Born Slippy
暑季の太陽が、講堂の天窓から硬く鋭い日差しを容赦無く降り注ぐ。
第三次世界大戦以降、世界が危機的な気候変動に見舞われると、日本に四季は訪れなくなり寒季と暑季と呼ばれる寒いか暑いかの実に無味乾燥な区別だけが季節に残された。
地表に届く紫外線強度が格段に上がると、建築系コングロマリットはこぞって紫外線を遮断する硝子の開発とそのソリューションの提供に躍起になった。
その恩恵は、ここ茨城県の某大学、産学リエゾン共同研究棟に併設された講堂にも届いている。乃木葵教授の講義は学生諸氏からの支持を一心に受け、講堂は連日満員、正規の手続きを経ていない学生までもこっそりと立ち見するほどだ。
もっともそんな講義泥棒達は大学内へ配備された警備チェンバーズに追い回される羽目となるのだが、所持したスマートデバイスを上手くハックし難を逃れる学生も稀に存在する。講堂の隅で体育座りをした、特徴的なくるんとした茶髪の癖っ毛の男子は、そんな学生の一人だ。
どこか情熱的に乃木教授へ視線を送るその男子はタブレットデバイスに講義を録音し、時折小声で注釈を入れている。
「ここは後で先生に訊ねてみよう」
ボソボソと彼が呟くと、前の長椅子に座った女子学生は、その声に気が散るのか「颯太くん、ちょっと静かにしてよ。チェンバーズを呼ぶわよ」と可愛らしい顔をしかめ小声で諌める。
「勘弁してくださいよ、葵ちゃん」
颯太は、どこかばつが悪そうにそう云うと、ソワソワし始め「わかりました。今日、はりけんラーメン奢りますから」と、苦笑いをしてみせた。
「ダイエット中だし」
葵はそれにそっけなく答え、プイと登壇する乃木教授に目を移した。機嫌を損ねたからではなく、乃木教授の講義で聞き逃してはいけないパートに差し掛かったからだ。
※
「———これが乃木無人博士が世に送り出したデミ・ヒューマン<チェンバーズ>で、|chambers.jsとはこれを稼働するための必須言語となります」
暑季の日差しが、乃木教授の端整に整えられた黒髪へ白いささやかな波を作ると、彼女は学生諸氏へ「ここまでで何か質問のある子はいますか?」と柔らかいが凛とした声で訊ねた。
講堂の学生達——あるものは身を乗り出し、あるものは懸命に——今時珍しいが——ノートを取り、あるものは席の後ろでタブレットにこの講義を録音をする者もいる。もっとも最後のは本来であれば警備チェンバーズに連行されるべき不届き者だ。しかし乃木教授はそれを見逃しながら、真剣な眼差しを向ける学生諸氏へ答えるべく「じゃあ続けるわね」と話を続けた。
「——今や情報生命体と呼ばれるようになったスーパーAIは仮想世界に産み出され育成されると、現実世界の躯体にインストールされます。そして人間と遜色のない、もしくはそれ以上の能力を発揮し私たちの生活のサポートを行ってくれます。パーソナル・オンライン・データ・ストア。通称PODSの管理を外装で管理できるように、スーパーAIもこの技術でユニーク化されます——」
「教授、質問いいですか?」男子学生の一人が席に立ち声をかける。
「ええ、勿論よ」と、乃木教授。
「ユニーク化されたスーパーAIは、躯体のどの部分にインストールされるのですか?」
「あら、あなたそんな事も知らないでこの講義を受けに来たの? エレガントじゃないわね。この子以外にもそういう子は居るのかしら?」
バッサリと斬り捨てられた男子学生は、苦笑いをすると大人しく椅子に腰掛け、隣に座った相棒へ肩をすくませてみせた。と、周りを見てみれば、意外と多くの学生が挙手をしているのを目にし、そこはかとなく安堵の表情をこぼす。
それとは正反対に苦々しい表情をしたのは乃木教授の方で「まったく最近の子は、そんな事も理解しないで|chambers.jsを学ぶのね」と溜息まじりに不満をこぼした。
「もう、あいつなんなのよ。そんなくだらない質問で時間を無駄にして———」
思わず心の声を漏らしたのは葵だった。
軽くウェーブのかかった茶色の髪を乱暴に掻き上げると、数段下の席に座った、不甲斐ない質問者をキッと睨みつけた。
「まあまあ、葵ちゃん。そんなに怒ると——」
「なによ!?」
相変わらず席の後ろで、出歯亀のようなことをしている颯太に思わず鋭く云ってしまった葵は、ハッと片手を口に当てて周りの様子を伺った。
「皺ができますよ」
颯太の心無しな言葉に葵は「うっさい! 死ね!」とやり返すのだが、どうだだろう、それは意外と講堂に響き渡ってしまい乃木教授の耳にも届く。
「三好葵! あなたも——うっさい! わよ」乃木教授の叱咤に講堂の学生達が笑いを漏らすと、こちらの葵は顔を真っ赤にし席で身体を縮めこませた。
んんっ!
乃木教授は咳払いをし、その場を仕切り直すと先ほどの不甲斐ない質問に答え始める——どこへ格納されるか? だったわね。いい機会だからおさらいでもしましょうか。
世界に展開される三つの仮想世界のうち、シュメールとエッダで育つスーパーAI。つまりそれぞれのネイティブはシェルを装うと時間の概念に囚われ名前を与えることで仮想世界に顕現する。
ここまではいいわね?
彼等は産み出された瞬間から十二倍速の時間が流れる仮想世界で成長し、その間、身体的な成長は脳の成長も促し固有のニューラルネットワークを形成。十分なシナプス強度と可塑性が認められれば、その個体は仮想世界から躯体へインストールが可能になる———大丈夫? ついてこれている?
ここ最近、育成数が多いのは人手不足が顕著な高速道事業や建築土木関係ね。
職能において優秀な功績を残した人材のDNAマップを持ったネイティブを育てることが多いのだけれども———その身体データと職能に特化構築されたニューラルネットワークを躯体のプロセッサにインストールする。だから、どこにと訊ねられれば、それはウェッジプロセッサということになるわね。
※
乃木教授は純白の白衣を軽やかに揺らし質問者の傍まで歩くと「わかったかしら?」と皮肉な笑みを浮かべた。
くだらない質問を投げかけた男子生徒は申し訳なさそうな顔で「はい、ありがとうございました」と感謝の言葉というよりは謝罪にも聞こえるそれを口にし、机上にマウントされたホロディスプレイへ視線を落とした。
「他には? 初歩的な部分が理解できていない子はいる? 今のうちに解決しておかないと先に進めないわよ?」
乃木教授はそう云うと、白衣をひるがえし講堂を見回した。すると、やはりというべきか申し訳なさそうに挙手をする学生を目にする。教授は「はぁ」とため息をつき、黒髪を掻き上げると「じゃあ、そこのミスタースマート。そうあなたよ。黒いカットソーのキミ。何が訊きたいの?」と、三好葵の前の段に座る男子学生を指差す。
指されたミスタースマートは「て、勅使河原です」と断りを入れ「インストール元のネイティブはどのようになるのですか?」と、おずおずと教授に訊ねた。
「ちょっと皆大丈夫? まあ今日ここに座っている子達は——優秀な子達だと思っていたのだけれど……そんなのは基礎中の基礎だからね」
乃木教授がミスタースマートと呼んだ、勅使河原は「すみません」と小さく云うと、教授の回答をまった。
「そうね、でも良い質問。その先も教えるからよく聞いてね」
乃木教授は教壇へ戻り、講堂の横一杯に広げられたホロディスプレイへいくつかの図面を表示すると解説を始めた。
「インストールを終えた個体、つまりオリジナルは仮想世界では休眠に入り、仮想脳の稼働を維持します。以降、躯体はオリジナルへ常時アクセス、仮想脳は人間の脳と同じ役割を果たすわ。これには乃木無人博士が開発をした|chambers.jsで造られたプラグイン、レッドウェッジを利用するの。それでインストールされたニューラルネットワークから常時接続をする必要があるわ。つまり仮想世界のネットワークをシンクロするということね」
教授はそこまで語ると次の図面を映し出す。
すると別の学生から声が上がる。
「なんで、そんな面倒な方法をとる必要があるのですか? 最初からプロセッサに全て詰め込んでしまえば良いのでは?」
「50ゼタバイトよ」乃木教授が目を細め、質問者の視線を絡めとり、五指を立て手を軽くひらひらさせた。質問をした学生はそれに「え?」と小さくこぼす。
「人間を構成する情報量が大凡50ゼタバイト。これはネイティブも一緒。1ゼタが10の21乗だから、つまり、5と気の遠くなるほどのゼロね。そんな膨大なデータ量を保存できる媒体が研究当初はなかったの。だから当時は気の遠くなるほどのサーバーを並列しヒト一人分を再現するのがやっとだった。だから乃木無人博士は——いえ、これは今はいいわね。そう、だから最初はこれをセパレートすることで、躯体をなんとか稼働できるようにしたの。でもね、それでもプロトタイプのチェンバーズは棺桶のようなサーバーを三台背負う必要があったから、およそ実用できるようなものではなかった———」
そこで言葉を一度終わらせると、ホロディスプレイの図面を数枚切り替え「これこれ」と、あるリポートを表示した。そこには細かい英数字がビッシリと書き記され、それに混じって二枚の写真が添付されていた。
それはアンデスの山中、標高2,400mの断崖に突如として姿をあらわす都市遺跡マチュピチュの航空写真と、男性と手をつないだ女の子が遺跡のどこかに立つ写真だった。
「左の男性の名前はクロフォード・アーカム、右の銀髪の女の子の名前は、メリッサ・アーカム、クロフォードの娘さんね。この二人は生まれながらにしての天才よ。そして———」
一度目をゆっくりと伏せた乃木教授は、学生達に顔を返すと「彼らがその問題を解決したの」と顔を歪めた。遠くからそれを眺めた颯太からもその様子はわかるほどだった。
※
(生まれながらにしての天才。どうなんでしょうね。何をもってして生まれたのか。でも一つだけ確かなのは生まれたその時から歯車が狂っている。と、いうことなのですよね)
茶色がかった癖っ毛を乱暴に掻きむしりながら颯太は講堂の天井を見上げると、そんなことを胸に繰り返した。
「講義中に失礼致します。白石颯太さん、いらっしゃいますね?」
その時だった。
講堂の扉が静かに開け放たれると、断りの言葉とともに一人の男性が姿を現し颯太の名前を呼んだ。
(あれ!)それに目をやった颯太は慌てると、左手首に巻き付けられた時計型のスマートデバイスに目をやった。
503 Service Temporarily Unavailable
小さなスマートデバイスのディスプレイに表示されたその言葉は、颯太が巧みに仕込んでいたデコイサーバーが何かしらかの原因でプログラムを実行できなくなったことを示していた。恐らくは、急な頻度でのコールとレスポンスが原因だ。
「ちょっと颯太くん」
自席の後ろで蹲るような颯太に目をやった三好葵は、小さな声で心配そうに———いや責めるように云うと、颯太は「はい。バレちゃいましたね」と癖っ毛を掻きむしった。
「すみません、ちょっと講義を間違えちゃって」と、あからさまな嘘を口に講義を中断したことへの謝罪のつもりか、へこへことかぶりを下げた。出入り口で仁王立ちに颯太の足取りを見守る男性は、大学に配備された警備チェンバーズの一体だ。
デミ・ヒューマンとはよくいったものだ。
外見も所作でさえも、そうだといわれなければ気がつかないほどに人間に近い。しかし、この躯体のオリジナルもシュメールかエッダのいずれかで眠っているのだから根本的に人間とは違う。しかし、それは外見上での差異ではない。
彼らチェンバーズは自己発電することでプロセッサを稼働させるが、稼働負荷が閾値を越えた場合にのみ外部から充電をする必要が出てくる。あえてその違いをいうのならば、その際の電源の供給口となり、また、メンテナンス用の入出力プラグを受け入れる胸椎に設けられた十二個の凹みだ。これもやはり服を着ていれば外見上はわからない。
颯太はそんなチェンバーズに迎え入れらるよう、彼の元へ足を運ぶと「白石颯太さん、予定にない科目講義の履修は認められておりません。もしそれをご希望なのであれば———」と、お決まりの定型句を浴びせられる。
「はい、わかっています。すみません。学生センターに相談ですよね。本当すみません」
と、おずおずと颯太は講堂を後にした。
水を打ったかのように静まり返った講堂だったが、颯太のあまりにも、戯けた表情と口調に学生達から笑いが溢れた。そして呆れ顔の乃木教授は目の前を横切った颯太に目をやりながら、僅かに口を動かし、それを見送っていた。
(また、あとでね)
※
「さて———」
颯太の寂しそうな背中が消えていった。
教授は右手首のスマートデバイスを見ると「時間も差し迫っているから、この部分だけ先に話してしまうわね」と、先ほど映し出したリポートに添付された写真を拡大して見せた。
「アーカム親子が解決した問題。それは、その膨大なデータ量の保存と処理。その兆しとなったのは、とある鉱石の発見によるものよ———」
乃木教授が語ったのはこのようなことだった。
その謎の鉱石が発見されたのはマチュピチュの謎の一つとされた<隠し扉>の奥であった。
クロフォードの娘、メリッサは類まれな洞察力と解析力でその鉱石の存在を予測してみせると、それまで扉の開閉を拒んだペルー共和国へ鉱石の独占を持ちかけ実現するに至った。その鉱石は必ず楔型をした形で採掘されること、そしてどこまでも暗い黒をしていたことから、黒ウェッジ鉱石と呼ばれた。
教授曰く、兎に角その鉱石は無限と思えるほどの情報量を格納することが可能であったそうだ。1ビットの情報処理にでさえ熱量が発生するそれを無限に格納処理できる物質はもはや、自体が無限に広がる宇宙を閉じ込めた何か人智を超えたモノにも考えられた——いや、はたまたは神が宿ると揶揄された。
乃木教授はそこでアーカム親子の写真を閉じると、別の画像を映し出した。
きっとその鉱石の画像だ。
「でもここで問題が一つ。その黒ウェッジ鉱石をベースに造られたプロセッサおよびメモリは、私たちが普段使っているコンピューターのそれとはまるっきり異なる電気信号を持っていたの。つまり通常のマシン語が通らなかったの。だから、全く新しいアッセンブリ言語が必要になったわ——」
「——で、それを開発しちゃったイカれた魔法使いが、アーカムメトリクス社のクロフォード・アーカム。またの名を<ミスター・マシン>と呼ばれた、あの男、失礼、あの先生ね——」
「鉱石の持つ電気信号——なのかも解らないけれども、クロフォードはそれを解析するとマシン語に相当する数値の羅列を見出して新しいアッセンブリ言語を開発したわ」
「そしてこのソリューションを乃木無人博士へ提供したの。ご丁寧にウェッジプロセッサ上で稼働する<アーカム>と呼ばれるOSも抱き合わせてあったから、乃木無人博士が寝たきりのチェンバーズを動かすためのプログラム言語を開発するのに、そう時間はかからなかったのよ——」
「そうやってできたのが、ジャバスクリプトに似た言語、|chambers.js」
ホロディスプレイへ最後に映し出されたのは、肩まで伸ばされた———と、いうよりも放置された様だったボサボサの黒髪に黒瞳が印象的ではあったが、どこか平凡な印象を受ける男性の画像だった。右端には小さくキャプションが添えられていた。
Missing:Dr. Nakito Nogi
乃木教授が言葉を続けようとしたその時だった。
ピッピピッピピッピピピピピと一斉に学生達が前にするホロディスプレイから小さな電子音がなると、講義時間の終了を知らせ、各々の次の講義のスケジュールがディスプレイに踊り出した。
「さて、今日はここまで。次はしっかりとプログラムのお作法を講義するから、予習をしなさいね———」
アラームと同時にそう云った乃木教授は、そそくさと講堂の扉を開くと、ひらりと廊下に躍り出て小走りに去っていった。




