【24】やり直した彼らだけが──逆行前
※逆行前のエピソードです。
「時間の逆行なんて、本当に『無制限』だと思う? 先生」
「なに?」
アンジェリーナの無実を、他でもない。
やり直しているシュルクに訴えられ、ニールは言葉を失った。
「最初の、何も知らない僕らは……メルクを好きになる。それを彼女は中途半端に受け入れるんだ。レオンハルト殿下が彼女の本命だからね。焦らされて、彼女の気を惹きたい僕らはアンジェリーナ様を敵視する。何故なら、メルクがアンジェリーナ様を警戒しているから。……可愛いよね。あれで警戒して、疑っているのが僕らにバレてないと思ってるんだもの。カルロスさんなんて、何度も何度もアンジェリーナ様について問い掛けられているのに」
ニールは視線を逸らした。
そうだ。彼女は自身が警戒心を露わにしている事を自覚していない。
誤魔化せていると思っている。本当に、それだけ。
それは愛らしくさえ思えるほど、浅はかで、愚かで。
「離れて観察していたら笑えるよ?」
「……笑える?」
シュルクは、右手を挙げて一本ずつ指を立てていく。
・メルクが何者かに危害を加えられる。
↓
・犯人の心当たりを彼女に尋ねる。
↓
・メルクは確信しているように、その何者かを思い浮かべているが、誤魔化すだけ。
↓
・気になってしまい、分かりやすいその表情からメルクの心当たりを自分たちは探る。
↓
・思えば、彼女はずっと前からアンジェリーナの事を気にしていた。
↓
・自分たちが思っているより、ずっと前からメルクへの、アンジェリーナからの迫害は続いていたのではないか、と思い至る。
それこそカルロスに初めてアンジェリーナの様子を探り始めた、半年以上も前から虐めを受けていたのではないか。
その頃からアンジェリーナは、と考える。
「……こんな感じ」
「それは……」
「『ずっと自分はメルクの不幸な境遇に気付いてやれなかったと知った』『アンジェリーナは、ずっと自分たちに気付かせずに、そんな卑劣な真似をしてきたんだ。許せない』」
ニールは眉間に皺を寄せた。
「己の不甲斐なさと、好きになった子が受けた仕打ちへの憤り。それから……アンジェリーナ様への『失望』が大きいんだろうね。僕らは、そこまでじゃないけど。彼女に期待して、信じていた人たちも居るでしょ? それが反転して、メルクが大事というよりもアンジェリーナ様への怒りが抑えられなくなってさ。カルロスさんが、このタイプだね」
ニールは自分の口元を手で押さえながら、怒鳴り声を上げてシュルクの言葉を否定したくなる、その激情を何とか制御する。
やり直しているシュルクの言葉は真摯に受け止めなければならない。
何故ならば、激情に駆られて時間逆行を選べば……自分たちは『無限ループ』に嵌ってしまう危険性があるからだ。
それが、かつての己が『全員の記憶を持たない、やり直し』を拒んだ理由。
……それが発生した時点で、下手をすれば『大元のスタート地点に戻る』ことになってしまうのだ。
故に『誰か』は、記憶を持って戻らなければならない。
でなければ『同じ事を繰り返してしまう』から。
それでも本来は、基点となるメルクの精神が疲弊するという『安全装置』があるはずだった。
メルクが時を戻して当たり前という価値観を抱いていなければ……。
ニールは、冷や汗をかきながらシュルクを見据えた。
「僕らは、あくまで『かつてのアルストロメリア王家が使えた魔法』を再現しているに過ぎない。理論は構築したけれど、それは王家が保有するアーティファクトありきのシロモノだ」
「ああ、そうだな」
「では『かつての王家は自由自在に時を巻き戻せていたのか?』『そんな事が出来るならば、王家が滅びるなんてあり得ないのではないか?』」
「……!」
前王家は滅びている。メルクの先祖がどのようにその血を残したのかは分からないが。
しかし、王家としては絶えてしまったのだ。【時間逆行の魔法】が使えたにも拘らず。
「……何らかの『制限』が、あのアーティファクトに刻まれている?」
「たぶんね。そしてアルストロメリアの滅びは、その制限のせいで防ぐことが出来なかった」
「それが……」
「そう。それが、おそらく僕らが何度、繰り返しても『失敗』してしまう原因だ。時間逆行の魔法は『無制限には使えない』」
自分たちは、この人生は、失敗することが決まっていた?
いや、そんなはずは。
「……という『結論』を、どこかの時間の僕や先生は、既に叩き出していたんだと思う」
「は……?」
「だから『メルク自身をループさせないようにした』と思われる。時間逆行に踏み出すような僕らにとって、大事なのはメルクの幸せだったはずだから」
一呼吸を置いて、シュルクは続けた。
「──『やり直した』僕らは『必ず』失敗する。後悔する事になるんだ。それが、おそらく時間逆行の魔法に掛けられた制限。巻き戻るには『誰か』が貧乏くじを引く必要がある。やり直した僕ら『だけ』が、必ず」
ニールは、また言葉を失った。
「そんな。それでは……」
「時間逆行をした上で『成功』するには、犠牲者が必要。でも、場合によっては『また繰り返す』とは限らないでしょ? だから、このゲームは途中での『リタイヤ』が許されているはずだ。妥協と言ってもいい。幸せの妥協だ。たとえ『目的が叶わなかったとしても』この人生で良い。妥協し、諦める事が出来れば、時間の旅は終わるはずだった。何度も繰り返さずに。だが、誰も諦められなかった。そして現在だ」
シュルクは溜息を吐いた。
「僕や先生、それからメルクが同じ時代に揃ったのがいけなかったんだろうな。僕らは『それ』を再構築できてしまった。アルストロメリアの遺産を呼び起こせてしまったんだ。メルクの幸せのためにならと、この魔法に到達して、やり直し……『リセット』を試みてしまう。僕らには、その実力があるし。それからレオンハルト殿下だね」
「殿下?」
「……彼、メルクを諦めないでしょ? そして簡単にアルストロメリアの魔法に辿り着く。たぶん王家には、この魔法の記録が残っているんじゃないかな」
「ああ、ありそうだな、それは。だからか。レオンハルト殿下が、俺にこの話を持ち掛けてきたのは」
始まりの時間。全ての要素が、あまりにも簡単に揃えられていた。
だから、誰かがその結論に至るのは必然だった? そして時間の旅が始まってしまった。
「……では、俺たちの独断で諦めるか。俺たちが手を貸さなければ、そもそも時間逆行など」
「たぶん、それも無意味だと思う」
「なに?」
「メルクとレオンハルト殿下を止めなければ、条件自体は、アーティファクトさえあればいいんだから……それに」
「それに?」
「……メルクは、僕らと出会う前から『アルストロメリア王家に伝わる呪文』を知っていた」
「!?」
今度こそ本当の意味で驚愕するニール。
その呪文は、ニールが長年の研究を通して、ようやく辿り着いたような、そんなシロモノだったからだ。
「何故!?」
「さぁ。実は彼女は親から何か伝えられていたのかもしれない。或いは他の事情か。とにかく、メルクとレオンハルト殿下を止めない限り、僕らが手を貸さなくても逆行の魔法は行使される。それなら、まだ僕らが誘導した方がマシじゃない?」
「いや……それは、そうだが。いや、待て。そもそも知識があるなら、メルクをあんな不埒な現場から遠ざけるだけで」
「それは無理」
ピシャリとシュルクは言い切った。
「何故だ……」
「肝心なところの記憶が曖昧になるから。或いは間に合わない事態が発生するから。はたまた『別の案件』に巻き込まれるから」
「……! アーティファクトの『制限』か」
「そうなんだよねー。失敗案件は変えられない、というより『無尽蔵に別件が生えてくる』んだよ。だから、こんな事になってる。あとさ。言ったら何だけど。……メルクが『お花畑』なんだよね」
「は……?」
「なんでかな。レオンハルト殿下とくっ付くとさ。気が抜けるっていうか。『もういいでしょ』『私、頑張ったもん』『大丈夫だよ』『心配しないで』って……。貴族社会でやっていけるワケないでしょ? って思考回路で動いて、そして失敗するんだ。警戒心がゼロになっちゃう。今回だって、それでやらかしてるでしょ? まるでアンジェリーナ様以外は、誰が来ても無敵で平気なんだと思い込んでるみたい。そんなはずないのにね」
ニールは、最近のメルクの言動を思い出した。……シュルクの指摘は当たっている。
惚れ込んだ相手でなければ、うんざりするような言動だ。
とても王太子の婚約者とは、未来の王妃とは思えないような。
恋人と結ばれて浮かれているのだろう、と。
今だけだと思っていた。だが、それで致命的なことに。
「メルクを誰が罠に嵌めたか、アンジェリーナ様なのかって話が出たでしょ? 教えてあげるよ、ニール先生。犯人は王家、ローディック公爵家、それから他にも侯爵家パターンもあったみたいだよ。さらに偶に他の家門もあるみたいだ」
「……そんなにか」
「うん。特にローディック家はね……。ずっとメルクに煮湯を飲まされてきたから」
「煮湯?」
「成績。いっつもメルクの下だったでしょ、サンディカ様。アンジェリーナ様に負けるならまだしも、元平民のメルクに公爵令嬢が負け続けるのは、かなりキてたみたい。家でも言われてたっぽいよ。むしろ普段のいじめとか、疑うならアンジェリーナ様じゃなくてサンディカ様だったと思うんだよね、冷静に見てるとさ」
「サンディカが……」
「そう。メルクは敵だらけだったんだよ。だから学園でのいじめでもあんなに数がね。そして証拠も集め辛かった。なにせ皆が共謀してるんだから。……そうして集まるのは、出てくるのは、アンジェリーナ様を貶める証拠だ。皆にとっても都合良かったんだろうな、アンジェリーナ様。彼女を『悪役』にしてしまえば、レオンハルト殿下が、取り巻きの僕らが、そしてメルク本人が『納得』したから。罪を押し付けるのに、ちょうど良くて」
ニールは、そこまで聞いて、ようやく顔を青ざめさせた。
己が無実の令嬢の未来を奪ったのだと、突きつけられたのだ。
もはや、それは取り返しがつかない。
「……では、どうする。時間の繰り返しを止めるには、メルクか、レオンハルト殿下を?」
「殺す? 今や二人共、王族だよ。そんな事すれば僕らの人生が終わるね。……それから、なんとなく成功しない気がするんだよね、それ。そして時間の繰り返しの新たな『原因』になると思う。流石に王子が殺されかけたら、今度は国王たちがこの魔法に思い至るはず」
「……時間の繰り返しは止められないと?」
「うーん。やり直しの繰り返しを止めるために、皆で今は模索中、じゃないかなぁ? その上で『ハッピーエンド』がいいと我儘を言っている。妥協点を探せていない状態だ」
「しかし、『制限』があるのだろう?」
「うん。そうだけど。絶対に幸せになれない、という『代償』なのも、僕はおかしいと思うんだ」
「……なに?」
「だって、これはアルストロメリア王家の魔法だよ? だから、アーティファクトに刻まれているのは、あくまで『制限』であって『代償』じゃない。つまり、ハッピーエンドのための『ルート』は……確かにあるんじゃないだろうか」
ルート。ハッピーエンドの、ための。
「僕は、その鍵が……アンジェリーナ様じゃないかと、思い至ったんだよ」
「アンジェリーナ、が?」
シュルクは頷き、真剣にニールの瞳を見据えた。
「『正しい事のためにのみ、時間を巻き戻すことが許される』。でなければ、やり直した者は必ず後悔する、と」
正しい事。その制限がアルストロメリアの魔法の秘密?
「どこかで、この推論に至った僕らは、それでもその『正しい事』を見誤った。メルクを傷つける者を、退ける事こそ正しいのだと。だが、根本を間違えていた。だから僕らは、何度も何度も失敗し、やり直しているんだ」
──つまり。
「救われるべきはメルクじゃない。アンジェリーナ様だ。……僕らは、その事を考えて、やり直しをしなければいけなかった。そうでなければ、この時間の繰り返しは終われない」





