アンダーテイカー①
「行ってしまいましたね」
「そうねー。ま、あの二人なら大丈夫でしょー」
剣壁とイカロスは闇夜に溶けていくアッシュ・グラントの姿を眺めていた。
夜風がどこか重々しくにジーウ・ベックマンの甘栗色の髪を揺らした。風はそこはかとなく湿気を帯びているように思えた。だからなのかイカロスは、敬愛する魔導師の髪が幾分か重たく見えた気がする。ここまでの強行軍でも、やはりジーウは終始<言の音>を唄い全軍を補助したのだ。その疲れが面持ちにも現れているから、髪だけではなく全身から、重さを感じたのかも知れない。
「導師ジーウ。お疲れでは?」
「大丈夫ですよー。イカロスさん、やっさしー」
「……」
前言撤回。きっとジーウは疲れているのではない。他に何か想うことがあるのだろう。面持ちの重さはそのせいだ。
「でも、ちょっと眠いかなー。少し仮眠をしてもいい?」
「ええ、勿論。どれほどで声を掛ければ良いですか」
「あら、大丈夫ですよー。淑女の天蓋を覗き見しちゃ駄目ですよ?」
「見ませんて……」
そうい云うとイカロスは肩を竦めた。大丈夫だと云っているのだから、きっと大丈夫なのだろう。イカロスは自身にそう云いきかせると「それでは、後ほど」と踵を返し、騎士団の元へ向かった。
ジーウは暫くアッシュとミラの姿を見送り、ぶつぶつと独り言を口にしていたようだがイカロスには聞き取ることはできなかった。そのすぐ後。ジーウは自分のために準備された天蓋へ入ると灯された角灯の灯を吹き消したようだった。
※
そこは狭い部屋だった。そして暗かった。
重い灰色の打ちっぱなしの壁が剥き出しになった寒々しい部屋は随分と質素にまとめられている。
部屋に設られた必要最低限の家財道具——その部屋には大きすぎる木製のデスク、それに黒色の太いパイプで組まれた無骨なベッド——だけを見ると、ひょっとすると男の部屋なのだろうかと見紛うが、半分だけ開いたウォークインクローゼットから覗くワンピースやロングのタイトスカートにふんわりとした素材のカットソーを見れば、女性のそれだとわかった。
ベッドには甘栗色の髪の女が横たわっていた。
その女は頭にヘッドセット、両手には黒のハンドセットを装着し、そしてやはり黒のタンクトップに黒のショーツといった気を許した姿であった。ヘッドセットをしているから、その表情はわからないが、スラリと伸びた色白の四肢から想像するに起き上がれば身長もそこそこあるのだろう。
女が「んん」と小さく声を漏らし身体を横にすると、腰回りから胸元、首周りにかけて大きく曲線の波が顕になった。女は随分とスタイルに恵まれていることが想像できた。
女はそのまま、勢いよく身体をもたげた。
ハンドセットを外し乱暴に取り外すとベッドに放り投げた。すると左腕に巻かれたスマートデバイスが、ぼうっと淡い青い光を点灯をした。音を立てる訳でもなく、そこからホロディスプレイがマウントされると、宙に拡大され三枚の画面が女の前へ展開され少々切れ長の目の彼女は、それを見つめ目を瞬かせた。
<胡悠然・ジーウ・ベックマン>と大きく表示された真正面の画面に目をやり、次には右に展開された画面へ視線を移動する。そこには真正面の画面と同じように<乃木無人・アッシュ・グラント>と表示されていた。こちらの画面は真正面に表示されているほど要素は少なく、読み取れる情報は少ない。
「あんまり長くは離れられないね」
女は小さくそう云うと「よッ!」と声を挙げベッドから降り、向かい側に見えるキッチンへ足早に移動をする。それに合わせマウントされた画面は、女の行先の邪魔をしないよう気の利いた位置へ移動をしながら追従した。
女はキッチンに備え付けられた電子パネルへ軽く指をタッチすると「マンゴージュースをくださいー」と気だるそうに言った。次に聞こえたのは抑揚のない機械的な声だ。それは『指示がなければ、デフォルトで決済します』と女へ伝える。
「オッケー」
女は、やはり気だるそうに答えると軽く右手を振った。そしてキッチンの端に備え付けられた黒い無機質な箱の前へしばしばする目を擦りながら移動をする。するとシュルシュルと現れた青く輝く繊条がランガーズのマンゴージュースのパッケージを形成し黒い箱の上へ置いた。
その合間、女はぼやっと不器用に「えっと……バケットとベーコン……あれ? どうしたっけ」とキッチンを漁っていた。
女はひとしきり望みのものが揃ったのか、バケットにベーコンとチーズを挟んだものを口に運び、マンゴージュースで流し込む。そんな具合に、キッチンで幾許か空腹を満たすとホロディスプレイに目を戻し画面をきびきびと操作をした。バケットを頬張りながら、操作し気になるものがあれば、ジュースで口の中のものを流し込むと何やら独り言を口にする。
※
——なんで私がそこまでするのか?
——それは私が乃木教授に誓ったから。交換留学生だった私。内気な私。教授はそんな私を気にかけてくれて、話しかけてくれて。それに随分と救われたんですよ。故郷の上海でもそうでしたが、孤独だったんです。こっちに来てからはその想いが強くなって……。今時、戦争のこともあって同じ国籍の交換留学生は珍しくて、母国語で話す機会もめっきり減ったんです。だから、いっそうにそうで。
葵教授——教授とたくさん話した、プログラムの思想とかデザインのお話とか私、本当に好きで楽しくて。そんな毎日が訪れるなんて奇跡だと思った。だから、だんだんと教授に惹かれていったんです。寂しさの穴埋めだったのかも知れない。でも……。
でも、颯太君が研究室に忍び込んだあの日を境に……葵教授の在り方? が何か変わった気がして。教授もなんとなく他人行儀になったし、それで凄く不安になったんです。けど、でも、なんだかそれは今までも、そうだったという記憶も何故かあって混乱して。
そしてあの日。
颯太君が私を呼びに来て、教授から聞かされた話に酷く驚いたんです。そう遠くない未来に人類は二分され片方が絶滅の危機を迎える。そんな話。信じられるはずがなかったけれど、でも、それでも教授の目は嘘をついているようではなかった。
その破滅を回避するため、教授と颯太君は仮想世界へ行かないといけないと言った。それだって突飛もない話で。世界の破滅を回避するのになんで仮想世界に? ……本当は私を揶揄っている? 違う。葵教授が言ったことは殆どの事が正夢のように現実で起きたのだもの……。それだから教授に誓った。お役に立ちますって。何だってやりますよって話……。でも、やりすぎたのかな……。
※
「でも——少し事情が変わってきたよねー」
誰に想うわけでも、云うわけでもなく支離滅裂と心に言葉を連ねた女はバケットの最後のひとくちを口へ放り込むと忙しなく顎を動かしベッドへ戻った。ともすれば渦巻いた想いが女の涙を誘ったのか、目尻が濡れているように見えた。女は、それに気を留める事なく乱暴にハンドセットを装着しヘッドセットを被った。
「きた! 師匠が言ってた<揺り返し> さあ、こっからが正念場ですよー悠然」
女は少しばかり声を大きく云うと、勢いよくベッドに寝転がった。すると展開されていた三枚の画面は、スッと姿を消す。それが消える間際、乃木無人の名が表示された画面へ、赤く「Warning: Brain Reverse Engineering」と捕捉表示されたのがわかった。
※
「こっちも駄目だよー!」
ミラはかぶりを大きく振るった。
向こうに見えるアッシュ・グラントへわかるように大袈裟にだ。
二人は野営陣から馬を走らせると思ったよりも早く目的のサタナキア砦へ到着をした。しかし、正門は固く閉ざされ開門の声を挙げはしたが、誰からも応答はなかった。
アッシュとミラは、ならばと手分けをすると、それほど大きくもない砦の外周を走り他の出入り口を探したのだが、やはり中へ入る手立てが見つからなかったのだ。
しかし収穫はあった。
ミラの声がする頃には南の城壁に群生した蔦の中へ隠された木扉をアッシュは発見をしたのだ。それは意図的に隠されたのではなく長いあいだ手入れをされなかった結果、隠されたと云ってよかった。
逞しく城壁に絡みつく手強い蔦を手で掻き分けるのを諦めたアッシュは狩猟短剣で丁寧に切り落としているところだった。
声がするとアッシュは顔をあげ片手を挙げると、それに了解と合図を送る。
蔦との格闘を中腰でしばらく続いたせいなのか急に身体を起こすと腰を痛めてしまいそうで、アッシュはまるで老人のように腰に手をあて身体を起こした。
「ここに扉が!」痛たたたと小さく声を挙げ発見をした扉のことを告げるとアッシュは思い切り背伸びをする。
外套の衣擦れの音が空気に混じった。あたりは不自然なほど静けさを強要したから、その音は随分と大きな音に思えた。ああ、そうか。頭巾をしたままであれば、それもそうだろうとアッシュは軽く取り払い顔を露わにした。そして向こうから呑気に歩いてくるミラを待った。
ミラはどこで見つけたのか、枝を手にそれをブンブンと振り回していた。何かの旋律に合わせ振るうと合間合間に枝で城壁を叩いている。そんなことをすれば、城壁の向こうへ自分達の存在を教えているようなものだ。だが、今のこの静けさの中にその可能性は首を引っ込めている。だからアッシュもやはり呑気に微笑んでいた。
よく耳をすませば、先ほど施した身体強化の術がまだ持続したから、どのような旋律を口にしているのか、そこはかとなくわかった。しかし、それは自分が教えたどの<言の音>でもない。
ミラの旋律は、どこか聞き覚えがあるのだが、果たしてそれはアッシュの記憶の奥底にある何かだった。はて? と首を傾げるのだが口を突いてこない。つまり、ど忘れだ。知ってはいるし頭にはっきりとその旋律は思い描ける。だが何だったか口にできない。
アッシュは額をクイっとあげ眉を下げると懸命にそれが何だったかと思案した。そしてミラから視線を外した。ミラが口ずさむ旋律だけに集中をしようと思ったのだ。
しかし、それが間違いだった——油断でしかなかった。
目を離した途端。
城壁の周囲を取り囲む森の木々の闇から人影がひらりと飛び出ると、素早くミラの背後に回ったのだ。そしてその人影が月明かりに晒される頃には——ミラはあっという間に羽交締めにされた。
深緑の外套のそれは目深に被ったフードで巧みに顔を隠し、器用に魔術師を拘束すると腰に刺された短剣を奪いミラの首に刃を押し当てたのだ。
そして深緑の野盗は——聞き違いではないかと疑うほどに柔らかく透き通った音を口から溢した。間違いなく男の声で深みがあるが、紡がれる言葉の一つ一つは旋律のように清らかだった。尤も紡がれたそれは、まるっきり野蛮であったし、アッシュにとっては呪いの音色だ。
「さて。答えてもらおう。おっと、変な気を起こさないでくれよ魔導師。俺たちが麗しき焔のもとを去ってから数百年は経っている。だが、だからと云って魔術師と魔導師が仲良く月見の散歩をするような時代にはなっていないだろう? 違うか魔導師? ああ、だがこれには答えなくて結構。本題はこっちだ。もうわかるだろう? ここで何をしている? 塚人が砦を持つだなんて驚きだが、わざわざそれを見物に来た訳ではないのだろ? 月明かりの下で我々の旋律を口にするのだ。それ相応の理由があるはずだ」
その野盗に隙はなかった。髪の毛一本ほどの隙もない。流暢に——そう思えるのは時折顔を覗かせる言葉の辿々しさからだが——紡ぐ言葉にすら隙はないように思えた。あのギャスパルのようであったし、だが、所作の一つ一つは洗練された印象もあり、そうではないともいえた。
アッシュはそれに気持ち悪さを覚え眉をひそめたが、だが短剣を投げ捨て——いざとなれば稲妻のように詰め寄り徒手空拳で制圧をするつもりで、無抵抗の意思を伝えた。そして両手を挙げ野盗に答えた。
「見物というには少し物々しい理由ですが……塚人に用があります。彼らに招かれ砦へやってきました——ところで我々の旋律とは?」
「質問はよしてくれ聡明な魔導師。脅しているわけではない。これは警戒だ。それで?」
「招かれた理由——ですか?」
「ああ、そうだ。格式高く招待状が送られたわけではないのだろ? どんな汚い言葉で招かれた? 奴らの伝令は何を伝え、お前らを招いた?」
「扉を開けろと」
「扉——そうか。扉か。この砦の扉か。お前達にはその資格があると?」
「わかりません——扉を開けるのに資格が必要なのですか……?」
「ああ、そうだ。資格がなければあの扉は開けられない。砦の扉も貝のように門戸を開かない。壁を登ろうにも、見えない壁に不思議と押し出されてしまう。気が付けば——この通り地を這う鼠だ」野盗は肩をすくませた。
言葉尻でどもった野盗の口ぶりと最後の言葉、溢れた旋律のような言葉。それにアッシュはハッと目を丸くし手を下ろすと、その場の空気を壊さないよう、そして野盗に合わせるよう口を開いた。
「黄金の原をかける女。気品高く黄金の髪に戴く月桂樹の君。その原で、すらりと気高く立つ一本の白樺の君。アラグリアンとアンダリエルの双娘を貴公はご存知か?」
アッシュは記憶のどこかで、その口ぶりを知っていた。ミラが口にした旋律もそこに合致する。亡者塚で最後を看取ったエルフの二人。そして彼女らとの最後の記憶——それは、遠く昔。遥か南フォルダールでの記憶。アッシュは言葉を終えると頭痛を感じ、こめかみに手をあてた。
野盗はそれに驚き、ゆっくりとミラの拘束を解くと「魔導師。その名をどこで?」と、それまで意識し発音をした声のたがを外し、生来の声——流れるような発音で云った。
「聡明な魔導師。我々は審判の日、遥か東にあると予測された世界の焔へ向かわなかった氏族。森の番人。オルゴロスの庇護を受けたエルフの氏族だ。四翼が姿を消し百年を超える刻が流れた。我々の氏族は衰退し、今では墓守のように暗がりを這い回り、森の奥深くへ身をやつした鼠だ。我々の女王。我が姉君達は傲慢の魔導師にそそのかされ姿を消したのだ。我々はそれ以来、森を渡り歩き我が君を探している。そして西の焔を探り当てたのだ」
野盗は深々と被ったフードをゆっくりと取り払うと、流れるような所作でミラの背中を軽く押し、それに振り向いた小さな魔術師へ笑顔を送った。
「すまなかった。偉大な魔術師。小さき博識よ。君が口ずさんた旋律は我々の姉君達が、花摘みをする際に口ずさんだものに似ていた。許してくれ」ミラはそれに目を丸くすると「いいよ。気にしないで」と笑顔で答えた。
「世界に敬虔な術者たち。私の名はアラグル。『月桂樹』と『白樺』。アラグリアンにアンダリエルの三番目の弟。業火を名へ刻む森のエルフだ。その名の通り森にいれば森を焼き払ってしまう。故に森の外を外遊し森を護る定めを背負う。して貴公らは? そして何故に姉君達の名を知る。貴公らを信じ、名を明かした姉君の敬意の出どころを知りたいのだ。場合によっては私は貴公らに敬意を払い尽くさなければなるまい」
今やアラグルは、見事な金髪を背中に垂らし細々としたが凛とした顔つきを顕にした。黄金の瞳は印象的でその奥底には、確かに炎を宿している。耳は伝承通り、いや、二人の姉の面影を残し繊細な線で先端を尖らせている。
アッシュはそれに目をやると幾許か顔を曇らせた。
彼女らを探すアラグルはきっと怒り狂うだろう。その名の通り業火でアッシュを焼くのだろう。しかしそれを易々と受け入れる訳にはいかない。北の地では最愛の赤髪の姫が運命と対峙をしている筈なのだ。苦く苦しい闘いのはずだ。であればアッシュは、それに答えなければならない。
そうだ。
場合によっては清く気高いアラグルを殺さなければならない。
ミラはアラグルの拘束が解かれても、その場を動かなかった。細技のようなアラグルから香る匂いはどこか懐かしく儚げであったがミラはそれに落ち着きを得た。ミラ自身、その安堵がどこから湧き出ているのかは、わからなかった。だが、それは火に手をかざせば暖かいと思うのと同じようだった。
アッシュがアラグルの姉を知りえる事にも興味があった。伝承への興味はからっきしだが、アラグル、引いては森のエルフの美しさに興味を持っている。それを知るアッシュは何故それを知るのか? もっともな関心事だ。だからミラは顔を綻ばせ期待に満ち溢れアッシュの顔を覗いた。
だが、ミラはすぐに顔を強張らせた。
アッシュの双眸は笑ってはいなかった。思案に耽る目で足元に視線を落としている。そしてゆっくりと、地に身を投げた狩猟短剣の柄を握り拾い上げた。
「アッシュ……?」怪訝な声でミラはアッシュの名を呼んだ。そして漆黒の外套をひるがえし腰に刺してある小ぶりの魔術師の杖に手をかけた。あまりにもアッシュの様子が——そう、憂いに満ち何かを良からぬ決心をしたように思えたからだ。
「ミラ、そこを退くんだ」
「なんで?」
「いいから」
「だから、なんで?」
「いいから!」
「怒鳴らないで、アッシュ。アラグルは良い人だよ。匂いでわかる」
「それはわかっているよ。良い悪いで云えば悪いのは僕だ……。だけれど、僕はここで膝を折るわけにはいかない。北の地でエステルが待っているからね。全てが終わって何もかも良くなったら——ミラ、君のことも——まるっきる良くなれば——いくらでもこの命は差し出すよ。でも今は駄目だ」
「わけありのようだな魔導師。約束をしよう。どのような真実であろうとも心に預かろう。燻る世界の焔に誓おう。森の万象に言葉を預けよう。それで、どうしたというのだ。いや待て。魔導師。おおよその察しはつく——聖霊の原へ我らが姉君は迎われたのだな?」
「アッシュ?」
アッシュはかぶりをさげ言葉を詰まらせたが、再び顔を上げると意を決した様子で、アラグルに答えた。
「アラグル……その通りです——その業火は真実を見抜く瞳なのでしょうね。最期の一太刀は、この狩猟短剣で」アッシュは握った短剣を突き出した。
「何があった? いや、待て。砦の空気が変わったようだ。こっちだ」
ひらりと長身に似合わずアラグルは外套を翻し、飛び出てきた森の茂みへ身体を踊らせた。アッシュとミラは顔を見合わせ、互いにかぶりを振ると同じように茂みへ、ひらりと飛び込んだ。
※
我々。
アラグルはそう云っていた。大凡の想像はしていたが飛び込んだ先を身を屈め走り抜けた先にぽっかりとできた空間に、人影があった。皆、アラグルと同じ外套に身を包み、同じようにフードを目深に被っていた。それは三人居た。一人は比較的に背の低い女だとわかった。他の二人に比べ外套がなぞる身体の線が幾分か柔らかだった。他の二人はアラグルよりも頭ひとつ低いくらいでアッシュよりも少し背が高い。
女は弓を引き絞り、他の二人は柄に銀色の月桂樹の模様が施された片手剣をスラリと抜き放った。
「同胞よ、これは客人だ。ああ、しまった。貴公らの名を訊ねるのを失念していた。失礼した。それで——」
「アッシュ・グラント」
「ミラ・グラント」ミラは胸を張り名乗った。この名に誇りを持っている。だから名乗るときは尊大に振る舞う。もっとも、それは大人から見れば微笑ましい仕草で、普段であれば大体これでその場は和む。それだってミラは知っている。だが、予想外の反応が返ってきた。
「これは驚いた。広く大地を探訪し旅をしたアウルクスに誓って云おう。グラントだと。宵闇の鴉か? 世界の王なのか。 西の焔の世でグラントを名乗るのは一人だと聞いていたが、そちらの魔術師は娘か?」
アッシュはその問いに幾許か戸惑い、ミラの顔を覗き込む。がしかし、ミラは満面の笑みを浮かべ、やはり胸を張り云った「世界の王様かどうかは知らないけれど、アッシュはアッシュ。ただのアッシュ。私はこっちの世界だと娘ではないわ。相棒よ」
アラグルは眉をひそめ、手を挙げると他の三人が構えた武器を降ろさせた。そして顎に手をあてさすると「相棒か。そうか。しかし——こちらの世界とは……難しいことをいう魔術師だ」と苦笑をした。そしてアッシュは、言い放ったミラへ驚きの顔を見せたが、直ぐに柔らかい笑みを浮かべ黒髪へ手を乗せた。
「もう! アッシュ! 格好つかないよ」
それにミラは苦情の声を挙げた。
「こちらの世界とは西の焔の世界。つまりこのリードランの地ということか? 世界の王は東の偉大な壁に無翼の竜へ監視をさせていると聞くが、お前はその向こうから来たというのか?」
「んー。それはちょっと違うかも? アオイドスに訊いて?」
「アオイドス? はて、また知らぬ名が飛び出したな。まあ良い。同胞よ大事なのは、この叡智の術者達は、我々では叶わなかった——焔の扉を開ける資格があると塚人に招かれたことだ。そして急を要するのは、たった今、砦に動きがあったということだ。そして最悪なのは、それであるのならば攫われた我々の同胞の命が危ないということだ」
深緑のフードを取り払った三人はアラグルと同じ繊細に尖った耳を露わにした。そして端正な顔を見合わせ焦りの表情を浮かべると聞いたことのない言葉で口早に話を始めた。その会話はただ聞いているだけでも流れるような旋律のようで、言葉そのものは認識することは難しいが何を話しているのかは、まるで良質な三重奏を聴いているように情景が頭へ浮かぶようなのだ。
そしてその三人を傍目にアラグルは云ったのだ。
「敬虔な術者よ。アッシュ・グラント、ミラ・グラント。頼みがある——」
アラグルは森の茂みを突き通す瞳でアッシュとミラを交互に見ると人差し指と中指を並べ立てると軽く前で振った。それはアッシュの記憶が正しければ、この麗しきエルフ族が永く伝えた様式であり、そして命の全てを賭け願いを口にする時の動きだ。
「——我々に尊き死地を与えてくれ。そして二人の手助けをさせて欲しい。死と時の神ル・カルに誓い役に立とう。だからできうる限りの情報を我々に与えてくれ」
すると砦の気配が更に変わる。
正門が大きく軋む音をたて開け放たれた。




