【04】婚約締結──15歳、9月~学園入学1ヶ月前
私は、一つ休憩を入れてから落ち着いた頃を見計らい、改めて彼の下へ挨拶に向かった。
「辺境伯閣下」
「シュタイゼン嬢。もう休んだのか」
「はい。少し落ち着きました。部屋を用意して頂き、ありがとう存じます」
「いや。当然の対応だ。何か不備はないか?」
「今のところ、特にありません」
「そうか。なら良かった」
執務室に彼が居る。体格などの影響か、あまり似合っていない気がする。
彼は外で剣を振るったり、馬に乗っている方が似合いそうだ。
「閣下。さっそくなのですが。今後の私たちに付いて話したいと思います。お時間、頂けますでしょうか?」
「もちろんだ。俺も聞きたいことがある。……あー、あー……」
「何か?」
「……無礼なことを、俺が言ってしまうかもしれないのだが。エルクやアリア、こちらの者を部屋から出した後で、貴方の侍女や護衛と、貴方だけと話しても良いだろうか?」
えっと。私の侍女や護衛の同行はしていい。
辺境伯家側の人々だけ、わざわざ追い出して、話?
「……私は構いませんが」
「ありがとう」
「閣下……」
部屋に居たエルク・セッダ子爵令息が、不満そうに辺境伯に声を上げる。
「お前たちが居ると、本当のところを話せないだろう」
「……承知の上で、それでも同室させてください。口は挟みませんから」
「本当か? エルク」
「はい。閣下の考えなしな部分を自分が補足致しますから」
考えなしなの? まぁ、頭を働かせるよりは、身体を動かすタイプには見える。
本当のところとは何の話だろうか。
とにかく、余分な人払いを済ませた後、彼らの側は2人だけとなり、私と話をする事になった。
侍女と護衛には後方に下がって貰っている。
「シュタイゼン嬢」
「はい、辺境伯閣下」
「貴方から話のあった縁談なのだが」
「……ええ」
「俺には有難い提案だと思っている」
あら? 思っていた言葉ではなかった。
「そうなのですか?」
「ああ。……知っていると思うが、バルツラインは厳しい土地だ。一般的な貴族令嬢が嫁ぐべき家ではないと思う。これは包み隠さず、何か陰湿な迫害があるなどという話ではない。ただ、魔獣との戦いが周期的に発生する、という点での話だ」
「……はい。分かっております」
今のところ手厚い対応を受けている。屋敷で働く人々から私への悪感情もないようだ。
「だから、貴方のように中央に相応しいであろう、相手など、いくらでも見つけられるはずの女性は、俺など選ばない方がいい。俺は、そう考えている」
……なるほど? 私は閣下の表情や視線から、その感情を推し量る。
『私が気に入らないから、適当な事を言って追い払いたいと考えている』様子ではない。
おそらく、この発言は私のことを慮っての、本気の気遣いだ。
まだ印象の話になってしまうけど、あまり腹芸が得意なタイプには見えない。
たったの5歳差ではあるが、私たちの年齢差も気にしていそうだ。良い意味で。
彼は、私のためにこの縁談を断るべきと考えている。
ただし、周囲の人間は、この縁談に乗り気の様子だ。『この機会を逃すな』という空気を感じた。
彼は、その周りの圧力に一度は屈したものの、私を前にして改めてこう言うべきだと意を決したと思われる。
エルクさんの不満顔や諦念の様子は、そういう事なのだろう。よく慕われている当主だと思う。
実際、彼の縁談を結ぶのは苦労があるのだろう。
それは彼に人格的な問題があるのではなく、土地柄のせいで。
なるほど……? 人間的には、かなり好印象だ。嫁げば大事にしてくれそうである。
周囲の人たちも彼を支えることに不満はなさそう。
私がこの地に有益であるなら、彼らも私を慕ってくれそうだと思えた。
「閣下」
「ああ、シュタイゼン嬢」
「貴方は、とても信頼が出来る人柄をされていると私は感じています」
「……お、おう」
彼を褒めると後ろにいるエルクさんが、うんうんと頷いている。慕われているわねぇ。
「私たちが、この縁談を結ぶに当たっての問題は、辺境領における問題よりも、むしろ私の方にあるでしょう」
「……貴方の方に?」
首を傾げる屈強な男性。なんだか、少しだけ可愛らしい。
「はい。……お恥ずかしながら、私は魔獣と相見えた事がありません。言葉と紙の上でのみ、このバルツラインを知り、分かった気になるワケにはいかないと考えております。もしもの際、自分が、ただ怯えた小娘に成り下がるのか。それとも己の魔法の才覚を信じ、領民や家族を守らんがために立ち上がれるのか。……そこを知らねば。この土地を知らねば、軽々しく縁談を結べぬ、と。そう考えているのです。私が軟弱であれば、この地の足手纏いとなってしまいます。貴方たちに迷惑を掛けてしまう。そうはなりたくないのです。この縁談は、私が望んだことですので」
私は、辺境伯の目をまっすぐに見つめ、そう告げた。
「……そうだな。貴方自身から手紙を受け取った。なぜ、この地での縁談を望んだのだろうか? それを聞いても良いか?」
「はい。閣下。……実は」
私は、王都における自身の置かれた状況を伝えた。
王家の思惑については推測がほとんどであるため、確たることは言い切れないのだが。
けれど、公爵であるお父様は、現状をあまり快く思ってはいない。
だからこそ、今回の縁談をまとめる権利を私に預けて、この地へ送ったのだと伝える。
「……シュタイゼン公爵が、そう判断するという事は、あながち的外れでもないという事だな」
「ええ。そうなのです」
「第一王子、レオンハルト殿下の婚約者候補か」
「『予備』ですね。候補と言えるような扱いは受けておりません。ただ、王家の意向で釣書が握り潰され、私の縁談が決められないと考えております」
「……それで、貴方と殿下の縁談は、結ばれる可能性は、どれぐらいあると?」
「兄曰く、レオンハルト殿下本人が拒んでいるのだとか。いえ、あれは推測かもしれませんが。ただ、陛下とは目通り叶いまして、おそらく陛下はシュタイゼン家との縁談を結びたいと考えておられるかと」
「……つまり、問題なのはレオンハルト殿下か。誰か、心に決めた者が居るのか?」
「かもしれませんね」
その『心に決めた者』との縁談が、どうして二年も経って結べていないのかが分からない。
公爵家との縁談が持ち上がったのに、取り止めるほどの相手?
単なる王子の我儘にしては、陛下が公爵家を、ともすれば愚弄するような形だ。
下位貴族の令嬢か。王宮に仕官している下働きの女に殿下が惚れた?
けれど、そうだとするなら、その話をお父様が掴めていないのも疑問だ。
王宮で噂になっていそうなものを。
完全に『ありえない』相手ならば、陛下が第一王子の縁談を保留しているのはおかしい。
王家としては『アリ』な相手を、レオンハルト殿下は望まれている。
だが、それならば何故、さっさとその相手との婚約を結ばないのか。
……もしかして。
「……もしかして、レオンハルト殿下。物凄く、その。歳の離れた、というか。
『小さな女の子』に惚れ込んだ、のかも?」
「あー……」
そういう事だったり、する? つまり殿下は、ロリ……うん。
いや、でも貴族の結婚なので、最大で十三歳差ぐらいまでなら許容範囲……。
二年前、私が十三歳の頃に、その話があって。
私との縁談を止めたとすると、殿下は十四歳の頃。それが生まれたばかりの誰かとの縁談を?
私は、閣下と視線を合わせた。たぶん、私と似たような事を考え付いたのだろう。
「下手をすれば、貴方の縁談は、無闇に王家に握り潰され続ける可能性もあるな」
「そうですね……」
王家としては、やはり『予備』を確保したいのだと思うのだ。だからこそ。
「なるほど。だから、貴方自身の縁談を決めるためには、相応の相手でなければ、と?」
「はい。そうなのです。ですから、この縁談は私が望んだ事となります。だからこそ、バルツラインに負担は掛けられないと」
「そうか……」
要は、私がこの地でやっていけるかどうか、なのだ。
「相分かった。シュタイゼン嬢は、しばらくこの地に留まるつもりだな?」
「はい、閣下」
「どのぐらいを予定している?」
「……最長で王立学園へ入学するまで」
「来年の四月まで、およそ半年か。長いが……いいのか?」
「縁談がまとまれば、将来は一生この地で暮らすのです。半年程度で音を上げるならば、諦めるべきでしょう」
「そうか。貴方は……立派な貴族令嬢なのだな。俺も貴方を見習わねばならないようだ」
まぁ、お試し期間は必要という話なのだけど。
「では、長くて半年。厳しいようであれば遠慮せずに言ってくれて構わない。それまで我がバルツラインで過ごしていただこう。縁談を取り決めるかどうかは……当分、先の話。それでいいだろうか」
「はい。そのように。閣下」
「アッシュだ」
「え」
「アッシュと呼び捨て……は言い辛いか。様付けでも閣下付けでもいいが。貴方には、俺の名を呼ぶ事を許可する」
「あ、ありがとう存じます……」
私は公爵令嬢だけど、爵位持ちなのはお父様だ。
言ってしまえば私は無位無冠の、ただの貴族に過ぎない。
家の後ろ盾はあるものの、既に辺境伯を継いでいるアッシュ閣下の方が身分は上と言える。
それにバルツライン辺境伯家は、公爵家どころか王家でさえ蔑ろには出来ない。
重要性もそうだけど、武力的にも国一番と謳われている家門だから。
バルツラインに反乱を決意されれば、泥沼の内戦になるだろう。
だから、私の方が閣下に名前呼びを許される立場なのだ。
……なんとなく、彼は堅苦しいやり取りが苦手そうなイメージ。偏見だけど。
名前呼びの方が気楽なのかなぁ、なんて。
「では、アッシュ閣下。私の事はアンジェリーナと」
「……分かった。アンジェリーナ嬢。しばらくの間、よろしくお願いする」
「はい。こちらこそ、お世話になります」
こうして私は、彼と適度な距離を保ちつつ……しばらくバルツラインで過ごす事になった。
レオンハルト殿下との縁談が、もし決まっていたならば。
今頃は、きっと王妃教育を受けるために足繁く王宮へ通う毎日だったのだろう。
それはそれで貴族令嬢としては正しいと思うけれど。
なんとなく私は、こうして、この地へ来れて良かったと思う。
アリアさんには何故か、とても慕われているし。
でも、いつまでも『お客様』として扱われていては、ここまで来た意味がない。
私は、積極的にバルツラインに関わり始めた。騎士の鍛錬にも参加させて貰う事にする。
とにかく、この地では強さがまず優先される。弱ければ家族を守れない。領民を守れないのだから。
幸い、女であっても魔術による身体強化が出来れば戦力になれる。
王宮通いであれば、きっと違った鍛錬の日々だっただろう。
もっとコントロールを重視した、問題を起こさない方向の魔術鍛錬をこなしたはず。
辺境の鍛錬は、より実戦的だ。たぶん、ここの騎士団って強さの段階が違う。
中央で有名な武家よりも、ずっと強いだろう。
……私は、意外に、この地が自分に合っていると感じていた。
息が詰まらないというか、自由というか。それに実力もメキメキ上がっている気がする。
やっぱり環境って大事だ。あ、もちろん、こちらでも勉強を疎かにはしていないわ。
「私、ここでやっていけると思いますか、アッシュ閣下」
「既に十分にやれているように見えるが」
「そうですよね」
そして問題の魔獣なのだけど。
鍛え上げてからの遠見だったためか、恐怖で身体が震えたりなどはしなかった。
それに、強力な魔獣が現れた際、獅子奮迅の活躍をされるアッシュ閣下は、とても格好良かった。
彼は、きっとこの地に立たなければならない人だろう。
この地に暮らす彼らが居てこそ、王国の平和は保たれているのだ。
……私も彼の力になりたい。心から、そう思った。だから、決めた。
私は、アッシュ閣下と婚約する事にした。
王立学園に入学する一ヶ月前のことだった。