【10】デニス・コールデンの挽回(デニスside)
「なんだ、これは……?」
宰相コールデン侯爵の三番目の息子、デニス・コールデンは、未来の記憶を残したまま、五年前へと時間を遡っていた。
覚えているのはアンジェリーナへの静かな断罪。
そして、メルク・シュリーゲンがレオンハルトと結ばれて。
彼女らの正式な『婚約』に、デニス個人として思うところはあれども、すべては順調に……?
「違う。上手くは……いかなかった」
レオンハルトと、メルク・シュリーゲンは結ばれなかった。
その原因は、確か……?
「くっ……!」
何かを思い出しそうになるが、デニスは頭痛がひどくなり、正確に思い出す事が出来なかった。
デニスは、まず事態の把握に努める。
やはり時間が巻き戻っているらしく、皆が五年前の人生を繰り返していた。
次にデニスは、記憶にある限りのベルツーリ王国で起きた出来事を紙に書き出す。
『未来の情報』は有効に活用しなければならない。
とはいえ所詮、この先、五年程度の知識に過ぎないのだが。
「メルク……」
デニスは、逆行前の時間で出会った彼女のことを思い出す。
かつては己の主君を慕い、ついぞ自分を見てはくれなかった女性。
デニスは頭がいい。プライドが高く、自身の頭脳に劣る者については良く思っていない。
そんなデニスだが、メルクのことは素直に受け入れることが出来た。
学園の成績だってメルクは上位にいる。メルクは、デニスが認める数少ない人物の一人だった。
それに彼女とは、よく話が合った。
時に、まるで決められた台詞を繰り返すかのように、デニスの欲しい言葉をくれる人だ。
そうして言葉を交わす度に、デニスはメルクに惹かれていった。
少し不満があるとすれば、彼女がデニスに過度に踏み込まないようにしていたことか。
一定以上、メルクとの距離が縮まったと思った時、すっと彼女は離れていってしまう。
まるで焦らすように。近寄っては、手が触れられないところで離れていく彼女。
(もう一歩、踏み込んできてくれたなら、僕は)
彼女は、もしかしたら自分のことを、と。デニスが、そう思ったことは何度もあった。
だが、その一歩は、ずっと縮まらないままだ。
もしも自分に、あの忌々しい婚約者が居なかったなら。
レオンハルトに奪われる前に、メルク・シュリーゲンを自分が手に入れていたかもしれない。
そう思うとデニスは、やるせない気持ちになった。
「……あの女」
デニスには、かつての時間に婚約者が居た。
ミーシャ・トライメル子爵令嬢。アンジェリーナの取り巻きの一人だった女性だ。
アンジェリーナが王太子レオンハルトの婚約者だった逆行前。
シュタイゼン公爵家の寄子であるトライメル子爵家と、コールデン侯爵家で縁談があった。
家格が離れているが、デニスは三男だ。兄も優秀であり、彼が侯爵位を継ぐ事はない。
そして、その縁談は将来を見越してのものだった。
レオンハルトをそばで支えるデニスと、アンジェリーナをそばで支えるミーシャ。
将来の国王と王妃を支える二人で結ばれればいい、というものだった。
だが、それはデニスの望んだことではない。
自身の望まない、政略でねじ込まれただけの婚約関係。
そんな不満ばかりの婚約を決められた原因は、シュタイゼン公爵家。
その力を利用した、あの『悪女』。アンジェリーナ・シュタイゼンだった。
アンジェリーナが余計なことをしたせいで、デニスとミーシャの婚約は決められたのだ。
ミーシャが自分を望んでいて、アンジェリーナにそう願ったとも聞いている。
「……本当に忌々しい」
デニスが、婚約者であったミーシャを嫌うのには理由がある。
それは逆行前の時間で、メルクを迫害していた人物に……ミーシャ・トライメルの名があったからだ。
アンジェリーナの取り巻きであった彼女が、メルクの迫害に加担していた。
それは、アンジェリーナを追い詰めるのに大きな要因となったのだが……。
「結局、アンジェリーナは証拠を掴ませなかった」
アンジェリーナは、メルクに危害を加えたはずなのに、その証拠を掴ませず、逃げおおせたのだ。
メルクへの迫害は、ミーシャ個人の行動だとするしかなかった。
デニスたちに出来たことは、せいぜいアンジェリーナの監督不足について問い質すこと。
取り巻きや、自身の派閥をコントロールできない、その手腕。
つまり、王妃になるのに相応しくない、管理能力がない、という点で責めることだけだった。
アンジェリーナが主犯だと糾弾はした。それが理由でレオンハルトとの婚約も破棄している。
だが、悪女の末路としては、あまり相応しくない幕切れだった。
デニスは、もっと公の場でアンジェリーナを追い詰めたかった。
そうして、本当はアンジェリーナを皆の前で、学園から追放したかった。
それは結局、シュタイゼン公爵の判断で自主退学という形で叶う事になるのだが……。
断罪によって立場を追いやられての追放とは大きく異なる、甘い処理だった。
デニスにとって、アンジェリーナは忌々しい存在だ。
ミーシャとの婚約もだが、それ以外にも理由がある。
デニスが己の誇りとする頭脳に、アンジェリーナの存在で『ケチ』がついていたのだ。
アンジェリーナやデニス、メルクが学園へ入学した一年生の一学期。
期末考査で『学年首席』を取ったのは、デニスでもメルクでもなく、アンジェリーナだった。
その後で首席の座はデニスが奪還している。
だが、それはアンジェリーナが王妃教育で時間を取られるようになったせいだ、と。
彼女が学園の考査に集中していれば、結果は違っただろう、と。そういう噂が立てられていたのだ。
デニスが、どれだけの結果を出したとしても、常にアンジェリーナの方が上だとでも言うように。
それは、大きくデニスのプライドを傷つけてきた。
アンジェリーナの存在そのものが、彼にとっての『屈辱』だったのだ。
「アンジェリーナめ……。今度は絶対に……」
デニスは『未来』の記憶を書き起こしつつ、目標を定めた。
まずは一年生、一学期の期末考査。そこで学年首席を取ることだ。
今のデニスには、未来の知識がある。だから、今度こそは上手くやれる自信があった。
以前は、メルクの迫害の証拠は掴めなかったが、今度は必ず証拠を掴める。
「いや、それは」
それ以前の問題か、と。デニスは思い直した。
そして、デニスはまず、かつての己の婚約者を自分に近付けないように動いた。
今度は望まない婚約などしない。
「フン! 嫉妬なのだろうが……ミーシャめ。これで、せいせいする」
宰相であり、侯爵でもある父親を通してトライメル子爵家に抗議を入れさせる。
そうすると、あっけなくミーシャがデニスに近付く事は今後、禁止された。
勝手に自分を慕って、アンジェリーナを利用して、己の婚約者に居座ったミーシャ。
挙句、メルクの迫害に加担して。それなのに結局、アンジェリーナが黒幕だと吐かなかった女。
そんな彼女を遠ざける事が、いとも容易くできた。
未来の知識を利用すれば、もっと多くの事が出来るだろう。
「まずは、一学期の学年首席だ」
メルク・シュリーゲンに今すぐ関り、彼女の心を手に入れる事だって、もちろん考えた。
だが、デニスにとっての大きな『汚点』を払拭するチャンスなのだ。
だから、デニスは、学業成績を上げる事を優先した。
「今度こそ……アンジェリーナに勝つ」
考査で問われることは既に未来で知っているが、考査内容が変わる可能性もある。
以前より、きちんと対策を取って臨む必要があるだろう。
「そうだ、あの時は油断していたから」
自分は優秀だ。だから期末考査だって余裕だった。
誰かに上に立たれるとは思っていなかったのだ。だから、それが理由。
けして、己がアンジェリーナに劣っている事などない。
「……ああ、そうだ。それに」
『釘』を刺しておく必要があった。
アンジェリーナは悪女だ。それが未来で分かった事実。
であれば、最初の期末考査でも、何かしら卑怯な手段を用いることもありえる。
だから、デニスは学園へ入ってから、ある人物に協力を求めた。
「──ドラウト先生」
「あん?」
学園の教師、ニール・ドラウト。
彼は、前の時間ではデニスの知っている限り、メルクの味方となる人物だった。
反対にアンジェリーナに対しては嫌悪感を抱いていた様子で、デニスにとって信用できる教師だ。
「期末考査について、ですが。『不正行為』について厳しく監視するようにお願いします」
「……不正?」
「はい。特に、シュタイゼン公爵令嬢を厳しく監視しておくことを」
「シュタイゼン? 公女をか。なんでだ?」
「少し疑わしい噂を、聞きまして。それでです」
「噂ねぇ。高位貴族なんざ皆、誰でも噂塗れだと思うけどな。それにだ」
ニールは、呆れたようにデニスを見下ろした。
「あの公女さんは、不正なんざしなくても優秀そうだったぜ? しねーだろ、あの子は。そんなこと」
「……は?」
デニスは、その言葉に驚愕した。
かつてのニール・ドラウトのアンジェリーナに対する態度から考えれば『ありえない』と思える言葉だったのだ。
「は? って何だよ。別に考査の監督やらに手を抜く気はねぇけどよ。そんな噂を真に受けて、わざわざ個人を名指しで警戒するように言うとか、どうかと思うぞ、デニス」
「え……。ですが……ドラウト先生?」
ニールの態度にデニスは動揺を隠せない。かつての時間の彼とは、まるで別人のように思えた。
『まさか、彼にも記憶がある?』とデニスは疑ったが、記憶があるならば、むしろデニスに共感して、アンジェリーナを警戒するはずだろう。
「はぁ……。もういいって。なんか思うところとかあるんだろ? 派閥だなんだと。そういう気持ちは別に否定しねぇが、考査は公正に行われる。別に公女さんじゃなくたって、お前も、他の生徒にも、不正なんてさせねぇよ。ここ、王立学園だぞ、コールデン侯爵令息」
「いえ、その。それは、分かっていますが」
「そうか。分かっているのなら、後は任せろ。そんで自分のことに集中しろ。他人の足を引っ張ってる暇、ねぇだろ?」
そうしてデニスは、ニールにシッシッと追い払われてしまった。
「……何なんだ、あの教師」
かつての記憶にある態度とは、本当にまるで別人だった。
「いや、そうか。……まだ」
彼のアンジェリーナへの態度がああなったのは、メルクへの迫害が始まって以降だ。
だから、今の時点ではニールの態度は、あれで妥当なものなのだ。
どうやら、態度こそ劇的に違うが、ニール・ドラウトに未来の記憶は『ない』らしい、とデニスはそう考察した。
「……まぁ、いい」
後はとにかく、自身の研鑽だろう。今度こそ、最初の期末考査で学年首席を取る。
そして、これから自分が歩むべきだった未来を歩むのだ。
そう決意し、努力し、挑んで。1年生の1学期、期末考査が終わった時。
その結果は──