52.お礼の小話 〜乗馬服〜
こちらではお久しぶりです。この作品が電子書籍化されまして、お礼の小話です。
エピローグ最後の数日後の話です。
昼下がりの廊下に上機嫌な妻シーラの歌声が響いている。
それを聞いて、サッハルト辺境伯であるディランの口元が緩んだ。
(数日前に廊下に聞こえていると知った時は、あんなに慌てていたのにな)
シーラはその事実をすっかり忘れてしまって、部屋で熱唱しているようだ。のんきな妻である。
侯爵令嬢として厳しく躾けられてきたシーラは、辺境伯夫人として全く問題なく気高く振る舞う事も出来るが、本来の彼女は伸び伸びしていて好奇心も強く、どこか楽観的だ。
公の場では毅然としているシーラが、サッハルトの城内では気を抜いて素になっているのは嬉しい。彼女がここで根をおろしてくれているのだと実感できる。
ディランは満ち足りた気分で歌声の聞こえてくるシーラの部屋へと近付いた。
(実は結構抜けてるんだよな)
歩きながらシーラを想う。
仕事となると有能なシーラだが、プライベートは少し危なかっしい時もある。
少女時代を第一王子の婚約者として実家と城の往復だけで過ごしてきたせいかもしれないが、若干浮き世離れしていて無防備だとも思う。
(おまけに結構鈍いしな。自分の事となるとなおさら鈍い)
かなり拙く、的外れ感があったとはいえ、自分のシーラへの恋の猛アタックが全く伝わっていなかったのに途方に暮れた事が今は懐かしい。
こうして振り返れば、さっさとストレートに謝って気持ちを伝えれば良かったのだ。
(……いや、わりと頑固だからな。それだと非礼は許してくれたとして、気持ちは受け入れてもらえなかった可能性はある)
「謝罪は受け入れましょう。しかしお気持ちには応えられません」とか何とか冷たく返されただろう。そして徹底的に避けられ、場合によってはサッハルトから出て行ったかもしれない。
(だから……まあよかったのかな。でも待遇は早めに何とかするべきだった)
シーラを使用人として遇していた事で、彼女の手が荒れた事や騎士に乱暴されそうになった事は未だにディランの胸を締め付ける。シーラが基本的には使用人として大変充実した生活を送っていたのだけが救いだ。
ディランはシーラの部屋の前に着いたので、廊下の窓の縁に腰掛けながらぼんやりとこれまでを思い出した。
今日の午後はこれからシーラと乗馬の練習予定なのだ。
前回は馬の高さに慣れるのが目的で、シーラはドレスのままディランの前に乗っただけだったが、今回はきちんと乗馬服に着替えての練習である。
ディランは乗馬服に着替える為に部屋に戻ったシーラを迎えに来たのだが、歌ってる最中に入れば恥ずかしがるだろうと歌の切れ目を待っていた。
「♪〜〜、……」
とここで、部屋の中からの歌声が不自然に途切れた。
「?」
歌は途中だったのに何かあったのだろうか。
「…………」
部屋の中から重苦しい空気が流れてきた気がして、ディランは少し焦って扉をノックすると同時に開けた。
「シーラ? どうした?」
「ひゃっ、ノックしてください!」
部屋に入ると、シャツとズボンに着替え終わったシーラが慌てている。
「ノックはした。その、同時に開けてしまったが……」
「それでは意味がないでしょう」
「変な気配がしたから心配で、何かあったか?」
妻の安全を確認したくて足早に近づくと、その体に不調はないようでほっとしたのだが、シーラは赤くなって涙目でディランを睨んできた。
ディランはシーラより頭1つ分は背が高いので、勿論上目遣いだ。
睨んでいるけど、とてつもなく可愛い妻。
「えっ、ど、どう、した?」
可愛い妻に動揺しながら聞く。
ノックと同時がそんなに嫌だったのだろうか。それにしては過剰な気もする。
そして涙目上目遣いはそそるから止めてほしい。強引に抱きしめて唇を奪いたくなる。
だがそんな事をしては冷たく怒られるだろうからと、ディランは堪えた。
「何を怒っているんだ?」
強引に抱きしめる代わりに、そっと肩に手を置いて優しく尋ねる。
「怒ってはいません」
シーラが赤い顔で俯く。
「じゃあ何があった?」
「……べつになにも」
俯くシーラは棒読みで何かはあったらしい。
「シーラ?」
「じ…………ぃ……」
シーラは小さな小さな声で答えた。
「聞こえないんだが」
「…………す!」
「え?」
やはり全然聞こえなくて再度聞き返すと、シーラはぷるぷると震えて大きな声を出した。
「だから! 乗馬服が! キツいんです!」
真っ赤な顔で拳を握りしめたシーラが再び睨んでくる。告白が恥ずかしいのと共に、何度も言わせた事を怒ってもいるようだ。
「…………」
まず思ったのは、何だそんな事か、だった。それからじわりと可笑しさと愛おしさがこみ上げる。
ディランはニヤけそうになる顔を必死に取り繕った。
ここで笑ったらシーラは絶対に臍を曲げる。しばらく口をきいてくれなくなりそうだ。
「そ、そうか……」
何とか打った相槌に、涙目のシーラがディランを見上げてゆっくりと悲しげに頷いた。
驚異的に可愛い妻。
ディランは好き勝手しそうになる右腕を左手でぎゅうっと押さえた。
「ドレスならともかく、乗馬服は動きやすいようにゆったりめで作ったはずなのに……」
ショックを隠しきれない様子のシーラ。この乗馬服は妻の実家で眠っていたものを送ってもらったのだ。
「余裕をもたせたとはいえ、侯爵令嬢時代に作ったものだろう? シーラはこちらに来た時はかなりやせ……あまり健康的ではなかったのだから当たり前じゃないか」
“痩せていた”と言いそうになって、すんでの所で“健康的ではなかった”に言い換える。
“痩せていた”からの変化は“太った”になってしまう。
太ったはまずいだろう。
いくらディランにだってそれくらいのデリカシーはある。
「確かにそうですけど」
「俺が悪かった。やはりきちんと乗馬服も仕立て直すべきだったんだ」
「いえ、実家にあるから勿体ないと断ったのは私です」
「今度ちゃんと乗馬服も仕立てよう。今日はもうやめておくか?」
優しく頭を撫でると、シーラは少し立ち直ったようだ。妻は前向きで素直で明るい性質なのだ。
「キツいだけで動けますし大丈夫です」
シーラはそう言うと、足を曲げたり伸ばしたりして動作を確認した。
確かに白い乗馬用のズボンは随分ぴったりしていて、脚の線がよく分かった。
その光景を見て今度はディランが沈黙する。
「…………」
乗馬服とはこういうものである。
それは理解している。
シーラはキツいと言うが、ズボンだってピチピチという訳ではない。
見た目にはキツいなんて分からない。分からないが、それにしてもぴったりし過ぎではないだろうか。
「…………」
こんな脚の形が丸分かりの格好で妻が城内を歩いていいのだろうか。
否、よくない。
「ディラン様?」
黙り込んだディランにシーラが怪訝な顔になる。
「少し待っていろ。絶対に部屋から出るなよ」
ディランはそう言うと、光の速さで隣の自室からマントを取ってきて、それをシーラの腰に巻いた。
「冷えるといけないからな」
「え? 今は夏ですよ?」
「サッハルトの夏を舐めるな。夕方は気温が下がる時もある」
「そうなんですね、確かに王都で仕立てたので生地も薄いですしね」
「ああ」
生地が薄いだと? けしからん。どうりでやたらとぴったりしている訳だ。
ディランはむっつりしながら乗馬の練習に向かい、翌日には仕立屋を呼びつけてシーラの乗馬服の採寸をした。
仕立屋には服の完成を急ぐ事と、ズボンはゆとりをもって作るように厳命しておいた。
お読みいただきありがとうございます。
2025年4月8日(火)、ありがたい事にこちらの本編がアマゾナイトノベルズさんより電子書籍化配信されます。
予約受付は始まってます(小声)。
皆様にたくさんお読みいただいたお陰です。宣伝を兼ねてお礼の小話を、と思い投稿しました。
久しぶりに読み返すとシーラってほんと可愛い。こんなに可愛い嫁をあっさり手に入れやがってディランはズルいなあ、なんて思いました。




