【23】リセット──逆行前、エンド後
──逆行前の時間。
「……上手くいかないよ」
「何故だ?」
レオンハルト王子に相談され、王家の宝物庫で見つかったアーティファクトを確認した。
『これさえあれば』と。
魔塔で暮らす天才少年シュルクに、ニール・ドラウトは話を持ってきた。
だが、少年から返された言葉は冒頭のものだ。
「……そこに座ってよ、ニール先生」
「あ、ああ」
まだ幼い子供のはずの少年は、10歳は離れた学園教師を相手に堂々としていた。
まるで『大人』のように。
そして魔塔の、シュルクに与えられた部屋の中、他の誰にも邪魔されず、ニール・ドラウトとシュルクは、部屋に用意された椅子に座って向き合う。
「何故、上手くいかないのか。この言い方は誤解を招くね。ニール先生の理論は完璧だよ。必要な物も揃っている。だから、【時間逆行の魔法】は成功する」
「……なんで言い切れる?」
「──『今』が成功した『後』だから」
シュルクの言葉に、ニールは驚愕で目を見開いた。
「それは、つまり」
「うん。今ここ、既に時間逆行が『成功』した『後』の『時間』なんだよね。僕が、その証明」
「……既に、時間を繰り返している? お前が」
「そうなんだよねー。残念ながら」
「なんで」
「ん?」
「……なんで、お前が?」
「保険、かな。全員の記憶を失くした方がいいんじゃないかって案が出てた。でも、それだけはダメだと思ったんだ。僕も、そう思ったし、ニール先生も『待った』を掛けた。止めたんだよ。だから、他の皆は忘れたけど、今回は僕だけ覚えていた。正しい判断だと思う」
今、目の前に居る『自分』が止めた?
ニールに身に覚えはない。ならば、それは、つまり。
「過去の時間の俺が、全員の記憶をまっさらにしての『時間逆行』を……止めた」
「うん、そうだよ」
ニールが魔塔に、シュルクになぜ会いに来たのか。
それは【時間逆行の魔法】を行使するのに、シュルクに協力して貰うためだった。
時間を巻き戻し、過去に記憶を持ったまま戻り、人生をやり直すために行使する魔法。
……なぜ、その魔法を求めるのか。それには各々の理由があった。
最たる理由は、メルク・シュリーゲンの『醜聞』だ。
彼女は、レオンハルトと婚約を結んだ先の夜会で……『問題』を起こした。
それはメルクの不貞に値する『冤罪』だった。真実がそうだとはニールも思っていない。
レオンハルトたちだって信じていない。
だが、少なくとも、貴族社会にそう知らしめられてしまった。
当然、不貞を犯した女が、王太子の妻になどなれるワケもない。
レオンハルトが今も足掻いているが、二人の婚約解消はもう間近だと言われている。
既にメルクは、国王の不興を買っていたのだ。
「だが、彼女はそんな事をする女じゃない。……アンジェリーナだ。あの女が、きっとメルクを罠に嵌めて、」
「ははは!」
真剣にメルクの無実を訴え、アンジェリーナを糾弾するニールに対して、シュルクは声を上げて笑った。
「……なんだ」
「本当にアンジェリーナ様がしたと思ってるの?」
「なにを」
「確か、アンジェリーナ様って学園を退学して、辺境に嫁いだって聞いたけど? そもそも、王都に居ない人が、どうやってメルクを罠に嵌めるの?」
「それは……!」
「ああ、やめてやめて。僕も『そうだった』から。聞くに堪えないよ」
憤るニールに対して、シュルクは耐えかねたように、シッシッと手を払って話を止めた。
「それにしても『今回は』メルクの不貞かぁ。色々と手を打つよね、皆も」
「……お前、メルクを陥れた奴らを知っているのか?」
「うーん。知っているし、知らないかな?」
「どっちだ」
「真実が『一つじゃない』ってこと。分かるでしょ、先生ならさ」
その言葉で、ぐっと押し黙るニール。察するものがあったのだ。
メルクを罠に嵌めたのは、誰か一人の、都合のいい『悪役』だけではない。
たとえ、今回の犯人が、あくまで一人であったとしても。
「……話せ。いや、話してくれ。お前、今まで『何回』やり直している?」
ニールは核心に迫る質問をする。シュルクは笑って答えた。
そこには諦念が含まれているようだった。
「正確に言えば『分からない』。でも、今ここに居る僕の意識では『三度目』だ」
「三度……!」
「うん。そして、ニール先生。よく聞いて? 僕らは、もっと、何度も時間を繰り返している」
淡々とした事実の吐露に、ニールは息を呑んだ。
「上手くいかないって言ったのは、そういうこと。たとえ時間逆行の魔法に成功しても、僕らはまた過ちを繰り返す。納得のいく結末には辿り着かないんだ。だから、僕らは『失敗』する。魔法ではなく人生の方を」
ニールは想像を膨らませる。シュルクの言葉を否定するだけならば容易い。
……だが。彼の言葉を否定しては、きっと取り返しのつかない結末を招くはずだ。
だから、ここは感情的になってはいけない。
「……何故? そもそも、奇跡のような手段のはずだ。確かに理論立てて成功すると……計算の上では、そうだ。だが、そこには不確定要素があるはずなんだ」
「そうだね」
「何度もの時間の繰り返しに、人の精神は耐えられない。だから拒否する。拒絶する。だから、時間逆行には制限があるはずだ」
「その通りだ。だけど『相手が悪かった』んだよ」
「……相手?」
「メルク・シュリーゲン。彼女、時間の繰り返しを『当然のこと』だと思っている。だから、何度でもやり直せるんだ。そこが僕らの大きな誤算だった」
「……は?」
何度でも? 当然のこと? ニールは絶句した。
「──リセット。彼女、そう言っていたよ。笑っていた。すぐに納得した。やる気にも満ち溢れていたね。僕は、僕らは、そこに違和感を抱くべきだった」
時間逆行には必要な物がある。ニールたちは、それを突き止めていた。
一つは、王家が保管するアーティファクト。
これはレオンハルトの協力があれば用意できる。
一つは、前王家の有していた『聖花の魔力』。
これは、メルクが引き継いでいるため、彼女さえ居れば時間逆行の魔法は可能だ。
あとは魔法の理論を導き出し、完成させ、実現するだけ。
それはシュルクとニールが成し遂げた。
基点となるのは、メルク・シュリーゲンだ。
他の要素があっても彼女の『聖花の魔力』がなければ時間の逆行は発生しない。
……だから、彼女の精神の限界と共に、時間の逆行は成立しなくなるはずだった。
なのにシュルクは、それを何度も繰り返していると言う。
メルクが時間のやり直しを『当然のもの』だと認識しているから。
そんな事がありえるのか。いや、それ以前の問題として。
「……なぜ、何度も、俺たちは『失敗』を?」
繰り返しているのなら、もっと上手く立ち回れるはずだろう。ニールは、そう思った。
「うーん。僕らも色々と試したっぽいんだよね。当然、僕ら皆、最初は記憶なんて持ってなかったはず。今回の時間が、一番『最初』に近い流れってことさ。僕以外の皆は、最初の時間と変わらない思考と行動をしていた。……その結果、どんな状態になった?」
「どんな?」
シュルクは、部屋にあるカップに魔法を用いてお茶を注ぎ、ニールの目の前に並べた。
繊細な魔法だ。魔法のコントロールが卓越している。
ニールが聞いていたシュルクは、もっと魔法を暴走させがちのはずが。
「……僕ら皆、証拠もないくせにアンジェリーナ様を追い詰めてさ。メルクにべた惚れして、集まって。彼女は、レオンハルト殿下しか見てないっていうのに変な期待してさ。そういう流れ? 運命? みたいな。あの集団から離れて、メルクから離れて、客観的に見ていたら、見るに堪えなかったよ。……ああ、あとアンジェリーナ様は無実だから」
「は……」
「流石に調べたよ。僕も『今度こそは』って。あの人を叩き潰すつもりで。表に出ずに、敵対している事も気付かれずにね。だから確実。かつてはメルクの味方だった男として、断言する」
それは、ニールの価値観を正面から叩き潰すような言葉。
「──アンジェリーナ様は無実だよ。彼女はメルクに何もしていない。その夜会の件も、彼女の仕業じゃない」





