4話 自由時間におしゃべりに
サッハルト領に来てから1週間、シーラは少しこちらの生活に慣れてきた。
早朝、まだ薄暗い内から起きて厨房で立ち働き、一段落したらメイドの皆と朝食をとる。
朝食の片付けをしてから手分けして掃除と洗濯、昼食の準備をして皆でまたお昼をいただいて片付けの後、細かな用事をして早番メイドの1日の仕事が終わる。
そこからはなんと自由時間だ。
自由時間、素晴らしい響きだ。
最初の2日間は慣れない体力仕事の疲れで、すぐに突っ伏して昼寝して終わってしまった。
次の2日間はこのぽっかり空いた時間をどうしたらいいのか分からなくて、とりあえず贅沢にベッドに寝転がって天井を眺めてぼんやり過ごした。
天井の染みが顔みたいに見えるくらいには、じっくりと天井を眺めた。
存分に4日間、何もしない自由時間を過ごした後は、サニーが荷物に入れてくれていた本を読んでみた。
勉強や資料としてではなく、純粋に読書をしたのも5年ぶりだ。
純粋な読書って楽しい。
元々、活字を追うのは好きなのだ。シーラは舐めるように文字を味わい、その世界に身を沈めた。
サニーが持たせてくれていたのは恋愛小説と冒険譚に推理もので、どれもこれまで全く読んでこなかったジャンルだった。
恋愛小説は2時間ほどで読めるような軽いものだったが、シーラはじっくりとねっとりと半日かけて読んだ。
お給金を貯めて、本を買おうかな。
そんな考えがひらめく。
新品は手が出ないだろうから、古本屋に行けばいいかな。
始まって5日目にして、早くも夢が広がりつつある使用人ライフだ。
夕方、食堂で夕食を食べて体を清めてからベッドで丸くなって眠る。ここでは勉強や公務が押したり、全く楽しくない夜会が長引いたりして、睡眠時間が削られる事はない。
労働時間も適正だし、環境もいい。洗濯の合間にふと顔をあげれば山々が気高くそびえたっていてこちらの心も洗われる。
素晴らしきかな、使用人ライフ。
他のメイド達とも少しずつ仲良くなっている。
水場でシーツを洗いながら、おしゃべりするくらいにはなってきた。
「シーラさんの髪色、本当に素敵だわ、いいなあ」
今日もメイド最年少、15才のリリーがシーラに話しかけてくれる。
リリーに限らずメイド達は、シーラの事を“シーラさん”と呼ぶ。呼び捨ててくれて構わないと言ったのだが、「何だかシーラさんは品があるから呼び捨てしにくい」と言われ、「さん、まで含めての愛称みたいなものよ」とも言われてしまったので今は甘んじて“シーラさん”と呼ばれている。
「“ナターシャさん”と同じよ」とも言われた。
“ナターシャさん”ことナターシャもメイドの1人だ。淡い金髪の冷たい美人で、立ち振舞いは完全に高位の貴族のそれだ。
ナターシャは寡黙で硬質な雰囲気の女性なのでこういったおしゃべりには加わらない事が多い。今日も少し離れて1人で黙々と手を動かしている。
「ナターシャさん、話しかけるとちゃんと受け答えしてくれるし、たまあに笑うのよ」とリリーは言うし、良い人ではあるようだ。
シーラはまだ挨拶くらいしかした事がないが、きっとナターシャも「訳あり」の部類なのだと思っている。だってあの所作、絶対に高位貴族だ。自分もあんまり他人の事は言えないが、通常なら城のメイドをやっていていいはずがない。せめて侍女だ。
「銀髪なんて、この辺りではいないものね」
「いいなあ。艶々だし」
メイドの皆さんが口々に褒めてくれて、くすぐったい。
「ありがとうございます」
「シーラさんはおまけに品があるよね、絶対平民じゃないでしょう。これ以上は聞かないけどさ」
シーラはそれには微笑で返す。
平民じゃないどころか、書類上は領主の妻だ。
「顔立ちも神秘的な美人よね、こういう顔もここらにはいないもの。私、時々見惚れちゃう」
「私も、私も!もう初日から気になりまくってて、でもちょっと近寄り難かったから話しかけるのに3日もかかったのよ!」
「それは、ごめんなさい」
「シーラさんが謝ることじゃないわよー」
「ふふふ、騎士達も絶対、気にしてるのよ、あれ」
「あ、それ思う。食事の時とかちらちら見てるよね。シーラさんの隣だと視線感じるもの」
「そうでしょうか?」
シーラは侯爵令嬢として、第一王子の婚約者として見られる事が日常的だったのでそういう視線には疎い。
「そうよう。気を付けてよ、あいつら紳士ぶってるけど、ひょいって手を出してくるから」
「そうよねー、可愛い子とか綺麗な子からどんどん騎士と結婚していくものね。早いよー、シーラさんは大分高貴だから様子見してるのよ」
「あ、でもジェラート団長は話しかけてるよね。ね、ね、何か言われた?」
ジェラートはシーラがサッハルト城を訪れた時に出迎えてくれた騎士だ。騎士団長でディランの腹心らしい。
「いえ、挨拶だけです。団長として気遣ってくれているだけだと思います」
「なんだそっかー。あとはハンスだね」
「あれは子犬だもん。みんなのとこ行ってんじゃん。ナターシャさんとこもハンスは果敢に行くもんね」
「でも、ナターシャさん、ちゃんとハンスの相手もしてあげるのよ。優しいよね、やっぱり優しいのよ」
「たまーに笑顔も向けてあげてるもんね。ハンス、すごい嬉しそうにしてんの。顔真っ赤にしてさ」
「それ見た事あるう」
そこで、きゃっきゃっとみんなで笑う。
こんな風にしてシーラ自身は積極的にしゃべる訳ではないが、メイドのみんなと楽しくおしゃべりしている(つもりだ)。
同年代の女の子達とこんな風に他愛ない会話をするのは初めてで、何だかそわそわする。楽しいのだが気恥ずかしいというか、慣れないというか、嬉し恥ずかしのおしゃべりなのだ。
こういうおしゃべりの時は誰からともなく、飴玉が回ってきたりもする。仲間外れなんてしないで皆に回す。
この飴玉も嬉しい。甘い。美味しい。
シーラは今日も回ってきた飴玉を1つ貰って口の中でコロコロする。
さて、シーラの事をちらちら見てるらしい騎士団の騎士達とは、ほとんどと仕事上の距離を保っている。
騎士達もシーラの事は“シーラさん”と呼ぶ。今のところ、騎士達の中で仕事以外でシーラに話しかけてくるのは2人だけだ。
「こんにちは、シーラさん」
その内の1人、ジェラートがシーラが洗濯用の桶を運んでいると隣に並んできた。
ジェラートはシーラを見て、にこりとするが、それはどこか業務用の笑顔だ。
サッハルトに来た時の出迎えがこの人であったのだから、ジェラートはシーラがディランの書類上の妻で、王宮から追い出された侯爵令嬢だと知っているはずなので、こちらの様子を確認しているのだろうとシーラは思う。
監視、とは言わないまでもお目付け役ではあるようだ。
「こんにちは、ジェラート団長」
シーラは冷たくもなく、馴れ馴れしくもない声のトーンで挨拶を返した。
ジェラートはひょいっと洗濯桶を取り上げてから言った。
「持ちますよ」
「ありがとうございます」
シーラは礼儀としてのお礼を述べる。
「私の事を警戒してますか?」
「普通はすると思いますけど」
「監視してる訳ではないんですけどね」
「でも報告するのでしょう?」
「、、、、いえ。問題があった時だけ報告しろと、、、、、それはそれでですね」
ジェラートは少し気まずそうな顔で言った。
「そうですね。それはそれでどうかと思いますね」
ディランはシーラに一切興味はないという事だ。
シーラが困ろうがどうしようが構わないのだ。迷惑さえかけてなければ。
「私としては、貴女が驚くほどに使用人に馴染んでいて本当にびっくりしています」
「あら、お褒めいただいてるのかしら?」
シーラはうっそりと微笑んだ。侯爵令嬢モードの怖いやつだ。小娘のシーラが王宮の文官達と渡り合うために使っていたものだ。
ジェラートが一瞬固まる。
「すいません、馬鹿にしたつもりはありませんでした。その、僭越ながら心配させていただいていたので、良かったなと思っただけです。他意はありません」
ジェラートは淡々とそう言う。
「そうですか」
「何かお困り事があれば、言ってください」
「はあ。分かりました」
そこで倉庫に着いたので、ジェラートは洗濯桶を置くと立ち去っていった。
悪い人ではないようだ、とシーラは思う。そういえば初日も、ディランの執務室へ案内する時にシーラの荷物を持ってくれた。
僭越ながら心配していた、というのは本心なのだろう。ディランと繋がってるような気がしていつも冷たくしていたが、ちょっと態度を緩めてもいいかもしれない。