるのか。

 手に入らない『花』を近くて遠い場所から見つめながら。


 フリードは、すべてを失ったような気分になり、一人で過ごしていた。

 入学時の浮ついた気持ちなど、今の彼にはない。

 この学舎には、既に二年は通っていたのだ、『前の人生』で。

 『懐かしい』と思う気持ちの方が強いくらいで、新しい生活への期待感などまるで持たなかった。


 フリードに去来するのは『虚無』だった。

 どうせ、すべてが覆されるかもしれない。

 無価値な努力を、鍛錬を……この先も自分は続けていけるのか。


 深い溜息と共に、彼は……それでも、ただ剣を振るう事しか出来なかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 確かに鍛え直しは心折れそうになるけど、経験は活きてるからより効率的な鍛え方が出来たはず 現に前回より早く兄に勝ってるし、同時点での実力は前回より上を行ってるんじゃないかな 恋愛面に関しては…
[一言] 肉体を鍛え直しは…単なるやり直しより堪えるなあ
[一言] つまり、フリードにとって未来は変えられる、という証なのか。アンジェリーナは。 逆行してない人間が1番未来変わってる。 今の所、浮気男や無能兄貴と比べて、えらくまともな思考回路してるから応…
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