32.執務室の場所は、、、
部屋の引っ越しも終わり、シーラは翌日より仕事に復帰した。
エラスタスの件を知っているのは、ディランとジェラート、メグ、ナターシャ、リリーだけで、他の皆には疲れが出て熱を出していた、という事になっている。
エラスタスがサッハルトを去ったのも家の事情で、とされた。
メイド達は皆シーラを心配してくれて、侍女への昇進を祝ってくれた。
ウェストンからは、滋養強壮に良いという謎のドリンクをもらい、ハンスはお見舞いの花束をくれた。
仕事に復帰して3日目、シーラは少し後方が気になりながら、洗濯済みのシーツを干している。
シーツをぴんと張って、はたいて洗濯ばさみで止める。晩夏の爽やかな風が吹き抜ける。
いつもなら、大熱唱の時間なのだが、この3日間、シーラは静かだ。
「お暇なんでしょうか?」
シーラが歌えない理由。
後方の壁に背をもたせかけて、こちらを眺めている男にシーラは話しかけた。
「暇ではない、領主なんだぞ。息抜きだ」
「こちらでされなくても」
「ここが、執務室から近いんだ」
サッハルト辺境伯、ディランは憮然とした顔で言う。
それにしたって、シーラがやって来てから、わざわざディランはここへ降りて来ている。
シーラがサッハルトにやって来てそろそろ半年にもなるが、ディランがここに現れるようになったのは、この3日間の事だ。
息抜きな訳がないだろう、何が目的なのかしら!
と思って、シーラは、はた、と考え付く。
「、、、、あの、もしかして、気を遣ってます?」
シーラは、ここでエラスタスに絡まれて、その後、部屋までつけられたのだ。
あの事は、ディランにも大分堪えたようだったし(何せ、シーラに懺悔して和解を懇願するくらいだ)、事の発端となった現場でシーラが怖がらないようにしてくれてるのだろうか。
そしてシーラは、この3日間、後方のディランが気になって、エラスタスの事なんか思い出しもしなかった事にも気付く。
「ただの息抜きだ」
ディランは、ふいっとシーラから目を逸らした。その仕草は照れてる時のメグとそっくりだ。
この人、私を気遣ってわざわざ降りて来ているんだ、、、。
「ふふ、つまり、お暇なんですね」
シーラは、少し微笑んだ。
「ふん、確かに、騎士団関連の帳簿や備品の管理をあなたとナターシャがしてくれるようになって、少し楽にはなってるがな」
「とんでもないです。侍女になり、給料も上がりましたし、その分の働きです」
「だが、暇ではない。新しい事業も始めようかと思っている」
「新しい事業?」
「サッハルトの領民の、識字率を上げる試みだ。あなたとナターシャで、城の図書室でやってる事を、町の教会で出来たら、と思ってるんだ」
「!」
「あなたは、王宮に居た時、都の貧民街でそれをやろうと尽力したらしいな。実現しなかったようだが」
「私について、調べたんですか?」
少し身構えるシーラ。
「王宮からサッハルトに来た文書の内容と、実際のあなたが全然違うから、都でのあなたの様子を調べた。主に仕事振りや、社交界での様子を聞いただけだ、そんな気持ち悪そうな顔はしないでくれ。通常の結婚なら普通にする調査の範囲だ」
貴族同士の婚約や、結婚の際、相手の家や評判を調査するのは普通の事だ。
「、、、確かにそうですね。なるほど、それで誤解していたとなったんですね」
「まあ、そうだ。それで識字率の件だが、秋は冬の準備に追われるから、次の春くらいから何か出来たらと考えていて、その、、、シーラに力を貸してもらえたら、と思っている」
「私に?」
「ああ、あなたには経験があるから。もちろん嫌なら無理にとは、」
「いえ、嬉しいです。お力にならせて下さい」
ディランから助力を請われて、シーラは単純に嬉しかった。公務で頑張ってきた経験が、お世話になっているこの土地で役に立つとは。
頑張っていた事が報われるようで嬉しい。声が少し弾む。
「ありがとう、助かる」
「いいえ」
にっこりしながら、シーラはディランとこんな風に穏やかに話している事に驚く。しかも、サッハルトでの、事業の事についてだ。
少し前までは考えられなかっただろう。
そこでシーラは、ディランにまだ助けてもらったお礼を言ってないな、と気付いた。
「あの、領主様、遅くなりましたが、このあいだは助けていただいてありがとうございます」
お礼を言い、ぺこりと頭を下げる。
「そんなの当然の事だ、礼なんていい。誰だって助ける」
「それでもありがとうございます。でもなぜ、西棟に居たんですか?」
「あー、えーと、それは、あれだ、たまたま、執務室の窓を開けてたら、あなたとエラスタスのやり取りが聞こえて、不穏だったから気になって覗くと、エラスタスがあなたを追って行ったから、様子を見に行ったんだ」
「そうでしたか」
執務室、、、、って、ここからだと、どの部屋かしら?とシーラは何となく上を見上げる。
会話って、どれくらい聞こえる、、、
「と、ところで!あなたの冬の準備は進んでいるか?メグが防寒着を持ってないのでは、と心配していた。そろそろ用意した方がいい、こちらの夏と秋は一瞬だ」
シーラの考えを遮るようにディランが聞いてきたので、シーラは思考を中断した。
「大丈夫です。次のお休みに一揃え買うつもりなんです」
笑顔でそう答えてから、シーラはしまった、と思う。
今のディランは、シーラにとても甲斐甲斐しいのだ、甲斐甲斐しいモードの中でこの流れは、、、
「一緒に行ってもいいか?」
ぐう、、、、
しかも、疑問形、、、、
「前の外出でも絡まれただろう?心配なんだ」
「、、、、構いません」
「ため息と共に言うのは止めないか?」
という訳で、次の休みはディランと外出する事になった。




