【07】乙女ゲームの世界(メルクside)
レオンハルトの想い人、メルク・シュリーゲンには幼い頃から前世の記憶がある。
彼女は『転生者』だった。前世は、現代に生きた日本人だ。
メルクの、前世で生きていた『個人』としての記憶は不鮮明だった。
だが彼女には、乙女ゲーム『花咲く頃に明ける夜』の知識だけは強く残っていた。
何故、そのゲームの記憶ばかりが鮮明だったのか。
それは、メルクが男爵家に引き取られてから理解することになる。
「……この世界って『花咲く頃に明ける夜』の世界なの?」
メルクは、この世界では孤児だったが、男爵家に能力と容姿を買われて引き取られる事になった。
男爵家で身なりを整えられて、綺麗になった姿で、彼女は、与えられた部屋にある大きな鏡の前に立つ。
鏡に映っているのは、あの乙女ゲームの『ヒロイン』そのままの姿だった。
黒い髪とルビーのような赤い瞳。前世基準でも、とても可愛らしい容姿。
「私、『ヒロイン』なんだ。……だったら!」
彼女は、前世から好きだったキャラクターが居た。それがレオンハルトだ。
もしも、自分がヒロインであるならば。
レオンハルトと自分が結ばれるハッピーエンドがある!
メルクは、そのことに気付き、嬉しく思った。
それに、自身には隠された『秘密』もあると気付く。
自分は、ただの孤児ではない。
ベルツーリ王国の前身、前王家である『アルストロメリア王家』の、末裔だった。
自分にはヒロインらしい過去の設定があるのだ。
その正体は、物語のクライマックスで明らかになる予定だった。
「ゲームの始まりは、学園へ入学してから……」
ヒロインの名前は、メルク・シュリーゲン。
シュリーゲン男爵家に引き取られた孤児。ここまでは物語の通りだ。
学園に入学してから、出会う予定の『攻略対象』は、6人。
『王太子』レオンハルト・ベルツーリ王子。
『公子』カルロス・シュタイゼン公爵令息。
『近衛騎士見習い』フリード・マルコット侯爵令息。
『宰相の息子』デニス・コールデン侯爵令息。
『天才魔法使い』シュルク。
『学園教師』ニール・ドラウト先生。
レオンハルトとカルロスは、ヒロインの一つ年上。
フリードとデニスは、ヒロインと同じ年齢。
ニールは、ヒロインの8歳年上。シュルクは3歳年下だ。
ヒロインは、学園で彼らと出会い、信頼を築いて、好感度を上げていく。
そして、それぞれのルートへと進んでいき、グッドエンドを目指す。
攻略対象の誰とも、くっ付かないエンディングは『ノーマルエンド』と呼ばれる汎用エンドだ。
魔法や、魔獣といった要素はあるが、魔王のような脅威は存在しない。
ヒロインが頑張らなければ世界が滅びるといった要素はない世界だった。
物語のスタートでは、ヒロインは『特待生』として入学することになる。
「まずは、そこを目指して頑張らないと……」
特待生は、学園の入学金や授業料の免除など、優遇される。
ただ何もせずに、なれるものではない。
優秀な生徒であることを学園に示さなければならない。
そうしなければ、ゲームのスタート地点にも辿り着けないのだ。
また、メルクは魔法も鍛え上げないといけない。
というのも、メルクが前王家の末裔と証明するためには、特別な魔力の発露が必要となるからだ。
『聖花の魔力』と呼ばれている、アルストロメリア前王家の象徴。
高等魔法を使う際に、現代、日本で言えば『桜』の花びらが舞うようになるのが特徴だ。
ヒロインが王族であると明かされることで、それまでの不遇な境遇を覆す決め手になり、物語はハッピーエンドを迎える。
つまり、物語の終盤で、高等魔法を使えるようになっていなければ、ヒロインが前王家の末裔と証明する事ができなくなり、シナリオが破綻してしまうのだ。
「……いじめられるのよね、私」
特待生という優秀な成績を収めることが出来て。
しかし、孤児出身で。貴族では身分の低い男爵家の養子。
嫉妬などを理由にして、ヒロインは学園でいじめられることになる。
その主犯は……『悪役令嬢』アンジェリーナ・シュタイゼンだ。
『花咲く頃に明ける夜』には、悪役令嬢が登場し、彼女によってヒロインは不幸な境遇に陥る。
けれど、苦しい時間を耐えた先で、王族の血筋を持つことが明らかとなり。
ヒロインの辛い時間は終わりを迎えることになる。
悪役令嬢アンジェリーナは断罪され、学園を追い出されることになって終わりだ。
「いじめられるのは、嫌だな。でも、だったら」
何もしなければいい。悪役令嬢に目を付けられるようなことをしなければ。
「……でも、私は」
自分は、レオンハルトと結ばれる運命に生まれ変わった。
メルクは好きだったのだ。たとえ、それがただのゲームのキャラクターだったとしても。
今、この世界では、そんな彼と結ばれることが出来るかもしれない。
そして、それは『現実』だ。現実、王太子レオンハルトは……存在している。
彼がこの世に存在しているのに。自分は、彼と結ばれる運命なのに。
ただ、悪役令嬢を怖れて、諦めればいい?
「諦められるワケ、ない……。そんな事できるワケないわ」
絶対に。メルクは、そう思ったのだ。
「レオンハルト様を、攻略する……!」
メルクは、そう決めた。そして、他にも考えることはある。
『ざまぁ』と呼ばれる、悪役令嬢の断罪。
そして、警戒すべきは、『ざまぁ返し』と呼ばれる、悪役令嬢の逆転劇。
「警戒しなくちゃいけない……けど。やり過ぎないようにしなくちゃ」
悪役令嬢を追い詰め過ぎて、手痛い報復をされる、なんてよくある話だった。
そういったことも避けたいのがメルクの本音だ。
メルク・シュリーゲンは、ゲームの開始まで、学業と魔法の鍛錬に力を注いだ。
無事に特待生になる事ができた時は、シュリーゲン男爵家の『家族』にも喜ばれる結果となった。
「うん、これからよ。これから始まるんだから、すべてが」
必ずレオンハルトとのハッピーエンドを掴み取って見せる。そう、改めて決意する。
メルクは、決意と期待を胸に、王立学園へ向かった
……だが、そこで。メルクは見てしまった。想像していなかった光景を。
「アンジェリーナ。その。が、頑張って……」
「は、はい。アッシュ様、ありがとう、ございます……」
(えっ!? アンジェリーナ!?)
頬を染め合い、明らかに互いを想い合っているといった様子の二人。
そして、あろう事か、その片方は『悪役令嬢』アンジェリーナ・シュタイゼンだった。
「……どうして」
相手の男性は、メルクの見た事のない男性だ。当然、攻略対象の内の誰かではない。
メルクの知っている乙女ゲームは、始めから大きく違う形でスタートした。