【15】学業風景──1年生1学期、中頃
王立学園は、貴族の子供たちだけが通っていると思われがちだが、平民出身の生徒も在籍している。
教会預かりの者や、入学金を払える商家の子。
優秀さを示したことで『特待生』の権利を得た生徒も通っている。
特待生は、授業料や入学金などが免除されるので優秀な者は、この制度を利用する。
貴族と平民の子供たちが共に学ぶ学舎は、独特の空気を持った場所だ。
学園の敷地は広大で、慣れない者が迷う場合もある。
騎士科の生徒が主に使う修練場もあれば、王族専用に用意された各種の施設もある。
王族専用などの場所には許可された者しか出入りはできない。
公爵令嬢とて例外ではないため、私が王族専用施設を利用する事はないだろう。
私やミーシャは、クラスメイトらと交友を深め、この学園での新しい生活に慣れていった。
アッシュ様は、バルツライン領へお戻りになられたわ。
お父様へは改めて正式に挨拶すると伝えて、了承していただけた。
今のところ、お父様は私の婚約に対して不満はない様子だ。
反対にカルロスお兄様は忌々しそうに私を見ている。
けれど、別に私に何かを言ってくることはなく。私と顔を合わせたくないのか。
そうであるくせに私のことは気になる様子で、どうにも遠くから観察されている。
……本当、何なのだろう、お兄様は。
流石にあれは奇行じゃないだろうか。言いたい事があるならば言えばいいと思う。
観察、いえ、監視? よく分からない。妹を監視して何のメリットがあるのだろう?
もしかして、王家からの指示を受けているとか?
お父様が、まだ何も言ってこないので、ひとまず受け流しておくけれど。
学園の生徒は様々な話をしたりする。
一種の社交場でもあるが、話題は、おそらく社交界よりも雑多なものだ。
そして、その話題は世俗に塗れていたりする。
すなわち、誰と誰が恋仲であるだとか。さる婚約者同士は随分とラブラブのようだ、とか。
王都で美味しいスイーツの店がどうこう。観劇がどうこう。
はたまた騎士の中では誰が強い。あいつは意外とやる奴だ、などなど。
学生、子供、そういった言葉が、今の私たちには相応しいのだろう。
そんな生徒たちの話題に上がる人物は、やはりレオンハルト殿下が人気だ。
王族の噂などと不敬な、といったことは特にない。
概ね悪評を垂れ流しているわけではなく、王族の動向が皆、気になっているのだ。
特にレオンハルト殿下は、未だに婚約者を決めていない身。
ここまで来たら、おそらく学園で相手を見繕うのだろうと噂はさらにヒートアップする。
そして業腹だが、未だに私が殿下の相手候補として名を挙げられたりするのだ。
本当に止めて欲しい。だって、私には婚約者がいるんだもの。
そういった噂を立てられるのが嫌なので、私は極力、レオンハルト殿下とは関わらない。
元々、学年が一つ上の殿下とは、出会う機会は少ないのだけど。
食堂などで時間が合わないように心掛けるぐらいが、私の気を付けている事だ。
それだって、王族専用のサロンがあるのだから、わざわざ食堂にまで殿下は来ないと思うのだけど。
そうして、私たちは学園生活に合わせたライフスタイルを構築していくのよ。
「日課としての鍛錬はしたいわね」
「鍛錬ですか。剣の、ですよね?」
「ええ、そうよ、ミーシャ。もちろん、魔法もね」
「精進されていますね、アンジェリーナ様。私も見習いたいと思います」
私の学園生活は順調な滑り出しだと言っていいだろう。
あとは勉学と鍛錬に励みつつ、バルツラインに必要な人々との交流を重ねていく。
辺境は実力重視なところがあるので、有能であれば平民でも声を掛けていきたい所存。
そういった人は大抵、中央での活躍を願っているので、誰彼構わず声を掛けることはしないのだけど。
相手の見極めが肝心だろう。ミーシャは稀有な例だ。
「……聞いた? マルコット侯爵令息が、」
「レオンハルト殿下は今……」
「コールデン家では、」
学園の噂話では、レオンハルト殿下だけでなく、彼の周りや関係する人たちも話題に上がる。
そこには、やはりコールデン侯爵令息、デニス様の噂もあるわけで。
ミーシャが、わざわざ侯爵家から近寄るなと抗議されたことは広まっていない。
悪意を持って、あちらが噂を広めたりはしていないということだ。
でも、デニス様の話題は流れてくるので、どうしても気持ちがささくれだってしまう。
私は当事者ではないので、ミーシャの前で動揺するわけにはいかないのだけど。
「ミーシャ」
「大丈夫ですから、アンジェリーナ様。ただ、意図せず私が彼に近寄らないように、アンジェリーナ様にも注意していただければと思います」
「そうね、私も彼が視界に入ったら離れるように貴方を誘導するわ」
廊下を歩いている時に顔を合わせた程度でまで、何かを言ってくるとは思えないけど。
基本的に私はミーシャと一緒に行動しているので、私がデニス様を見掛けたら、ささっと離れるのが良いわね。
デニス様のお顔、あまり覚えていないのだけど。私が主に関わってきた相手ではないので。
薄いブラウンの髪と瞳は、とりわけ目立つ見た目の印象ではない。
少々、小柄に感じるのは私が脳内で比較する相手のせいか。
「デニス様もそうだけれど。マルコット侯爵令息も、まだ殿下の側近には決まっていないそうね」
「マルコット家のご次男ですか。そうみたいですね。クラスの子もそう噂していました」
家格とその才覚から、以前よりレオンハルト殿下の側近候補だった令息たちが居る。
一人は、フリード・マルコット侯爵令息。
もう一人は、デニス・コールデン侯爵令息。
そして、私の兄であるカルロス・シュタイゼン公爵令息の3人だ。
だが、彼らは、どうやら殿下の側近を『辞退』しているらしい。『保留』の方が正しいか。
学園へ入学し、殿下との交流を取ろうと思えば取れる距離にいるわけで。
あちらから声を掛けられたなら、そばに居ても問題ないだろう。
それにも拘わらず、側近の立場を正式に引き受けていないという。
マルコット侯爵令息は、どうも『今の自分の実力が足りず、納得がいっていないから、まだ近衛にはなれない』と言って、護衛騎士になる話を断ったらしい。
殿下も、その言葉には啞然としていたそうだと噂になっている。
それでも彼の実力を認めていると殿下は言ったらしいが、マルコット侯爵令息は折れなかったようだ。
実力が足りないから納得がいかない、とは随分とストイックな人物だ。
マルコット侯爵令息は、実力者である彼の兄にすら既に勝っていると噂で聞いたのだけど。
一体、どれだけ『上』を目指しているのだろう。それには少し、私も興味があるところ。
デニス様は、どうも勉学に時間を費やしたいから、が側近保留の理由らしい。
それこそ学業方面で、彼には不安などなかったはずだが。
マルコット侯爵令息に比べて、どうも格好よくない印象を受けるのは、ちょっと可哀想なのかしら。
主に主張している事は似たようなものなのだけどね。
学園へ入って、何かしらのやる気に満ちる気持ちは私にも理解出来る。
彼らも、そういった青春を送っているのかもしれない。
ちなみにカルロスお兄様の理由は知らないわ。
あと、生徒たちの話題に上がる人と言えば……ああ、あの人か。
私とミーシャは連れ立って、ある一人の教師の下を訪れた。
「──ドラウト先生。先程の授業についての質問があるのですけれど」
そう言って、彼。学園の教師、ニール・ドラウト先生に声を掛ける。
「あん? ああ、シュタイゼン家の」
「はい、アンジェリーナ・シュタイゼンと申します。こちらは友人のミーシャ・トライメルです」
「はいはい。で、質問か」
「はい、こちらのアルストロメリア語なのですが……」
歴史・王宮言語学の特別教師、ニール・ドラウト先生。
癖のついた黒髪に、エメラルドの色の瞳をした若作りの教師だ。実際、若くはあるらしい。
少し乱暴な口調だが、その事も踏まえて人気のある人だったりする。男女問わずの人気らしい。
専攻である歴史と王宮言語学だけど……どちらも、彼の研究テーマだったりする。
先生は本来、研究者らしい。失われた前王家、『アルストロメリア王家』についての研究者だ。
歴史としても必要な研究だけれど、わざわざ学園で、彼に教師をして貰っているのには理由がある。
それはアルストロメリア王家の『魔法』について、広く生徒に学ばせるためだ。
なんでも前王家は特別に強力な魔法が使えたそうで……。
はたして、それは血筋によって発現するのか。研鑽によって手に入るものなのか。
それらの謎を紐解くために、ドラウト先生は頑張っているようだ。
そして、この分野を広め、後世の研究者も育てていくのが学園とドラウト先生の共通目標。
そういう噂である。全部、噂と伝聞などによる情報だけど。
私が、本人の口から研究の理由を尋ねたわけではない。
ただ、『アルストロメリアについて聞きたいことがあるならば彼を頼れ』というのが、生徒間での常識として広まっているのは事実だった。
「……あー。そこは次の授業でやるとこなんだよ。早ぇよ、疑問に思うのが」
「そうでしたか。それは申し訳ありません。つい気になってしまいまして」
「はいはい。優秀な公女さんらしいが、あんま他人を巻き込むなよ。隣に居るやつ、付いて来れてねぇぞ。『何が疑問なのかが、疑問だ』って顔してやがるぜ」
「あ、ミーシャ、ごめんなさい」
「いえ、構いません。アンジェリーナ様のご自由になさってください」
そういうワケにもね。私は、ミーシャとは一緒に頑張っていきたいのよ。
「では、ドラウト先生。お手数お掛けしました」
「いい、いい。また授業でな」
「はい、よろしくお願いします」
追い払う仕草で下がるように促される。ぶっきらぼうな態度であるが、その点もまた人気らしい。
今の対応だって邪険に扱われたワケではない。元より、ああいう人なのだろう。
普段は『ツンツンとした態度』だけど、実は優しい、とか何とか。
私は、別にドラウト先生について、どう思うわけでもない。
……私って特に『年上だから好き』ということでは、ないようだ。
アッシュ様だから惹かれたのね。ふふ。