【25】騎士の謝罪と恋心──2年生3学期
「ハッ!」
修練場にて、私は木剣を打ち合い、ある人と模擬戦を行っていた。
「やりますね、フリード様!」
「……っ! そちらこそ、です。アンジェリーナ様」
学園で交流するようになった騎士科の男性、マルコット侯爵令息、フリード様が私の相手だ。
腕利きだと名高い彼相手でも、今の私は引けを取らないまで上達していた。
「ハァアッ!」
「……っ!」
ガィン! という音を立てて、フリード様の手から木剣が弾かれる。
そして私は、木剣の先を彼の目前へと突きつけた
「ふふ。これで私の勝ち越しですね!」
「……参りました。上達されましたね。アンジェリーナ様」
潔く負けを認めたフリード様に、私は笑顔を浮かべる。
そして、すぐそばに控えていたミーシャが私たちの下へとやって来た。
「お疲れ様でした。アンジェリーナ様。フリード様も」
「ミーシャ、ありがとう」
彼女が差し出すタオルと水筒を受け取り、私は汗を拭って水分補給をする。
「ありがとうございます、ミーシャ嬢」
「いえ……」
フリード様も同様にミーシャからタオルと水筒を受け取っていたわ。
私、アンジェリーナ・シュタイゼンは今、王立学園の2年生だ。
もうすぐ3年生になる、上の学年の生徒たちは卒業を控えている。
現在に至っても私とアッシュ様の関係は良好。
バルツライン領とシュタイゼン領の提携に、他家を巻き込み、領地を繋ぐ街道の整備も進めている。
私の人生は順風満帆? かもしれないわ。うふふ。
「アンジェリーナ様」
「フリード様?」
模擬戦の対戦相手、フリード様とは、実は1年生の頃からの付き合いだ。
もちろん、この交流に男女の恋愛関係なんてない。
ただ、実力を認め合った相手というだけね。
剣を習い始めた私は、学園の修練場で、それなりの頻度で彼と顔を合わせた。
一緒に来てくれているミーシャとも、フリード様は、それなりに仲を深めている。
「どうかしました?」
「……。貴方に謝りたいことがあったのです。アンジェリーナ様」
「謝りたいこと?」
はて、と私は首を傾げた。何かされたっけ? 思い当たることがない。
「自分は、貴方を……誤解していました」
「誤解、ですか?」
「はい……。貴方は……もっと、……、失礼します。その、卑劣な方である、と」
「卑劣!?」
なんで!?
「も、申し訳ございません……。今は当然そう考えてはおりません」
「当然です!」
と、私よりもミーシャが怒る。うん。いや、本当になんで?
卑劣って、身に覚えがなさ過ぎる。
「……自分は、あまり頭を使うのが苦手です」
「え、ええ」
まぁ、それは、そのようだけど。
「故に勝手に思い込み、そう信じ、歪んだまま。曇ったままの目で貴方を見ておりました」
フリード様は本当に申し訳がなさそうに、目を伏せてそう告げた。
何か思うことでもあったのだろうか。
3年生の卒業間近の時期。
レオンハルト殿下や、カルロスお兄様の卒業と、その卒業パーティーは『1週間後』だ。
そんな日の模擬戦で、フリード様は私への謝罪を口にしていた。
「……ですが、それらは間違いでした。もう……取り返しのつかない事ですが」
「取り返しが?」
よく分からない。私に対して、あらぬ偏見を抱いていたらしいのだけど。
フリード様と知り合ってから、この2年。
そのような歪んだ偏見からの罵倒や非難を浴びせられたことはない。
「せめて、貴方と辺境伯閣下の間柄が、幸福なものであることが……自分の救いであります」
「ええ……?」
何を思い詰めているのだろう、この人は。身に覚えのないことで謝られても困る。
本当に大丈夫なのかしら?
私は、そばに立つミーシャと顔を見合せて首を傾げるばかりだった。
フリード・マルコット侯爵令息。武家の次男。彼には騎士の才覚があった。
だけど結局、彼はレオンハルト殿下の近衛に就くという話を受けることはなかった。
今も声は掛けられるらしいのだけど、頑なに断っているという。
王宮騎士団に入団するかという噂は立っているものの、その動きは見せていない。
それでもフリード様が剣を手放すことはなかった。
彼は、何を望み、何を願って、生きているのか。
私と彼は、せいぜい模擬戦で腕を磨き合う程度の関係だ。
ここに至って、これほど真摯に頭を下げて謝罪されても、何がなんだか分からないまま。
私は、フリード様という男性を深くは知らないのだろう。
「アンジェリーナ様。フリード様と二人で話をさせていただけますか?」
「え……。私はいいけれど」
「フリード様。よろしいですか?」
「……構いません。仰せのままに」
いえ、私は彼の上司でも何でもないのだけど。
身分差があっても、仰せのままにと言われるような間柄ではない。
まぁ、彼のことはミーシャに任せるしかないか。
「では。ミーシャと話をしてください。私は先に下がります。フリード様」
「……はい。アンジェリーナ様」
「何の謝罪かは分かりません。ですが、その謝罪。確かに受け取りました。貴方の心が、それで納得するかは分かりませんが。私から貴方に強く思うことはありません。ですので、気に病まないように」
「……アンジェリーナ様」
フリード様は、私の言葉に目を見開き、そして言葉を失う。
私は、そのままミーシャに任せて立ち去るのだった。
◇◆◇
【フリード side】
◇◆◇
アンジェリーナが修練場から立ち去る。
フリードは、彼女の友人のミーシャと共に残された。
今日は、逆行前、アンジェリーナが断罪された日だった。
……『ありもしない罪』で。フリードは、もう既にその確信を得ている。
そして取り戻せない過去の、失ってしまった時間での、己の罪をずっと悔い続けていた。
未来の王妃の座に就くべきだった女性の、人生を狂わせたのだ。許されざる罪だった。
だが、その罪を償う術は永遠に失われていた。一生、この後悔はフリードの胸を苛み続ける。
もう、かつての栄光を夢見ることは出来なかった。
近衛騎士となり、王宮へ入るなど……決して己には許されないことだ。
そうなるはずだった令嬢の未来を奪ったのだから。
せめてもの救いが、アンジェリーナとバルツライン辺境伯の仲が睦まじいことだろう。
あの後。フリードが覚えている、逆行前の世界で。
アンジェリーナは、確かにバルツラインへ嫁いでいたはずだ。
今の状況とは異なるだろう。そこには苦労があったはず。
彼女自身にも良からぬ噂と、ありもしない罪が突きつけられていた。
……それでも。
あの辺境伯ならば、きっとアンジェリーナを受け入れただろう。
フリードは、せめてそう思い、願うしかなかった。
そもそも繰り返した時間が『どこ』へ行ったのか。消えてしまったのかも分からないが。
「フリード様」
「……ミーシャ嬢」
ミーシャ・トライメル子爵令嬢。アンジェリーナの友人と言える女性。
フリードの知る時間から、立場の変わったはずのアンジェリーナのそばに、この時間でも居続ける女性だ。
彼女は信頼に値するだろう。前の時間を知っているからこそ、フリードはそう思う。
少なくとも彼女は、アンジェリーナにとって味方となるはずだ。
「……貴方が何を悔いているのか。何を謝りたかったのか。私やアンジェリーナ様は理解できません」
「…………はい」
そうだろう。こんなこと、誰にも分かるはずがない。
分かるとすれば、その者は、きっと自分と同じ『罪人』だった。
「ですが。貴方が、ずっと何かを悔いていて……何かを後悔し続けていることは分かります。だって、ずっと見てきましたから」
「……それは」
「フリード様。ですから、もう『前』を向きませんか?」
「前……?」
「はい。もう1年経てば、アンジェリーナ様はバルツラインへと向かわれます。もう頻繁には王都へ帰らないでしょう」
アンジェリーナが辺境へ嫁ぐ。それは『運命』なのだろうか?
自分たちと違い、幸せな運命であるといい、とフリードは願った。
その奥底には、けして抱いてはならない、感情もある。
それは……剣を振るう彼女の姿に見た、淡い……。形にすらならなかった恋心。
見る目のない自分。あの悪女か、という憤りと……。
どうしてか目の前の女性と、思い描いていた『悪女』の姿が繋がらない。
それに気付いてから、その後は疑いながら生きてきた。
そして、フリードは己の間違いを知った。気付いた時には、取り返しなどつかないことも。
己は拭えぬ罪を抱えて生きていくものだと悟る。
もう、その頃にはメルク・シュリーゲンへの恋心も消えてしまっていた。
残ったのは、ただ後悔を抱え続ける騎士もどきだった。
ただ、この世界では、この時間ではアンジェリーナが幸福であればいいと祈るしか出来ない。
「一緒にバルツラインへ行きませんか、フリード様」
「え……」
「実は、貴方の気持ちにも気付いております。アンジェリーナ様に密かな恋心を抱いていることも。それを貴方が表に出すことはなかったですけど。アンジェリーナ様も気付いておられません」
「いや、俺は……、そのような資格など」
「ええ。アンジェリーナ様の相手は、アッシュ閣下ですから」
「…………」
フリードは、改めて、そう言われて何も言い返す言葉がなかった。
「ですから。私と共に、アンジェリーナ様をお支えしませんか?」
「……貴方と、共に?」
「はい。フリード様は、騎士としてバルツラインへお渡り下さい。私はその貴方を支えます」
その言葉にフリードは目を見開き、ミーシャを見つめ返した。
彼女の頬が、仄かに朱色に染まり、願うような視線を己に向けている。
「ミーシャ嬢」
「……自分に気持ちの向かぬ殿方を追いかけることには慣れております。それでも、貴方ならば、アンジェリーナ様の、アッシュ閣下の力になるものと。そんな貴方であれば、私も共に歩いていけます。アンジェリーナ様に心惹かれているというのなら尚の事。その感情を、恋ではなく、大いなる愛へと。或いは忠誠心へと昇華なさってください。たとえ時間が掛かったとしても。私が、それに付き合います。……貴方と共に、生きていきます」
呆然と。フリードはミーシャの言葉を聞いた。
己は、罪人だ。罪人の騎士だ。王宮へ入ることなど許されない。
そうなるべきだった令嬢の未来を閉ざした。
であるならば、辺境に嫁いだ彼女の行く末こそを……見届けたい。そんな願いは確かにあった。
彼女への恋心は確かに芽生えていた。だが、その炎は大きく燃え上がる前に、消失した。
女性として願い、求めることが許される相手ではなかったのだ。
残っているのは後悔と、祈りだけ。だから。
「自分は……アンジェリーナ様に酷いことをしました。……その事実すら、この世にはなくなり、決して拭えぬ罪となりました」
「……はい」
「ですが、だからこそ。彼女が幸福の道を歩むと言うのなら……、その力となりたい。今度こそは。……自分は、頭が良くありません。剣の道しか知らない。……だから。かの方たちが、こんな自分が『剣』を捧げることを許してくださると言うのなら」
「私が必ず認めて貰います。なにせ、私はアンジェリーナ様の『友人』ですから」
その道が示されると言うのなら。捧げたい。今度こそは、この剣を。
今度こそ『正しい事』へと。だから。
フリードは、ミーシャの前に片膝を突く。
「ミーシャ嬢」
「は、はい……」
「自分は器用ではない。恋も、愛も、結局は分からなかった。だが」
「…………」
「二人を同時に愛することは、きっと出来ないでしょう」
「……! はい。分かっております……。貴方は、アンジェリーナ様を……」
フリードはミーシャの手を取る。
「だから、この先。私が愛するのは……貴方だけだ」
「え」
「……アンジェリーナ様へは。アッシュ閣下へは。この剣を捧げる。その幸せを守らんがため。それは変えられない。まだ俺には愛が分からない。恋が分からない。ですから。拙い私に、真実の愛を……教えて下さい。今度こそ間違わないために。アンジェリーナ様の味方であると、今もそばに居る貴方ならば……私は『心』を預けられます」
「フリード、様」
「どうか。共に。バルツラインへ。俺の方から……お願いします」
フリードは頭を下げ、ミーシャに願う。
「はい。はい……! 共にアンジェリーナ様をお支えしましょう、フリード様!」
※ここまで読んでくださった方へ
作中で語れ、という話なのですが……。
信頼できない語り手の影響で
読者に設定を混乱させている部分を、作外からメタで補足させていただきます。
メルクは『憑依』ではありません。『転生』です。
ですので『本来のメルク』『原作のメルク』といった、罪のない可哀想な魂は存在しません。
某・中の人的な状況ではなく、
あくまでメルクとして生まれ、育ち、ただ前世の記憶を持っているだけの存在です。
二つの魂は宿っていません。
時間逆行が発生する度に別のメルクがやって来るとか、そういうこともありません。
常に一貫して、たった一人のメルクです。
ただ転生者が居る上で、時間逆行がその上に被さっただけの状況です。
前世の記憶自体は生まれた頃からメルクにあるので。
同様にアンジェリーナもまた、ただ一人しか居ません。
『原作のアンジェリーナ』なる人物も魂も存在せず、読者の知るアンジェリーナは唯一無二です。
メルク・アンジェリーナ、共にそれぞれの視点やモノローグで語られた人物だけの存在となります。





