【18】オープニング・シーン(メルクside)
「な、中庭に……行かなくちゃ」
『悪役令嬢』アンジェリーナが『花咲く頃に明ける夜』と違っていた。
メルクの知らない男性と恋人のように振る舞っている姿を目撃したのだ。
(アンジェリーナ『も』やっぱり転生者なの?)
ならば、この世界はゲームとは違う展開になっているのだろうか。
予想はしていたものの、実際に遭遇してしまうと、その衝撃は中々のものをメルクに与えた。
メルクの知る乙女ゲーム『花咲く頃に明ける夜』でのゲームスタートは、入学式の日だ。
広大な敷地に建てられた王立学園で、学園へ入学してまだ慣れないヒロイン・メルクが道に迷ってしまう。
そして『中庭』を困ったように歩いているところで、一人の男性に声を掛けられる。
そこで出会うのが、ゲームにおけるメインヒーロー・レオンハルトだった。
だから、まずその『イベント』を再現しなければならない。
メルクは、レオンハルトと結ばれるために今日まで努力してきたのだから。
「……でも、アンジェリーナが別の男性と結ばれているなら」
彼女に前世の記憶があるとして。
その行動の意味として考えられるのは、やはり『破滅の回避』だろうか。
つまり、アンジェリーナはレオンハルトとの婚約を回避した……?
「それなら問題は、ないはず。きっと、まだ今のところは。先のことは分からないけど」
メルクは『前世の記憶』を幼い頃から思い出していた。
この世界がどういった世界かを把握したのが、シュリーゲン男爵家に引き取られてからだ。
そして、そこから『ゲーム開始』までの時間は短かった。
メルクが乙女ゲームの内容を再現するためには、まず『特待生』にならなければならない。
確かに今までは、つまり『子供にしては、平民にしては』賢いと言われて育ったメルクだったが。
ここから先は、しっかりと学んでいなければ望む結果を得られないのだ。
平均より少し上、ではなく、特別に優秀、まで評価される必要がある。
メルク・シュリーゲンは現時点で、きちんと努力が出来たと言っていいだろう。
「この場所だわ……」
入学式の日。思いがけずヒーローたちより先にアンジェリーナの姿を見掛けて、またそれがゲームと異なっていたから動揺してしまったが。
メルクの目的は変わらない。
それは前世から大好きだったキャラクター、レオンハルトと結ばれることだ。
アンジェリーナの行動によって変化することも、きっとあるのだろう。
その事についても考えていきたいが、今日のところは、まずこの出会いのイベントをこなさなければ。
そう考えてメルクは中庭へ訪れていた。そして。
メルクは『本物』のレオンハルト・ベルツーリと出会ったのだ。
「あ……」
「……、……『キミは?』」
目の前には、金髪碧眼の整った顔立ちをした男子生徒が立っている。
他の生徒とは異なる、装飾が豪華に施された特別な制服を着ていて。
すべてがキラキラと輝いている……本物の王子!
(レオンハルト、だ。本物のレオンハルト! 凄い……。ゲームのままの雰囲気なのに、ずっと格好いい……!)
メルクは感動し、踊り出したいような気分だった。だが、ここは冷静に対処しなければならない。
しっかりと『イベント』通りに。
(え? でも早い……。そんなもの? もっと学園を迷ってから出会うと……あ、ヒロインの私が真っ先に中庭に来たから?)
メルクは学園内を迷うどころか、まっすぐに中庭へ訪れていた。
たしかに『現実』では、学園の中を歩くのは初めてだ。
だが彼女には広大な学園の『マップ』が頭の中にあった。
前世の記憶には、ゲームの内容に関して補足するような資料もあり、メルクはそれらを把握している。
「あ、あの。ええっと。『私、道に迷ってしまって』……?」
彼女が『台詞』を告げると、レオンハルトはそれだけで驚いたように目を見開いた。
「……『そうか。この学園はとても広いからね』」
「! そ、そう……『そうなんです! ですから、今どこに居るのかも分からなくなってしまって』……!」
「『君は、新入生?』」
「『はい! 今年から入った1年生です!』」
「『そうか。なら、私が学園を案内してやろう』」
「い……、『いいんですか? 嬉しい!』」
「『はは。なら一緒に行こう』」
そして、レオンハルトに手を差し伸べられるメルク。
(ああ……。『スチル』の通りだ。やっぱり、この世界は、あのゲームの)
メルクは王子の手を取り、そして新入生が向かうべき場所へと案内された。
最初のイベントを無事にこなすことが出来たのだ。
彼女の頭の中では、様々な情報が錯綜する。
先程の台詞は、きちんと言えただろうか。
少し棒読みになっていはしなかったか。自然なものではなかったかもしれない。
レオンハルトの方も、なんだかぎこちない印象を受けた。
それは……やはり、ここがゲームの世界だからなのか。或いは現実だからこその差異か。
だが、とにかく『イベント』は起きたのだ。
そしてメルク・シュリーゲンは男爵令嬢でありながら、入学初日から王太子と知り合うことが出来た。
現実の、本物のレオンハルトを見て、改めて彼女は決意する。
絶対にレオンハルトと結ばれて見せる、と。
(私が選ぶのはレオンハルトルート一択。だからイベントはこなす。けど怖いのは……)
やはり『悪役令嬢』アンジェリーナの動きだ。
破滅を回避したいのであれば、メルクへの虐めを主導などしないのかもしれない。
その場合、上手くイベントが起きない可能性はある。
(……でも、だからって、そこで『冤罪』を自分で演出する、とかしたら絶対にダメ)
教科書を破くだとか、虐められたと嘘を吐くだとか。
それらは決して上手くいかないものだとメルクは肝に銘じる。
(ただ、破滅を回避したいだけの『転生者』なら、話が通じるかも……?)
互いが互いに『断罪』を、『ざまぁ』を回避したいと願っているなら。
それにメルクには他の乙女ゲームにはない『設定』がある。
それは彼女が、ただの可憐な男爵令嬢のヒロインなのではなく。
アルストロメリア前王家の血を引いていて、いずれは王族として扱われる存在、という点だ。
『聖花の魔力』さえ発現すれば、この国の人々は異論を挟めなくなる。
たとえ、王家や貴族であっても無下には出来なくなるのだ。
ただ血を引いているだけでなく、その魔力によって確かな王族の証明が出来る。
だから今の段階では、公爵令嬢を相手に下手な言動はできないけれど。
もしも『相手』がメルクの出自を知っていて。
そして、ただ破滅を嫌がっているだけの『現代の人間』なら?
メルクの存在を高貴な存在として受け入れ、協力者になってくれるかもしれない。
他の男性と結ばれているのなら、なおのことだ。
(でも、まだ確証は……。アンジェリーナが『ただの公爵令嬢』だった場合、それは『悪役令嬢』そのものの嫌な性格をしているはず……。前世の記憶があるにしても、その人が嫌な性格をしている転生者って場合も……)
おいそれと『前世』について語ることは出来ない。
悟らせたくもないのが本音だ。
今はまだメルクの身分は低い。耐え忍ぶ時期だし、レオンハルトの好感度だって上がっていない。
ここから地道なフラグを立てていき、彼の好感度を稼いでいくしかない。
そして『ルート』が確定するのは2年生になってから。
レオンハルトとは、来年の夏に結ばれるのがグッドエンドへのエピソードだった。
(後は……他の攻略対象たち、だけど)
カルロス、フリード、デニス、ニール、シュルク。残り五人の攻略対象たち。
彼らの好感度は上げ過ぎないようにはしておきたい。
だが、同時に警戒しなければいけない事と、そして捨て置けないこともあった。
(カルロスとは……それなりに仲良くなって、アンジェリーナの情報が欲しいな)
『メルク・シュリーゲン』は、まだ男爵令嬢だ。公爵令嬢の動向を知る手段は限られてしまう。
現実でアンジェリーナに寄り添っていた、あの見知らぬ男性のことも気になった。
一体、彼は何者なのかを知っておかなくては。
出来れば、すべてを把握しておきたいとメルクは考えていた。その上で判断したいと。
(それに『皆』の気持ち、問題を……解決はしてあげたいかも。だって『ヒロイン』が手を差し伸べなかったら、皆が困ったままかもしれないし)
たとえば、フリードは兄や父親の件についてコンプレックスを抱えているキャラクターだ。
ヒロインが彼を捨て置くとなると、彼は悩みを抱えたまま大人になってしまうだろう。
それは『可哀想』だとメルクは思った。
(そういう部分だけは解決してあげて……うん。これって、たとえ『悪役令嬢』に転生したとしても……やるべきことよね)
もしかしたら、先にアンジェリーナが攻略対象たちの心の問題を解決しているかもしれない。
そして、好感度を稼いでいて『ヒロイン』に対して警戒をさせて……。
他の攻略対象たちとは、慎重に接しなければならないだろう。
危険分子と思われているのであれば、彼らに近寄ることも止めてしまえばいい。
その場合は、きっと心の問題はアンジェリーナが解決したはずだ。
それなら別にそれでもいいとメルクは思う。ただ、もちろん警戒は続けるけれど。
だが、アンジェリーナが彼らを見捨てていたのなら。
やはり『ヒロイン』である自分が、彼らを救ってあげる必要があるだろう。
でなければ、彼らは暗い未来を歩むことになるかもしれないのだから。
(……うん。フラグとか、攻略とかは別にして。そんなの、ダメだもの。レオンハルトが一番だけど『皆』のことも、やっぱり好きだし……。原作を知っているからこそ、彼らのことは見過ごせない……!)
これからも多くの『イベント』が起こるだろう。アンジェリーナの動向も探る必要がある。
その上でメルクは、目的を果たすと決意していた。
レオンハルトとのハッピーエンドを目指すのだ。その上で、やるべきことをこなしていく。
「うん。私は……『皆』が幸せなエンディングを目指すわ……!」
アンジェリーナだって自分を虐めたりしないのなら、断罪しなくてもいい。
彼女が善良な転生者であれば、話し合いで解決だって出来るかもしれない。
でも、今はまだ彼女を信用できないけれど。
何を企んでいるのか。本当に信じていい『人格』が、彼女を動かしているのか。
やっぱりゲームのようにメルクに危害を加えるのか。それがまだ分からないから。
そうしてメルク・シュリーゲンの『ゲーム』は始まった。