【33】失って、ようやく──2年生、8月
シュタイゼンとバルツラインを繋ぐ土地、ミランチェッタ子爵領の『宿場町』と『街道』の完成。
きちんと運用できる段階まで至ったミランチェッタでは、それらの完成記念の祭りが開催される。
丁度、2年生の夏季休暇に入る時期だ。お祭りは『夏祭り』となる。
私はミーシャと共にミランチェッタへ向かう事になった。
アッシュ様は、アリアさんとエルクくんらを伴い、祭りに参加するようだ。
「街道を繋いで、バルツラインまで1週間だから、単純計算で4、5日ぐらい」
それが私とアッシュ様が会うために掛かる日数となる。
互いに移動を開始すれば、だけど。
「随分と短くなったわね。早期に企画をして良かったわ」
「慧眼です、アンジェリーナ様」
流石に往復に一ヶ月は、学生の間ではしんどい。でもバルツラインに顔を見せたくないワケではなかった。
だから、街道整備の企画を整えさせて貰った。
完全に私欲のようだが……この街道は、いずれ王宮や公爵家から、バルツラインへ援軍を送る導線となる。
そのため、道幅を広めに取り、騎馬が通りやすいようにしている。
私だけでは『紙の上』の企画になりかねないため、アッシュ様たちの意見も聞かせて貰った。
それに伴って、バルツライン側でも兵舎を整えていった。
まだまだ調整は必要だろうから、完全に形になるのは、さらに来年といったところだろうか。
その頃になれば、王宮騎士団とバルツライン騎士団による合同演習などどうか、という話も出ているという。
最近では『剣の友人』となっているフリード様なども、アッシュ様に引き合わせたいものだ。
時折、彼が向けてくる何とも言えない視線は気になるが……私よりもミーシャに視線を向けて欲しいと思う。
まぁ、それを口に出すには時期尚早な気がするため、あえて黙っているけれど。
「楽しみね、ミーシャ」
「はい。アンジェリーナ様」
アッシュ様たちとの待ち合わせは、ミランチェッタ領だ。
せっかくなので、互いにあちらで落ち合うことになっている。
そのままミランチェッタで過ごす予定しかないため、準備する物も少なく、身軽に感じるわ。
「あと1年半もすればバルツラインへ嫁ぐのねぇ」
「……そうですね」
「ミーシャは、いいの?」
「はい。私の気持ちは変わりません」
「そう。なら、これからもよろしくね」
「はい、アンジェリーナ様」
ミーシャは、バルツラインヘ私と共に来る事を決めた。
その決意を示されてから、私の方からも彼女の意向を汲むようミーシャの父、トライメル子爵に掛け合っている。
残念ながら、王都・王宮に仕官する男性との縁談ではないため、渋い顔をされたが。
そこは腕の見せ所というか、公爵令嬢の意地だ。子爵を納得させるために尽力させて貰った。
「……いい天気」
馬車の窓から空を見上げると天気は快晴。幸先のいい。
祭りでもこの天気が続くといいわね、と。私たちは馬車の中で話したのだった。
そして、数日後。ミランチェッタ領が見えてくる。
ゆっくりと来たので私たちも疲れてはいない。さっそく宿場町を見て回ってもいいぐらいだ。
どうせならアッシュ様たちと共にがいい。そう思っていたところ。
「……あら?」
「どうされましたか?」
「あそこに見える一団、バルツラインの皆よ」
ミランチェッタの街道の脇。見知った騎士の姿を数人確認する事が出来た。
場所は、ちょっと林の方へ入り込んだところなのだけど。
「どうしてあんな場所に?」
「どうされますか、アンジェリーナ様」
「……行ってみましょうか。堂々と近付きましょう。護衛も来て貰うわ。私も戦えるけど、ミーシャはきちんと守られてね」
「バルツラインの騎士がいらっしゃるなら、問題もないのでは?」
「……そうね」
問題がないというより、問題の対処をしているのでは?
バルツラインの騎士が悪巧みをするとは考え辛い。
そんな事を考えて行動しても、メリットが無い土地だ。対人の利益を追及しても魔獣に襲われては意味がない。
「あ。アッシュ様」
「……ん? アンジェリーナ!」
なんと。そこにはバルツラインの騎士だけでなく、アッシュ様もいらっしゃったわ。
ああ、お会いするのも久しぶりね。胸が高鳴る。
長期休暇の度に会いに行っているけれど。
アッシュ様が私たちに駆け寄って来られ、手を取り合った。まだ抱き締め合う関係でないところがもどかしいところだ。
「アッシュ様。このような場所で一体、何を?」
「……ああ。それなのだが」
そこでアッシュ様の視線は、私ではなくそばに控えたミーシャへ向けられた。
「ミーシャ・トライメル子爵令嬢」
「は、はい。バルツライン閣下」
「……貴方に会いに来た男が、あちらに居る。ただし、望んだ客ではなさそうだ」
「え、私に?」
ミーシャに誰かが会いに来た? 一体、誰? こんな場所に?
「宰相、コールデン侯爵の三男。デニス・コールデンだ。貴方に会いたいと言っているのだが……」
「え、デニス様、ですか?」
私とミーシャは互いに顔を見合わせる。デニス様が? ここまで来ている?
それもミーシャに会いたくて? 一体、どういう事だろう。
疑問符しか浮かばない私たちは、一緒になってアッシュ様に視線を向けた。
「何故、こんな場所に?」
「それが。彼を『警戒』するように、という一報がバルツラインへあってな」
「警戒……」
「アンジェリーナ。君を傷付けようとするかもしれない、と。故に守って欲しいとな。
そのため、先んじて俺たちがミランチェッタへ来て警戒していたんだが」
「私を? デニス様が? 一体、何故でしょうか」
デニス様に害される理由に覚えがない。
そもそも、会話をした機会さえほとんどないのだ。
その理由は当然、ミーシャの彼への接近が禁止されていたため。
ほとんど一緒に行動している私もまた当然、デニス様と会うことはなかった。
会いそうになっても気を遣って離れているぐらいだ。
「それは分からない。それに、アンジェリーナを狙っている話は、一報を送ってきた者の勘違いだったようだ」
「勘違いですか」
「ああ。彼の目的は、トライメル嬢のようだから。それにしても危ない様子ではあったので……拘束させて貰ったが」
「え、危ない様子なんですか?」
「ああ。そうなんだ。憔悴し、追い詰められている様子でな。
何故なのか、理由はまだ分からない。……どうする? トライメル嬢。拘束はしているし、貴方の身は守る。会いたくないのであれば、それで構わないが」
私はミーシャに視線を向けた。
「……いえ。事情が分かりませんので、お会いしてお聞きしたいと思います。バルツライン閣下は、アンジェリーナ様の護衛をお願い致します」
「分かった。アンジェリーナは俺が守る。同時に貴方の身は、バルツラインの騎士が守ろう」
「ありがとう存じます、閣下」
そして私たちは拘束されているというデニス様と会う事になった。
気持ち、私は後ろに控えて姿を見せないように、と。
アッシュ様の影に隠れる形で観察させて貰う。
「……ミーシャ!」
デニス様は屈強なバルツラインの騎士数名に周囲を囲まれていた。
既に一悶着を終えた後のようで、デニス様の衣服は汚れている。
騎士たちには怪我はないようだ。アッシュ様も。その点でホッとした。
「デニス様。何故、このような場所へ来られたのでしょう……?」
デニス・コールデンは、かつてミーシャに接近禁止を願っている。
宰相家からの申し出に、子爵が抗うことはなかった。
ミーシャは以前、デニス様に好意を寄せており、そのことに心を一時期は痛めていたのだが……。
「君に会いに来たんだ……!」
「私に? 何故?」
「僕たち、やり直そう……!」
「……はい?」
やり直す? 私はアッシュ様の陰で首を傾げる。
やり直すも何も『始まってすらいない』関係だったはずなのだけど?
「一体、何をおっしゃっているのです?」
「君は……僕のことが好きだっただろう!?」
「え……。まぁ、それは……そうでしたね?」
ミーシャも困惑している。当然だろう。彼は一体、どうしてしまったの?
「だったら! 僕をもう一度選んでくれ! 君が僕を好きなら、やり直そう……!」
「ええ……?」
というか困惑するしかない。
ミーシャからしても、それは確かに昔は好きだったかもしれないが。
今更になって言い寄られても。しかもこんな形で?
「……正直、デニス様が何故そんなことをおっしゃるのか理解できません」
「あんな馬鹿より、僕の方がいいはずだろう!?」
「……!」
あ。
その言葉で、私は察する事があった。おそらく彼も見たのだろう。
学園の修練場で。私と稽古をする『彼』と、そばに控えるミーシャ。
そのミーシャの視線に情熱が帯び始めた姿を。
他の男に好意を寄せ始めるミーシャを見て惜しくなったのか。
しかし、始まってすらいない関係だった女にすがりつくなんて。
ミーシャも、デニス様が何について言っているのかを察して顔を赤く染めた。
他の騎士たちとアッシュ様は首を傾げている。鈍感で可愛いわね。
「……あの方の気持ちを私は語れませんが、デニス様。私から言えることはあります」
「な、なんだい?」
デニス様の様子はなんというか必死だ。
一体、この1、2年で彼の身に何が起きたのだろう。
全く関わってこなかったため、驚きでしかない。
「私、ミーシャ・トライメルが……貴方を好きになる事は、もうありません」
「え……」
そこで浮かべる表情が『怒り』ではなく『混乱』なのか。
ミーシャが当然のように自分を受け入れると思っていた、と?
「貴方を慕った時も確かにありましたが……。今思えば、私も若かったですね。私たち、そもそも相性も良くないと思うのです、デニス様。人と人との相性、環境との相性、というものがあると。アンジェリーナ様の今のお姿を見て、痛感する限りでございます。……私もまた。王宮へ仕官する、文官職の方と上手くいく女とは、今では到底思えない次第です。私は、騎士のような方にお仕えするのが性に合っている、と。そう思っています。あ、この場に私の慕う方はいらっしゃいませんが」
うん。ミーシャが、ちょっと浮かれそうになったバルツラインの騎士たちにピシャリと言葉の水を掛けた。
喜んだ顔を浮かべた直後にがっかりして落ち込む騎士様たち。ちょっと可哀想。
「デニス様。きっと私たち、上手くいきませんよ。たとえ……昔のあの頃からやり直したって。私という人間は、貴方には合わなかった。貴方にとっての私もそうだと思います」
「あ……」
そして、力が抜けたのか。デニス様はガクリと膝を突いてしまった。
周囲の目が同情に傾き始める。
どうも、バルツラインに謎の一報が届いた様子だが……。
蓋を開けてみれば、ミーシャへの交際の申し込み。そして彼は今、フラれた。
「デニス・コールデン侯爵令息。……さようなら」
「……ミー、シャ」
そしてお別れを告げるミーシャ。
デニス様は、いよいよ放心状態になってしまっている。
そもそも精神的以前に、体力的に限界のご様子。
「アッシュ様。バルツラインの方で彼の面倒を見てあげられますか? ええと。一応、ミーシャとは関わらせないように? 実は宰相家から、ミーシャは彼に近付かないようにと仰せで。その言葉は正式に撤回されていないままなのです」
「……そうなのか。家の事情で引き離された、というのとも違うようだが。分かった。こちらで彼を引き取ろう。幸い、刃物の類は持っていなかった。つまり彼は、ただ告白しに遥々、ミランチェッタまでやって来ただけだ」
「そうですか。それは良かったです」
流石に刃物を隠し持っていたと聞けば、ミーシャのトラウマになりかねなかったから。
ただのフった、フラれたの話で済みそうで良かったわ。
「アンジェリーナ。また後で。改めて会おう」
「はい。アッシュ様。彼の件、お願い致します」
「引き受けた。……あとでな」
「ええ」
私は、ミーシャの手を引いてミランチェッタの宿場町へ移動する事にした。
問題は起きたけど、特に大きな事件でもない。
むしろミーシャの気持ちに区切りが付けられて良かった、と言えるかも?
デニス様の一件を処理して貰ったら……あとはミランチェッタのお祭りを楽しむだけね。





