9. 歌うシーラとナターシャの決意
サッハルト領に来て2週間経ち、シーラはもうすっかり、こちらの使用人ライフに馴染んでいた。
さすが辺境伯のお城、働きやすい。
仕事量に無理のないように人員が配置されているし、胸を張って言うが、水場は使いやすくいつも清潔だ。(清潔なのは、シーラが毎日ちゃんと掃除しているからであるので、胸を張る)
3食いただける食事もきちんとしていて美味しいし、下働きのメイドにもちゃんと個室があって、自由に出入り出来る図書室もあり、お休みだってちゃんとある。
一緒に働く使用人達も朗らかで良い人達が多い。
きっと、環境が良いからよね。
とシーラは思う。働く環境が良いから、働く人々に余裕が生まれる。余裕は人を穏やかにする。
こんな風に自分の城を整えている、という事は悔しいがディランは良い領主なのだろうと思う。
使用人は皆、出自に関係なく「ディラン様」と呼ぶ、気さくな良い主人なのだ。
メイドの中には、城下町出身の平民の子が多いが、みんなディランには好意的だ。
民からも慕われてるのだろうと認めざるを得ない。
自分を嘲笑した男が、良い領主だと認めるのは癪だが、良い領主だからいい男、という訳じゃないぞ、と納得する。
良い領主 ≠ いい男 なのだ。うん。
それに、離縁されたら使用人として置いてもらうつもりであるのだし、それならもちろん城の主は良い人の方がいい。
うん、そうよね。
シーラは今日も上機嫌で、籠いっぱいの洗った洗濯物を抱えて、西棟と中央棟の間にある日当たりの良い空き地へと向かっている。
短い芝生だけが植えられているそこは、ロープが巡らされていて、リネン類を干して乾かす場所になっている。
シーラは洗濯の後の、この干す作業をよく進んでやっている。のんびりと1人でやる作業は結構好きなのだ。
今日も歌を歌いながら、リネンを干していく。
♪いのち 短し 恋せよ おとめ
昔、母とよく歌った歌だ。
シーラの母は歌が好きな人で、侯爵家の使用人だった頃は部屋で2人でよく歌っていたのだが、令嬢となってからは、「レディが歌うなんてはしたない」と言われて、歌は禁じられていた。
ここでは自分を咎める者はいない、1人で黙々と洗濯物を干すこの作業中は、シーラはいつも歌を歌っている。
歌うのは、子供の頃に歌った童謡がほとんどで、サビや頭だけしか知らないのもあるが、片っぱしから歌っていく。特にお気に入りなのが、♪恋せよおとめ、ともう1つ、母の故郷の夢見る女の子の歌だ。
♪舞踏会って 何かしら
長い廊下 赤い絨毯
「ダンスを踊るのよ」
「誰と?」
「王子様よ」
「王子様?」
「黒髪の凛々しい王子様よ」
その靴と 衣で
どこまでも 行けるわ
山を駆け 空を飛び
あの波の向こうまでも
あなたは 自由よ
今日から♪
おそらく、1番と2番の歌詞をごっちゃにしてるようで歌詞のまとまりはないけど気にしない。
真ん中のセリフの部分も、ほんの少し節をつけながらいつもちゃんと言う。
シーラにとっては、セリフもこの歌の一部になっているので、特に恥ずかしくはない。
そもそも誰もいないし、聞いていないのだ。たまにしっかり熱唱したりもする。
かなりスッキリしてなかなか気分がいい。
歌いながら、シーツの皺を伸ばす。風に洗濯物がはためき、石鹸の匂いがふんわりと香る。真っ白なシーツの合間から、遠くの山々が見える。
素敵な時間だ。
働いているのに、こんなに素敵な時間。
シーラは今日も上機嫌で、洗濯物を干した。
***
洗濯日和だった早番終わりの午後、シーラは簡単な掃除用具を持って、図書室を訪れていた。
本日はまだ誰も利用していないようで、図書室はカーテンすら開けられていない。
早速カーテンを開け、借りていた本を返した後、きらきらと光る閲覧机の上の埃達を拭いていく。
全てを一度には難しいので、サンルームにあるベンチと机を重点的に拭いて、そこに積み上がっている本をとりあえず別の机に移動させた。
本をどけて、輝く埃を拭き取るとサンルームは少し過ごしやすそうになった。
だが、ベンチと机は長らく放置されていたので、表面や角は大分傷んでいる。
使用に問題はないが、一度オイルやニスを塗り替えて、きちんと補修する必要があるなあ、と考え込んでいると、背後から声がかかった。
「シーラさん?何をしてるんですか?」
振り返るとナターシャだった。彼女も早番を終えて、こちらに来たようだ。
「ナターシャさん、こんにちは。少し掃除と片付けを」
「お一人でですか?」
「大したことはしてないんです、手始めにサンルームをと思って」
「だからって、仕事はもう終わりでしょう」
「ええ、でもこれは趣味みたいなものですし、今後の為というか、こちらの都合もあるんです」
「シーラさんの都合?」
「はい。ここでゆっくり本を読んだり、調べものをしたいですし、あと、今週から少しリリーさんに読み書きをお教えしてるんですけど、次からあと2人、増えるんです。私の部屋は手狭になるので、ここでしようかなと」
シーラの言葉にナターシャがじっとシーラを見てくる。
「すいません、お城の図書室をメイドの私用で使うのはまずかったですかね」
シーラはナターシャが非難しているのかと思って、謝った。
城の図書室は本来なら、主人と許可された者だけが入れる場所であるはずだ。本は高価だし、貴重なものだ。蔵書とそれらからもたらされる知識は財産なのだ。
そもそも、放置されてるから勝手に利用しているけれど、下働きのメイドの自分がのこのこ利用しているのはおかしいのだ。
「いえ、大丈夫です。そんなつもりで貴女を見たんじゃありません、失礼しました。メイドの子達に読み書きを教えてるんですね」
「はい、試しに始めてみたばかりなんですけど」
「そうですか、、、、」
ナターシャは少し黙って考えると、意を決したようにシーラを見た。
「シーラさん。私は以前、末席ではありますが、王宮での舞踏会に何度か参加した事がございます。ですので貴女の事はお見かけしておりました。貴女はこんな所で下働きをしていて良いはずのない方だと思うのですが」
「え?」
シーラはナターシャをまじまじと見た。主だった貴族とその嫡男までなら完璧に記憶しているのだが、令嬢となると全ては把握していない。
でもナターシャは着飾ればかなり目を引くと思うので、知っていてもおかしくない気はするのだが、全く覚えがなかった。
「私の事は覚えてらっしゃらなくて当然です。髪も染めさせられてましたし、、、、いろいろ、、、、違っていました」
ナターシャがとても言いにくそうなので、彼女の夫だった男絡みの何かかもしれない、とシーラは思う。
嫉妬や支配欲や自己顕示欲で妻をぐっと惨めな姿にする夫もいるのだ。
「思い出せなくてすいません。そして、私はあまり知られてませんが、庶子です。母は侯爵家の使用人でした。なので、今の状況も仕事も本来の私に見合っていて、過ごしやすいんです」
シーラが答えるとナターシャは、はっと息を呑んだ。
「そうだったんですね。そんな事をわざわざ伝えてもらって申し訳ないです。でも、生まれではなく、貴女は良識と品位、そして行動力と知慮に長けた方でした。憧れている令嬢もたくさん居た筈です。
そして、今も貴女はとても下働きのメイドとは思えないです」
「ナターシャさん、それなら貴女こそです。その身ごなし、とてもメイドとは思えませんよ」
「いえ、私はそんな、、、気位だけが高い元貴族です。メイドの子達に読み書きを教えようなんて、思った事もありませんでした、あなたは本当に気高い人ですね」
「あ、いや、それはたまたま話の流れでそうなっただけで、崇高な志とかではないですよ」
何だか大きく勘違いされてそうで、シーラは少し慌てた。
そういうカッコいいやつではないのだ。そもそも妃教育と公務から逃げて来たんだし。
「、、、、、手伝います」
ナターシャは、きりっと正面からシーラを見つめた。
なんだか、その瞳は熱意に満ちている。
「あ、いえ、本当にそんなすごい意図はなくてですね、自分がここでゆっくりしたいというのもありますし」
「なら、私もです。片付けて、平積みの本を整頓して、本の目録も作り直したいなと思っていたんです。実行する行動力はありませんでしたが」
「そんな、、、、でも、本の目録は作り直したいですね」
そういう書類作業にはどうしても燃えてしまうシーラである。
「ええ、やりましょう、シーラさん」
ナターシャの目がきらきらしていて、声にはいつもよりずっと力がこもっていた。
本が好きなんだな、とシーラは微笑む。
「では、こつこつやってみましょう、ナターシャさん」
シーラがそう言って、2人は顔を見合わせてにっこりした。