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Killing Me Softly With His Song  作者: コネ
第七章 Father Figure
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Ladyfingers




  部屋。荷電粒子検出器。燃焼室。残響室。

 チェンバーとは、とかく何かを納めるもの、または納めたものをどうにかするもの、何かそういったものを言い表した。近年、人類が手に入れた()()はチェンバーズと名付けられ、こぞってその()()へ夢を詰め込んだ。未来を照らす素晴らしい志だろうが、暗く視界を覆う悪夢や妄執であっても、なんでもだ。


 明るい未来を示唆するメンターは明後日の方向を指差し「人類はネクストレベルへ」と豪語する。選択をする未来。我々は面倒な労働をチェンバーズへ任せ、判断だけをする裁定者となるのだと。持て余した時間? それは有意義に使おうではないか諸君。そして新たな価値を築こう。そう云ってはばからない。

 では新たな価値とは? それはどこに()()()()()のか。

 非効率から産み出される価値、それを加速する効率。そして見直される非効率。その繰り返し、円環こそが人類の重みではなかったのか。





 西方教会は乃木希次が産み出した夢の箱を危険視し、乃木無人の研究を否定した。人の力で神威を汚してはならないと。

 乃木無人はそれに真っ向から反論をした。人が子を授かることになんの許可が必要なのか? 今、自分たちが産み出そうとしている者は自分たちの子であると。

 それであれば、その子をその胸に抱き寒い日には心身を暖め、寂しさに溺れたのであればそれを救ってやれるのか? 否。であれば、博士が産み出そうとしているもの、あなたがたの血脈が求めているものは人の傀儡である。

 西方教会は乃木無人をそう糾弾した。

 神が人に与えた唯一の価値は命そのものであると。





 乃木葵は頭に響く颯太の呼びかけをよそに、自分を見下ろすチェンバーズをよそに、何かに悶える乃木無人をよそに、それは短い時間だったが、想いをどこかに置き記憶を辿っていた。だが、もう一度「先生!」と響いた颯太の声に我へかえった葵は、自分を何者だと訊ねたチェンバーズに目をやった。


「ごめんなさい。あなたチェンバーズよね? 自然会話(コミュニケーション)は?」

「ええ。大丈夫です、普通に話していただいて構いません」

「よかった。事情は後で話すわ。今は無人を助けたいのだけれど、手伝って貰える?」


 葵は自分を見下ろす黒瞳に映る自分の姿へ焦点をあてると、ほんの少しそれをズラす。ピントは、ぼやっとしていたチェンバーズの顔を捉えた。

 冷ややかだ——そう思うのは自分だけなのだろうか。鏡の中の自分。しかし、そこはかとなく異なる雰囲気。よく見れば、自分の虚像なのかも知れないが、誰かの実像なのかも知れない。

 人ではない。だから感じる冷ややかさとはまたそれは異なった。


 問われたチェンバーズは、優しくその場へしゃがみ込むと葵の瞳を近くから覗き込んだ。その瞬く間にチェンバーズは右瞳の中へ英数字の羅列を走らせた。そして「わかりました」とチェンバーズは静かに答え「あなたのことは、なんとお呼びすれば良いですか?」と葵に訊ねた。


「アオイ。それで良いわ」すぐそこにあるチェンバーズの顔をまじまじと見詰め、何故だか固唾を飲むと葵は小さくそう答えた。

 よく見れば——いいや、今は余計なことは考えるのはよそう。葵は続け様に「あなたの名前を教えて貰える?」と訊ねる。


 再び無人の身体が無言に上下をした。今度の痙攣は大きい。


「私に名前は与えられていません」チェンバーズは無人の様子に視線をやりながら答え「アオイ、時間がありません」と彼女を急かした。表情に苦悶はなく、だが無人は大きく痙攣をしている。それは不気味で、奇怪で、掴み所のない恐怖を覚える。


「そのようね——ちょっと待って」

 チェンバーズは痙攣する無人の身体を優しく押さえると自身の胸椎にあたる箇所へ素早く手を回し黒く細い線を何本か引き出した。それを手慣れた様子で無人が横たわるシートのコンソール部分へ射し込み、次に設置された三台の黒い筐体へその線を繋ぐ。

 やはり介護系のモデルね。随分と手慣れている。

 葵はそんな風にその様子を見ながら意識を頭の中へ集中した。素早く意識の深海を泳ぎ、揺らいだ青く輝く線を見つけ手を伸ばす。


(颯太くん、ごめん。お待たせ。アッシュは、無人は?)

(あ、やっと! それが始祖の持っていた<楔>に無人さんが接続して苦しみ始め——暴れ回っています)

(なんでそんなことに? ——不味いわね)

(エステルさんが人質に取られて——っと、無人さんの身体を固定しました)

(——わかったわ。それで<楔>は?)

(接続を繰り返そうとしています)

(防御壁を突破されたらおしまいね——颯太くん、そこにミラはいる?)

(はい、目の前にグラドさんと)葵はそこで一拍の間を置いた。目を瞑り、眉間に皺を寄せる。

(ミラに、硝子玉を貸してもらって。それを無人の胸に——<楔>が打ち込まれた箇所に当ててちょうだい)

(わ、わかりました)


 葵は颯太との会話をそこで止めると、チェンバーズへ目をやった。

 冷静にこの異常事態を収集しようとする彼女は、目の前にマウントされたホロディスプレイとキーボードを駆使し目にも留まらぬ素早さでコマンドを入力し続けている。

 本来、有線接続であればプロセッサから直接入力をする方が早いが、パターンを読み適切なプログラムを入力するといった手順が今は時間のロスを招く。チェンバーズはその判断を下し、いってみれば場渡り的な入力を選択したのだ。

 常に向こう側から壁を喰い破りつつある獣を怯ませるには、こちらも獣になるしかない。と、いったところだろう。そしてその判断は正しく、無人の痙攣は落ち着いてきたように見えた。


「凄いわね。あなた介護系モデルではないの?」葵は素直に驚き、思わずそう訊ねていた。

「はい。私のオリジナルは……——アオイ、一つ質問が」

「どうしたの?」

「無人のPODSが——二つ確認され——あ!」


 チェンバーズが苦悶の表情を浮かべ、悲鳴にも似た声を挙げると、彼女はその場から弾き飛ばされるように転がった。彼女は確かにPODSが二つ確認されたと口にした。

 何が起きているのか。

 葵は咄嗟にチェンバーズの元に身体をよせ彼女を起こすと「憤怒ね」と思い当たる節を口にした。すると再び無人が身体を大きく痙攣させると、どうだろう、スマートデバイスが装着された右腕に裂傷が走り、それまで平静であった無人の顔が苦悶に歪んだのだ。顔には獣の爪に引き裂かれたような跡が浮かび、次第に出血を始めた。


「レスキューを呼びます」


 抱えられていたチェンバーズが咄嗟に、それを口にしたのだが葵は「それは駄目!」と強く云い放った。チェンバーズはそれに「しかし」と喰い下がるのだが、次に葵は静かに「それは駄目。今はまだ駄目なの」と、諭すように云ったのだ。


 

 ミニマリズム。

 そう云うには、あまりにも人の意思が介在しないその部屋。ただの漆喰の物置。次第に落ち始めた陽を合図にスマートシールが厚手のカーテンを閉じた。葵のなけなしの言葉は訪れた瞬く間の闇に溶け込み静寂を生み出した。

 しかし、それは直ぐに痙攣を続ける無人がシートを軋ませる音に切り裂かれる。

 耳を覆いたくなる音だった。

 照明が点灯し、その光景を明るみに晒した。次第に鮮血に塗れ始めた無人の身体。葵はそれから顔を背けてしまった。涙は出ない。ただただ戦慄と恐怖に心を支配されたようだったのだ。


「それではメディカルキットを」チェンバーズは葵の手を振り解き、玄関先の部屋に急行した。

 しっかりなさい葵。チェンバーズの方がよっぽど冷静で役に立っているじゃないの。跳ねるよう自分の腕から駆け去ったチェンバーズの余韻を掌に傍観した葵だったが、心を奮わせ両手で頬を強く叩いた。嗚呼、颯太くんもこうしていたな。葵はそう心のどこかで思い浮かべ、今では目の前で苦しむ無人と対峙した。



(颯太くん! そっちは?)

(不味いです<楔>が砕けてしまって)

(万事休すね——それで、硝子玉は?)

(はい、ここに)

(今から無人のPODSにアクセスするわ。その硝子玉は——後で説明するわね。兎に角それは、アッシュの身体から離さないでちょうだい)

(先生、それって)

(ええ、駄目ね。個体法(個人情報及び電子生体情報保護法)に抵触どころではないわ。それに、本当のところは無人がどこに接続されているのかすらもわからない)



 メディカルキットを持って戻ってきたチェンバーズは早速、無人の身体に無数に現れた裂傷の手当てを開始した。

 みるみるうちに裂傷がひいていくのであるが、少しすればまた引っ掻かれたかのように跡をつける。まるでイタチごっこだった。しかし、チェンバーズは無言で、彼女がそのように思うかは定かではないが、葵を信じそれを続ける。

 でもその効果があるのは僅かな時間だ。

 失われていく血液には限度がある。ある程度はメディカルキットで失われた血液を還元できるが、しかし、少しでも空気に触れてしまった血液を還元するには処理能力が圧倒的に足りていない。


 葵は取り出したヘッドセットをひっかけディスプレイに無人の姿とチェンバーズの姿を認めた。チェンバーズの稼働状況が映し出される。

 チェンバーズはディスプレイ越しに「アオイ、還元が——」と淡々と口にするが、葵はそれに「わかってる」と短く返すと、ヘッドセットから線を引っ張りだし、無人のスマートデバイスへそれを接続した。なんとか入力プラグが使用できた。ディスプレイに無人のバイタルが映し出される。


 葵はそれに訝しげな表情を浮かべたが「ヨシ」と、縦にかぶりをふりチェンバーズを一瞥する。そして自身のスマートデバイスに軽く触れると、左右の手を青い格子状の線がまるで青い線の手袋のように包み込んだ。


 まるでこれから海にでも飛び込むように、スッ! と口を鳴らし瞬時に息を吸い込んだ葵は立ち上がると、どうやら腹が据わった様子で——。


「いくわよ、颯太君。いい? (ワン)(ツー)(スリー)


 ——乃木葵は、そう云うと乃木無人の意識へ自身の意識を滑り込ませた。








 

 暗く濃紺である。()()()()()深海。

 乃木葵は一糸纏わぬ姿でそこに飛び込んだ。最初はどちらが上なのか下なのか判断がつかない。その感覚は吐き気を誘った。

 堪らず膝を丸め抱え込み()()()となると、少しの間そこを揺蕩った。そしてその感覚に慣れると身体を開き、あたりをぐるりと見回す。

 よく見れば、濃紺の空間には薄青い幾つもの線が張り巡らされ無数に浮かぶ球へ、それは合流をしている。一つの球に何本もの線が集られているものもあれば、数本のものもあった。互いにそうやって結びつき、行く通りもの塊を成すそれらは、どうやら何かを意味していることを葵は知っている。


 葵はその合間を丁寧に掻き分け、泳ぎ、必要であれば更に潜った。

 

 キンキンキンと音がする。

 ピーヒャララと乾いた音もそれに混じって聞こえてくる。

 葵はその方向へ急いで泳ぎ出した。葵は強烈な寒さを肌に感じ、内から酷く暑く身体を溶かしてしまいそうな熱気を感じる。そして目の前に現れた青光の丸い扉に阻まれた——これは?


 幾ばくかの疑問が浮かんだ葵であったが、余計なことへ意識を割けば、自身の存在が崩れてしまうのではないかと考えると、直面した状況へ考えうる限りの方法を試すことにした。

 葵は両手をかざし、しなやかな指をすばやく動かした。

 何度かそれを繰り返すと丸い扉はまた幾つかの扉に分解され、葵はそれに更に指を加える。すると、もうすっかり掌ほどに小さくなった丸い扉——いや、円図と云っていいだろう、それから何本もの線が吐き出された。

 それは艶かしく動き出すと、何度か躊躇するふうを見せるのだが遂には葵の身体に纏わり付き、身体の凹凸、起伏、そういったラインを舐め回しながら葵の一部となった。

 そして葵は繋がれた無数の線に誘われ、更に潜っていく。

 いつの間にか寒さも暑さも感じなくなり、自然とそこへ溶け込むような感覚。

 そんな不思議な感覚を、心のどこかに捉えながらゆっくりと目を閉じた。



「久しいな吟遊詩人」


 どれほど潜ったのだろう。

 どこからともなく声をかけられた彼女は目をゆっくりと開いた。





 そこは真っ白な空間だった。

 葵が目にしたのは、それだった。辺りを見回しても頭上も足元も右も左も永遠と続く白い空間。何が地で何が天かも区別がつかない。そして葵に声をかけた()()は、忽然と彼女の目の前に姿を現した。

 見上げる程に大きな白狼の姿。

 それは双眸に赤黒い瞳を浮かべ蛇のような瞳孔を縦に絞ると、葵を見下ろした。


「あなたは憤怒ね?」


 気がついて見れば、すっかり服に身を包んでいた葵は、それに驚いたのか身体を隅々まで見回しながら白狼に訊ねていた。


「嗚呼、察しがいいな」

「あなたはここで何を?」

「そうだな。かつて儂が望んだように外環への扉をこじ開けようとしている。そんなところだが——尤もそれは以前の儂の望みだ。今はそんなことは、どうでも良いのだけれどな」

「そうなの? 随分と他人事のように云うのね」

「凪に小石が放り込まれた」

「え?」

「お前とあの世渡しの子のことだ。お前達がこの世界にやってきたことで、世界は随分と歪んだ。凪は、それだから青海波(せいがいは)を作り揺らめき、重なり、新たな理を産んだ。混沌は混沌と隣り合わせ新たな秩序を作る。儂はそれに従っている」


「どういう意味? それに——ここはどこなの?」


 白狼はどこかしんどそうに巨大な体躯を丸めると、葵の目線まで顔を下ろす。

 そして赤黒い瞳を、彼女の黒瞳に合わせると、フンと鼻を鳴らした。まるでその表情は人のようで、葵は、そこはかとなくそれに懐かしさを覚えた。どこかで見た、懐かしい眼差し。それは無人のものではない、でも無人に似ているそれだった。


「ここがどこか? そうだな。世界を造り出す工房。尤も既に世界は存在し、世界を造り出す泥は姿を得てここにはない。だから打ち捨てられた工房だ。儂はそこに繋ぎ止められており、お前はそこへ足を踏み入れた。お前達が運び入れた可能性の玉が、ここを露わにした。それは儂らの在り方、世界の在り方に歪みを与えた。儂は無人(なきと)の憤怒を体現した。しかし、()()()の底に沈んでおった奴の父親の残滓と混じり合うという可能性を孕んだ——おっと、白いの。ここはまだ時の矢の影響を受ける領域、ことは進んでいるようだが、どうする? 儂はあやつを押し返せねばならない——そうでないと内も外も無人(なきと)は破滅に向かうぞ」


 白狼は身体を起こし、静かに耳を傾けた葵の前へズイッと出ると彼女を何かから隠すように立ちはだかった。何にその警戒を向けたのか。葵は白狼の尻尾の方へと回り、赤黒い瞳が向く先に目をむけ、それを見た。


 それは、あまりにも矮小でくたびれていた。

 かぶりを力なく垂らし、弱々しく四肢で身体を支えた白狼だった。

 ハッハッハッと舌を出し息苦しく声を漏らし、こちらにトボトボと向かってきたのだ。

 そして、それは葵の視線に気がつくと、赤黒く蛇のような瞳を向け瞳孔を縦に絞ると怪訝そうに目を細めた。


「嗚呼、バーナーズ。それはなんだ」しょぼくれた狼はそう云った。

「さあな」

 巨躯の白狼はそう云うと、尻尾で葵を覆い隠し鼻ずらにシワを寄せた。そうして剥き出された犬歯の隙間から、腹から響く唸りを漏らし、しょぼくれた白狼を威嚇するようだった。しょぼくれた狼はそれに「まあ、いいさ」と小さく漏らし足を止める。


「白いの。ここは任せろ。お前はお前の真実を見極めろ」

「任せろって、それじゃ無人(なきと)が」

「大丈夫だ。だが時間はそうは多く残されてはいないぞ」

「ちょっと意味が——」

生垣(いけがき)近実(ちかみ)。その名を追え」



 

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