【35】公爵令嬢のお茶会──3年生2学期
私は進級して、もう学園の3年生になった。
3年生、2学期も半ば。もう半年もすれば王立学園を卒業し、私はバルツラインへ嫁ぐことになる。
そうした時期、私はシュタイゼン公爵家の邸宅で『お茶会』の準備を進めていた。
このお茶会は、カルロスお兄様からの提案があってのものだ。
……私は、カルロスお兄様と話を付ける事にしたのだ。
「カルロスお兄様。お兄様は私に何か言いたいことがおありなのでは?」
「……アンジェリーナ」
卒業するまでずっとあの調子かと。そう思い、私は声を掛ける。
いい加減、私だって家を出て行くのだ。このままも良くないだろうと私からお兄様と話し合いの場を持った。
以前のように険悪な雰囲気はなくなっており、向き合って話し合う程度の提案は受け入れられている。
「言いたいこと、か」
「ええ。ずっと今までの関係でもよくないでしょう?」
「……そうか」
「カルロスお兄様は一体、私に対して何を思っていらっしゃるの?」
腹を割って、話し合いましょう、と。
お兄様は私の前で長く沈黙した。そして、どうにか絞り出すように本音を語ってくれた。
「……俺は、お前に謝るべきことがある」
「謝る?」
「ああ」
何の事だろうか。いや、今までの態度のことをか。
「……だが『今のお前』に謝るべき事では、ない」
「はい?」
私は首を傾げた。どういうことだろう。
「俺は、お前を信じられなかった。疑った」
「疑い……」
「だが、それは間違いだった。多くの話を聞き、推察し、離れて見て。それを確信した。……だが」
「はい」
「……知って。ならばこそ。『今のお前』に頭を下げるべきではない、と。考えている。それは俺の自己満足だろう。今のお前には何の関係も無いのだから。……それは俺の逃避だろう。何も知らないお前に許しを請うのは、卑怯な真似だと思っている。他の者の振る舞いは否定しないが……」
「はぁ……?」
だから、どういうことかしら。
「アンジェリーナ」
「はい、カルロスお兄様」
「……バルツライン閣下は、お前を愛してくれているか?」
「え、それは」
少し恥ずかしいけれど。私が『愛している』とまで答えていいものか。
「良くしてくれています。好意は互いにあるものと。私は考えておりますから」
「……そうか。それが唯一の救いだ。今度は、お前が自ら彼を選んだ。……もしかしたら、そういう運命なのかもな」
「運命って」
そこまで大げさに言われると困ってしまうわ。
だって私、最初は都合のいい縁談とだけ考えて、バルツラインに連絡したのだし。
出会ってから互いの相性が良いと気付けただけに過ぎないのだ。
それを『運命』と称するのは恥ずかしい。
もちろん、そのぐらいの気持ちではいるつもりだが……。
「アンジェリーナ。俺は、お前の生きる道に口は挟まない。バルツライン閣下と結ばれることがお前の幸福だと言うのならば、なおのことだ……」
「お兄様?」
「その上で、お願いしたい事がある」
「お願いですか?」
「ああ。……ある人と、会って貰えないだろうか」
「ある人、ですか」
ほんの少しだけカルロスお兄様との距離が縮まって。
まだまだお兄様の言葉は理解しかねるのだけど。
まぁ、きっと、そういうお年頃なので……まだ時間が掛かるのかしら。
でも意外と普通に会話が出来た。
今は、これぐらいでいいだろう。
そうして。私はカルロスお兄様の願ったお茶会を開くことにする。
ミーシャも一緒だ。
私とミーシャで出迎えたのは……二人の貴族令嬢だった。
「ようこそ、シュタイゼン家へ。サンディカ様。そして……シュリーゲン嬢」
サンディカ・ローディック公爵令嬢。
メルク・シュリーゲン男爵令嬢。
この二人とミーシャ、そして私での四人のお茶会が始まった。
「本日はお招きいただき、誠に感謝しております、シュタイゼン公爵令嬢」
まだ、ぎこちない様子のカーテシーをしてみせるシュリーゲン嬢。
かなり緊張されているご様子だ。
彼女と今まで関わったことはないのだけれど……。
今回、カルロスお兄様たっての願いでこのお茶会は実現した。
私たちが3年生になり、卒業を半年後に控える現在。
サンディカ様とシュリーゲン嬢は、レオンハルト王太子殿下と、カルロスお兄様の『婚約者候補』として王妃教育を受けられている。
始まりは、もっと多くの令嬢たちが教育を受けていた。
だが、そこは公爵令嬢。
サンディカ様が居る以上、自分に勝ち目はないと考える令嬢は多い。
ある程度、教育課程が進むと辞退していく令嬢が多発した。
サンディカ様に劣ったとしても、2番手の方は、カルロスお兄様の婚約者……つまり将来の公爵夫人になれるという話なのだが。
そこには落とし穴があった。
それはレオンハルト殿下の態度だ。加えてサンディカ様の態度もある。
殿下は、こちらのシュリーゲン嬢を明らかに想い入れているご様子だそうで。
そもそも、だからこそのカルロスお兄様の提案だったのだから当然なのか。
ということは『2番手』の枠は、どうしたってサンディカ様になる。
そこでサンディカ様がきちんとシュリーゲン嬢を追い落としてくださるなら話が違うのだけれど。
サンディカ様は、殿下がシュリーゲン嬢を優先する事を良しとされ、カルロスお兄様と積極的に交流を重ねていた。
たとえばパートナーが必要なダンスパーティーが近々あるのだけど。
そこでも、特に揉めることなく、レオンハルト殿下のお相手はシュリーゲン嬢。
サンディカ様のお相手はカルロスお兄様、となっているらしい。
……そうなると他家の令嬢たちにとって、サンディカ様をどうにかしなければ公爵夫人にはなれない構図だ。
まぁ、なんというか。
『やってられないわ』と離脱していかれ、さっさと今の内に『手頃な』婚約者を探される方が出てきた。
そういう状況を考えると、ミーシャはいい時期に告白したわね。
ミーシャとフリード様は、2年生の終わり頃に告白を済ませている。
そして現在、めでたく二人は『婚約者』となっていた。
私も力添えさせて貰ったわ。もちろん当人の意思在りきの婚約だけど。
私としても嬉しいことに、フリード様は『騎士』として辺境の騎士団に従事したいという意向だった。
ミーシャを婚約者、いずれは妻として娶り、一介の騎士として辺境で生きていくと。
フリード様は実力で言えば、王国でもかなり上位の騎士だろう。
将来の辺境伯夫人としても、また友人としても、大変望ましい縁談だ。
まぁ、将来有望なだけに王太子殿下と彼の取り合いのような事態も発生したのだが。
何よりもフリード様当人の意思を示され、彼とミーシャの将来はほぼ決まった。
気になる点としては、レオンハルト殿下がまだフリード様を諦めていらっしゃらない様子らしい事だけど。
流石に当人の意思を無視は出来ないだろうと考えている。
私の婚約者は、アッシュ・バルツライン辺境伯。
ミーシャの婚約者は、フリード・マルコット侯爵令息。将来は辺境の騎士。
彼女らの動きからすると、サンディカ様のパートナーはカルロスお兄様。
そして……レオンハルト殿下の隣に立つのは、シュリーゲン嬢、か。
カルロスお兄様が私に会って欲しいと願ったのは、彼女だ。
メルク・シュリーゲン。
何故、お兄様は彼女に会って欲しかったのかしらね。
◇◆◇
【メルクside】
◇◆◇
目の前にアンジェリーナ……様が座っている。そして私を見ていた。
この世界が乙女ゲームの世界ではないのだと現実を突きつけられてから。
色々な事があったと思う。
私の知識にあるイベントらしいイベントの多くは起きなかった。
それに私は学園で虐められてもいない。
……アンジェリーナ様は『悪役令嬢』ではなかったし。
それに今の私は、サンディカ様の、いわゆる『派閥』というものに属している状態だ。
私を養子にしてくれたシュリーゲン男爵家、お義父さんたちもローディック公爵家の『寄子』となった。
だから、なのかもしれない。
私は、学園で誰かに危害を加えられるようなことはなかったのだ。
それは、つまり乙女ゲームのイベントの、大筋の部分が発生しなかった事を意味する。
やっぱり、この世界はゲームに似ているだけの世界に過ぎない、という事なのだろう。
でも、基本設定自体は共通しているみたいで……そこが一番ややこしいところなのだけど。
色々と思うところはある。
でも、よく考えれば私が『アルストロメリアの末裔』だと知られた場合、シュリーゲン家はどうなるのだろう? と。
私は、何よりもまず『家族』のことを考えた。
ゲームの知識にはシュリーゲン家の顛末は詳しく描かれていなかった気がするの。
ただ『ヒロイン』がハッピーエンドになるだけで……。
今、色々と知ってからだと怖くもある。
おそらく私が、アルストロメリアの末裔だと知られれば『どこかの家』の養子にされる、ということ。
候補として可能性があるのは筆頭侯爵家らしい。
それって、つまり……シュリーゲン家の家族はどうなるんだろうか。
現実として、私はシュリーゲン家に養われていた期間がある。
あの頃は『そういうもの』と思っていたけれど……。
お義父さんたちには良くして貰ったの。
血の繋がっていない家族だけれど、そこには情があり、恩義があった。
彼らは、私を前王家の末裔と思って孤児から拾い上げたのではない。
政略のことを考えていたとはいえ、そこには確かに私に対する思いがあった。
だから私は『シュリーゲン家にとって』を考えた今後の振る舞いをしなくてはいけない。
サンディカ様は、色々な事を知らなかった私に根気強く付き合ってくれて指導してくれて。
だから私も色々と考えることが増えて……。
現実を生きている攻略対象たちの多くも、私の知る彼らとは違う人生を歩んでいるらしい。
……レオンハルト様だけ、あんまりゲームと変わらないな、と思った。
そういうことを考えていくと、ほんの少し不安にもなる。
不安な点は2つあった。
まず、私が本当に『アルストロメリア前王家の末裔なのか』という点。
ここが違っていれば、そもそも男爵令嬢はレオンハルト殿下の婚約者になどなれない。
カルロスの……カルロス公子の婚約者になることも難しいだろう。
それは、きっと『分不相応』だから。
同時に、この点での不安は別にもある。
それは実際に私が、本当にアルストロメリアの末裔である場合。
……私は、前王家の血を引いている。
それは、つまり……将来の『火種』になりかねないということ。
前世からすれば、想像もつかないようなことだ。
もしも、その血の責任を放棄するならば……私はどこかでバレないようにひっそりと暮らす必要がある。
それに……、子供を作ったら。
その子や、さらにその子孫は……同じく火種になりえてしまう。
もちろん前王家は前王家だから。
実際は、正当な権利があるのかと言えば、ほぼないのかもしれない。
今のこの国は、あくまでベルツーリ王国だから。
でも、この血があるだけで王太子の婚約者になりえるほどの影響力がある。
…………私は。
その『責任』と向き合う必要があった。
そして、それを確かなものとするため、高等魔法を覚える必要がある。
『聖花の魔力』を……私は、確かに有しているのか。
実は、既に高等魔法を、私は使う事が出来る。でも。
未だに私は、それを使用してはいなかった。
すんでのところで、いつも止めてしまっていた。
……怖いの。
多くの事を知った今。
私は、きちんとその『責任』と向き合えるのか。
アルストロメリアの末裔と人々に知られた時。
レオンハルト様との話が、いよいよ本格的に動き始めるだろう。
メリットはある。私には恋心もあった。
今では王妃教育も受けている。
……受けているだけで、その成績・評価はサンディカ様に及ばないのだけど。
私の学業成績がいいのは、やはり前世の記憶があるからだ。
『学校のテスト』という独特の分野で好成績を叩き出す術は、前世から知っていた。
でも実務となると話が違うの。
前世の私は、それらを知らなかった。『社会』を知らなかったのだ。
きっと前世の私は……学生の内に、死んだのだと思う。
だからこそ、余計に怖い。
『大人』になること。社会に出ること。学校を卒業して、その先へ進むことが。
そんな不安をサンディカ様に話した事があるのだけど。
『私も知りませんけれど?』と。
『まぁ、貴方よりは知っているかもしれませんが。お忘れ? 私と貴方、同じ年齢だし、同じ学生よ』って。
……そうだよね。
身分があると、どうしても年上感というか。
本当なら精神的には一番私が年上なのかもだけど、そんな感じもしないし。
悩んでいた。
そして、その悩みは……カルロス公子に見抜かれていたらしい。
私は、少し前の彼とのやり取りを思い浮かべた。
『……シュリーゲン男爵令嬢』
『カルロス……公子』
『……貴方について、ベルツーリ王家はある程度、推測を立てている』
『え?』
『その血に何が含まれているのか、だ。王家は優秀だな』
『…………!』
私は、驚くしかなかった。
もしかしたら『聖花の魔力』について調べる方法が現実ではあるのか。
それとも、家系図か何かの情報が、しっかりと残っているのか。
黙っていれば、それで済むかもしれない、という思いもあったため、ショックだった。
『……それでも、貴方がその魔法を使わない限り、人々は貴方をそうだとは認めないだろう』
『それは』
いくら証明がされたとしても。
魔法にそれが含まれていることを見せつけるのと、そうしないのとでは信憑性が異なる。
だから。
『もしも、高位貴族になること。或いは王族となる事を望まないのであれば。
……魔法を封印しろ。その技術は既に開発されている』
『え。封印、ですか?』
『ああ。魔塔には才覚溢れる魔法使いが居てな。彼は、魔法を封印する術を研究している』
『それって』
私の脳裏に浮かんだのは一人の幼い少年の姿だった。
現実に居る彼は、私に何の興味もなかったらしい。
そして、あの魔塔で過ごすことに憂いはない様子だった。
その事は良かったと思う。私が彼を助ける必要なんて最初からなかったの。
ちょっとだけ寂しい気もするけれど。
『……だから、貴方次第だ。メルク・シュリーゲン。
貴方が、貴方自身の意志で、この先の道を選ぶんだ。どう生きたいのか。どう生きていくのか、と』
『カルロス……公子』
『その決断をするために、必要なことがあるならば力を貸そう。
殿下相手では相談し難いこともあるだろうから』
『……ありがとうございます』
どうする。どうすればいい。
いつまでも黙ってはいられないだろう。
ベルツーリ王家が私の正体を掴んでいるとするなら、逃げることさえ出来ない。
それに……私は。私の本当の気持ちは。
『……カルロス公子。では、お願いしたい事があります』
『なんだ?』
『……アンジェリーナ、様と。シュタイゼン公爵令嬢と……お話をさせていただけませんか』
そうして。
私は、ピンクブロンドの髪をした……ただの公爵令嬢と会う事になったのだ。





