表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Killing Me Softly With His Song  作者: コネ
最終章 Killing Me Softly With His Song
137/141

もう一つの闘い③




 ——ルエガー大農園<大木様の館>。


 トルステンに部屋へ行けと云われた子供たちは、カミルとアイネに連れられ二階の大部屋へ滑り込んだ。

 その部屋は館中の寝具や季節の調度品が保管されている。設置された魔導工芸品のおかげで、嫌な湿気はなく、保管された品々は痛むこともなく、無事に歳を重ねることができる。

 トマとクレモンの二人組は、早速と部屋の奥にしまわれた木製の大きな桶の中へ転がり込み、頭を抱え身体を丸めた。

 とくにトルステンが危機を伝えたわけではなかった。

 だが、カミルの緊迫した表情や忙しなく青色シャツの襟を触る仕草から、子供たちは唯ならない空気を感じ取っていたのだ。セレシア、ポーリン、ステラの三人組はアイネに寄り添い「何か起こるの?」と不安を滲ませたが、アイネは「大丈夫だよ」といつもの笑顔を溢し——嘘をついた。

 内心はソワソワとしている。

 トルステンの云った言葉が頭の中で繰り返された。(いいね、用心するに越したことはない)そして、用心しなければならないことが起きているのはカミルの様子を見れば判る。

 

 先ほどから、あちこちからトトトトと小さな動物が屋根を駆けるような音がする。

 それに最初に気がついたのはカミルだった。

 耳を澄ませ天井を見上げ、音を追いかけている。

 アイネは、それに気が付くとカミルに倣った。

 カミルの視線とは反対側でも音が聞こえる。反響しているのだろうか? アイネは頸を傾げたが、直ぐにその考えは捨てた。

 この保管部屋には相当数、物が保管されている。

 だから、音が反響することはあまり考えられない。それであれば、カミルが追いかけた音と、アイネが気が付いた音は別のものだ。そして、数も多い。館を駆け回るそれが、四足の小動物だったとしても——崩れ去る波の音を思わせる音からすれば……とにかく、凄い数のはずだ。


 

 保管部屋へ雪崩れ込みはしたが、別段何かが起きるわけでもなかった——天井から響く小さな音以外は。だからカミルとアイネ以外の子供たちは次第に気を緩め、桶で丸まった二人組も、そろりと出てくると窓側に身を置いたセレシアの腰へ巻きついた。「ねえセレシア、何を見ているの?」


 セレシアが見ていたのは窓枠の外で愛くるしく鼻を小さく動かした毛長栗鼠だった。

 珍しく目が赤く、よく見れば瞳は蛇のようで奇妙であったが、ふさふさの尻尾を大きく振るさまや、立ったり座ったりをしながら部屋の様子を伺うような仕草に「栗鼠だよクレモン。可愛い子——」とセレシアは窓を指で突いた。「——どこから来たの?」

 

「ねえ、セレシア。その子は何?」

 訊いたのは怪訝な顔をしたアイネだった。

「アイネ、栗鼠を見たことないの?」セレシアは満面の笑みで答えると、こんな人里に降りてくるなんて珍しいと付け加えた。

 

「そうなんだね——うん。初めて見た。でも——なんだろう、その子の目、赤黒いじゃない。なんていうか、なんだか怖い」アイネは鳴り止まない音に注意をしながら窓に顔を近づけた。栗鼠の瞳が気になって仕方がなかったのだ。確かに、それは愛くるしく許されるのであれば飼育することだって、普通の女の子であれば考えるかも知れない。

 だが、アイネは違った。

 瞳から受ける既視感——いや、確実にどこかで目にしている気がし、そしてそれは、ろくでもない奴の瞳のはずだった。


「そんなことないよ——触ってみる?」

「セレシア、やめよう」

 大丈夫だよと云うセレシアが窓枠に手をかけた。アイネは、それに背中がむず痒くなり身体を震わせると「やっぱり駄目だよ」と急いで駆け寄った。嫌な予感がしたのだ。

 そして、嫌な予感は的中した。

 セレシアが少しばかり窓を上げると、外で待ち構えた気味の悪い栗鼠は隙間を縫って部屋へ滑り込むと、彼女の喉元を目掛け飛びかかったのだ。「きゃあああ!」

 

「セレシア!」

 セレシアの悲鳴と同時にアイネは手を動かしていた。

 瞬時に呼び出した黒鋼の短剣の腹で栗鼠を叩き付け、床に転がった小さな黒い塊の腹へ切先を突き立てる。すると堰を切ったように窓枠から大量の栗鼠が流れ込んでくると、保管部屋は大騒ぎとなった。腹を刺された栗鼠は、シュウシュウと音を立てて消えてしまった。「やっぱり駄目な子だ!」アイネは、叫ぶと雪崩れ込んだ栗鼠を次々に叩き落とした。

 

 カミルはこの異常事態を瞬時に判断すると、幾つもの蒼く輝く玉を周囲に呼び出し、床に転げた栗鼠たち一匹一匹の姿を素早く目で捉える。蒼の魔力の玉で栗鼠を焼き払うためだ。次の刹那には、いつの間にか手にした小さな魔術師の杖を指揮棒のように振い、次々に栗鼠を焼き払った。


「窓を閉めて! レトリックさんたちの部屋へ!」

 子供たちは、カミルの号令に身体を跳ね上げ一斉に扉から廊下へ転げでた。一度は身を寄せ合ったが、カミルが保管部屋の扉へ何か魔術を施したのを確認するとアイネはセレシアの背中を軽く叩き「行こう!」と駆け出した。

 

 階段を急いで降りて行くと<大木様>の前で、白の丸鍔帽子が座り込み何か術式を展開をしているようだったが、今はそれを気にしている暇はなかった。

 子供たちはレトリックとミネルバがいる客間へ急いだ。

 途中、客間から飛び出てきたトルステンと鉢合わせになったが、アイネが手短に事情を説明すると館の主人は満足そうに「早く客間へ。皆んなを護ってください」と云うと、稲妻のような速さで大広間の方へ姿を消していった。イカれた栗鼠の動向を確認し対処するつもりなのだろう。

 

 

 カミルは子供達と客間に入るのを見届け安堵の溜息をついた。が、扉の前で立ち尽くしたアイネの姿を見つけると、今度は不安が沸き起こり、巨魔(トロル)の夜のことが脳裏を過った。「アイネ? 部屋で待とう」カミルは、半ば諦めかけた様子で、念の為声をかけた。

 

「ちょっと、カミルン。子供たちが怖い想いをしたってのに黙って見過ごすの?」

 ああ、そうだ。アイネはそういう娘だ。カミルは、だかしかしトルステンの言いつけとの狭間で葛藤し、今まさに両手を腰に当て顔を赤くしたアイネの顔を覗き込み、どうか聞き分けてくれと願う。「いや——そう云うわけではないけれど。トルステンさんが、なんとかしてくれるよ」

 

「何を隠しているの?」

 カミルの言葉にアイネは、キッと睨みつけるようにした。草原から帰ってくる時のカミルとトルステンの会話のことを云っているのだ。

「え?」

「だって、外でトルステンと気持ち悪く目でも話していたでしょ?」

「それは——」

「判った。洞窟で見た奴が仕返しに来たんでしょ?」

「は、え?」

「覚えていないの? あの巨魔(トロル)のおじさんを……」

「いや、覚えているけれど。なんで、そう想うの?」

「勘よ勘! 女の勘てやつ! リリーも良く云うでしょ? リリーのは当たったことないけれど、私のは当たるの!」

「アイネ。それは、つまり——」

「よっし!」

「よし? ——ちょっとアイネ、待って!」

 カミルが、それはどういう意味なのか? を訊ねるよりも先にアイネは踵をクイっと返し大広間とは逆の方へ駆け出した。曰く「正面から行くのは馬鹿のすることよ!」とのことだった。きっと、アイネが口にした女の勘と云うのが、そう囁いているのだろう。

 カミルは一言「仕方ないですね」と溢し、二人分の<魔力の殻>を張るとアイネの後を追いかけた。

 つまりアイネは栗鼠の正体を野生の勘——いや、女の勘とやらで、ぼんやりとでも察知し、どうにかするつもりなのだ。そしてカミルは、それに付き合わなければならない。あの巨魔(トロル)の夜と同じように。

 

 

 

 ※




 二階から悲鳴が聞こえ、次にはトルステンが「闘えるものは外へ、出る時は窓という窓を全部閉めろ」と叫ぶ声が館中に轟いた。こんなにも館の主人が切羽詰まった声を出すのは珍しいことだった。

 大広間から、<大木様>に何か術式を展開するギネスを見守ったリリーとネリスは、トルステンの声を耳にすると、驚き顔を見合わせ白の丸鍔の様子を伺った。この場を離れるか否か——判断をしかねたのだ。

 ギネスが、それを察し「行ってください」と、小さく云うのと同時に、トルステンも姿を現したのだが、館の主人は「地下を確認する」と立ち止まることもなく、炊事場の方へ姿を消していってしまった。

「行くよ、ネリス」

 トルステンの慌てようにリリーは随分と不安を募らせたが、自分を見上げるネリスをにそれを悟られてはいけない。士気に関わってしまう。だからリリーは外へ出る間際に大声で言葉を残すと、大股に外へ出た。「準備の出来ているのから、外へ! 急いで!」

 

 

 ばらばらと他の農園の野伏たちも姿を見せる頃には、いよいよ館の周囲の状況がおかしいことを目の当たりにし、トルステンの号令の意味を理解した。

 他の野伏たちの報告からも判ったが、館の周囲に無数の<屍喰らい>が湧き出ている。館へ目を巡らせれば無数の小さな黒い影が、これもまた無数に蠢いている。先ほどの悲鳴は、この影の仕業だろう。

 

 <屍喰らい>は、今はまだ遠くから様子を伺うよう、ピクリとも動きを見せないが、緑の菜園や森の際、あらゆるところに姿があった。その様子は、まるで炭を引き延ばし描かれた()()()が館の周囲をぐるりと取り囲んでいるように見える。


「どうも俺たちは<屍喰らい>に、好かれているらしいですぜ親方。 イテテテ!」

 くるりと短剣を手の中で遊ばせたネリスは得意げに<屍喰らい>の頭数を数えながら云うと、後ろへ立ったリリーに耳を引っ張られた。「——焼いて肥料にでもしますか、リリーさん?」


「無駄口を叩いていないで、さっさと片付けるのよ」

 悲鳴を挙げ耳をさすったネリスを脇目にリリーは片手剣を抜き放つと、ゆっくりと黒の帯に向かい歩き始めたが、斬り込む様子はない。

 リリーは言葉とは裏腹に何か警戒をしている。ネリスは、そう考えると、はたと足を止め踵を返し館の方へ警戒の視線を投げた。見れば、他の野伏たちも館を囲むように陣取ってはいるが戦端を開いた様子はない。

 館のあちこちに蠢く小さな黒い影は中へ入り込む様子はなさそうだ。きっとトルステンが首尾よく結界を張ったのだろう。では警戒するべきは——。


 未だ開かれなかった戦端が、パッと口を開いたのはネリスが空を見上げたときだった。

 大きな()()()が頭上で旋回し耳をつんざく鳴き声を挙げると、遠くで突っ立っている黒の帯の中にいくつもの緋色の灯火が一斉に現れた。<屍喰らい>の虚な眼窩に灯りがともったのだ。

 するとどうだろう、緩慢にゆらゆらとした<屍喰らい>の大群が弾き出されるよう駆け出したのだ。クレイトンでの一件でもそうだった。負のうねりへ命の灯火投げ込もうと、躍起に突進をしてくる。

 

「ネリス、足を止めて!」

「了解!」

 周囲を見渡せば、<屍喰らい>の突然の進行に周囲の野伏は少なからず狼狽した様子だった。ネリスは、それに発破をかけるよう、ことさら大声でリリーへ返すと一言二言短く何かを口にし、ズドンと右足を踏み鳴らした。

 クレイトンでは石畳が邪魔をし動きが鈍かったが、たった今、ネリスが呼び出した無数の木の根は日頃から手入れをし整えた木々のものだ。すんなりと地中から膨大な量の木の根が<屍喰らい>の群れに向かって飛び出すと、意図のまま相手の脚を絡め取り、その大部分が木の根の間に捕らわれた。

 <屍喰らい>は、そこから抜け出そうとするのではなく、ただただ手足をバタつかせると、向かってくる野伏たちへ奇声を浴びせている。

 

「こいつらは脳無しだ! 頸を斬りまくれ!」

 ネリスが再び大声で叫んだ。

 脳無しとは<屍喰らい>の中でも意識を持たず、ただただ生きたものを喰らうだけの衝動で動くものを指している。周囲の野伏たちは、それに安堵したのか一斉に木の根へ駆け出し、<屍喰らい>の頸を刎ね始めた。

 遠くから鬨の声が挙がっている。ネリスが放った足止めと同じ要領で<屍喰らい>を圧倒しているのだろう。だが、どうだろう。その光景にリリーは怪訝な顔をし、未だ頸狩り作業へ合流をしていなかった。

 クレイトンで溢れかえった<屍喰らい>。

 あれは<色欲の獣>が何かしらかの目的を持って放ったと後から聞かされている。その目的とは、レッドウッドの術式を奪うためとも、邪魔な警備隊を撹乱するためとも云われていたが、正確なところは判らない。だが、確かに<屍喰らい>を放つ()()があったと云うことだ。


「駄目だ、散開しろ! 空だ!」

 リリーが漠然と怪訝に見た光景は館から飛び出してきたトルステンの一声で、漠然から必然のものへと様変わりをした。先程、頭上を旋回した黒い影が空から、数多の火球を放ったのだ。突然の出来事に、木の根に張り付いた野伏たちは降り注いだ火球を察知するのが遅れてしまうと、何人かは丸焦げとなりながら<屍喰らい>の餌食となった。


「トルステン!」

「リリー、無事でよかった」

 辺り一面に火の海が広がる中、トルステンは一目散にリリーの元へ駆け寄ると、数体の<屍喰らい>の頸を斬り落とした。

 焼け落ちた木の根から、かろうじて焼かれないでいた<屍喰らい>が駆け出してきている。その数は……数えるのも嫌になるほどで、その中の何体かはリリーに飛び掛かると右腕を喰いちぎる寸前だった。

 見れば、生き残った野伏たちも無心に迫り来る<屍喰らい>の処理に躍起となったが、どうにも数が多すぎる。空からの注がれた火球はリリーが怪訝に感じた通り、トルステンが叫んだ通り、その目論見を果たしたと云える。


「万事休す……かな」

 珍しくトルステンが弱気な言葉を漏らした。

 リリーはトルステンに背中を合わせながら、その様子に悲しげな表情を浮かべた。「でもね——あなたが死ぬのは、私があなたの頸を斬るとき。つまり、あなたが人でなくなったとき。でしょ? だったら諦めるのは今じゃない」




 

 ※




 館の外から、随分と激しい爆発音が幾つも鳴り響いた。

 その少し前は館内に悲鳴も聞こえた。

 白の丸鍔帽子——ギネス・エイヴァリーは<大木様>を前に跪き、何やら複雑な魔術式を展開すると、そんなことをぼんやりと想った。それが、例えギネスが予測したよりも早く起きた()()()()()()()であったとしても、トルステンに加勢することも、館内を周り火の粉を振り払うこともできない。時間がないのだ。

 先程、前を横切って行ったトルステンは、慌てている様子であったが、自信を喪失しているようではなかった。

 それであれば——そこはかとなくトルステンが心の隅に抱えていた、この闘いへの疑念に、ギネスは懸念を持ったが——少なくとも、あの野伏はしっかりと役目を果たすはず。ここが例え画面の向こう、意識の向こう、肉体の向こうの出来事であっても、英雄だと祀りあげられた罪人であれば、そうしなければならない。でなければ——誰からも赦しを得られない。ギネスは、そう心に呟いた。 「頼みますよ」


 

 ギネスが展開した術式は<大木様>を中心に描かれた。

 蒼の光が脈打ちながら右へ回ったかと思えば、次には左に回るように流れている。ギネスが願いの言葉を溢すと、今度は蒼の術式の上へ緑の術式——こちらは、術式というよりも<言の音>を円環に紡いだ文字のようだった——を展開し始めた。

 二枚目の術式を確認したギネスは懐に手を忍ばすと、赤と緑の光が交互に輝く、握り拳ほどある石にも似た何かを取り出した。よく見れば、それは石かどうかも怪しいもので、一定の間隔で少しばかり膨らんだり、縮んだりを繰り返している。まるで息をするようにだ。


「——ネリさん、申し訳ないです。今一度、コービー……いいえ、ジョシュアとの絆を使わせてもらいます。恨まないでくださいね。これは、クロンデルさんが生涯をかけ集積した命の情報。ロアがあなたに施したものと——そうですね、ほぼ同じものですが——どこまで通用するか」

 ギネスは手の中で脈動した石——のような物——を物悲しげに少しのあいだ視線を落とし、ひとりごちると意を決したのか、それをいつの間にかに開いた<大木様>の窪みへと挿し込んだ。


 外からは怒声や悲鳴が聞こえてくる。

 館内——二階からは何やら罵り合うような女の声も聞こえてくると、そのうち館の奥から、おそらくカミルと呼ばれた魔術師がアイネの名を叫んでいるのも判った。

 状況はだいぶ混乱し切迫もしているようだ。

 ギネスはそれを他所に<大木様>に挿し込んだ石へ手を添え、瞼をおろすと、第一層、第二層と呟いた。第一層と云ってから第四層と口にするまではすぐだった。だが、第五層と云うまでは、それまでよりも時間を大きく要していた。

 ギネスは、そこで大きく深呼吸をすると、思わず「難しいですね」と溢し瞼を開いたのだが、外から眩い閃光が走ったのに気がつくと「ミネルバさん——アイネを見殺しにしないでくださいよ」と再び瞼をおろし石へ触れた手に集中をした。


 

「第六層……ティファレトですか。頭が焼き切れそうですね——」ギネスは目を閉じたまま苦しそうに溢した。「——メリッサが云うように、生命の樹の解釈はシュメールのものが正しいのですかね。破壊と再生。円環の理。まあ彼女自身が、それを体現していると云うのであれば、そうなのでしょうが。でもね——」今度は外から<暴食の獣>クルシャの名を憎そうに叫ぶミネルバの声が轟いた。それにギネスは片眉を吊り上げたが、瞼を開けることはなく更に集中をした。時間がないと云う余裕もなくなったようだった。


「——そんな悠長なことは云ってられないのです。人は皆、平等でなければなりませんから。この力をアーカムの私欲に利用させるわけにも、選民の道具にするわけにもいかないのですよ」


 

 

 ※



 

 保管部屋からレトリックとミネルバが滞在した客間へ転がり込んだ五人組は、客間の扉が閉じられるとカミルとアイネが、どこかへ行ってしまったことに気がつき慌てふためいた。突然のことにレトリックまでも慌てた様子を見せたのだが、館を包み込むような魔力の気配を感じると落ち着きを払い子供たちを宥めて回った。子供たちの感情の起伏が魔力の追跡を邪魔しないようにだ。幼い感情の起伏は思いの外、空気を揺らし予期せぬ作用をもたらすことがある。「さて皆さん落ち着いて。カミルも、アイネも大丈夫だ」

 

 そんななか、年長者であるセレシアとポーリンは泣き出してしまった、ステラにトマ、クレモンを落ち着かせるよう抱き寄せ成り行きを見守った。


「二人ともありがとう。皆んなと一緒に部屋の隅に居てもらえると助かるのだが」

 年長者の機転に頬を緩めたレトリックは、二人の頭を撫でると、次には天井を見上げたミネルバの顔色をうかがった。察知した魔力の源流をミネルバは判っているようだった——先程、小さく<暴食>の名を口走っていたように思う——。だからレトリックは五人組を部屋の隅——できるだけ窓から離れた場所にかたまって居るように云ったのだ。


「判ったわ、レトリックおじさん」

 カミルの姿がなく一番不安に想っているのはセレシアだっただろう。それでも、気丈に振る舞うセレシアが、そう答えるとレトリックは「頼んだよ」と、今度はセレシアの肩をポンと叩いて見せた。口にはしなかったが、カミルを信じるのだと云いたかったのだ。子供のセレシアにではなく、カミルを慕う一人の女性としてのセレシアにだ。


 

「いい加減、泣くのをやめなさい——」レトリックがセレシアへ、まとめ役を託したのを見届けたミネルバは、そう云うと窓から外の様子に目をやっていた。レトリックは、それに「ミネルバさん?」と、真意を探るよう顔を覗き込むと、何かに驚き再びミネルバの名を呼んでいた。

 外に目をやれば、数多くの黒い影——<屍喰らい>の姿が目に飛び込み、客間に耳を澄ませば、いよいよ魔力の気配が濃さを増し無数の小さな足音が耳に届いた。外の<屍喰らい>の群れは、農園の野伏たちが迎え撃つのだろう。窓から見える範囲にも、バラバラとしかし規律正しく野伏たちが集合をしている。

 ミネルバは、それを確かめると部屋へ目を戻した。「——二階の薄汚い獣は、私が片付けてくるわ。いいこと? 帰ってきたら、あなたたちが大切にしている——そうね、一番上等なお菓子を私に捧げなさい。でなければ、私があなたたちを食べてしまうわよ」

 レトリックが驚きのあまり、問いただすようミネルバの名を呼んだのは、それが原因だった。部屋へ目を戻したミネルバの瞳は赤黒く滾り、そして蛇の目の様相を見せていたからだ。


「ミネルバおばさん、その瞳……」

 セレシアは、ミネルバの豹変ぶりに狼狽する様子を見せたが、しかし、恐怖するようなことはなかった。

 短い間ではあったが館で共に過ごした時間。セレシアにとっても、他の子供たちにとってもミネルバは、口が悪く掴みどころのない大人に映っていたが、それでも時折見せた優しさにも似た何かを感じていた。だから、セレシアは恐怖を感じるわけではなく、その豹変ぶりに心配をしたのだ。

 ミネルバはそんな様子のセレシアを一瞥し、他の子供たちの顔を確かめると「次、また私を『おばさん』と呼んだら、もう二度と手品を教えてあげられなくなるわ。覚えておきなさい」と、鼻を小さく鳴らして云った。


「どうしますか?」とレトリック。

 

「レトリック。あなたは足手纏いになる。船倉でやり合ったときのような無様な目はもう懲り懲り。子供たちを護りなさい」

 

 ミネルバはそう云うと静かに部屋の扉を開け外へ出ようとしたが、踵を返しセレシアに耳打ちをした。「いいこと? 男にしろ、金にしろ、欲しいと想ったものは、なんでも手に入れなさい。遠慮する必要はないの。私には()()判らなかったけれど、幸せというものも、きっとそうよ」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ